精神看護 8巻3号 (2005年5月)

特集1 「患者さん参加型」のカンファレンスと記録

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榛原総合病院は、精神科病棟を有する公立の総合病院である。5階にある真新しい病棟の南の窓からは駿河湾を臨み、北の窓からは遠くに煙る南アルプスを眺めることができる。

 総ベッド数393床のうち、保護室3床を含む53床が精神科病床である。地域の病院にある精神科病棟として、急性期から慢性期までさまざまな病期の患者さんが入院している。そして静岡県中部では数少ない総合病院の中の精神科病棟として、合併症をもつ精神疾患患者さんを近隣の病院や当院他病棟からも受け入れている。

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それは温度板から始まった

 当院の精神科開放病棟においては、入院生活を送りながら、患者さん自身が自己の健康状態を管理している、治療へ参加しているといった意識を高める目的で、「健康管理表」を付けてもらう実践を行なっています。

 事のはじめは、開放病棟で「温度板」を患者さんに記載してもらう取り組みでした。開放病棟に入院しているほとんどの患者さんは日常生活において介助を必要とするレベルではなく、現実検討能力といった健康的な部分が保たれ、自分の状態について言語化もでき、治療ニードもあり、休養・社会復帰にむけて入院生活を送れる状態です。このことから入院によるセルフケア能力の低下を予防しつつ、自分の状態を把握し、共に治療に参加できるように支援することも看護の上で必要だと考えたのです。

 平成元年、患者さん自身が自己の身体・精神状態を管理できることを目的として、「電子体温計と温度板」をベッドサイドに置き、記入してもらうという提案が当時の係長・主任から出されました。患者さんが記入するものとしては、体温や脈および排泄状態のみとし、血圧測定は、看護師が実施しベッドサイドで記載する方法をとりました。余白部分には、患者個々が、睡眠状態、食事摂取状況、うつの状態や幻聴・被害妄想、強迫症状など、自分の状況について自由に記載してもらうようにしました。

 記載された温度板がベッドサイドにあるため、看護師の側としては回診や面接時、ラウンド時にそれを見ながら患者さんの状況が把握でき、患者さんもそれをもとに自分の状態を伝えられるといった利点につながっていました。

 温度板をベッドサイドに置き始めた1年後に、筆者は開放病棟を離れました。そして平成14年に10年ぶりに開放病棟へ戻ってきて、係長代行として勤務することになりました。すると10年前と同じように温度板や体温計が患者さんのベッドサイドで管理され続けていましたが、温度板には空欄が目立ち、医師・看護師サイドのほうにも記載漏れがあることに問題意識を感じました。開放病棟に入院してくる患者層の変化(自分で記載し管理できる患者さんの減少、高齢者の増加など)や、精神科の勤務経験年数が2~3年でスタッフの入れ替わるという状況が重なり、徐々に温板表の管理や活用において意識の低下がみられるようになったようです。

特集2 暴力、そのあとに。被害にあったスタッフへの、職場としての対応

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医療の現場で日常的に起きている暴力

 阪神淡路大震災後10年が経ち、この間日本の各地で被災者に対するこころのケアの重要性が周知され、災害救援者のストレスの問題も広く認識されるようになった。イラクへの自衛隊派遣やテロ対策の問題、そして中越大地震やスマトラ沖大地震と、昨年もさまざまな紛争、事件、災害が発生し、それにかかわる自衛隊員、消防職員、警察官などが直面する可能性のある惨事ストレス対策の重要性も認識されるようになっている。

 このような災害や大事件はある意味では非日常的出来事であるが、医療の現場ではさまざまな医療事故や、医療者が患者や関係者から受ける暴力の問題などが日常的に起こっている。高齢者のケア現場や救急外来、集中治療室(ICU)などでは、患者が混乱し暴力が出現することは珍しくない。また最近の医療の高度化や入院期間の短縮といった背景も、患者と家族のストレスを増大させ、小さな行き違いから生じる医療者とのディスコミュニケーションが、医療不信を招き、攻撃や暴力的言動につながることもある。

 このような、医療における職場暴力の実態に焦点を当てた日本看護協会の調査*1によると、過去1年間に保健医療福祉施設に勤務する看護、介護職員(1,214人対象)で身体的暴力被害にあった者は3割に及んでいた。さらにこの調査からは、職場暴力の問題をめぐる労働者の安全管理対策についての不十分な実態が明らかになっており、今後の安全対策の整備の必要性が指摘されている。

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暴力事故は避けたいが、それは不幸にして起こることがある。看護集団の中で、ともすれば隠す方向に動きがちな暴力事故だが、それを組織として取り組むべき重大な問題として明確に位置づけ、問題の原因を個人に帰せず、看護者が安全で安心して働ける職場づくりを目指してきた東京武蔵野病院。看護部長の橋詰紀和子さんに、根底に流れる考えを聞いた。

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はじめに:

海外の学会に参加することについて

 本稿では、海外の学会で、専門職種が取り組んでいる「精神科領域における暴力やリスクに関する研究」の中から、私が興味深いと感じたものを報告したいと思います。

 初めに参加したのは、のちにご紹介する『精神看護研究ネットワーク国際学会(7thNPNR)』で、4年前のことです。その次が、2年前に参加した『精神科臨床での暴力に関する欧州学会(3rd European Congress on Violence in Clinical Psychiatry European)』になります。私自身学会発表というものを、このときに始めて体験しました。そして、去年はオランダで開催された『攻撃性転換訓練国際学会International Center for Aggression Replacement Training (2nd ICART)』(2004年9月22~24日)に参加し、その5日後には、オックスフォード(英国)で開催された『精神看護研究ネットワーク国際学会(10th NPNR)』(2004年9月29日~10月1日)に出席するというハードスケジュールを乗り越え、ここで2度目の海外発表をし、無事帰国しました。

 海外の学会は、日本の学会と比べるといくつか異なる点に気がつきます。すべての学会について言えるわけではありませんが、雰囲気、参加メンバー、そして参加費が違います。雰囲気は温かく楽しいもので、参加者は職種を越え、国も越えています。多専門職種による国際的な雰囲気で行なわれています。そして参加費ですが、3日間、休憩時間のドリンクや食事付で、日本円にすると7~8万円かかります。

 しかし、得るものは大きく、国内の臨床で問題視されていても研究レベルで扱われていないものが国外では研究されていることがありますし、諸外国の臨床で試みられている計画や新しい視点、見解を得ることができます。また、諸外国の研究者や臨床家とのネットワークができるというのも素晴らしいことだと思います。この非公式のネットワークによって、いくつかの精神病院、司法病棟、社会復帰施設を見学することもできました。実際に、2年前にロンドンで行なわれた『精神科臨床での暴力に関する欧州学会』で知り合ったオランダの方と、昨年『攻撃性転換訓練国際学会』で再会し、その方の勤務する司法精神病院(Dr. H. van der Hoevenkliniek)の見学をさせてもらうことができました。

 さてここから、参加した学会の紹介と発表された研究や参加したワークショップの中から、興味深かったいくつかを紹介していきたいと思います。

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精神保健福祉法改定

 2005年1月25日の第24回社会保障審議会障害者部会に、精神保健福祉法の改定内容が含まれている。

 法改正の要点はすでに「精神保健医療福祉の改革ビジョン(2004年9月)」「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)(2004年10月12日)」に掲載されている。

閉鎖扉の中に第三者が評価者として入るという精神医療オンブズマン制度や権利擁護活動(アドボカシー)の導入の案もあったが、今回は法改正検討会も設置されず、議論なく見送られた。

連載

べてる新聞『ぱぴぷぺぽ』・43

連載 あるある小事典

連載 「地域に帰るため」の病院建築3

生活領域 鈴木 慶治
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医療行為というものは、最終的には患者さん自身の自然治癒力をサポートすることが基本であると認識している。精神科も同様に、医療側の投薬をはじめとする働きかけをきっかけに、人間がもともともっている治ろうとする力を引き出すことが行なわれる。

 このときに自然治癒力に「環境」が影響すると考えられる。「環境」をつくっているものは大きく分けて「人間」と「空間」である。そして、この両者に影響を与えることができる大きな要素が「建築」である。

連載 下実上虚・7

“陰の主任”がいる 西川 勝
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だらだらした気分で、おもちゃの部品を組み立てるつまらない作業。これを作業療法と称して、平日の午後をつぶすのが閉鎖病棟の習いだった。白衣の職員も欠伸しながら、休み休みの仕事ぶりだ。そのうち手のほうはお留守になって、患者との雑談になる。「おやつの注文、もっと増やしてくれへんか」と頼む患者に、「あかん、あかん」と、にべもない返事をするぼく。やさしいと評判のナースは「私は、いいと思うけど。主任さんがどういうかなあ、無理かなあ。私はいいと思うけど……」と答えている。そのうち、主任が作業場に姿を現した。さっきまでくつろいだ様子で患者と話していたやさしいナースは、急に作業の手を早め、無駄話をしなくなる。その変化は、近くにいる患者たちにも伝染して空気が妙に固くなる。軽く冗談を言って、患者を笑わせようとする主任は空振りしてしまう。主任がいなくなると、「ほっとするなあ」と小さくつぶやくそのナース。隣の患者と目を合わせ、にっこり笑う。こうして、主任は病棟から浮き上がっていく。

 主任が患者から嫌われる理由のひとつに、週に一度のおやつ配給がある。長い列を作って自分の注文品を受け取る患者たち。渡された品に不足はないか点検する姿は、真剣そのものだ。山のように積み上げられた菓子パンや缶コーヒー、ちり紙に歯磨き粉など。手際よくというより、少し乱暴なぐらいのスピードで、次々と患者が広げた袋に品物を放り込む看護者。ふつうなら、買い物をすれば店員が愛想笑いのひとつでもくれるものを、精神病院では恵みものでも受け取るように卑屈に笑っているのは、お客である患者だ。「ちょっと買い過ぎやな、次は減らすぞ」と、注文用紙にチェックを入れながら、主任が患者に注意する。これが、一番嫌われるせりふなのだ

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1.はじめに

 秋山里子の自己病名は「人間アレルギー症候群」である。「人間アレルギー症候群」とは、自分も含めた「人間」に対して起きるアレルギー反応である。抗原-アレルゲンと化した人間に接するとさまざまな症状が出現し、生きていくことが困難になる。そして、外敵から自分を守る「免疫のシステム」が混乱を来たし、敵味方の識別ができなくなり、無差別に人間に反応する。その結果、この8年間で仕事を12回、転居を14回行ない、常に自分の居場所を探し求め続けてきた。

 この人間アレルギー症候群は、図1のような多彩な症状をもたらす。その症状のベースには、巨大な自己否定の感情が地下水脈のように張り巡らされている。だから生きるテンションが低い自分がみんなの中にいると、周りの人間のテンションも低くしてしまうように感じて申し訳ない気持ちになり、職場の輪の中にいられなくなる。

 人をまるで「異物」と感じ、はじこうとする身体の反応を明らかに意識するようになったのは、19歳のときであったが、今思うと高校1年生のときにすでにその兆候があり、みんなが楽しみと思うことを楽しむことができない自分がいた。そのとき以来、脳裏には常に「死」という言葉が浮かび、周りに合わせることで必死になっていた。

 秋山里子は朝日新聞の連載で浦河を知り、昨年10月に来町し母と2人で暮らすようになった。浦河に来ても相変わらず引きこもる自分に、母は「自殺行為」を恐れ、外出するときにはいつも包丁をバックにしまい家に置かないようにしていた。

 しかし、しだいに秋山里子は1人でいる時間が虚しくなり、自然と人が恋しくなり、日赤病院のデイケアに通い、ベてるのメンバーと触れ合うようになる。そして同じような苦労をかかえている仲間と出会うなかで、「人間アレルギー」というテーマが見えてきた。

連載 精神看護キーワード事典・7

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●病棟の機能分化とは

 精神科の病棟にはいろいろな種類がある。開放病棟か閉鎖病棟か、急性期病棟か慢性期病棟か、男子病棟か女子病棟か、これらは病院の中で病棟の性格を決め、人員の配置や病床管理をしやすくするための院内の機能分担である。

 最近、精神科病床の機能分化が進んでいるといわれる。その場合でいう機能分化は、院内の病棟の性格づけのことではない。日本の医療のほとんどは保険診療で、診療報酬制度が医療にかかる費用の配分を決めている。医療機関の収入のほとんどはこの診療報酬で占められている。その診療報酬制度において、いくつかの条件を設け、条件を満たした病棟で治療を受ける患者1人当たりの支払い金額を定めている。その支払い金額が設定されている種類がいくつかあるという意味だ。

 どのような性格の病棟をいくつもち、患者1人当たりいくらの診療報酬を受け取るかということは、病院を経営していく上でとても重要だ。それは治療を受ける側にとってももちろん同じで、診療報酬で支払われる金額のうち3割は自己負担なのだから、医療費がいくら請求されるかによって支払う金額が決まるのだ。

 そして、病院の従業員としての我々看護スタッフが受け取る給与には病院全体の収益がかかわっている。特に看護職員が患者何人に対してどれくらい、どのような資格の者が何人配置されているのかということが診療報酬では大きな意味をもつ。病棟によってスタッフが多いとか少ないとか、看護補助職員の人数が違うということは、病院の管理者が勝手に決めているのではなく、看護の基準をどのような配置でとっているのかによって決められている。その配置によってケアの内容や質は大きく左右されるのだから、診療報酬は医事課や会計だけが知っていればよいとはいえない。

 そこで、この回では診療報酬制度の上で精神科医療にかかわりのある病棟の機能分化についてわかりやすく説明することを目指したいと思う。

連載 宮子あずさのサイキア=トリップ・45

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暴力をふるう権利はない

 最近やっと、サービスの受け手から提供者に対する暴力が、問題として取り上げられるようになりました。たとえば、駅員や飛行機の客室乗務員。客から暴力を受けた経験がある人は、かなりの数にのぼるといいます。これまでは「お客さんだから」と泣き寝入りを余儀なくされていたのが、ときには警察への通報も含めて、毅然とした態度をとるようになっているようです。

 最近になって医療の世界でも、患者さんによる医療者への暴力が、表立って語られるようになりました。実際は昔から、この暴力はあったのです。しかし、それが症状や苦痛ゆえのものならば、怒らずに受容しなければならない……。そんな使命感とあきらめが、私たちにあったのではないでしょうか。

 特に看護師の場合は、医師を含めた他の職種に比べ、受容的であることが強く望まれます。暴力を受ける機会が多い上に、それに耐えるよう求められる。それどころか、患者さんを激昂させれば、それが看護師としての技量不足といわれかねない習わしすらあります。

 当たり前の話ですが、患者さんには、医療者に対し暴力をふるう権利はありません。が、こんな当たり前の話でも、言葉にして確認したくなるほど、つらい目にあっているのです。

連載 この本に注目

『ナラティヴの臨床社会学』

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本書には、臨床社会学者である著者が臨床領域におけるナラティヴ・アプローチ(物語という視点から現象に接近する1つの方法)の展開の跡をたどり、そのアプローチが臨床社会学の一方法としてもつ可能性を検討することを目的として、ここ数年の間に求めに応じて書かれたものがまとめられている。

 当然のことだが、発表媒体によって読者層は異なり、著者の目はときには臨床家に向けられ、別のときには社会学者のほうに向けられる。

FOCUS

「認知症」の衝撃 西川 勝
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名称にかかわらず 積み重ねられる日々のケア

 去年の暮れ、「痴呆」が「認知症」に変更されるという記事を、ぼくはデイサービスの居間で読んでいた。普通の民家を改修した小さな痴呆専門のデイサービスである。「痴呆」という用語の変更が厚生労働省で検討されていることは、知らない話ではなかった。「そう、認知症ねえ……」と、新聞をたたみ、さっき来たばかりの利用者に「新聞、どうですか」と手渡した。彼はかなり進んだアルツハイマー病で、もう新聞の文字を読むことはない。しかし、長い間新聞社に勤めていた彼は、新聞がお気に入りなのだ。

 「いやあ、ありがとう」と新聞を受け取った手には、まだ毛糸の手袋がはめられている。心臓の悪い彼は、冷たい外気に触れると指先が蒼白になり、なかなか血色が戻らない。寒い朝、家から送り出すときに奥さんが気をつけて、彼に手袋をはめている。彼の認知症が深まっていく数年間を、奥さんは細やかに、しぶとく連れ添っている。身ぎれいに整えられた服装と、あごの下に剃り残したまま伸びている髭とのアンバランスが、家族介護の難しさを伝えてくる。

 彼が、このデイサービスを利用し始めて1年が過ぎていた。もうずいぶんと馴染んでこられたが、朝一番の緊張は相変わらずで、庭の見える縁側の椅子に、いつものように座ってから、しばらくしないとコートも手袋も脱ごうとはしない。職員が下手に声をかけるとかえって始末が悪くなる。気分が落ち着きコートを預けてくれるまで数時間を要することもある。

 彼は、渡された新聞を神妙な表情で広げて、すぐに小さくたたんでコートのポケットに突っ込む。分厚い手袋のままでは新聞を繰ることもうまくできない。小さな記事は、彼に届かなかった。

 それより気になることは、彼が尿失禁しないですむために、いつ、どうやってトイレに誘うかなのだ。彼は、心臓への負担を軽くするために、朝食後に降圧利尿剤を服用している。午前中に最低2回のトイレ誘導がうまくいかなければ、尿失禁は確実になる。椅子の座り位置を少し変えたり、首を少し傾げたり、ちょっと困った様子の眼差しを部屋のあちこちに流してみたり、彼が自分でも明確には意識できない尿意を、小さな振る舞いから読み取ること。いつそれがあっても自然な手助けができるように、彼との距離を近づけておくこと。優しい声であれこれ話しかけるより、大切なのは、彼のズボンを濡らしてしまわないことだ。

 規模の大きい施設では、それほどの苦労もなしにこなせていたトイレ誘導が、家庭的な小規模のデイサービスでは、とても繊細な工夫が必要になる。ここでは職員の役割はあまり目立たない。ナースのぼくも、白衣ではなく普段着でいる。“同じ部屋にいる少し若い男”というのが、ぼくの位置だ。利用者がデイサービスで過ごすのは9時間ほど。そのうちの数分間を、検温や血圧測定に使う。このとき以外に、ぼくがナースであることをわかってもらう必要はない。

 彼のあとに数名の利用者が到着して居間が活気づく。大柄な彼が、女性の利用者から「ここの偉いさんでっか、お世話さまです」と挨拶を受けたりするうちに、表情が少しずつ和みはじめる。手袋とコートは、柔らかな笑顔の女性ケアワーカーに預けられた。

 目の前にいる人が、「痴呆」と呼ばれようと、「認知症」と呼ばれようと、そんなことにはお構いなしに、なされている日々のケアがある。生身の人が浮き上がってこないことばとは無縁のところで、小さなケアは積み重ねられている。

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本人は全然困っていない

 新阿武山病院は、地域では「アルコール依存症治療を行なっている病院」として知られています。

 当院では、家族の相談はソーシャル・ワーカーが受けることが多いのですが、「夫のお酒の飲み方がひどいので、専門の治療を受けさせようと思うのですが、本人がどうしても行きたがりません。無理にでも引っ張っていく方法はありませんか?」といった相談の電話が多いのです。行きたがらない人を無理やり精神科の病院に引っ張っていく方法は私もわからないのですが、ここからが勝負です。

 アルコール依存症の場合は不思議なことに、家族が焦れば焦るほど、ご本人は治療を受けようとしません。焦って何とかしようとする人がそばにいれば、自分はそのまま飲んでいてもどうにかなる。自分の問題を「家族の担当」にすり替えてしまうのです。「飲んでいるご主人は困っておられますか?」と聞くと、「それが全然困ったふうには見えないんです」となりますから、「では今一番困っているのはどなたですか?」と尋ねますと、ほとんどが電話してきている妻かお母さんだと答えます。

 「どんなふうに困っておられるのか教えてください」と言うと、堰を切ったように次から次へと出てきます。それを聞いているうちに、なかにはご本人の状態が危ないと感じる場合もあります。これは経験からくるカンですが、そんなときは「ご主人は食事はどのくらいの期間とっていませんか?」「お酒の量は?」「失禁はしていませんか?」「最近、医療機関で検査を受けたことはありますか? 結果はご存知ですか?」などを聞きます。

 医療の現場で働いている私にとって命は一番大切です。いつ何が起こってもおかしくない状況だと感じたら、救急車を呼ぶ場合はどうするかなどの段取りを相談しておきます。一般の病気の方なら119番を回せば簡単に救急車を呼ぶことができ、病院も簡単に受け入れてくれるのですが、飲んでいるアルコール依存症の方はたとえ身体的にかなりの重症でも受け入れてくれる一般病院がないことがよくあるからです。そうした安全策をとってこそ、家族も落ち着いて構えることができるのです。

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オーストラリアの精神医療の現状について、2回にわたって紹介したいと思う。第1回目は精神保健サービスの現状と精神科の専門看護師がどのように働いているかについて、2回目はオーストラリアの看護教育の特徴について述べる。

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学会発表から

 司法精神看護あるいは司法看護というものに対する関心は以前からあったが、そうした分野の看護について知る機会はほとんどなかった。海外では司法看護が行なわれていると聞いてはいたが、日本にいながらでは情報自体も十分得られる状況ではなかった。

 そんな中、筆者はたまたま2003年にオーストラリアの南オーストラリア州アデレードで開かれた第1回国際アルコール・タバコ・薬物看護学会(1st International Alcohol, Tobacco and Other Drugs Nursing & Midwifery Conference, 15-17 April 2003)に参加した。この中で司法看護の分科会が多数開催されていたので、そのいくつかの内容を中心にオーストラリアにおける司法看護を紹介したいと思う。

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はじめに

 精神看護学の実習で、初めて精神科の病院を訪れて閉鎖病棟で実習を行なった。そのとき、3時になると患者がいっせいにホールに集まり、手の消毒後におやつを食べている光景を見た。

 65~70人ぐらいの患者たちがいっせいにホールでようかんを丸ごと1本食べていたり、ジュースのふたを開けたと思ったらわずか数秒で飲み終えたり、チョコレート2~3個を1つの塊として一口で食べていた。チョコレート1箱全部食べるのに、5分とかからない姿に圧倒された。

 精神科閉鎖病棟の患者たちが甘いものをたくさん食べていることに疑問を感じ、なぜ甘いものを好む傾向にあるかについて明らかにしたいと考え、中間カンファレンスの場で検討した。カンファレンスの事前準備として、閉鎖病棟でインタビュー方式にてアンケート調査を行なった。

 その結果、閉鎖という環境で、好きなときに好きなものを買いに行けず、決められた時間にしか食べられないといった制限に原因があるのではないかと推測された。そしてカンファレンスの話し合いの中で、患者自身がいつでも好きなときに好きなものを食べること、また購入することが可能になると、状況が変わるのではないかという1つの仮説にたどりついた。その仮説を検証するために、開放病棟の患者にも同様の調査を行ない、両方の調査結果から、精神科における間食(おやつ)の現状について考察したので報告する。

基本情報

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精神看護
8巻3号 (2005年5月)
電子版ISSN:1347-8370 印刷版ISSN:1343-2761 医学書院

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