日本看護倫理学会誌 9巻1号 (2017年3月)

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 第8回年次大会長を務めさせていただいてから未だ1年半余りしか過ぎていないのに、随分以前の出来事のように思える今日この頃である。ただし、大会テーマとした「看護実践が体現する看護倫理の真髄」で、自分なりに調べると多くの気づきを得た事実だけは、今も心の奥底に根づいており、関連する出来事や情報に対しては強く反応している。その一つが、「倫理観の欠如が嘆かわしい」と題した社説(読売新聞、2016年10月31日)である。精神医療への信頼を失墜させる事態であるとして、「厚生労働省が、計89人の精神科医について、精神保健指定医の資格取り消し処分を決めた。—中略—専門性と共に、高い倫理観を備えていなければならない。だが、実態はかけ離れている。—中略—身体の拘束をも可能にする強い権限を指定医は有する。責任を自覚し、襟を正さねばならない」と論じている。2015年9月3日(読売新聞)報道では、「医の倫理の」欠如に警鐘という大見出しで、「今年度の新聞協会賞(編集部門)受賞が決まった読売新聞の『群馬大病院での腹腔鏡手術をめぐる一連の特報』(2014年11月14日朝刊など)は、—中略—先端医療の推進の陰で、安全性の担保と倫理の尊重がおろそかになっていることが浮き彫りになり、関係機関や医療現場が改善に動き始めている」と書かれていた。世論を沸かせた事件であった。これらの出来事・事件を医師の問題として横目で見過ごしてはいけないと強く考えさせられた。医師も看護師も、人権と生命に関わる専門職者として、常に人格と倫理観が問われる。人格と倫理観と二つの事柄のように並べているが、この二つは、一体となって、その人(個人)の、専門職者としての資質とならなければならないものである。臨床現場で、医師として、看護師として、自己の専門能力を発揮する医行為、看護行為においては、人格と倫理観が一体化された存在として、体現されなければならない。しかし、現実が示す倫理に関わる事件や出来事は、ひたすら倫理観の問題として取り扱われることになる。

 ナイチンゲール誓詞を唱えて戴帽し白衣の天使と呼ばれた看護婦が、男女共同参画社会にあって、看護師となり、色とりどりの白衣・勤務衣をまとって、ベッドサイドで、外来診療の場で、あるいは訪問看護の場で活躍するのが現代である。人間の本性は善であり、仁・義を先天的に具有すると考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の性善説は、現代社会にあっては通じないのかもしれない。つまり、対立する荀子の人間の本性は悪であるとし、礼法による秩序維持を重んじるとする性悪説が理に適っていると言えるのかもしれない。とすると、看護学教育の問題に行き着くことになる。

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 看護学が生来的にもっている規範および倫理の課題を明らかにし、その発展に有効な倫理理論選択への示唆を得ることを目的とした。Notes on Nursingにおけるoughtを用いた記述から、ナイチンゲールの認識に基づく八つの看護の規範が導出された。さらにそれらは行動的規範と、認識的規範に分類された。行動的規範はナースの行為に関する規範で、生命倫理の原則の一部が含まれていた。認識的規範は、科学的認識や管理的認識を含むナースの専門性に関する認識であり、ナースの行為の根拠となるものであった。しかし、道徳的行為の根拠となる倫理的思考法の原型は認められなかった。さらに、規範とlawとの関連は、ナースが神の法則に従いながらも健康を実現するために自律した管理行動をとることを示していた。徳倫理には司法看護領域に適用困難があり、義務論を許容する現代功利主義を検討の視野に入れることも必要と考えられた。

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 本研究は、入院患者の尊厳を測定する患者尊厳測定尺度日本版(J-PDS)を開発し、信頼性・妥当性を確認することを目的とした。文献検討と患者尊厳測定尺度国際版で用いた調査票の翻訳により尊厳の期待度と満足度を測定する35項目の日本語版調査票を作成し、14施設の入院患者を対象に質問紙調査を行った。307部の回答を得た(回収率47.5%、有効回答率99.7%)。項目分析および探索的因子分析の結果、期待度は5因子21項目、満足度は3因子21項目が抽出された。Cronbach's α係数は期待度で0.92、満足度で0.94であった。ローゼンバーグ自尊感情尺度と一部の因子の間に有意な相関を認めた。確証的因子分析ではCFIが期待度で0.90、満足度で0.91というモデル妥当性を示した。以上よりJ-PDSは一定の信頼性と妥当性を備えた尺度であることが確認された。

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 目的:看護管理者の臨床倫理ガイドライン導入の取り組みと、ガイドライン導入による看護管理者やチームの認識や行動の変化を明らかにする。方法:臨床倫理ガイドライン試行に参加した看護管理者10名を対象者とし、半構成的面接で得たデータを質的帰納的に分析した。結果:対象者の導入の取り組みと対象者が認識した変化として【導入に対する管理者の意識】【管理者が行った導入のための段取り】【管理者からスタッフへの働きかけ】【ガイドラインの活用方法】【管理者・チームの変化】の5カテゴリーが見いだされた。考察:臨床倫理ガイドラインには看護職に重要なことを想起させるreminderの機能や、日々のケアの振り返り、道標としての機能を有することが示唆された。また、導入により対象者やチームの倫理的感受性の向上や行動の変化があったと考えられた。チーム全体で倫理を中心に考えるために看護管理者が意思表明をする重要性が示唆された。

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 本研究は、整形外科の臨床場面で個人に委ねられている身体抑制を開始する際の判断基準の曖昧性を改善し、不必要な身体抑制をなくす対応を検討する際の基礎データを得るため、整形外科疾患をもつ高齢者に看護師が身体抑制を開始する際にどのような要件を判断材料としているのかを明らかにすることを目的とする。研究方法は、整形外科病棟に勤務している看護師に、無記名自記式質問紙調査による横断調査を実施した。身体抑制を行う際の悩みの程度で「高悩む群」と「低悩む群」に分類し、Mann-Whitney U検定で2群比較を行った。身体抑制の判断要件は「点滴・ドレーン類を自己抜去する」「ベッドから転落する」「尿留置カテーテルを自己抜去する」であった。「低悩む群」は、予防的に身体抑制を行う傾向にあった。点滴やドレーン類、尿留置カテーテルを早期に抜去し、せん妄や転倒転落ガイドラインでアセスメントを強化することが、身体抑制をなくす対応につながると示唆された。

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 本研究の目的は、東日本大震災後に派遣された災害支援ナースが支援活動時に感じた倫理課題を明らかにし、事前準備について考察することである。各都道府県看護協会から派遣された支援ナース850名を対象に2014年1月に自記式質問紙調査を実施した。返信346通中、倫理課題を記載していた201名の記述259個を帰納的に分析し、「平常時とは異なる看護実践への葛藤」「平常時なら可能な治療やケアの提供不能」「プライバシーの尊重が困難」「感染予防対策の実施困難」「資源配分・物資配布方法の未整備」「被災地における格差」「派遣元の求めに応じることの苦しさ」「派遣元の方針が不透明」などの16カテゴリに分類できた。支援ナースへの派遣前の準備として被災地の環境や自己完結型支援の特徴、他支援者との連携も含む実践がイメージできる研修、活動終了後のフォローアップなどにより、支援活動における葛藤や戸惑いを減らせる可能性が示唆された。

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 本稿の目的は、看護研究倫理支援の一端として行った交流集会で得られたデータから、研究者や研究を支援する人々の研究倫理に関する疑問や悩み、研究倫理教育に関するニーズについてまとめ、研究倫理の基本理念や既存の指針などに基づき研究倫理支援のあり方、特に教育に焦点を当てて考察するものである。交流集会参加者は、「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」の理解、倫理審査に係る手続きや審査申請の基準について、またインフォームド・コンセントについて学ぶことを期待していた。研究倫理に関する疑問や悩みは、「研究倫理審査委員会の運営に関すること」、「倫理審査の申請手続きに関すること」、「研究の倫理的妥当性について」、「インフォームド・コンセントに関すること」、「データの取り扱いおよび研究利用について」、そして「研究支援や相談窓口に関すること」であった。また、交流集会で試みた対話も、研究倫理教育には効果的であることがわかった。段階的および継続的な教育、対話の機会提供、研究倫理相談窓口等の設置などが今後の課題として示唆された。

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1 .はじめに

 医療技術が進歩し、延命治療が可能になった現代において、治療を選択する意思決定は困難を増している。高齢化が進んでいるわが国では特に、高齢者の透析導入・中止をはじめ、胃瘻造設による延命は適切かなどという問題がよく話題に上る。このような意思決定場面に直面させられたとき、患者・家族はもちろん、医療者ですら、そこに明確な答えを示すことは不可能である。医療上の意思決定に関しては、近年重要視されている自己決定権の尊重に基づき、最終的な意思決定は患者とその家族の意向に任せられる。一方で、医療上の意思決定は、不確実性を伴うものであり、患者とその家族の判断だけでは困難なことが多く、医療者と患者とその家族が共同で行うことが望ましいと指摘されている1。先述したとおり、医療現場における意思決定は、生命予後を左右するものや、患者とその家族の後の人生に大きく影響することが多く、医療者は、非常に重要な、他者の意思決定に深く関与しなくてはならない。そのため、医療現場のさまざまな事象において、医療者は高い倫理観をもち対応することが強く求められている。

 厚生労働省2は2011年に、看護基礎教育の充実に関する報告書の中で、基礎的な看護実践能力の中に「倫理的な看護実践の提供」という指針を示している。日本看護協会3も2000年のICN看護師の倫理綱領に照らし、2003年に「看護者の倫理綱領」を示し、その普及に努めている。それに応えるべくほとんどの養成機関が、倫理を基礎教育科目として教授している。水澤4の1,746名の臨床看護師を対象とした調査によると、1968年の指定規則改正以降看護倫理という科目名称がなくなった後も、67.6%の看護師が看護基礎教育機関で倫理を学んだ経験があると答えていることから、倫理教育の重要性は認識されているといえる。一方で、倫理に関する知識の程度に関しては、91.1%の看護師が「全く知識がない」「あまり知識がない」と答えている4ことから、看護基礎教育における倫理教育が十分な成果を得ていないことも推測される。さらに鈴木5は、一つの教育機関において倫理的態度を学生の中に育てていくにあたっては、教育する側が、どのような考えで教育を行うのか、教員間の十分な議論から始める必要があるとの指摘もしている。効果的な倫理教育を行うためのストラテジーを確立するために、看護倫理教育を再考する必要があるのではないだろうか。

 白浜6は「医療職に必要な倫理観や倫理的感受性」とは、「日常の臨床の現場で生じている倫理的な問題を認識し、分析し、対応していく能力」としている。また、Fry7は看護師にとって倫理を学ぶことは、看護師が道徳的であるための能力を養うためのものでもあると述べている。Lützenら8は1994年にmoral sensitivity test(以下、MST)という尺度を開発し、看護師の道徳的感受性が測定できるようにした。それを、中村ら9が日本語版に開発し、看護師や看護学生を対象に調査されている。このように倫理的感受性と道徳的感受性が、倫理観を育成するためのキーワードとなっているが、これら二つの概念を明確に区別した研究はない。

 本稿の目的は、道徳的感受性と倫理的感受性の意味について、先行文献を基に検討し、看護師に求められる倫理的能力を育成するために、看護基礎教育ではどのような内容が必要なのか、また、これらを高めていくことはできるのか、ということについて、考究することとする。

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1 .はじめに

 臨床に身を置いている看護職は日々さまざまな悩みや葛藤に苛まれている。「私はどう行動すべきだろうか?」「大切なのはどちらだろうか?」「何を優先したほうがよいのだろう?」このような悩みや葛藤を解決するのに役立つのが看護倫理であり、看護倫理の知識や倫理的思考がこれらの悩みや葛藤をよりよい解決に導く。看護倫理の知識や倫理的な思考を学んだだけでは役に立たず、実践の学問である看護倫理は実践でこれを活用してこそ、その利益を享受できるのである。

 しかし、この「知識を実践で活用するプロセス」はそのプロセスを進める当事者の思考過程でのみ存在するために当事者以外の目に触れることはない。この思考過程が可視化され共有されればその経験のない人でも解決策を導く一助となり、なにより実践知を蓄積することで看護倫理の発展にも大きく寄与すると考えられる。「看護倫理の成長を促す大事な要因に、『考える』『論じる』『対話』がある。この学会誌の「レター」はそのための場としてつくられた」と小西1が述べているように、この倫理的思考プロセスの可視化と共有、蓄積には無限の可能性があり、その共有の場として日本看護倫理学会誌のレターが準備されているのである。

 翻って日本看護倫理学会の会員数とレターの投稿数をみると、会員数の増加とは裏腹に投稿数は伸び悩んでいる(表1)。

 本学会は、「看護倫理の知の体系化をめざし、看護倫理に関心をもつ実践者・研究者・教育者の交流を支援するとともに、看護倫理に関する政策提言を行うことを目的」としており、学会誌は知の体系化と実践者・研究者・教育者の交流の要と言っても過言ではない。その目的達成のためにもレターをはじめとする論文投稿数を増やすことは喫緊の課題である。

 投稿数が伸び悩んでいる要因として、本学会の会員は臨床に身を置く実践者が多く、論文作成という特殊なプロセスに馴染みがない会員が多いことが挙げられるかもしれない。さらに、論文の投稿に馴染みがないと査読のプロセスがわからず自分の論文がどう扱われるのか不安を感じる可能性もある。そこで、投稿プロセスを可視化し、査読の過程で編集委員や査読者として投稿された論文にどう向き合っているのかを情報提供したい、また、看護倫理学では実践者が実践知を学会誌に投稿することにこそ意味や価値があることを示したい、さらに、投稿を考えている人の生の声を聞いて論文投稿の環境改善に役立てたいとの想いから、日本看護倫理学会第9回年次大会にて「文章を書いてみよう!論文を書いてみよう!学会誌に投稿してみよう!」という交流集会を企画した。本稿では、参加者から好評であった交流集会の内容をさらに広く知ってもらうために内容を再構築し、会場から出た意見とともに紹介する。

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1 .はじめに

 日本においては医療の高度化とともに医療者側に求められる患者のニーズが高まり、医療技術や専門知識の向上のみならず、倫理的に判断し対応することが求められている。また、臨床の現場では、疾患以外にも価値観の多様性が招く医療従事者や患者・家族の考えの相違、患者の生活背景など複雑な問題が絡み、医師や看護師など各職種が単独で医療・看護を実践するには限界が生じている。その対策の一つとしてチーム医療が推進され、多職種が専門性を発揮しながら協働して医療の質を高める取り組みが実施されている。

 しかしながら、先行研究では、看護師は医師との関係性において倫理的ジレンマを感じていることが報告されており、倫理的ジレンマがチーム医療実践における妨げとなっていることが懸念される。医師と看護師間、または医師と患者・家族間における意見の不一致、医師の協力体制の欠如、医師が看護師の意見を受け入れないなどの倫理的ジレンマが生じることで、看護師は医師や患者・家族の間で葛藤しながら診療の補助業務や日常生活の援助にあたらなければならず、そのような状況下では、看護師の役割を十分に発揮することは難しい。専門職間の関係性に対する倫理的ジレンマを最小限にとどめ、職種間での良好な関係性を築くことがチーム医療を推進していくうえで重要であり、質の高い医療・看護を提供することにつながると考える。

 先行研究では医師の倫理に関する研究は報告されているが、それらは、医師の倫理観や教育システムの調査を基に、倫理教育の課題と今後の取り組みを検討した内容や、倫理的に慎重に対応すべき終末期や救急時の治療に関する事例を検討した内容が主であり、医師がどのような場面で倫理的ジレンマを感じ、そのときの思いはどうであったのかの詳細を明らかにしている研究は見当たらない。そこで、筆者らは、よりよいチーム医療と患者ケアの実践のために、医師がどのような倫理的ジレンマを経験しているのか、倫理的ジレンマをどのように対処しているのかについて調査を行った。その結果、10のカテゴリーが示され、そのうち上位6が関係性によるものであった。今回、関係性における医師の倫理的ジレンマについて、医師の語りを中心に報告する。

日本看護倫理学会第9回年次大会 会長講演

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1 .はじめに

 人口の高齢化が急速に進むなか、団塊の世代が75歳となる2025年を目処に都道府県ごとの病棟再編成、地域包括システムの構築が急ピッチで進められており、病院や地域においては患者の意向に沿った意思決定支援の充実が急務となっている。しかし、ここにきて医療システムの中で看護師が患者を人として尊重することや患者の権利や利益を守るためにアドボケイトの役割を発揮しようとすると、医療システム内における看護師の忠誠や責任の矛盾から生ずるジレンマを感じる機会が急速に増加しており、苦渋の決断を強いられることが多くなっている。このような状況をどうすれば解決することが可能なのか。これが本大会テーマを「看護における“アドボカシー”を問う」とした理由である。

日本看護倫理学会第9回年次大会 基調講演

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 アドボケート・アドボカシーとは、ラテン語の「Adovocatus」が語源で、「(傍らへと)よび出された者」という意味である。看護師が自立した専門職として新しい役割を担うことになって、アドボケートという隠喩のもとに医療提供者の側から、医療を受ける側に重点を置くようになった。すなわち看護師の役割にはアドボケートは本来備わったものなのだ(ヘルガ・クーゼ 1996)1。ともすれば弱い立場に置かれがちな患者・家族の傍らにいる、あるいは寄り添うというケアのあり方は、アドボケートとしての役割そのものである。

日本看護倫理学会第9回年次大会 招聘講演

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 看護師は多くの場合、倫理は日常業務に直接活用できないと考えており、抽象的・学問的なものと捉えている。また、倫理の言葉や専門用語は、自分たちからは遠いものと認識し、実践で体験するごく普通の問題や、自分たちの判断や行いが正しいだろうかという悩みを言い表す言葉ではないと思っていることも多い。さらに、たとえ倫理について考える場合でも、看護における倫理的な問題や倫理的責任はわれわれの文化に特有なものであり、他国の看護師が抱えるものとは別の類のものであると考えている。本講演では、看護実践の倫理に関わるこれらの問題をまず取り上げる。すなわち、倫理は、(1)実用的ではなく抽象的なものと捉えられている、(2)現実の事柄を言い表す言葉ではなく遠くにあるものと捉えられている、および、(3)普遍的ではなく文化固有のものであると認識されている、の三つである。しかし、これらの三つは、次の四つ目の問題の単なる背景であるとも考えられる。その四つ目の問題とは、「生命倫理」全般、および特に「看護倫理」において、概してドラマチックで大きな倫理的ジレンマが取り上げられ、そのせいで、「倫理には正しい答えは存在しない」という考え方がささやかれている、ということである。本講演で私が便宜上「ネオン倫理」と名付けているこうした倫理が示唆する内容のせいで、解決が極めて困難で、分別ある人にとんでもないと思わせるような、話題性に富む倫理問題に関心が向けられている。このような派手な倫理に代わり、私は、まじめな看護師がいつも直面する「日々の倫理」に目を向ける。日々の倫理が扱うのは、障害をもつ患者の自己概念の再構築をどう手助けすればよいか、患者とその家族との間の緊張状態にどう関わることができるのか、あるいは、医師の指示が患者によくないと思われるとき、看護師はどう対処したらよいか、などである。最後に、倫理的な看護実践が試される世界共通の問題として、いわゆる看護師の「板ばさみ状態」を、問題の五つ目として取り上げる。これは、患者が求めること、患者の家族が望むこと、師長や同僚が考える「看護師としてなすべきこと」、また患者を診る医師が指示し期待することが相対立し、看護師はそれらの板ばさみになる、という問題である。そのような状態にある看護師は悲惨な立場に置かれていると思われがちだ。しかし実際には、こういった対立による板ばさみから絶対に逃れられないのは患者である。患者に今後どのようなことが起こるかを決める人々の間で意見が対立するという状態は、患者にとっては本当に恐ろしいことである。しかし幸いにも、患者には自分とともに板ばさみになってくれる看護師がいる。患者にとって、看護師はいつもそばにいて、擁護し、安楽を気遣い、ケアしてくれる人である。患者の病状の判断をし、処置をし、環境を整える、そういう日々の世話をしてくれる存在である。おそらく、患者を真にケアしようとするならば、「板ばさみ状態にある看護師」こそが最善の(またある意味では最も強力な)立ち位置にあるのである。

日本看護倫理学会第9回年次大会 教育講演

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1 .倫理とは

 職業団体の定める倫理綱領は、その職業にこれまで就いてきた人びとが自ら定めたものである。したがってそこには、自分の仕事をどのような仕事として考えているかという自己認識が反映している。医療職のなかで最初に倫理綱領をもったのは医師で(紀元前4世紀の「ヒポクラテスの誓い」)、次が看護師である(19世紀末の「ナイチンゲール誓詞」)。後続の各種療法士の倫理綱領が医療チームの和を強調するのに比べて、看護師の倫理綱領は専門職としての責任を強調している。日本看護協会の「看護者の倫理綱領」第6条は国際看護師協会の「看護師のための倫理綱領」第4条「看護師は、一緒に働いている人たちや他の人たちによって個人、家族、コミュニティの健康が危険にさらされているとき、人びとを守るために適切な行動をとる」を参照して定められたものだろう。これは、看護師は誰よりも、ほかの医療職よりも率先して患者の側に立つという宣言である。看護師のこの自己理解は1970年代にできた。患者のアドボカシー、つまり看護師は患者の思いを患者に代わって訴える者、伝える者であるとする考えは、この精神を受け継いでいる。

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 「地域」という言葉からは、そこで暮らす人々や場の“拡がり”、あるいは“つながり”が想像される。本来、地域にはそういう意味が包括されているのであろう。だが、わざわざ地域「連携」や地域「包括」という言葉を用いなければ、地域内が分断され、人々の生活が阻害されていく。そのような危うさをもつのも、「地域」なのであろう。このシンポジウムに登壇してくれた3人の看護師たちは、その危うさを受け止め、患者から学び、地域の間隙を埋めるための活動に邁進していた。

 番匠氏は、急性期病院から地域に戻る患者には三つの壁があるという。それを踏まえ、壁を低くする仕組みの一つとして、訪問看護師が院内に出入りできるようにしたことが紹介された。堀内氏は、自身が運営するグループホームでは、入居者をケアする人たちと入居者は、横並びの関係であることを強調された。その入居者たちの健康管理のためには、外部機関との普段からのつきあいが大切であることを例示された。野口氏は、かつて訪問看護師として活躍し、現在は院内で退院調整の任にある。その経験を活かし、Advance Care Planningによって、つなげることのできる最善のケアを保証していることを話された。

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 看護職は患者の価値観を日々の関わりの中で聴くことによって把握し、それに基づいてアドボケートすることの重要性は認識しているものの、傾聴というコミュニケーションスキルの真髄を学ぶ機会に恵まれず、適切に活かせないでいることが多い。

 患者の生きる力が湧くような傾聴とは、どのように聴くことであろうか。看護師による患者のアドボケートにおける傾聴の基本とその極意を紐解くことを目的に、本シンポジウムでは、患者をアドボケートするための傾聴の在りようについて、各領域における専門家によって基本事項およびその極意について語っていただき、会場の参加者との討論によって考察を深めることとした。

基本情報

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日本看護倫理学会誌
9巻1号 (2017年3月)
電子版ISSN: 印刷版ISSN:1883-244X 日本看護倫理学会

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