臨床皮膚科 58巻4号 (2004年4月)

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Qどんなダーモスコピー所見が認められますか?

診断は何でしょう

臨床情報

 58歳,男性.約半年前,背中に黒色病変が生じているのに家族が気付いた.1か月ほど前に少し出血したので,それ以来,時々絆創膏を貼っている.

 右中背部に大きさ11×9×1.5mmの灰黒色調結節が存在する(図2).境界明瞭だが,多少角張った形状を呈する.表面は乳頭状に一部凹凸を示し,軽度角化性のようだが,絆創膏貼付のためか,やや浸軟したようにみえる.結節表面の左下方部には痂皮が付着している.

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出題と解答:赤坂俊英(岩手医科大学)

251 本邦の最近5年間の悪性黒色腫の疫学で正しいのはどれか.

A:悪性黒色腫の患者数は横ばいである.

B:予後は女性に比較し,男性の方が良好である.

C:病型の頻度はALM>LMM>NM>SSMの順である.

注)ALM:Acral lentiginous melanoma, LMM:Lentigo maligana melanoma, NM:Nodular melanoma, SSM:Superficial spreading melanoma

D:以前に比較し20歳以下の若年層症例が増加傾向にある.

E:顔面・頭部などの露出部位症例が増加傾向にある.

米国皮膚科医への道(13) 藤田 真由美
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レジデント契約更新(Residency Contract)

 このように外来,コンサルト,講義,当直とあらゆる面で教育,訓練されて一人前になっていくレジデントであるが,3~7年(外科は7年生まである)の教育といえども,1年ごとに契約を更新しないといけない.この更新の審査は形式だけのものではなく,その知識,能力,進歩をあらゆる項目から評価され,学部教授会にて1人1人検討されて,晴れて契約が更新される仕組みになっている.当然のことながら,更新されないという場合もたまにある.学費を払っている大学生の進級とは異なり,給料をもらって見習いをしている身分であるので,更新されないということは留年ではなくてクビである.アメリカの医局入局は前述のように全国一斉のマッチングをして採用され,入局人数にも限りがあるため,一度クビになるとほかの医局への入局は難しい.クビになるのは年度末の5,6月で3月のマッチングはすでに済んだ後であるし,仮に翌年マッチングに申し込んだとしても,クビになった経緯を先方の医局に確認されるのは必須である.自由主義と実力主義のアメリカといえども,大学や病院など大きな組織の人事に関しては,才能だけではなく人格と協調性を非常に大事にする.それゆえ自分に合わない,ついていけない,問題があると思ったら,クビになったり事が大きくなる前に上の指導者(プログラムディレクター)と何度も相談して打開策を練ったり,やる気と努力を最後までアピールしたり,うまく横滑りできるように策を練るのが得策である.また,アメリカの教育は常にチャンスを与えてあげようという姿勢の上で行われているので,ある日突然クビになるなどという理不尽なことはなく,必ずその前に何度か警告の手紙や会議があるのも特徴である.しかし,それでもクビになるということはある.いや,現に私の周りでもそれは起こった.1つは皮膚科の中で,もう1つは外で.

 6月のある日,朝の講義に集まった皮膚科レジデントの前に,オルルド教授がやってきて「Sが退職することになった.優秀な人であるが医師としては欠けている部分があり,私達はSを皮膚科医として社会に送り出すことに責任を持てないと判断した.とても残念だ.」と言った.当時1年生の私は自分のことで精一杯で知らなかったのだが,Sはすでに警告を受けて1年間の観察期間中の身であったらしい.自分たちがクビになる可能性のある身分だったとは露とも知らない私たち(いや私だけかもしれないが)は,ただただショックだった.Sが今後皮膚科医になれる可能性はほぼゼロであろう.Sはその後,配偶者とともに医局に嘆願しに来たが,さすがの仏のオルルド教授も,教授会で決まったことを覆すほど甘くはなかった.その数日後に,さらにショッキングな事件が起こった.私はその当時,ワシントン大学病院のローテーションをしていた.他科からのコンサルト依頼を終え,4時過ぎにレジデント部屋に戻った.水曜日だったので,次の日の講義の準備をしようと教科書を開いた矢先に,突然,院内放送が鳴った.緊迫した気配で,全員部屋のドアを閉めて指示があるまで一歩も出るなと言う.小さな6畳くらいのレジデント部屋に1人,ドアを閉めて待つこと30~40分.物音1つしなかった周囲に少しずつ音が戻り始めた.私も恐る恐るドアを開けて,数部屋離れた皮膚科秘書室へ駆け込んだ.皆も一体何が起こったか状況がつかめずにいたところ,秘書室の奥の主任教授室からオルルド教授が出てきた.「どこかの教授がレジデントの一人に射殺されたらしい.私の友人の病理の教授じゃないかと心配だ.」と肩を落として言った.実は,オルルド教授の奥さんがニュース速報を見て,あわてて電話をかけてきたらしい.彼女はSの退職事件を知っていたので,Sがオルルド教授を射殺したのでは,と思って気が気でなかったらしい.この頃,ちょうど離婚訴訟でもめていた私は弁護士を雇っていたのであるが,私の弁護士は「ワシントン大学で医者が射殺された.」とのニュースを聞いて,私が元夫に射殺されたのでは,と思ったらしい.結局,この事件は,契約更新できなかった病理のレジデントがレジデンシープログラムディレクターの病理学教授を射殺し,自分も自殺したらしい.しかし,教授室の密室の中で起こった事件なので,自殺を止めようとした教授が巻き添えにあったのか,本当に射殺されたのか,真相はわからずじまいに終わった.その後新聞で,その病理学レジデントが私と同じ外国人医師で,同じようにアメリカでレジデンシーを受け直していたことを知って,彼の苦労,焦燥,失望,無念さなどが分かると同時に,彼の周りにアメリカでの生き方を助言する人がいたならば結果はきっと違っていたであろうにと思うと胸が痛んだ.

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6歳,女児.出生時から右大腿に青色斑が存在し,その後大腿痛による歩行制限,右膝の腫脹と疼痛が出現した.初診時,右大腿に透見性のある青紫色の腫瘍を認め,右膝上および右下腿外側に皮下腫瘤を触知した.MRI検査T2強調像で右大腿部皮下,右中間広筋内,右下腿外側の皮下から脛骨周囲にびまん性の腫瘍を認めた.病理組織学的に,真皮から筋肉内にかけて不規則に拡張した血管の増生を認めた.以上の所見から,International Society for the Study of Vascular Anomalies (ISSVA, 1996)の分類に従い,自験例をextensive pure venous malformationと診断した.腫瘍切除術により,疼痛の緩和を認めた.

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75歳,男性.左下肢の浮腫を主訴として来院,初診時左下肢は全体的に腫脹し,軽度の発赤,熱感を伴っていた.抗生剤投与にて炎症症状は消失したが,浮腫は残存した,MRアンギオグラフィにて深部静脈血栓症は否定され,CTで左優位に骨盤・腹腔内リンパ節の著明な腫大を認めた.諸検査より左葉に原発した前立腺癌からのリンパ節転移と判明,これによる続発性リンパ浮腫と診断した.内分泌療法開始6か月後の現在,左下肢の浮腫は軽減し,CTでも骨盤・腹腔内リンパ節の著明な縮小が確認された.片側下肢の浮腫で来院する症例に対しては,経過の聴取,理学的診察に加え,適切な画像診断を迅速に進めることが重要と思われる.

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18歳,女性.うつ状態で休学し,引きこもり状態であった.2001年7月13日より高度の食思不振が生じ,体重が約5kg急激に減少した.7月25日に両頬部に紅色丘疹が出現.その後5日間で急激に前額部,項部,前胸部,背部に拡大し,そう痒を伴うようになり,30日に当科を受診した.顔面に皮疹がみられたことは非定型ではあるが,急激な体重減少と一致してそう痒のある紅色丘疹が胸背部に生じ,ケトーシスを伴っていたことより色素性痒疹と診断した.適切な食生活を促し,ミノマイシン100mg/日を1週間投与したところ,皮疹は急速に軽快し,2週後には不完全な網目状淡褐色の色素沈着となった.ケトン体などの検査異常値は17日後には正常化した.その後,再燃はしていない.

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ヨーロッパ,アメリカ,アジアのアトピー性皮膚炎治療のスペシャリスト7名にインタビューおよびアンケート調査を行い,アトピー性皮膚炎治療に対する考え方や各国の医療事情を探った.それぞれの医師の置かれている状況により,1日に診察する患者数や診察時間には違いがあったが,患者の診察になるべく時間をかけて治療方針や薬剤の詳しい説明をするべきとの認識は共通しており,それぞれの工夫がみられた.アトピー性皮膚炎治療において,ステロイド外用薬および保湿薬はほぼ全員が重要視しており,またタクロリムス軟膏やメンタルケアの重要度が高いとする医師が半数以上であった.ステロイド外用薬の重症度別の処方については,医師による違いがみられた.また日本で問題になっているステロイド拒否は調査各国でも存在し,その理由は全員が「副作用に対する誤解」であると考えていた.抗ヒスタミン薬を使用する患者の割合は医師により大きな開きがあり,また使用目的は半数以上が止痒作用であると回答したが,抗炎症作用や鎮静作用を期待した使用も行われていた.代替療法についてはさまざまな方法が各国で行われており,患者が代替療法に向かう理由として,患者と医師の信頼関係が築かれていない,ステロイド外用薬への理由のない恐れなどを挙げていた.新しい療法については,免疫抑制薬内服や免疫抑制薬外用に期待するとの回答が多かった.以上により一部ではあるが,海外のスペシャリストの治療方針や各国の医療事情が見えてきた.抗ヒスタミン薬や保湿薬の評価は若干の差があるが,今後もEBMに則ったデータに基づき使用法を考えていくべきである.世界のスペシャリストの治療方針と近似していることから,われわれの行ってきた「アトピー性皮膚炎ガイドライン」に沿った治療が正しい方向に進んでいることを確信したが,医師と患者とのさらなる信頼関係を築くために,世界のスペシャリストのさまざまな試みも今後参考にすべきと思う.

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24歳,女性.帯下に対してクロラムフェニコール腟錠を使用し,両上肢にそう痒を伴う紅斑が出現した.皮疹は徐々に体幹部,下肢に拡大した.粘膜疹は認めず,発熱,リンパ節腫脹もなかった.血液・生化学的検査所見では異常値を示さなかった.病理組織学的所見では真皮上層の血管周囲性の小円形細胞浸潤を主体とし好酸球を混じる炎症細胞浸潤を認めた.パッチテストにてクロラムフェニコール腟錠で陽性を示したため,クロラムフェニコール腟錠によるsystemic contact dermatitisと診断した.

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72歳,女性.両下腿に浸潤を触れる紫斑と穿窟性潰瘍を認め,尿蛋白,尿潜血陽性であった.プレドニゾロン内服が著効したが,尿潜血が遷延した.1980年以降の本邦報告例を検討したところ,高齢者に生じた本症においても,アナフィラクトイド紫斑と同様,高齢者において尿異常所見を伴いやすい傾向がみられた.本症は一般的に病変が皮膚に限局し,多臓器病変を欠くとされていたが,腎障害を伴う症例も散見され,特に高齢者において注意深い経過観察が必要と考えられた.

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40歳,女性.初診の約1か月前から右上腕内側にそう痒感を伴う紅斑が出現した.その後,咽頭痛,全身の筋肉痛,関節痛,38℃台の発熱が出現した.白血球増多,血沈亢進,フェリチン上昇,LDH高値を認め,リウマチ因子・抗核抗体は陰性であった.特異的皮疹,全身症状,検査所見から成人Still病と診断した.プレドニゾロン30mg/日の投与開始後,皮疹および全身症状は消失し,検査所見も改善した.

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20歳,女性.14歳時より両前腕に皮膚硬化局面が出現し次第に四肢に拡大した.病理組織学的に真皮全層に膠原線維の増生,膨化,均質化および汗腺の萎縮を認めた.抗核抗体5,120倍,RAテスト陽性,抗SS-A抗体64倍,IgGの上昇など種々の免疫血清学的異常を伴っていた.また,多発性単神経炎と肺拡散能の軽度の低下を伴い,Schirmerテスト,ガムテスト陽性で唾液腺造影所見よりSjögren症候群を合併していた.皮膚硬化はすでに高度で四肢関節の可動制限も生じていたが,さらなる病変の拡大を認めたことからプレドニゾロン30mg/日を投与したところ,拡大は止まり,硬化も著明に軽減し関節可動域の軽快が得られた.

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29歳,女性.脱毛を主訴に当科を受診した.後頭部から右側頭部にかけての比較的広い範囲にびまん性脱毛を認め,後頭部の脱毛部には米粒大前後の淡紅色調を呈する紅斑が多発していた.脱毛以外に皮疹はなく,全身症状もない.紅斑部の生検組織像から全身性エリテマトーデスを疑い,精査により同症と診断した.過去に後頭部優位の脱毛と小紅斑を初発症状とした全身性エリテマトーデスの報告例はない.本症における脱毛病変の文献的考察を加えて報告した.

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72歳,女性.1972年頃から口唇,手指に紅斑が出現.鼻出血もみられるようになったため当科受診.Osler病と診断され,外来にて経過観察していたが,2001年11月27日下血を認めたため精査加療目的で再入院した.入院後全身精査を施行したが,痔核以外著変は認められなかった.血管造影検査は患者の同意が得られず施行できなかった.血液検査には特に著変を認めなかった.鼻出血に対し圧迫止血のみで加療し退院となった.

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57歳,男性.路上生活者.不衛生な生活環境下にあり,全身に掻破痕を伴う紅斑丘疹を認め,衣類にコロモジラミの虫体を認めた.治療はDDTパウダー,クロタミトンの外用と塩酸ヒドロキシジン内服にて行った.さらにコロモジラミの生態と現在の状況について考察を加えた.現在,コロモジラミの治療薬は市販薬であるため,路上生活者のような経済的に苦しい者では購入が困難である.今後,公衆衛生担当者の協力による広範な公衆衛生活動が求められる.

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59歳,女性.初診の約1か月前に右大腿部の皮下腫瘤に気付くが,特に自覚症状がなかったため放置していた.腫瘤に移動性はなかったが,徐々に硬化してきたため来院した.初診時,右大腿部に比較的境界のはっきりした2.6×2.4cm大の弾性硬の皮下腫瘤を認めた.同部の生検を施行中に虫体を認め,完全な形の虫体を1匹摘出した.虫体は秋田大学医学部寄生虫学教室で,マンソン裂頭条虫のプレロセルコイドと同定されたので,マンソン孤虫症と診断した.感染経路としては,第二中間宿主であった馬の刺身を過去に繰り返し食べているうち感染した可能性が考えられた.患者血清を用いたdot-ELISA法では当初,マンソン裂頭条虫のプレロセルコイド抗原に陽性を示したが,摘出6か月後には抗体価は明らかに低下し,診断および経過観察に有用であった.

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31歳,フィリピン人女性.11年前の来日時より左頬部の紅色皮疹に気付いていた.1年前より,前腕にも紅斑が新生した.紅斑部の病理組織像で,泡沫細胞よりなる肉芽腫があり,Fite-Faraco染色で棍棒状の菌体を認めた.臨床および組織所見よりハンセン病と診断した.WHOの多剤併用療法にレボフロキサシンを併用して加療し,紅斑は消退,神経症状も軽減した.ハンセン病は多彩な皮膚症状を呈するために診断に苦慮することも少なくない.外国人の患者を診察する機会が増えた今日では,鑑別疾患として本症を常に念頭に置いておく必要があろう.

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39歳,女性.2002年の8月中旬より微熱があり,体幹・四肢を中心として散在性に紅斑が生じ,肛門周囲に丘疹が出現したため受診した.肛門周囲の丘疹部より生検を施行した.表皮は索状に肥厚しており,表皮内にリンパ球および形質細胞浸潤を認めた.抗トレポネーマ抗体による免疫染色像では,表皮細胞間に多数のTreponema pallidumがみられ,さらに梅毒血清反応にてガラス板法は64倍,TPHA法は5,120倍の抗体価を示したことから,第2期梅毒と診断した.アモキシシリン1,000mg/日投与にて.3週間後の抗体価は,ガラス板法にて32倍,TPHA法にて2,560倍と低下し紅斑および扁平コンジローマ平コンジローマとも消退した.さらに,治療6週後,ガラス板法は8倍,TPHA法は1,280倍に減少した.

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3歳,男児.生後4か月より顔面に常色の小結節が出現,増数し,10か月時に行った生検で若年性黄色肉芽腫と診断された.1歳頃までに結節は全身に多発し,頸部,肘窩,膝膕では黄色局面を形成した.2歳頃に顔面,躯幹の結節は平坦化し,色素沈着を残し消退したが,頸部,肘窩,膝膕の黄色局面には変化を認めないため,3歳時に当科を受診した.右膝膕の黄色局面の病理組織では多数の泡沫細胞が浸潤し,組織球,リンパ球が混在していた.組織球浸潤から泡沫細胞の浸潤,線維化という若年性黄色肉芽腫の経過の過程で,一部の病変に顕著な泡沫細胞の浸潤が生じ,黄色腫様となったものと考えた.

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5歳,女児.2歳頃,背部と四肢に不整形で淡黄色の浸潤性局面が出現した.病理組織学的に膠原線維間に肥厚した弾性線維の増生が認められた.Buschke-Ollendorff症候群は結合組織母斑に骨斑紋症が合併した症候群であり,本症との異同が問題になった.しかし,骨X線所見にて骨斑紋症と断定できず,juvenile elastomaと診断した.

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症例1:55歳男性,左頸部,症例2:55歳男性,前額髪際部,症例3:61歳男性,鼻根部にそれぞれ単発したsebaceous folliculoma(SF)の3例を報告した.組織学的にいずれもSFに合致するが,症例1,2には毛幹,症例3には毛乳頭様構造を認めた.また,症例2では中央の囊腫壁の部分破壊と二次性炎症を認めた.臨床的には3例とも粉瘤を疑診したが,粉瘤様臨床所見はSFの一つの特徴と考えられた.SFの臨床所見を中心に考察を加え,呼称・位置付けにも言及した.

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50歳,女性.18歳頃より右前腕に自覚症状を欠く硬い皮内の結節に気付いていた.病理組織学的所見では真皮内に骨組織塊を認め,一部では骨に連続して軟骨組織もみられた.偽性副甲状腺機能低下症はなく,原発性皮膚骨腫と診断した.炎症や外傷,代謝異常などの先行病変がみられない原発性皮膚骨腫は比較的稀であり,本邦報告例の臨床的検討とともに報告した.

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生後2日目,女児.出生時より右母指基部橈側に米粒大の小腫瘤を認め,腫瘤からは15mmの糸状構造物が伸び,その先端に小結節が付着していた.組織学的に,基部の腫瘤は真皮内の神経線維束の増生を認め,糸状の部位では平滑筋線維を含み,先端の小結節部では軟骨組織を含む膠原線維束を認めた.X線上,骨に異常所見はなく,母指多指症の浮遊型と診断した.多指症の病因について考察を加えた.

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63歳,男性.8年前の外傷を機に左踵に潰瘍を生じ,各種治療に抵抗性であった.臨床的に径2cmの潰瘍と周囲の角化性局面を認め,中央部の潰瘍と連続して洞穴状の瘻孔が多数形成されていた.組織学的に著明な過角化と乳頭状の表皮肥厚を認めたが,基底層は保たれており,真皮への浸潤は認めなかった.基底層に細胞分裂像が散見されたが,構成する細胞の異型性は明らかでなかった.epithelioma cuniculatumと診断し,1cm離して拡大切除を行った.一般に本症はverrucous carcinomaの一型とされるが,自験例では有棘細胞癌の絶好の発生母地になりうる増殖性病変として位置付けるのが適当と思われ,本症を幅広い概念をもつものととらえた.

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51歳,女性.乳癌の切除術後に化学療法が施行され,同療法の3クール目の開始22日目に,四肢に数mm大の紅斑性丘疹が出現した.病理組織学的所見では,真皮上層の血管周囲に単核球の浸潤を認め,表皮内への単核球の浸潤も認めた.皮疹はステロイド剤の内服により約1週間で軽快した.皮疹の出現時期が末梢血中のリンパ球数の回復時期と一致したことや,病理組織学的所見などから,本症例をcutaneous eruption of lymphocyte recoveryと診断した.本症は,血液腫瘍に対する化学療法の経過中に出現することがほとんどで,血液腫瘍以外での報告例は,海外も含めて本症例が2例目である.

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48歳,女性.両下腿に浸潤を触れる圧痛,自発痛のある結節性紅斑様皮疹がみられた.末梢血中異型リンパ球が9%,末梢血のサザンブロット法により,human T-lymphtropic virus typeⅠのプロウイルスDNAのモノクローナルな取り込みを証明した.胸水がみられ急性型成人T細胞性白血病・リンパ腫(adult T-cell leukemia/lymphoma:ATLL)の診断基準を満たしていたが,7か月間明らかな進行はみられなかった.下腿の皮疹には異型リンパ球の浸潤がみられ,PCR法によりHTLV-ⅠのプロウイルスDNAが陽性であることから腫瘍細胞の皮膚浸潤によるものと思われた.ATLLによる皮疹が結節や腫瘤でなく浸潤のある紅斑である場合は,皮膚型ATLLと同様に,急性型であっても自験例のように進行が遅いこともあると考えた.

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53歳,女性.30歳頃より右瞳孔が散大し,眼科にて両側の対光反射,近見反射の消失を認めたことから緊張性瞳孔と診断された.50歳頃より,特に左半身の発汗低下を自覚し,毎年夏期に仕事中に39℃台までの発熱を繰り返すようになった.深部腱反射は消失し,温熱発汗試験では特に左半身の発汗低下がみられ,アセチルコリン皮内注射では発汗は誘発されなかった.発汗の著しく低下した左頸部と比較的発汗の保たれている右頸部の皮膚生検での比較では,両側とも真皮上層の血管周囲性に軽度のリンパ球浸潤を認め,汗腺は左頸部で萎縮していた.左腓腹神経生検の電顕標本にて無髄線維の密度は減少していた.

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79歳,男性.2000年7月頃,前頭部の無症候性紫紅色皮疹に気付いた.その後,次第に左頭頂部に拡大した.2000年10月24日の皮膚生検で血管肉腫と診断され,当科に入院し全身検索した.転移巣はなく,腫瘍切除後にIL-2の動注および電子線照射を行い,腫瘍の再発なく退院した.しかし,退院後,左頭頂部,側頭部に暗赤色皮疹が再発したため,再入院し,電子線照射療法,IL-2局注療法,小線源療法を施行した.その後は左頭頂部を中心に紫紅色斑やびらんの形成がみられているためIL-2局注療法を継続しているが,発症後約1年後も遠隔転移を生じていない.IL-2が維持療法として有効であると思われた.

基本情報

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臨床皮膚科
58巻4号 (2004年4月)
電子版ISSN:1882-1324 印刷版ISSN:0021-4973 医学書院

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