公衆衛生 45巻4号 (1981年4月)

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■はじめに

 保健所の機能がどの程度市民に知らされているかを『市民便利帳』の内容1)〜4)でみると,実際に活動している業務の一部分しか知らされていない.健康上の心配,たとえば難病,先天異常,精神障害,心の悩み,血液不適合,アルコール中毒など具体的にそれを思わせる項目が載っていないのである.健康上のいろいろの悩みを持った場合に,保健所が日常的に市民の相談にのってくれる機関である,というイメージは表現されていない.市民にとって,保健所が健康上の福祉サービスをするところとは,思い及ばぬことである.

 福祉事務所のサービスは,その多くは所得による制限がある.したがって,すべての住民にとって,保健,医療,福祉,教育,住民活動,生活など,その地域のあらゆる機能を利用して,関連の職種の人々が協力しなければならないような保健福祉活動「地域ケアー」6)の運営では,保健所が医療チームの調整・連絡者として最もふさわしい機関の一つであるといえる.

地域精神衛生と保健所 菱山 珠夫
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■はじめに

 昭和40年の精神衛生法改正を機に,地域における精神衛生活動の第一線機関として保健所の位置づけが明記されて,すでに十数年を経過している.公衆衛生局長通知「保健所における精神衛生業務要領」(昭和41年2月)によれば,「保健所は地域における第一線の行政機関として精神衛生活動の中心となり,精神衛生センター,精神病院,社会福祉関係諸機関,施設などとの緊密な連絡協調のもとに,精神障害者の早期発見,早期治療の促進および精神障害老の社会適応を援助するため,相談および訪問指導を積極的に行うと共に,地域住民の精神的健康の保持向上を図るための諸活動を行うものとする」とされており,業務内容としては,①実態把握,②精神衛生相談,③訪問指導,④患者クラブ活動などの援助,⑤衛生教育および協力組織の育成,⑥関係機関との連絡協調,⑦医療保護関係事務など,広範な項目が挙げられている.

 一方,保健所の置かれている現実は,上記のごとき活動を十分展開するに足る所内態勢,特にマンパワーの整備もされないままに,業務量の増加のみが要請されているという状況にある.

生活保護における医療問題 小沼 正
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■はじめに

 生活保護は生活,住宅,教育,医療,出産など7種の扶助に分かれているのであるが,扶助費総額に占める医療扶助費の割合は,表1のとおり,昭和26年度に38.6%で生活扶助費52.2%を下回っていたのが,28年度には逆転し,54年度にはついに60.2%,年間6,686億円(生活扶助は33.6%,3,740億円)となっている.

 また,医療扶助人員も年とともに増加している.表1のとおり,昭和26年度に1か月平均28万3,000人(被保護実人員204万7,000人,人口保護率2.42%)であったものが54年度には85万5,000人(被保護実人員143万人,保護率1.23%)に達している.医療扶助人員は被保護実人員に対して昭和26年度に13.8%であったものが,昭和54年度には60.0%に上がっている.

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■就労と家事・育児のジレンマ

 わが国の母子福祉法では,母子家庭の児童に対して「心身ともにすごやかに育成されるために必要な諸条件」(2条)を保証すると同時に,その母親に対して「健康で文化的な生活」(同)を保障することを基本理念として規定している.われわれは,この規定を憲法25条にもとづく国民の生存権保障として,ごく一般的に理解しがちであるが,母子家庭にとってその母親の健康を保障することは,一般家庭の母親のそれと比べてはるかに重要な意味をもっている.というのは,母子家庭の母親はおおむね一家の大黒柱として就労によって生計を営んでおり,その健康状態いかんでは直ちに就労困難に陥り,生活保護受給世帯に容易に転落せざるを得ないからである.また母子家庭の母親は,就労と子どもの育児・家事とのジレンマに苦しみ,健康状態に無理を生じやすいことも,よく指摘されるところであろう.ちなみに,婦人の就労率は,結婚や育児とのかかわりで,20歳代で高く,30歳代で下がり,また40歳代で上がり,50歳代以降で低くなるという"M字型"就労パターンをとるといわれる.しかし母子家庭では,むしろ反対に,子育てに最もエネルギーを割かれる30歳代に就労率が異常に高くなっており,一般家庭とのギャップがきわめて顕著であり,そこからとくに中高年齢になってから母親の健康状態にマイナスの作用がもたらされることも推測される.

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■はじめに

 朝日新聞に毎週金曜日,堀秀彦氏が執筆している「銀の座席」という随想欄がある.さすがに哲学者だけあって筆が冴えているというばかりでなく,社会福祉にたずさわるものにとっては,毎度教えられる点が非常に多い.

 去る2月6日に掲載された「長寿万歳?」の内容は,まことにわが国の社会保障,社会福祉,老人福祉について政策主体者側に対する姿勢をきびしくも,するどく指摘していて大いに共感させられた.

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■障害者年をどう受けとめているか

 この世に生を受けた同じ人間であっても,ある者は生まれながらに,また,ある者は人生の半ばにして,さらに,ある者は年老いてから,願い望んだことのない障害という重荷を背負って生きていくことがあるのである.

 物の考え方として,昔から"因果応報"とか,"蒔かぬ種は生えぬ"とかいわれ,物事すべて,何らかの原因によって結果が現われてくる,と信じられている.最もまずい見方としては,"親の因果が子に報い"という諺もある.ある意味では,そういえなくもないが,これは当事者を苦しませ周囲の目を濁らせる考え方である.

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 今考えると,小学校の頃から転びやすく,動作が鈍かった.中学2年の時,階段の昇降が普通でない,どこか悪いのでは,ということで,東大病院に行った.

 歩き方,座ったり,立ったりの動作を見て,すぐ進行性筋萎縮症と診断された.病名が判って27年になる.現在のところ治療法はなく,病気は止まることを知らず真綿で首を締めるように進行している.痛みがないのが救い.車椅子になって6年になり,現在に至る.

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■はじめに

 四肢マヒ者は,生活の基本的動作の多くを,他人の助けによらねばならない.そのため,社会活動の幅を広げようとすればするほど,ますます多くの介助が必要となる.しかし,このことの裏を返せば,彼らは適切な介助が得られれば,それぞれの能力にふさわしい社会活動が期待できる人たちである,ともいえるのである.

 1964年の東京パラリンピックを契機として,日本でも障害者の社会参加に対する社会の認識は進歩し,雇用の促進,公営の車イス専用住宅の建設など,たしかに隔世の観すらある.しかし,介助を必要とする重度障害者の社会参加は,諸外国と比して著しく遅れているのが現状である.

資料

通院のための社会資源 磯部 雅子
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はじめに

 身体障害者や高齢老人にとって,病院や施設とのかかわりが深いことは今まで述べられてきた.たとえば,ADL(日常生活動作)をよりよく維持するために機能訓練が必要であることや,疾病や健康管理のために定期的または緊急に医療機関を受療する必要性が生じること,などである.しかし,この場合,問題になるのは身体障害が重度化した場合の通院・通所の折の "足" の確保である."足" として交通機関そのものはもちろん,人的・経済的にも大きくそれらの補償も必要となってくる.そこで利用可能な社会資源の現状を列挙してみよう.

講座 公衆衛生学の最近の進歩・4

産業保健 野村 茂
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■はじめに

 産業保健の課題とその変遷の段階は,20世紀初頭の産業災害と安全衛生の時代,第二次大戦の頃までの,職業病と産業中毒が多く産業衛生工学が重視された産業衛生の時代,そして,現在に至る職業病や成人病の健康管理や適性配置を中心とする産業(職業)保健(Industrial or Occupational Health)の時代とに分けて回顧されたりする.わが国の労働保護も,明治8年の官営工場従業員の傷病保障のための官役人夫死傷手当規則に始まり,大正5年の工場法,昭和4年の工場危害予防及衛生規則などから,昭和22年の労働基準法安全衛生規則,そして昭和47年の単独法としての労働安全衛生法に至った施策の軌跡が顧みられる.

 この労働安全衛生法によって初めて,わが国で法的に産業医の選任とその職務が示されたが,かくて,日本医師会も産業医活動に積極的関心を示してきている.労働省はまた,昭和31年に発足した労働省労働衛生研究所を昭和52年には産業医学総合研究所として発展せしめるとともに,52年には北九州市に産業医科大学を設立し,産業保健活動の基盤である産業医学(Industrial Medicine)の振興を期している.わが国の産業保健活動も,さらに新しい段階を踏もうとしている時期と見ることができる.

講座 臨床から公衆衛生へ

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 肝障害の原因としてのエタノール飲料(以下,アルコール)が注目され,Addisonによりその因果関係が科学的根拠のもとに論じられるようになって以来,まだ100年余りにしかならない.本稿ではアルコール性肝障害について二,三の疫学的考察を行なう.

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はじめに

 沖縄県内に生息する陸生毒蛇のうち,公衆衛生上対策を必要とするのはハブ(Trimeresurus flavoviridis flavoviridis;Hallowell, 1860)とサキシマハブ(Trimeresurus elegans;Gray, 1849)である.この2種の毒蛇は県下53市町村中,県土のおよそ85%,県人口のおよそ93%(97万人)を擁する41市町村内に生息している.市街地の非生息部分を除けば,実際の生息地域面積および人口はやや減少するとはいえ,沖縄県のハブ問題は全県的な重みを持つといえる(図1).

 マラリア,フィラリアなど主要な感染性風土病が消滅した今日,ハブ咬症は沖縄県における最大の公衆衛生上の課題として解決が求められているが,ハブ抗毒素の開発研究など被害者対策の著しい進歩に比較して,病因および環境対策の進展があまりみられず,ハブ問題の抜本的対策案が示されたこともない.

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■はじめに

 筆者は1976年8月ふら1977年10月までブリティッシュ・カウンシルのスカラーとして英国に留学し,この間,ロンドン大学の社会医学系の大学院大学であるLondon School of Hygiene & Tropical Medicine(LSHTM)のTUC Centenary Institute of Occupational Healthに籍をおいた.ここでMaster of Science in Occupational Medicine(MScOM)とDiploma in Industrial Health(DIH)の2つのコースをとりながら,ロンドンを中心に各地の職業保健関係の教育・研究・サービス機関を訪問し,その実際にふれる機会を得た.

 ところで,筆者が渡英した時期は,その2年前に発効したNational Health Service (Reorganisation) Act 1973やLocal Government Act 1972など国民および地域保健の分野に導入された新しい施策の結果が見え始めた時期と一致した.この中にあって,職業保健サービスの分野でも機構改革が進行していた.英国の職業保健サービスは1802年のHealth & Morals of Apprentices Actの成立以来,Factory Act 1833を経て国家的規模で発展を遂げてきた.

連載 ネパール&途上国・4

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■ドルや円で買うことはできない

 「草の根の人達を貧困と疾病の淵から浮き上がらせることができるか否かの鍵は,外部からの援助・協力にあるのではなく,草の根の人達が,貧困と疾病の淵から浮き上がれるんだ,と自覚できるか否かにかかっている.貧困とたたかう農業〜産業開発,疾病とたたかう健康づくり,そのようなたたかいに必要な能力が草の根の人達の中に備えられてあるのだということを信じて,その秘められた可能性を引き出すような教育,そして他者依存ではなく自立のための組織活動,こうした総合的なコミェニティ開発プロジェクトの目的は,貧しく病める人達が人間としての価値ある人生を送れるように,その可能性を創り出すことにある.こうしたプロジェクトの持つ尊厳と誇りとは,外国からのドルや円で買うことはできない.人は自らの努力によって,自分の人生の可能性を創造していかなくてはならないのである」.

 インドネシアで,地域に根ざしたプライマリー・ヘルス・ケヤ(PHC)の普及に努力している私の友人であるインドネシア人医師から,昨日すなわち1981年1月28日に届いた手紙の一節である.私にはショックであった.彼はこの文章を,WHOの"Health by the People"(1976)の中から引用したのである.

発言あり

医療110番 f , h , j , i , g
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悪事発生110番!

 今日ほど,国民が医者に対して不信感を持っている時はない.医師優遇税制固持,脱税発覚,保険診療不正請求,医療過誤事件,私立医大へのコネと金での入学…….いざという時,身体について最も頼るべき医者に対して,国民はうんざりするような悪夢を見続けさせられて来た.

 専門職の成立条件の一つには,営利を第一義としない利他主義,つまり公共のための福祉ということが挙げられている.しかし,専門職の中で,その点だけは極めて清潔なのは,社会福祉従事者であるが,この社会福祉を研究しているある著名な学者が次のように言い切ったことがある.

人と業績・10

森林太郎—(1862-1922年) 山本 俊一
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はじめに■

 森林太郎は1862年(文久2年),島根県津和野町に生まれた.1872年(明治5年)家族とともに上京し,1874年(明治7年)に東京医学校予科に入学した.その後,1881年(明治14年)7月には東京大学医科大学を卒業して同年12月に陸軍省に出仕し,生涯を軍医として過ごした.1884年(明治17年)から1888年(明治21年)までドイツに留学して衛生学を専攻し,衛生制度および軍陣衛生を調査して帰国し,その後は軍医として勤務するかたわら,文学者として有名になった.現在では文学者としてばかりでなく,医学者としての森についても詳細な研究があるので1),全般的なことはそちらに譲り,ここでは焦点を「脚気」に絞って衛生学者としての森について考察してみたい.

学会だより 第25回全国衛生教育大会

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■歩み

 第25回全国衛生教育大会が,昨年6月19・20日の両日,長野県松本市の松本社会文化会館で開催された.

 公衆衛生に関する大会は数多くあるが,この中でも最も古い歴史を持っている本大会は,昭和23年,故三木行治厚生省公衆衛生局長が,わが国の公衆衛生の向上のためには衛生教育の振興をはかるべきであり,そのためには保健所職員への衛生教育の技法を訓練することが必要である,と発案したのに基づき,厚生省主催「全国衛生教育サマースクリーニング」が翌年,上高地で開かれたのに始まるという.そして,この現任訓練が毎年1回,新潟,北海道,岡山,栃木,福井,東京と開かれたあと,昭和31年に第1回全国衛生教育大会となり,以来,全国各地で開かれて,昨年で25回を迎えた.

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 過日,三本木町の今野町長を先頭に,同町の「健康づくり推進協議会」委員の1人として,体力つくりで有名な県南の農村,柴田郡村田町を視察する機会を得た.同町は人口13,636人,国保病院1,開業医4,歯科1,保健婦3,栄養士1の町である,勿論,体力つくりだけが健康づくりのすべてではない.当然ながら,母子衛生対策なども行なわれている.

 (1)最初に視察団の眼を奪ったのは,行き届いた立派な町民体育館と,ビデオに写し出された田辺地区の「あぜ道運動会」での農村風景ではなかろうか.この運動会は,すでに昭和52年のNHK新日本紀行で,全国放映になったという.いなご取り競争やどじょう取り競争など,自らの工夫で,施設がなくとも運動会はできる,という雰囲気をつくり出したとのことだ.

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 55年12月末から56年1月の約1か月間にわたって日本海側に襲来した,未曽有ともいうべき豪雪は,雪国の人々の生命や財産や生活を脅かしたが,岐阜県の奥美濃や飛騨地域も例外ではなかった.

 明治時代に測候所が開設されて以来,初めての積雪量を記録した高山市周辺においても,時々の日照によるわずかの融雪も,朝夕にぶり返す降雪によって,1か月以上にわたって2m近い積雪量となった.この豪雪は,山野の木々を倒し,家屋を倒壊させ,時に交通を途絶させ,経済的損失のみならず,住民の蒙った精神的,肉体的苦痛も大きいものであった.

随想

忘れられたマナー 園田 真人
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 その人のひととなりは,食事をみるとよくわかる.形式ばったところではわかりにくいが,デパートの食堂などでは,正体がわかりやすい.

 ある日,昼食をたべている私の横と前に,中年の婦人が坐った.デパートの食堂だから,どこに坐っても勝手であるが,食事中の私の鼻先にかなり汚れた買物かごを,どんと置いたのである.

基本情報

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公衆衛生
45巻4号 (1981年4月)
電子版ISSN:1882-1170 印刷版ISSN:0368-5187 医学書院

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