訪問看護と介護 10巻3号 (2005年3月)

  • 文献概要を表示

高度専門医療の進歩に伴い,以前には助からなかった超極小出生体重児や障害をもった新生児が救命されるようになり,医療機器を装着し,また医療処置を継続しながら,在宅生活を送る子どもたちが増加してきている。

 また,社会環境の変化の中で,核家族化や家族機能の弱体化,地域の人間関係の希薄化などのため,障害のある子どもと家族が家庭や地域で暮らしていくうえで,さまざまな困難を抱えている。

 特に,医療的なケアを必要とする重症心身障害児と家族は,生命維持が家族にゆだねられ,生活の大部分に介助を必要とし,精神的にも体力的にも余裕がない状態で生活をしている。このため,重症心身障害児と家族の地域での暮らしを支えるためのサービスとして,小児医療に対応できる訪問看護ステーションへの期待は大きい。

  • 文献概要を表示

数年前から,横浜市内で重症心身障害(重心)児者の親の会が複数立ち上がり,各地で活動しはじめていた。重症心身障害を持つ子どもと家族を支えるためには,それらの会をつなぎ,協力し合っていく必要があると感じたことから,2001(平成13)年7月に,親の会の連絡会を組織し,活動を開始した。それが「横浜重心グループ連絡会~ぱざぱネット~」である。現在14団体,約200人が参加している。

 ぱざぱネットのぱざぱとは,フランス語のpas á pas(一歩一歩)であり,重症心身障害児者を一歩ずつ支えるネットワークという意味からつけた名称である。

 ぱざぱネットは,重症心身障害および肢体不自由児者と家族の,地域における普通の暮らしを実現するために,協力し合うことを目的としている。具体的には,情報交換,勉強会,行政への要望のまとめ,福祉局・教育委員会との話し合いなどの活動を行なっている。

 この連絡会を組織したことによって,必要な情報を共有することができるようになった。また,行政に対して,個人や少人数ではなかなか伝えられないことも,会として伝えていくことができるようになった。現在,年に1回行政に対して会として要望を伝え,それに対する話を聞く機会を持っている。福祉や教育行政の担当者と直接話をすることが可能になったことは,重要な意味があったと感じている。また,新たな福祉施策についての説明会の開催なども,ある程度人数がまとまったことによって,実施しやすくなった。

 重心の親は,日常の介助負担が重いので,インターネットの利用などで,活動上の大変な部分はできるだけ少なくし,効率的な活動ができるように工夫している。

  • 文献概要を表示

私がかつて小児専門病院のNICUに勤務していたとき,出生直後から哺乳不良と酸素が必要なために,保育器にはいったまま1か月間両親に抱っこもされずにいた新生児が搬送されてきました。この子は最終的には両親に抱っこされ亡くなりましたが,もっと早くから両親が医療的ケアを覚える機会があり,そのサポートを行なう医療者が地域にいれば,家族とともに少しの間でも家での生活ができたお子さんでした。

 また,同じ病院で外来勤務をしていたときには,自分が病棟で見ていた子どもたちが,退院し,入院中には予測できなかった状況で通院あるいは入退院をしている姿に,家ではどのような生活を送っているか,家族に問いかけても不明瞭だったり,「そんなことをしていたの?」と愕然としたりと,病棟での退院指導と退院後の日常生活がつながっていない現状を見てきました。これらのことが,小児の訪問看護に目を向けさせられたきっかけです。その後訪問看護ステーションに入り,小児の訪問看護を担当して7年になります。

 ここでは,小児訪問看護を始めようとしている方,あるいは比較的経験の浅い方から寄せられた質問に対して,できる範囲で答えていきたいと思います。

  • 文献概要を表示

NICU看護においては,出産後の親子ができる限り早期に家庭生活を開始できるよう,新生児のニーズに応えるだけではなく,親子関係の形成や親となる過程を支え,親としての役割を果たせるよう援助することが不可欠である。

 NICUを退院するためには,家庭で親が子どもを適切に世話できることがその条件となる。そのため親は,退院までに自分の子どもの育児に必要な知識や技術,態度について学習する。しかしながら,学習はしていたとしても,専門家のもとを離れ自分の判断で子どもの世話をするとなると,心配や不安がつきものである。

 多くのNICUでは,退院後も継続して電話相談に乗れるよう,家庭との間にホットラインを設けている。しかし,電話相談によって問題の緩和や解決につながることもあるが,相談後の状況や結果を確認したり,その後も継続して相談に乗ることは難しい。このような電話相談の限界は,訪問看護によって解決できるのではないかと考える。

特集2 災害時,在宅療養者をどう守るのか② 新潟県中越地震

  • 文献概要を表示

訪問看護ステーションつくし(以下,「当事業所」と略)は,1999(平成11)年5月に開設した。現在,看護師は常勤6人,非常勤2人と事務職1人の体制である。訪問地域は,柏崎市と刈羽郡。1か月の訪問看護実利用者数は約90人,延べ訪問件数は480件前後。居宅介護支援利用者数は約50人(うち当事業所の訪問看護利用者は約40人)である。利用者の主な疾患は,脳血管疾患,高血圧症,パーキンソン病等の難病,悪性腫瘍などである。

 本稿では,2004年10月23日に発生した新潟県中越地震における当事業所の活動と,ピーク時には2500人が避難していた小千谷市総合体育館で25日に行なった健康相談活動についてまとめた。

  • 文献概要を表示

新潟県長岡市にある高齢者総合ケアセンターこぶし園(職員数293名)は,特別養護老人ホーム,グループホーム,デイサービス,ショートステイ,配食サービス,訪問看護,訪問介護,居宅介護支援事業などを運営する総合福祉事業体である。本体施設で提供するサービスに加えて市内7か所に「サポートセンター」を設置。これはこぶし園の在宅系サービスの拠点であり,エリア内で暮らす介護が必要な人の在宅介護を24時間365日の体制で支えている。この取り組みは,小規模多機能モデルの先駆者として,全国から注目を集めている。

 10月23日以降,中越地方で続発した地震により,長岡市でも大きな被害が出た。人的被害は死者6名,負傷者2108名。建物の被害は全壊1395棟,半壊5537棟,一部損壊は4万9519棟にも及んだ(12月8日時点)。地震発生当時,園長の小山剛氏は東京に出張中だった。震源は新潟だと聞き,翌日からの予定をすべてキャンセルして長岡へ戻ることにした。レンタカーを借りて長野県に入り,直江津,柿崎を経由してなんとかこぶし園にたどりついたのは地震発生から約7時間後だったという。地震時のこぶし園の状況と,今回の災害から見えてきた課題について小山氏にうかがった。

  • 文献概要を表示

まず,今回の災害に際し,全国の皆様の応援に深く感謝いたします。

 地震の発生した昨年の10月23日,私は町立ゆきぐに大和総合病院に所属し,大和町在宅介護支援センター,町立訪問看護ステーション,病院の在宅部門であるホームケアステーション,社会福祉協議会立のヘルパーステーションの4部署を統括していました。大和町(以後,「旧大和町」と表記)は隣接する六日町と2004年11月1日付で合併し,「南魚沼市」となることが決まっており,当時は合併に向けた準備が大詰めで,担当部署は土日もなく働いていました(今回の地震で被害の大きかった堀之内町も,魚沼市への合併をひかえていました)。南魚沼市への合併にともなって,私も市の基幹型在宅介護支援センターに異動することになっていたため,当日も午前中は出勤し,帰宅していた時の地震でした。

 本稿では,旧大和町管内における地震の様子とその対応,被災中心地への後方支援について述べます。

  • 文献概要を表示

2004年10月23日17時56分,新潟県中越地震が発生した。北魚沼郡堀之内町(当時)では震度6弱を記録し,その後も震度5クラスの余震が続いた。この地震により,堀之内町にある特別養護老人ホームうかじ園注)は壊滅的な被害を受けた。地震当時は1人入院していたため入所者49人とショートステイ21人の計70人が施設内にいた。翌24日の朝,入所者の分散避難が決定し,職員も避難先の3施設へ付き添うこととなった。しかし,受け入れ先の施設も定員を大きく超えており,どこか1か所にまとまって避難できる場所を探していたところ,大和町(当時)にある特別養護老人ホーム(八色園)が移転した後の旧施設を借りることができ,11月4日に全員が集まった。

 現在も仮営業が続く同園の看護師遠藤愛子さん,星野恭子さんに,地震発生当時の様子と避難生活の状況について話をうかがった。

注)うかじ園の概要:1999年に北魚沼郡の7町村などからなる社会福祉法人「北魚沼福祉会」が出資して開設。特別養護老人ホーム(定員50名),ショートステイ(20名),デイサービス(25名),在宅介護支援センターが併設され,地域の介護拠点となっている。延べ床面積3740m2の2階建てで,1階にはデイサービスセンターや管理部門,2階に特養,ショートステイ,リハビリコーナーがある。特養の入所者は介護度が高く,認知症の患者も多い。

訪問ほっとらいん

  • 文献概要を表示

こぶし園近くの空き地に立つ2階建てのプレハブ住宅。ここには,東北福祉大学(仙台市)の学生が活動と生活の拠点にしている災害復旧支援本部がある。同大学は,阪神淡路大震災や原油流出事故でも支援を行なった実績があり,2004年11月8日~12月27日までの約2か月間,5班(1班あたり約25名)が10日間ずつ順次入れ替わりながら,長岡市内でさまざまなボランティア活動に携わっている。

連載 マンスリーダイジェスト

  • 文献概要を表示

厚労省の2005年度予算は20兆8178億円

2004/12/24

 政府は2004年12月24日,2005年度の予算案を閣議決定した。厚生労働省の一般会計予算案は20兆8178億円で,対前年度比3.1%増となった。

 医療関連の内容についてみると,重点施策として「健康フロンティア戦略」をあげ,1027億円を計上。2005年度から10年計画で実施される。また,医療安全対策など「安心で質の高い医療提供体制の充実」として498億円を計上。この中には,患者が訪問看護ステーションに通所する「通所看護」機能など,訪問看護事業の多機能化としての新規事業1億3000万円が含まれる。

連載 訪問看護 時事刻々

個人情報保護法 石田 昌宏
  • 文献概要を表示

4月1日から個人情報保護法が全面施行される。厚生労働省も昨年12月27日に「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」を発表し,これに基づいて現在は全国の医療機関,介護保険事業所等で最終の体制づくりが行なわれているはずだ。

 個人情報保護法は,民間の事業者の個人情報の取り扱いについて定めた法律で,医療機関や介護保険事業者もその対象になる。ただし個人情報を5000件以下しか扱っていない事業者は対象外となるので,独立型の訪問看護ステーションでは法律上は無関係というところが多いだろう。とはいえ,利用者から見れば,事業所規模の大小によって個人情報の取り扱いが異なるというのは理解しにくい。できれば小さな事業所も法令に準じた準備をしておきたい。

連載 花凪の人々─なりたい自分になる介護・9

下宿人は大忙し 木村 美和子
  • 文献概要を表示

毎日続くSさんとコロちゃんのお散歩。Tさん,Mさん姉妹の「起きろ!」と「起きるものか!」の攻防戦。働き者のKさんは食事づくりのお手伝い。Mさんが下宿人となってから早3か月が経過し,木村家3人と下宿人4人での暮らしもそれなりに落ち着きを見せ,それぞれの日課も定着し始めていました。

 その中で,花凪下宿のルールを作ろうと果敢に挑んだのがKさんでした。Kさんは,「ご飯の支度が整ったら,皆そろって『いただきます』を言って食べよう」と主張します。しかし,何度言っても他の下宿人は完全無視。Kさんは,皆を説得するよう私に訴えました。 「奥さんからも言ってやってくれ!」

連載 ドキュメント―介護アドバイザーが行く(15)(最終回)

  • 文献概要を表示

 介護保険施設や事業所を起業する時,その設立に関わることを通じていわゆる“顔見知り”の小集団が形成されていく。立ち上げ以降,運営が一定の軌道に乗るまで,この小集団は重要な役割を持つ。しかし,“顔見知り”同士の信頼と熱意でしばらくは何とかなるものの,さまざまな不具合を体験すると「組織化が必要なんじゃないか?」という雰囲気が漂ってくる。もともとあった役割分担や専門分野がうまく仕事に活かされないことで,この雰囲気がより強くなっていく。それでも,当面は“顔見知り”のグループを増員したり,役割を補い合って問題を解決していく。全体の職員会議と呼ばれる装置の中で,施設長が大きな声で明確に職員に語りかけるだけで事業所がまとまっていく時期である。

 しかし,介護の現場は時間がたつと変質していく。このことを知っている施設長は少ない。

連載 口腔ケアを待つ人々・11

  • 文献概要を表示

治郎さん(79歳)のお宅を訪問すると,訪問看護師のNさんがチャイムを押すのを待っていたかのように,妻のハルさんと,長男の妻の安代さんが玄関のドアを開けました。

 「いま大変なので,話をまず聞いてからお義父さんに会って欲しい」と,安代さんはNさんの腕を抱えるようにして小部屋に入ります。

連載 リフレッシュのすすめ・3

  • 文献概要を表示

私は,訪問看護を始めて3年目。毎日楽しく訪問しているが,時には悩んだり落ち込んだりすることもある。そんな時にはリフレッシュが必要だ。女性なら買い物,男性なら一杯やるというのが,世の定番。私も以前は「デパート直行!」というのが常だった。しかし,最近はちょっと違う。私のリフレッシュ法をいくつか紹介してみよう。

連載 診療所日誌・3

カレーパーティーの夜 小笠原 望
  • 文献概要を表示

佐古谷さんからの手紙

 「パソコンにプリンターがつきましたので,打ってみました。このあいだのパーティーは本当によかったですね。またどうですか?」

 わずかに動く右の親指で打った,大きな文字の手紙が佐古谷さんから届いた。佐古谷哲夫さんは54歳。筋萎縮性側策硬化症(ALS)を3年前に発症し,今は人工呼吸器を使いながら在宅で生活している。

連載 人工呼吸器とともに生きる・3

  • 文献概要を表示

今回紹介する濱中正行さん(50歳,男性)は,三世代同居の在宅療養のケア態勢を確立し,現在も日常的におこるさまざまな出来事に臨機応変に対応して生活しています。

 濱中さんの在宅療養の特徴は3点あります。

 1点目は,3世代同居という家族構成です。福井県は共働き夫婦世帯が多く,日本で1,2を争う県です。そのため,日中,家にいるのは高齢者か子どもだけという特徴があります。濱中さんの場合もこの典型的な例で,日中は妻が働いていますし,子どもは大学と高校で,家に残る病弱な両親にはそれほど介護力を期待できません。

 2点目は,家族と同居する人工呼吸器を使用した全身性障害者のケア態勢のあり方です。24時間介護を必要とする重度障害者が,家族との同居生活を楽しみながらも,本人と家族1人ひとりの生活を尊重し,家族に依存しない介護態勢の確立をいかに行なうのか。また,身動きのできない身体ながらも,家族の一員として,社会の一員として自分が果たすべき役割は何なのか。濱中さんはこの数年間問い続け,そして闘い続けてきました。

 一般的に,人工呼吸器使用者が在宅生活を送る場合,家族に大きな介護負担がかかることが予測されます。もし,家族以外の介護力が望めなければ,重度障害者は常に家族に負い目を感じたり,気をつかうため,精神的に大きな負担を感じることになります。そこで濱中さんは,家族の介護負担を最小限にするため,日中のケアのほとんどを,家族以外の人たち,つまり専門家とボランティアに担ってもらうことを希望しました。

 3点目は,ALS患者である濱中さん自らがケア態勢づくりの主体者となっていることです。濱中さんは,発症後比較的早い時期に日本ALS協会福井支部に加入し,現在は副支部長をしています。当初から,闘病生活には前向きで,意欲的に自分で調べて勉強し,主体的に療養生活を組み立てていました。会話ができる時期には,リハビリになるからと医療や福祉を学ぶ学生を積極的に受け入れ,患者の気持ちや利用している制度について語ってくれました。そして,人工呼吸器を使用し始めてからは,パソコンを使ってケアに対する意志を表明し,常に「自分のケア態勢は自分で決める」という意識で毎日を過ごしています。

連載 ケアの方舟・9

小さくなる親たち 石原 雅彦
  • 文献概要を表示

歳をとると人間は皆小さくなる。親たちと同居して始終顔を合わせていると気づきにくいが,わずか数年前の家族写真と比べても,今の親たちがずいぶん小さくなっていることに驚く。

 人間が小さくなる原因として,まず思いつくのが身長が縮むという現象で,母が 「背が縮んじゃって,数年前にはいていたスカートが今じゃロングスカートになっちゃったよ」 などと笑っていたりするので,「(人は万有引力に逆らって上に伸びた背丈を筋肉が支えきれなくなった時点で,縮むという“負”の成長をしながら生きていくものなのかなぁ)」などとしみじみ感慨に耽ったりする。

  • 文献概要を表示

私たちは,自宅に暮らす高齢者へのサービスを提供する会社「鵠沼ライフケアサービス」を1994(平成6)年に創設し,現在は訪問看護・介護の事業所として活動を継続しています。

 当初から私たちは,次の見解を基本方針として掲げていました。すなわち,「①在宅高齢者の身体を看ていくには,まず生活を整えることが必要である」。そのためには「②看護と介護によるチームワーク活動を必要とする」。これにより「③その人らしく生きることを大切にしたサービスを提供したい」と考えています。

 ここに私たちの奮闘の跡を紹介させていただき,看護と介護によるチームワーク活動にぜひご意見を頂戴できればと願っています。

基本情報

13417045.10.3.jpg
訪問看護と介護
10巻3号 (2005年3月)
電子版ISSN:1882-143X 印刷版ISSN:1341-7045 医学書院

文献閲覧数ランキング(
11月12日~11月18日
)