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名称にかかわらず積み重ねられる日々のケア
去年の暮れ、「痴呆」が「認知症」に変更されるという記事を、ぼくはデイサービスの居間で読んでいた。普通の民家を改修した小さな痴呆専門のデイサービスである。「痴呆」という用語の変更が厚生労働省で検討されていることは、知らない話ではなかった。「そう、認知症ねえ……」と、新聞をたたみ、さっき来たばかりの利用者に「新聞、どうですか」と手渡した。彼はかなり進んだアルツハイマー病で、もう新聞の文字を読むことはない。しかし、長い間新聞社に勤めていた彼は、新聞がお気に入りなのだ。
「いやあ、ありがとう」と新聞を受け取った手には、まだ毛糸の手袋がはめられている。心臓の悪い彼は、冷たい外気に触れると指先が蒼白になり、なかなか血色が戻らない。寒い朝、家から送り出すときに奥さんが気をつけて、彼に手袋をはめている。彼の認知症が深まっていく数年間を、奥さんは細やかに、しぶとく連れ添っている。身ぎれいに整えられた服装と、あごの下に剃り残したまま伸びている髭とのアンバランスが、家族介護の難しさを伝えてくる。
彼が、このデイサービスを利用し始めて1年が過ぎていた。もうずいぶんと馴染んでこられたが、朝一番の緊張は相変わらずで、庭の見える縁側の椅子に、いつものように座ってから、しばらくしないとコートも手袋も脱ごうとはしない。職員が下手に声をかけるとかえって始末が悪くなる。気分が落ち着きコートを預けてくれるまで数時間を要することもある。
彼は、渡された新聞を神妙な表情で広げて、すぐに小さくたたんでコートのポケットに突っ込む。分厚い手袋のままでは新聞を繰ることもうまくできない。小さな記事は、彼に届かなかった。
それより気になることは、彼が尿失禁しないですむために、いつ、どうやってトイレに誘うかなのだ。彼は、心臓への負担を軽くするために、朝食後に降圧利尿剤を服用している。午前中に最低2回のトイレ誘導がうまくいかなければ、尿失禁は確実になる。椅子の座り位置を少し変えたり、首を少し傾げたり、ちょっと困った様子の眼差しを部屋のあちこちに流してみたり、彼が自分でも明確には意識できない尿意を、小さな振る舞いから読み取ること。いつそれがあっても自然な手助けができるように、彼との距離を近づけておくこと。優しい声であれこれ話しかけるより、大切なのは、彼のズボンを濡らしてしまわないことだ。
規模の大きい施設では、それほどの苦労もなしにこなせていたトイレ誘導が、家庭的な小規模のデイサービスでは、とても繊細な工夫が必要になる。ここでは職員の役割はあまり目立たない。ナースのぼくも、白衣ではなく普段着でいる。“同じ部屋にいる少し若い男”というのが、ぼくの位置だ。利用者がデイサービスで過ごすのは9時間ほど。そのうちの数分間を、検温や血圧測定に使う。このとき以外に、ぼくがナースであることをわかってもらう必要はない。
彼のあとに数名の利用者が到着して居間が活気づく。大柄な彼が、女性の利用者から「ここの偉いさんでっか、お世話さまです」と挨拶を受けたりするうちに、表情が少しずつ和みはじめる。手袋とコートは、柔らかな笑顔の女性ケアワーカーに預けられた。
目の前にいる人が、「痴呆」と呼ばれようと、「認知症」と呼ばれようと、そんなことにはお構いなしに、なされている日々のケアがある。生身の人が浮き上がってこないことばとは無縁のところで、小さなケアは積み重ねられている。
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