特別寄稿
最高裁の水俣病判決に寄せて
近藤 喜代太郎
1,2
1放送大学
2北海道大学(医学部公衆衛生)
pp.474-479
発行日 2005年6月1日
Published Date 2005/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100106
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昨年10月15日,最高裁第二小法廷は,水俣病の発生について国,熊本県の責任を認めて賠償を命じ,また国の現行の「認定基準」を緩め,ほぼ患者側の主張に沿って幅広く水俣病患者と認定した.
私は,新潟水俣病の発見者であり,長く水俣病の医学対策の指導者であった故 椿忠雄教授(新潟大学脳研神経内科)の講師,助教授として,昭和40年5月12日の発見以来,同教授とともに診療,調査,研究,認定,裁判の証言を行った.そして永かったこの不幸な事件が,患者の勝利として最終的に解決したことに深い感慨を覚える.
棄却を不服とする第二次裁判の国側証人であったものとして,もっとも苦心したのは医学を正しく伝えることであった.本稿の目的も,今回の最高裁判決の意味を医学者の立場から考察し,水俣病医学から見た問題点を後に示すことである.
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