公衆衛生 69巻6号 (2005年6月)

特集 自然災害と公衆衛生活動

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国連は1990年から10年間を「国際防災の10年」と定めて,自然災害に対する予防面での取り組み強化を図ってきたが,その成果を継承発展させるために,2000年に国際防災戦略(ISDR)プログラムを設立した.国際防災戦略は,現代社会における災害対応力の強いコミュニティの形成,災害後の対応中心から災害前の予防・管理への進化,を主たる目的とし,活動の4つの柱として,①現代社会における災害リスクについての普及・啓発,②災害防止に対する公的機関の主体的参画の促進,③災害に強いコミュニティ形成に向けた地域住民の参画の促進,④社会経済的損失の減少に向けた取り組みの強化,を掲げている.

 災害は「被災地の外部から多大な支援を必要とするような規模の損壊,生態系の破壊,人命喪失,人々の健康および保健医療の悪化をもたらす出来事」と定義される(WHO:世界保健機関より).災害をもたらすのは,自然現象の物理的な大きさと,被災地域が備える対処能力との相対関係である.地震など自然現象の発生を防止することは難しいが,事前の活動により,そのインパクトを吸収して災害に至ることを防止したり,災害効果を軽減することは可能である.災害は「1回の不運」ではなく,繰り返すサイクルである.災害のない穏やかな時期は「災害間期」に過ぎず,この時期にこそ万全・周到な備えをしなければならない(図1).

阪神・淡路大震災時の対応 後藤 武
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保健・医療対応の経験と教訓

 1. 初動活動

 10年前の1月17日早暁,「兵庫県南部地震」に襲われた.当時,兵庫県保健環境部次長兼医務課長だった筆者は,家族の無事を確認し,自宅の被害はそれほど大したことはないと判断して,地震情報等は得られぬまま,約1時間後に自家用車で県庁に向かった.至る所で火の手が上がっていたが消防車の姿はなく,被災地は概して静かで,多くの被災者はただ押し黙って佇んでいた.信号は消えていたが,まだ交通渋滞も生じておらず,お互いに道を譲りながら比較的容易に県庁に着くことができた.県庁執務室の窓ガラスはすべて割れ,ロッカー等もほとんどが倒れていた.片付けもそこそこに,「兵庫県地域防災計画」を探し出して対応に取り掛かったが,テレビも映らず,電話は輻輳し,昼過ぎになっても職員の出勤は約2割といった有様で,被害状況すら把握できなかった.しかし,午前8時過ぎには「災害対策本部」が設置され,貝原俊民知事(当時)の指揮下,緊急対策が講じられることとなった.

 最終的に6,000人を超えた死者に対する「死体検案」の実施が,とりあえずの課題となった.兵庫県では一部地域に「監察医制」が敷かれており,早期に日本法医学会の協力も得られ,また,地元医師会の献身的な協力もあって,検案作業は比較的順調に運んだ.9割以上が窒息,圧死等による即死との検案結果から,医療による救命には自ずと限界があり,住宅の耐震化の有用性が強く示唆された.「遺体埋葬」に関しては,棺桶とドライアイスは何とか確保できたが,すべての遺体を被災地で早期に火葬に付すことには無理があった.結局,約1割をヘリコプター等で自衛隊等によって被災地外に搬送してもらい,発災後11日目に,神戸市を最後として,ほぼ火葬を完了することができた.

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阿彦 昨年10月に新潟県中越地震が発生してから,ちょうど4カ月が経ちました.人の生命だけでなく,牛や錦鯉,そして魚沼コシヒカリを育む水田,地元企業の工場までも被害に遭ったとのこと.被災者の方々におかれましては,避難所生活から自宅あるいは仮設住宅の生活に移行して,年が明けたら大雪という状況の中,内野先生ご自身もこの間,地元の保健所長として,ご苦労の中でお過ごしになったことと思います.4カ月間の経過や現在の住民の方々の生活,当面の課題などについて,今日はお話を伺えましたらと思います.

阪神・淡路大震災との違い

内野 まず今回の震災は,よく阪神・淡路大震災と比較されますが,質的にも量的にも違っております.一言で言えば中山間地,人口過疎地を狙い撃ちして来た,「都市型ではない」という点が1つ.それと激震と言われてはいるのですが,それほど建物の崩壊や人災が甚大だったわけではない.ちなみに死者は12月27日現在40人.神戸の場合は6,433人でした.建物の全壊も2,819ですが,神戸の場合は10万余りです.桁が違いますね.

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派遣決定まで

 自然災害が少ないと言われていた岡山県でも,2004年は予想もしなかった度重なる台風の襲来により高潮や土砂災害が発生し,多くの県民が被災した.災害救助法が適用になり,県保健福祉部では,被災者の健康対策や生活支援をはじめ,市町村支援等に追われていた.そのような中,10月23日,新潟県で大規模な地震が発生した.

 2日後,新潟県知事からは医療救護活動および心のケア活動を行う専門職の派遣依頼が,厚生労働省からは保健師派遣依頼がそれぞれあったことから,当県においても県職員の派遣に向けて,期間や構成メンバー等,具体的に検討を行った.

 その結果,心のケアに対する専門的な支援は,チームを組むことでより効果的に各職種の特性を生かせると考え,保健師2名,精神科医師,精神保健福祉士,事務職各1人の,1チーム計5名を「岡山県心のケアチーム」として編成し,2004年10月30日~11月16日まで4班の交替で派遣することとなった.

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2000年6月末の三宅島噴火災害発生から,すでに4年半が過ぎた.同年9月には全島民の島外避難が実施され,今年2月の避難解除宣言まで,島民は慣れない街で4年5カ月に及ぶ避難生活を余儀なくされた.この間,公衆衛生担当者として貴重な体験を積んだと考えており,この機会に,住民をどうサポート(災害支援)したのか振り返ってみたい.

三宅島噴火災害の概要

 三宅島は東京の南約180kmの洋上,伊豆大島と八丈島の中間に浮かぶ面積55km2,周囲38kmのほぼ円形の,人口約3,850名が暮らす島である.有史以前から噴火を繰り返し,近年も約20年ごとに噴火しており,また緑豊かな野鳥の宝庫としても有名である.

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2004年10月20日に来襲した台風23号により,管内においては,床上浸水以上の被害約5,000世帯,床下浸水約3,500世帯という甚大な被害を受けた.さらに豊岡市では,市街地のおよそ8割が水没し,当所の庁舎も床上浸水は免れたが,駐車場等,周囲は腰くらいまで浸水し,20日夜から22日の朝まで職員は出勤できず,言わば孤立状態であった.しかも,停電,断水し,電話こそ使用できたが,ファックス,パソコン,テレビなどは使用できない状況にあり,福祉部門の職員合わせて16名,全職員の約2割で対応した.このような状況の中,次々と医療,福祉,衛生関係施設の被害の情報が入ってきた.

 その中でも特に緊急の対応を要したのは,水道施設等の被害による断水のため,透析病院等から支援要請を受けたことである.幸い水道事業所等の関係機関と連絡調整を行い,給水車の派遣,水道事業所等の支援で事なきを得た.

 以下,当所の対応について,主な業務である検病・健康調査活動,消毒活動を中心に述べる.なお,災害ごみ,し尿処理等の廃棄物行政については,保健所外の県民局内別組織が所管している.

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自然災害時の健康ニーズ

 「災害にはパターンがある.しかし実際には,それが規模を変え,組み合わせを変え,時間的・空間的自由度を持って発生する」と言われている.これは被害が無秩序にアメーバーのように広がる面への対応が必要であることを意味している.1つの原因を探ってターゲットを絞り込んでいく感染症対策とは,大きく異なる対応のあり方が求められることとなる.

 2004年10月に発生した新潟県中越地震時のK町の被災2週間の被災状況は,余震が続く中で,自宅が半壊,避難所も危険とされている住環境であった.そのような避難先の小学校や車の中で,ライフラインの復旧は電気を除いて他はなく,食事は支援物資の配給と自衛隊の炊き出しに頼りながら,水は配水車,トイレは仮設トイレ,風呂は自衛隊の仮設風呂を交代で使うなど,極めて制限された生活状況となっていた.

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相次ぐ自然災害による被害が続いた社会状況を反映し,各自治体主催の研修で災害時の保健師活動をテーマとした依頼が増えてきています.主催者側の研修のねらいや条件にもよりますが,「災害時の活動の実際はどうなのか」ということを感じたり,考える機会となるよう,演習を取り入れることがあります.地域の概況,災害設定と被害状況など限られた情報のもと,“あなたが被災地自治体保健師の立場だったら?”“県保健師では?”“他都市派遣保健師では?”とシミュレーションを実施します.「いきなりその立場と言われても,何から手をつければいいのか」「気になることは思い浮かぶが,どう活動していけばいいのかわからない」「活動の舵取りは誰がすべきなのか,できるのか」等々と,演習開始時には研修会場に戸惑いの空気が充満します.その「どうしよう?」という状況こそが,予期せぬ災害が目の前に立ちはだかった時の自分自身の姿なのです.

 今年震災後10年を迎える阪神・淡路大震災では,私自身も神戸で被災し,全国からの派遣保健師のみなさんに支えられ,支援活動に当たりました.その経験を踏まえ,このたびの新潟県中越地震では,県庁や被災地を訪ねる機会をいただきました.一口に「地震災害」と言っても,地震の規模や特徴,行政のシステム,地域特性による差等,様々な点で違いが見受けられました.これらの比較を中心に,本稿では地震災害時の保健師活動の整理と,今後の課題を考えてみたいと思います.

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静岡県では,切迫した東海地震の発災に備え,全庁をあげて対策に取り組んでいますが,本稿では医療救護対策について,特に,広域医療搬送訓練を中心に紹介したいと思います.

なぜ,広域医療搬送か

 静岡県が平成13年5月に公表した「東海地震の第3次被害想定」は,それまでの想定を大きく上回るものとなり,予知なく発生する最悪のケースでは死者約6,000名,重症者1万9,000名にも達し,医療機関の被災も考慮すると,すべての負傷者を県内の医療機関で収容しきれない事態もあると考えられました.こうしたことから,静岡県では,医療救護ワーキンググループを組織して検討を進め,Preventable Death※1の減少,重症患者※2の予後の改善を基本目標に,航空機を利用して,重症患者を被災地外へ広域搬送,超早期に被災地外から医療チーム等を確保し,被災地の医療機関に投入を基本戦略とする,広域医療搬送体制の整備を進めています(※1:迅速に収容・治療することにより避けられる死,※2:生命を救うため,直ちに手術等入院治療を必要とする患者).

視点

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長崎はシーボルト,ポンペ以来の西洋医学発祥の地として,日本最古の医科大学である長崎大学医学部(旧長崎医科大学)を擁していますが,現在の日本が抱える少子高齢化はここ長崎も例外ではなく,というよりも,全国に先駆ける形で進行しており,これが今後の長崎県の医療界に与える影響は大きいと言えます.

 他の地域とは異なる長崎県特有の医療事情としては,離島医療,そして原爆被爆者医療の2点が挙げられるでしょう.

特別寄稿

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昨年10月15日,最高裁第二小法廷は,水俣病の発生について国,熊本県の責任を認めて賠償を命じ,また国の現行の「認定基準」を緩め,ほぼ患者側の主張に沿って幅広く水俣病患者と認定した.

 私は,新潟水俣病の発見者であり,長く水俣病の医学対策の指導者であった故 椿忠雄教授(新潟大学脳研神経内科)の講師,助教授として,昭和40年5月12日の発見以来,同教授とともに診療,調査,研究,認定,裁判の証言を行った.そして永かったこの不幸な事件が,患者の勝利として最終的に解決したことに深い感慨を覚える.

 棄却を不服とする第二次裁判の国側証人であったものとして,もっとも苦心したのは医学を正しく伝えることであった.本稿の目的も,今回の最高裁判決の意味を医学者の立場から考察し,水俣病医学から見た問題点を後に示すことである.

連載 Health for All―尾身茂WHOをゆく・15

鶏をめぐる冒険 尾身 茂
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さて,前回は,2005年2月末に開催されたベトナムのホーチミンでの国際会議と国際機関間の連携について書いたが,今回は,その会議出席後のちょっとした“冒険”の話をしよう.

 ホーチミンでの会議終了後,今年になって初めて人への感染例が報告されたカンボジアの首都プノンペンに飛んで,鳥インフルエンザ対策についてフンセン首相や保健大臣と会談した(余談であるが,鳥インフルエンザ対策の議論の後,たばこ対策に話題は移った.4年前の会談の際,首相が「孫が誕生するの契機に,煙草をやめる」と私に約束したことを思い出し,「その後,どうですか」と尋ねると,首相は,少々ばつが悪そうに「いやまだ吸ってます.次にお会いするまでには止めるよう努力します」と応答したため,会議の場が和んだ場面が写真1である).

連載 公衆衛生ドキュメント―「生きる」とは何か・15

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ベトナム戦争の終結から,この4月30日でちょうど30年が過ぎた.1975年のこの日,当時の南ベトナムの首都サイゴンに北ベトナムの軍隊が侵攻して,旧南ベトナムの政権は瓦解してしまった.この日が南北の祖国統一の日とされる.

 「宣戦布告なき戦争」とまで言われたアメリカ軍によるベトナム戦争は,1964年8月に起きたトンキン湾事件の頃から,ほぼ10年余が続いた.その間に,いったいどれだけの人間が死に,また傷ついたのか.

連載 グローバリゼーションと健康・6

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人,物,情報などが国境という障壁なしに全世界に広がることをグローバリゼーションと言うなら,感染症はすでに最も早く,強く,グローバリゼーションが起こってしまっている領域と言えよう.急性感染症の中には,1918年に起こったインフルエンザの大流行のように,今ほど交通手段が発達しておらず,人の動きもはるかに少ない時代に,短期間に全世界に広がった例があり,交通手段が飛躍的に発達し,人の動きも増えた現在では,感染症対策は全世界的な課題として取り組む必要がある.

 慢性感染症は,急性疾患に比べれば広がる速度は遅いが,エイズの例に見るように,流行が始まってわずか20数年で全世界に広がっており,慢性感染症だからといって安心できない.結核は恐らく最も古い時代から人類と共にあった疾患と思われるが,その流行と対応を全世界的な規模で考えねばならない典型的な再興感染症であり,本稿では結核問題について,グローバリゼーションの立場から検討してみたい.

連載 日本の高齢者―介護予防に向けた社会疫学的大規模調査・6

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介護保険制度見直しにおける重点の1つが「介護予防」である.厚生労働省は介護予防を進めていくための5つの強化すべき分野を設定しており,「閉じこもり対策」はその1つとなっている.

 「閉じこもり」は家に閉じこもっている状態を指し,外出や交流が乏しく,身体,心理,社会的な機能の低い状態である.不健康であるために「閉じこもり」がちになるという関係もあるが,健常者のみを対象にしたコホート研究で,外出が少ないことが要介護リスクであるという報告が蓄積されつつある1)

連載 医師が保健所研修にやってくる―ピンチをチャンスに変える保健所を目指せ!・1【新連載】

保健所実習の意義 川島 ひろ子
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新医師臨床研修は保健所にとってピンチ?それともチャンス?―失敗は許されない

 昨(2004)年にスタートした新医師臨床研修は,保健所にとってはインターン制度以来2度目の医師研修である.この研修を“負担”と考えている保健所関係者もいるかもしれないが,考えようによっては,保健所の必要性を社会にアピールしたり,保健所自体の機能強化を行う絶好のチャンスである.しかも,もしかしたら最後のチャンスになるかもしれない.スタート5年後には新医師臨床研修のカリキュラムの見直しがあり,保健所実習をした研修医たちがもし「保健所実習は意味がない.不要である」という評価を下したら,保健所は医師養成の実習現場から外されることになる.つまり,保健所の実力が外部からテストされるのである.今度は失敗するわけにいかない.このピンチをチャンスに変えるために,全国の関係者が智恵を出し合って,保健所研修の中身を作る必要がある.絶対に失敗は許されないのである.

地域の保健,医療,福祉のチームリーダーとなれる医師を作るために

 今回の新医師臨床研修の目的は,「患者を全人的に診ることのできる医師作り」である.「全人的に患者を診る」ためには,まず「患者は地域で病気をもって生活している」ということを認識する必要がある.そして,地域の中の専門職やシステムを活用して,患者を支えるためのネットワークを構築しなければならない.つまり「地域の保健,医療,福祉のチームリーダーとして連係プレーができる能力」が必要である.そのためには,普段から地域の保健,医療,福祉の中核として動いている保健所で実習するのが,一番の近道である.

連載 現場が動く!健康危機管理・1【新連載】

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今日,公衆衛生活動全般に求められる柱の1つは「暮らしの中の安全・安心づくり」であり,そのために平常時から,健康被害の未然防止と健康危機発生時における適切かつ迅速な対応は,きわめて重要である.

 そうした折,2004(平成16)年1月12日(成人の日・祝日),当所管内である阿東町生雲地区の養鶏場において,本邦で79年ぶりに高病原性鳥インフルエンザ(以下「本病」)の発生が確定され,大混乱に包まれながらも,保健所として関係機関と連携しながら,概ね満足すべき健康危機対応が実行できたと思われる.本稿にてその取り組みについて報告する.

連載 「PRECEDE-PROCEEDモデル」の道しるべ・15・最終回

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藤内(司会) さて,PRECEDE-PROCEED Modelの「進化」について,神馬先生にご紹介していただきながら,このモデルの本質的な部分について議論してきましたが,中村先生が前々号(本誌69巻4号)で紹介されているOPPAモデルのことを,ここで少し紹介してもらえますか.OPPAモデルは,PRECEDE-PROCEED Model(以下,モデル)の本質的な部分を活かすとともに,プログラムのマネジメントということを意識した展開モデルですね.

中村 第1段階の前に「phase 0」を作ったということは前にもお話しましたが,そこで既存の事業や資源について確認をします.その上で,第1段階の社会アセスメントを行います.社会アセスメントについて,Green先生のテキストでは,デルファイ法やノミナル・グループ・プロセス,社会踏査法,フォーカス・グループ・インタビューが紹介されています.Green先生もフォーカス・グループ・インタビューを高く評価していますが,フォーカス・グループ・インタビューを行う場合には,インタビュアーのトレーニングをして,インタビューの企画を立ててから行うことが望まれます.

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岩室(司会) 初めて東野さんとお会いした時,「障害をもつ方との音楽活動は,彼らの性を抜きには歩んで来られなかった」と話されたのが,すごく印象的でした.

人柄の育ち

岩室 東野さんと障害をもつ人たちとのかかわりは,どんなふうに始まったのですか?

東野 ダウン症や自閉症の青年たちと「楽団あぶあぶあ」)を結成したのは1982年,私が29歳の時でした.でも,私自身が初めて障害をもつ友だちと出会ったのは,小学1年生の時でした.カズちゃんという知的障害をもつ同級生がいたのです.カズちゃんはいつもうつむいて座っていて,だれも声を聞いたことがなかった.ある日,私はカズちゃんの膝に頭を乗せて彼女の顔を見上げました.すると,ニコッと笑ってくれて,それがとても嬉しかった.それから毎日,そうやってのぞき込み,私だけが知っているカズちゃんの笑顔にワクワクしていました.

連載 赤いコートの女―女性ホームレス物語・10

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カンファレンスへの参加

 T福祉事務所から,「波さんの件で話し合いたいのでカンファレンスに出席して欲しい」との要請を受けた.長年ボランティア活動を細々とやってきたが,行政からの露骨な排除こそあれ,呼び出しを受けて会議に参加することなど初めてであった.

 私自身,以前の職場で,地域が2つの地区に跨っていたために,措置依頼に関することで行政から随分お叱りをいただいた経験がある.なので行政への介入はできるだけ控えめにしているつもりでいた.しかし,この予想もしていなかった福祉事務所からのカンファレンス参加の要請.これは関医師の推薦によるものかもしれないが,訴えたいことは山ほどあった.

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高齢化が進みつつあるわが国では,65歳以上の者がいる世帯は三世代世帯が減少し,単独世帯や夫婦のみの世帯が急増している1).こうした中で,長年生活を共にしてきた伴侶の死に伴う,遺族(配偶者)の孤独感,無気力,うつ状態等は,立ち直れないほどの打撃を遺族に与えることになる.Parkes C.M.によると,配偶者の死は特に衝撃が大きく,人生における最もストレスの高い出来事の1つであり,その影響は心身・社会生活等,様々な側面に及ぶと報告されている2).またHampeは,配偶者の死別後の反応として悲嘆・抑うつ反応以外に,思考・行動力の低下,不安,故人への愛着反応等,多面的反応が示され,身体的にも異常が見られると述べている3)

 これらのことから,欧米諸国においては,遺族へのグリーフケア(愛する人を失った遺族の死別による悲しみへのケア)の必要性が認識され,実践されてきた4).しかしながらわが国においては,グリーフケアに対する認識は欧米諸国に比べて低く,遺族にはケアされることへのこだわりがあり,よほど困った状態にならない限りケアを求めない傾向にある5)

 そこで本研究の目的は,夫と死別した妻を対象として,生前の夫への介護に対する妻にとっての満足感と後悔等を量的・質的に分析することによって,今後のグリーフケアへの手がかりを得ることとした.

基本情報

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公衆衛生
69巻6号 (2005年6月)
電子版ISSN:1882-1170 印刷版ISSN:0368-5187 医学書院

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