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- Abstract 文献概要
第8回年次大会長を務めさせていただいてから未だ1年半余りしか過ぎていないのに、随分以前の出来事のように思える今日この頃である。ただし、大会テーマとした「看護実践が体現する看護倫理の真髄」で、自分なりに調べると多くの気づきを得た事実だけは、今も心の奥底に根づいており、関連する出来事や情報に対しては強く反応している。その一つが、「倫理観の欠如が嘆かわしい」と題した社説(読売新聞、2016年10月31日)である。精神医療への信頼を失墜させる事態であるとして、「厚生労働省が、計89人の精神科医について、精神保健指定医の資格取り消し処分を決めた。—中略—専門性と共に、高い倫理観を備えていなければならない。だが、実態はかけ離れている。—中略—身体の拘束をも可能にする強い権限を指定医は有する。責任を自覚し、襟を正さねばならない」と論じている。2015年9月3日(読売新聞)報道では、「医の倫理の」欠如に警鐘という大見出しで、「今年度の新聞協会賞(編集部門)受賞が決まった読売新聞の『群馬大病院での腹腔鏡手術をめぐる一連の特報』(2014年11月14日朝刊など)は、—中略—先端医療の推進の陰で、安全性の担保と倫理の尊重がおろそかになっていることが浮き彫りになり、関係機関や医療現場が改善に動き始めている」と書かれていた。世論を沸かせた事件であった。これらの出来事・事件を医師の問題として横目で見過ごしてはいけないと強く考えさせられた。医師も看護師も、人権と生命に関わる専門職者として、常に人格と倫理観が問われる。人格と倫理観と二つの事柄のように並べているが、この二つは、一体となって、その人(個人)の、専門職者としての資質とならなければならないものである。臨床現場で、医師として、看護師として、自己の専門能力を発揮する医行為、看護行為においては、人格と倫理観が一体化された存在として、体現されなければならない。しかし、現実が示す倫理に関わる事件や出来事は、ひたすら倫理観の問題として取り扱われることになる。
ナイチンゲール誓詞を唱えて戴帽し白衣の天使と呼ばれた看護婦が、男女共同参画社会にあって、看護師となり、色とりどりの白衣・勤務衣をまとって、ベッドサイドで、外来診療の場で、あるいは訪問看護の場で活躍するのが現代である。人間の本性は善であり、仁・義を先天的に具有すると考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の性善説は、現代社会にあっては通じないのかもしれない。つまり、対立する荀子の人間の本性は悪であるとし、礼法による秩序維持を重んじるとする性悪説が理に適っていると言えるのかもしれない。とすると、看護学教育の問題に行き着くことになる。
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