公衆衛生 45巻3号 (1981年3月)

特集 日常生活の中の健康づくり

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■はじめに

 心を静かにして考えてみると,人間各人の健康というイメージは,病気ということと切り離しては考えられない.一方,1940年,国連世界保健機構が定めた健康大憲章の前文にある健健の定義は,「健康とは,身体的,精神的および社会的に完全に良好な状態であって,単に疾病がないとか虚弱でないというだけではない」と述べている.

 前者は各個人の立場の健康であり,後者は社会としての健康についての目標であり,いわば行政的立場の健康観であるといえるかもしれない.この両者は,実際には決してかけ離れたものではない.平均寿命が50歳に満たず,そして食物も十分ではないし,コミュニケーション,交通も未発達であった時代,また経済的,社会的格差のために,生活環境が互いに大いに異なった時代の人々の間で交わされた挨拶,たとえば「達者で」とか「ご機嫌よう」という言葉には,その時代の人々の健康観とともに,病気の範囲に対する,また生活態度に対する考え方が巧みに表現されていたと考えられる.その手段の可能度あるいは実効性の範囲をひとまずおくとすれば,その時代は人々が各個人の健康への道を各人でいちおうは制御し得た時代であったと考えられる.

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■はじめに

 「自分の健康は自分でつくる」,これが健康づくりの基本である.そのためにはどうしたらよいであろうか.

 まず第一には,自分の健康がどのような状態にあるかを知る必要がある.健康診断を受け,病気がないかどうかを確かめることはもちろん,自分みずから異常がないかどうかをチェックすることも大切である.たとえば,仕事に対する意欲がないとか眠れないとか,食欲がないなど,ちょっとした異常にも十分注意しなければならない.

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■はじめに

 従来の医療の枠を越え,国民の健康を維持・増進させようとする厚生省の健康増進構想に基づいて「健康増進センター」が設立されたのは,昭和48年のことである.その後,厚生省の助成による県レベルのA型5,市レベルのB型7,その他3の合計15施設となった.これらが現在どのようなあり方をし,どのような問題をかかえているかの点について,ここで展望してみたいと思う.

 その後,厚生省の構想はさらに進展し,「国民健康づくり推進事業」の名のもとに,全国の市町村に「保健センター」の設置と「健康づくり推進協議会」の組織づくりが進められ,さらに保健所の対人サービス面の強化のために,「モデル保健所」の整備計画も展開されることになった.

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■設立の経緯

 「八戸市総合健診センター」(以下,健診センター)の現状および問題点について述べるまえに,全国に開設されている「健康センター」あるいは「健診センター」と運営の面で多少異なる点があるので,設立の経緯について簡単にふれることにする.

 昭和39年,八戸市が新産業都市に指定されて以来,それまでの漁港,農村という都市構造に工業都市の要素が加わり,その結果として当然のことながら,公害という問題の出現に直面した.それを受けて昭和40年,行政,市医師会,事業所が連携して地域住民の健康を守るため「地域医療対策協議会」を発足させ,これにあたることになった.それ以来約10年,行政は組織づくりと予算措置を分担し,医師会は健診実行委員会を組織し,健康の企画と活動を分掌してきた.その間,関係団体間の意思の疎通や健診手技,学問的判定基準など多くの問題と直面し,そのつど試行錯誤を繰り返しながらも行政および医師会はそれぞれに施設健診と健康精度向上の必要性を痛感し,その当然の帰結として,行政,医師会,商工会議所による財団法人・八戸市総合健診センターの建設調査会が51年3月に設置され,53年7月竣工した.そして同10月,いわゆる市民総ぐるみの「八戸市総合健診センター」のオープンを見るに至り,現在の業務にあたっている.

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■はじめに

 ある編集委員の方から,平生町の健康づくりについて執筆をお願いしたい,と依頼を受けて驚いた.今日,最も重要な課題である健康問題について,わずか14,000人足らずの小さな町での事例は,全く紹介するに値しないことを誰よりも自覚しているからである.

 しかし,結局,恥をしのんで御紹介することにした.現在,模索の段階ながら,地方自治体の立場から,「町ぐるみでとりくむ健康づくり」に関する実践状況がその内容となろう.

事業所における健康づくり 高田 勗
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■企業内健康増進運動の歴史的変遷

 わが国の産業において進められてきた企業内健康増進運動は,その時代の社会経済環境を背景として,さまざまな対応を示しながら発展してきた.この健康増進運動は,現代流にいうならば健康づくりであるが,過去においては体力づくりであり,スポーツ振興としてとらえられていた.企業における健康増進,スポーツ振興について,その歴史的な変遷を考察することにより,現代における企業内健康増進運動の現状と将来を展望するうえで重要な示唆を得ることができる.そこで表1のように整理してみた.

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■はじめに

 昭和52年から厚生省によって提唱されてきた健康づくりの柱の一つに,運動がある.これは,現代人にとって健康のためには運動が大切な要素の一つであることを,改めて認識させるものである.というのは,従来から運動というと,学校体育とか,余暇活動として行なわれるスポーツとかといったものを想起させ,運動を行なうということをこれからの体力づくりのため,として思考してきたからである.若いうちに体力をつくるために,こういった意味での運動は大いに奨励され,またその目的を果たして今日に及んでいる.しかし,産業が高度に発達し,都市化現象が進んできた今日では,健康を阻害する要因が数々生じ,特にその中で運動不足がクローズアップされてきた.科学技術の発展は,われわれの生活の中で身体活動をより少なくしようとするようになり,栄養の問題と相まって諸疾病をもたらし,改めて健康づくりが強調されたものである.

 こうした運動不足を解消して健康づくりをしてゆくための運動は,余暇にやる何か特別なレクリエーションやスポーツではなく,生活の中で使っていた身体を動かす機会が少なくなっているのであるから,毎日毎日の生活の中で,運動として行なう身体活動を指し,そうした運動を生活にもっと積極的に取り入れることを意味している.

健康づくりと運動処方 道場 信孝
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■運動の功罪

 人は誰でも健康である間は必然的に体を動かすし,また体を動かすことによって体力は維持されている.しかし,何らかの理由によって身体活動が低いレベルに拘束されると,程なく人の体は安静状態に適合して内部変動を生じ,このような状態で肉体的ストレスにさらされると身体は正常には反応できなくなる1)2)3).このように活動状態に適合している身体機能が安静状態に適合する機序を脱調節(deconditioning)と呼び,種々の疾患で安静が強いられるときには,ほぼ2週間で明らかな脱調節状態に陥る.脱調節状態は安静時および運動時の頻脈,起立性循環調節障害,筋力低下,骨からのカルシウム離脱,平衡調節の障害,視覚異常などで特徴づけられ,リハビリテーションはこのような状態を身体トレーニングによって再調節することを目的としている.近代の人間社会では,原始時代のそれと比較して身体活動のレベルが極度に低いレベルに落ちこんでいるため,慢性の脱調節状態に陥っているとともに,過剰栄養による肥満,喫煙の習慣,ストレスの多い社会環境などが虚血性心臓病の発症頻度を著しく高めていると考えられる.

講座 公衆衛生学の最近の進歩・3

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■はじめに

 わが国も今日,欧米で見られるような高齢化社会を迎えようとしている.

 老年人口(65歳以上)の全人口に占める割合や老年人口指数,老年化指数などの諸指数がいずれも年々増加を示していること1),また将来の老年人口の推定によると,21世紀の初めには約14%を占めること2)などからして,人口の老年化がいちじるしいことを容易に知ることができる.一方,公衆衛生の発達,生活環境の変化に応じて疾病構造の変動が見られ,今日では成人保健の重要性が注視されるようになった.

講座 感染症とワクチン

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 インフルエンザワクチンは本当に有効であるのかという疑問が,いつもどこかで提示されている.この疑問を解決するには,インフルエンザの性質や実態を正しく理解する必要がある.このウイルスは,その性質(抗原型)が徐々にあるいは突然に変化すること,伝播力が極めて強く,またその速度は他に類をみないほど速いので世界的な大流行を引き起こすことが特徴である.インフルエンザの流行期に際し,インフルエンザの特徴とワクチンの効果,さらに新しい生ワクチンの試みなどを紹介してみよう.

連載 ネパール&途上国・3

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■病気になっても働けるうちは"元気"の草の根の人達

 ネパールで一番近代化が進み,医師の数が増え,交通が便利になった首都カトマンズとその周辺都市,さらに近郊農村を含むカトマンズ盆地の中で,限られた有医地帯,すなわち政府および民間(キリスト教ミッション)のHealth Service Delivery Systemが存在する地域の住民の健康度が,草の根の生活レベルではかえって増悪していることがわかった.

 Health Service Delivery Systemとは,政府の場合HOSPITAL→HEALTH POST,民間の場合HOSPITAL→MOBILE CLINICというかたちであり,いずれも病院を基地にしたout-reach programのことである.

発言あり

"健康自己責任"論 i , f , h , j , g
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個人の努力の限度の内と外

 「自分の健康は自分で守ろう」という考え方,これは誰が何といおうと大切なことだと思う.ただし,行政側の人間としてこれを強調すると,「役所の責任逃れだ」というご意見があることも承知している.だから,ここでは,一人の市民としてもこの考えであることをはっきりさせておきたい.

 行政側の人間がこんないい方をすれば,今度は詭弁だとおっしゃる方がいるかもしれないが,個々の国民に健康を守るための最低条件を現在の国家がどれだけ保証しているか,つまり日本国憲法第25条に明記された「国はすべての生活部面について社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という条文を現在の国がどれだけ実行しているかといえば,残念ながら百点はやれないという現実に立って,それなら国民の一人一人としては,ささやかながら自衛のためにも「自分の健康は自分で守らざるを得ないではないか」と考えるのである.

人と業績・9

高木兼寛(1849-1920年) 山本 俊一
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ウイリスとの出会い

 高木兼寛は1849年(嘉永2年)9月15日,宮崎県東諸県郡穆佐村の下級鹿児島藩士の家に生まれたが,1866年(慶応2年)に鹿児島へ出て医師石神良策の門に入り,医学を修業した.1868年(明治元年)には軍医として東北征討軍に従軍し,翌年に帰郷して再び鹿児島藩立開成学校に入学して医学を修めた.

 翌1870年(明治3年)には英医ウイリアム・ウイリスが同校の校長として着任したが,この人との出会いが高木兼寛の将来を決定するうえで重要な出来事であった.ウイリスは英国エジンバラ大学医学部の出身で,1861年(文久元年)25歳で英国公使館付医官として来日した.彼は外科医としての能力にすぐれ,1868年1月4日の鳥羽伏見の戦いののち,薩摩軍戦傷兵治療のため兵庫から着任してその手腕を発揮した.それが高く評価されて戌辰の戦いには官軍側の軍医として従軍し,その後も東京大病院に移って活躍した.しかしながら,明治政府がドイツ医学採用の方針を固めたこともあって,1年ばかりで東京大病院を辞職して薩摩藩立開成医学校の校長となった.ウイリスは高木の才能を認め盛んに英国留学をすすめたが,当時の高木にとってはその目的を達するための手がかりは何もなかった.

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●はじめに

 衛生学・公衆衛生学は社会医学であり,応用医学であるとされている.前者はその目標であり,後者はその手段であろう.現実の社会生活(地域社会から国のレベルまで種々の社会があろう)における健康と疾病の状況およびこれに影響を与える因子の究明を行ない,その改善と予防が社会医学の目標とされる.そして,これら因子の追究や改善の方法の樹立には,基礎医学,臨床医学,さらに他分野の種々の研究方法が導入され,応用される.

 衛生・公衆衛生学の学習や研究にフィールドワークが求められるのは,このような目標を遂行するためのモデルケースとしてであろう.それはあたかも臨床医学における症例研究と同様な意味を持つものである.したがって,研究の目的や方向によってフィールドにどのようなことを求め,またどのようなことを行なおうとするかが異なるのは,当然といえよう.ある場合には疾病の自然史の観察が目標とされ,ある場合には保健行政体制の変更による地域住民の健康状況の推移が観察され,また,より緊急に現実に迫った環境汚染の防止技術の適用が目標とされる場合もあろう.

日本列島

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 昭和55年5月,港湾区域の定期検査の一環として厚生省那覇検疫所が実施した河川の底泥の細菌検査によって,コレラ菌らしいものが発見された.2回目の検査でも同様であったので,同検体を国立予防衛生研究所に送付し同定した結果,5月29日「エルトールコレラ稲葉型」と確認された.コレラ菌が発見された川は沖縄県那覇市と隣の浦添市の境界となっている安謝川で,河口から100ないし900メートルまでの間の底泥中,深さ3〜30センチメートルのところで採取した泥からである.コレラ菌は合計10か所から検出され,そのうち2か所は満潮時に川水の逆流入する排水孔で採取したサンプル(綿球を24時間以上置いたもの)から陽性であった.なお,河川水および魚,かになどの生物についてはすべて陰性であった.

 県は直ちにコレラ防疫対策本部を設置し,次の対策を講じた.

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 脳卒中を予測する大切な検査の1つに眼底検査があるが,せっかくの検査も集団検診においては,必ずしも正確な診断が当県でも得られていない.筆者も種々の統計をとり,眼底の変化が血圧値や脳卒中と密接な関係があることを報告してきただけに,残念に思うのである.他県ではどうであろうか.

 多忙な眼科医による直像鏡使用の集検は困難なので,各検診団体とも無散瞳カメラによる右眼底の撮影が行なわれている.かつて一般住民の検診時に,散瞳剤を使用して直像鏡による両眼底検査に従事してきた経験から,本県の某検診団体に無散瞳カメラによる両眼底撮影を実施してもらった.その読影をしながら問題点と今後の方法を考えてみた.

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 今,京都府下の保健衛生担当者(とくに市町村保健婦)の中では,本年は循環器疾患対策座礁の年ではないか,ということが,ひとつの話題になっている.

 その根拠のひとつに,去る3月に公衆衛生局長通知として出された「循環器疾患等健康診断事業における受益者負担の導入及びそれに伴なう国庫補助金の削減方針」があげられている.

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 厚生省では老人保健対策本部を設置し,先頃,老人保健医療制度の第一次試案をまとめている.これは,従来一般成人保健対策と分離していた老人保健医療施策を,中高年を一体とした対策として練り直したものといえよう.

 岐阜県においても,成人および老人の保健施策の現状は全国の状況と特に大きな違いはない.中高年者を40歳以上としてみると,昭和50年国調で68.2万人を数え全人口の36.5%であり,65歳以上の老人は16万人(全人口の8.6%)である.老人人口は昭和60年20.8万人と推定され,全国に先だって全人口の10%になるものと予想されている.本県では当面の高齢者対策として暮らしの対策と健康の対策に大別し,前者として雇用対策,所得確保,住宅対策およびひとり暮らし対策を,後者として健康増進,医療とリハビリテーションおよびねたきり老人対策をあげ,各事業を体系的に整備すべく検討をすすめている.

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 日本蛇族学術研究所と世界保健機構の主催する第1回「毒蛇咬症の疫学及び治療に関する国際セミナー」が沖縄県那覊市において,昭和55年8月25日から4日間の日程で開催された.初日は午前9時から沖縄本島南部の玉城村にある玉泉ハブ公園で,アジア,アフリカ,ヨーロッパの13か国から約70人が参加して開会式が行なわれた.

 毒蛇に関する国際セミナーが開かれるのは今回が初めてであるが,開会式で沢井芳男日本蛇族学術研究所長が挨拶,「アジア,アフリカなど熱帯,亜熱帯地域では蛇による咬症被害は大きな問題であるが,それに対する対策は十分でなく,いまなお多くの人々が毒蛇咬症で死亡している.この問題解決のため,多くの研究所が力を合わせる必要がある.今回世界保健機構(WHO)の協力を得て沖縄でこうした国際会議が開かれるのは大きな意義がある」と述べた.

基本情報

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公衆衛生
45巻3号 (1981年3月)
電子版ISSN:1882-1170 印刷版ISSN:0368-5187 医学書院

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