精神医学 51巻3号 (2009年3月)

巻頭言

DSMについて 塩入 俊樹
  • 文献概要を表示

 なぜDSMの話をするかというと,DSMを20年以上にわたって大学病院などの研究医療機関において日常臨床の場で綿密に使用し続けてきた経験を持つ精神科医は,わが国では稀有な存在ではないかと思うからである。

 私は1987(昭和62)年に医師となったので,現在22年目の精神科医である。当時は入局1年目から大学院へ進学できたために,医者1年目から研修医と院生という二足の草鞋を履くこととなった。私が入局した母校の滋賀医科大学では,すでにDSMが日常臨床で当たり前のように用いられていた。というのも,今も私の部屋の本棚にある1982年3月初版のDSM-Ⅲの訳本(「精神障害の分類と診断の手引」,医学書院,以下“手引き”)は,初代教授であった高橋三郎先生が中心となり翻訳されたものだったからである。とはいっても当時DSMを用いて診断をしている施設はわが国ではまだ皆無であったので,出張先の病院では従来診断を教えていただき,大学ではDSMを学ぶといった,診断学的にも二足の草鞋(?)となった。そして結果的には,この両方向性が私の診断能力の向上に非常に役に立ったと思っている(後述)。

特集 社会脳をめぐって

こころと脳 丹羽 真一
  • 文献概要を表示

はじめに

 医学の一分野としての精神医学の立場からすれば,こころとは脳の機能の結果生ずるものであるという考え方はアプリオリに承認されているといってよい。そこでは,脳の現象とこころの現象とは並行関係にあると理解される。すなわち,脳の現象の結果としてこころの現象が生ずるが,脳の現象を理解すればこころの現象のすべてが理解できるというものではなく,そこには現象が生じるレベルの違いがあって,こころの現象を理解するには脳の現象を理解することに加えて,その個人を取り巻く家族,職場,地域,文化など広い意味での社会環境と個人との相互作用を理解しなければならない,と考えられる。

 ここでは,こころを生み出す脳の側面に焦点を当てて述べることとする。こころが生み出されるうえでは,自己と他者と環境とが脳に認識されていなければならない。このうち自己と他者を認識し,社会環境と個人との相互作用を媒介している脳の働きが「社会脳」と言われるものであろう。社会脳とは他人のこころがわかる(他者認知)ための脳基盤であると同時に,自分がわかる(自己認知,セルフ・アウェアネス)ための脳基盤である。

 社会脳という用語自体は,脳の発達,知性の発達の原動力をめぐって,Humphreyという心理学者が,人間の高度な知的能力は複雑な社会的環境への適応の結果として進化してきたものという考え方から,社会知性説を提唱したことに始まるとされる。その後,Byrneらが社会知性の「社会的・権謀術数的な駆け引きの能力」という側面を強調する「マキャベリ的知性」と呼んだが,マキャベリ的というと自己の利益のために手段を選ばず行動するというイメージとなるが,それは進化に関する仮説すなわち「生物個体は必ずしも個体単位で利己的なわけではない」という考え方と合わない印象を与えることから,Dunbar2)が脳の進化について用いた社会脳仮説(social brain hypothesis)という命名から社会脳(social brain)という用語が好んで用いられるようになったものと思われる。

 ここでは社会脳の構成要素である他者認知と自己認知に共通する表象の表象,すなわちメタ表象とその脳基盤についてまず触れた後に,他者認知と自己認知の脳基盤について触れ,こころの発生における社会脳の位置づけを述べる。

社会脳の研究動向 村井 俊哉
  • 文献概要を表示

はじめに

 筆者自身の経験では,10年ほど前にはまだ,社会認知(social cognition),社会脳(social brain),社会神経科学(social neuroscience)という言葉は耳慣れない用語だった。情動的表情認知と扁桃体の関係など,実質的には社会認知,社会脳を扱う研究にかかわっていても,まだそれらの研究は,情動の神経心理学などとして扱われていたように記憶する。

 用語の問題だけでなく,これらのテーマに対する研究者の姿勢も随分変化してきたように感じる。10年ほど前は,社会認知のような曖昧なものを扱うことへ慎重な意見が,筆者の実感では大勢を占めており,社会認知の障害という角度から症例を報告しても,そのような曖昧な対象を論じる前に記憶・視知覚などの基本的な認知機能の障害を徹底的に押さえるべきである,といった慎重な意見も多かったように記憶している。

 しかし最近では,社会脳,社会認知という概念は神経科学領域で十分な市民権を得,それに伴って,精神医学領域でも非常にポピュラーな概念となってきた。学会などの議論でも,慎重論よりも楽観論のほうが大勢となってきているように感じる。

 本稿では,10年前の状況をまとめた社会認知・社会脳に関する代表的なレビュー論文1,2)を出発点とし,その後に出版された膨大な研究の中で,初期に提案された社会認知・社会脳の諸構想がどのように変遷してきたのかをみていくこととしたい。

  • 文献概要を表示

はじめに

 「自己と他者」という概念には,わかるようでわからない,曖昧なところがある。

 自分の身体,自分の顔,自分の名前は明確に他者の身体,他者の顔,他者の名前,と区別ができる。その区別ができなくなったら大きな問題だし,そういう意味で自己と他者を区別する能力というものが脳に存在することは,誰もが認めるであろう。

 では,「自分の家族」とか「自分の友人」はどうであろうか。「自分の」というのだから「自己」の側にいるのかもしれないし,明らかに自分とは異なる人格を指しているのだから「他者」なのかもしれない。この「自分の家族」や「自分の友人」を,そうでない人々と区別する能力は,自分の身体や顔や名前を他者のそれと区別する能力と,やや趣が異なりそうだ。

 さらに,こちらはどうだろう。多くの若者が「本当の自分」がわからないことに焦り,本当の自分を探すために,(多くの場合比喩的な意味で)旅に出る。若者が見失ったり,発見したりする「本当の自分」とは,いったい何なのか。この意味での「自己」に相対する「他者」とは何なのか。この意味で自己と他者を区別する能力について考えるためには,また別の考え方が必要そうである。

 このように「自己と他者」は,少なくとも単一の明確に定義できる概念ではない。そのこと自体は,心理学・哲学では昔から自明のことで,多くの論者が複数の「自己」や「自己と他者の区別」(の概念)について,盛んにそれぞれの立場と動機でさまざまな分類・モデルを提唱してきた6)。その数多くの分類・モデルそれぞれは,それぞれの立場で合理的であり,合目的的である。しかし筆者が,神経科学や認知科学の研究者という立場で脳内基盤を研究する目的で眺めたとき,「自己」や「自己と他者の区別」という概念を包括的に明確に解剖した分類・モデルは(筆者の知る限り)いまだ確立されていない。

 本稿で筆者は,脳機能画像研究者としての立場から,「自己と他者の区別」の脳内基盤を解明する目的で,「自己と他者」の多因子モデルを提案する。脳機能画像研究者の立場で「自己と他者の区別」の脳内基盤を解明するということは,「自己と他者の区別」を実現する脳内情報処理をできる限り明確に定義し,これに関与する脳領域あるいはその複数の脳領域で構成される脳ネットワークを明らかにするということである。したがって,ここで提案するモデルは,次の3つの条件を満たしている必要がある。まず,①「自己と他者の区別」を独特の脳内情報処理として定義・説明できなければならない。それから,②その情報処理能力が特定の神経基盤に依存している必要がある。この2つは具体的には,中枢神経系の障害(できれば特定の脳領域の損傷)によってその脳内情報処理能力が特異的に欠落している(と考えられる)例を挙げられること,で同時に満たされる。そして,③脳機能画像実験の課題操作でその情報処理を作動させたり,抑制したりすることが可能,あるいはその情報処理能力の個人差を定義し,なんらかの心理測定法で量的評価ができること,が必要である。

 これら3つの条件は,精神疾患の臨床と相性がよい。精神疾患の症状・障害の多くはなんらかの意味で「自己と他者の区別」の障害としてとらえることが可能である。条件1と2を満たすモデルがあれば,とらえどころのない精神疾患の症状・障害を,脳内情報処理能力の欠落/低下の概念で明確に定義・説明することができる。また,症状・障害の原因となる神経基盤から,その分子基盤(障害の原因となっている蛋白や遺伝子)を特定できる可能性が出てくる。そして条件3を満たせば,脳機能画像を用いた診断の可能性が出てくる。

 筆者は,これまで自己顔認知の脳メカニズムについて,脳機能画像を用いた研究を行ってきた。その中で,自分の顔の認知に特異的な認知処理が単一の脳内情報処理や脳ネットワークでは説明できないことを実感した。「自己」について神経科学的に説明するためには,より包括的な「自己と他者の区別」の多因子モデルが必要であると確信するに至った。本稿では,まずこれまでの自己顔認知研究のあらましをまとめ,そのうえで現在筆者の妄想する「自己と他者」の多層性モデルを説明し,最後に「自己と他者」をめぐる脳画像研究の今後について述べる。

社会脳の発達と自閉症 千住 淳
  • 文献概要を表示

脳機能の発達:氏か育ちか

 発達研究のかかわる諸分野における古くからの問題の1つとして,「氏か育ちか(nature vs. nurture)」に関する議論がある。もちろん,遺伝子の発現は体内・体外環境からの寄与や制御を受けるため,端的には「氏も育ちも重要」というのが妥当な答えであろう。しかしながら,特に個体の行動や認知の定型・非定型発達について考えるうえで,氏(または生得的な要因)と育ち(または誕生後の環境要因)がどのように発達に寄与するか,という点は依然として重要な問題である。

 社会脳など,特定の情報処理に特化した脳機能が発達するメカニズムとして,これまでに数々のモデルが呈示されてきた。これらは,大きく①氏を重視する立場(モジュール説,modular theory),②育ちを重視する立場(熟達説,expertise theory),および③それらの相互作用を重視する立場(IS説,interactive specialization theory)の3つに分けて考えることができる14)

  • 文献概要を表示

はじめに

 “社会脳(social brain)”や“心の理論(theory of mind;ToM)”は,脳科学の発展とあいまって,注目を集めているテーマの1つである。しかし,現在までに知られている脳画像などを用いた研究の結果は,首尾一貫したものとは言いがたく,さまざまな議論が展開されている分野でもある。

 本稿では,社会脳,ToMさらにはこれらと深い関係を持つとされるミラーニューロンシステム(mirror neuron system;MNS)に関して紹介する。さらに筆者らが,“寛解期における気分障害”の患者を対象として調査した,ToM能力の障害の有無と社会機能に関するデータを紹介し,その結果に基づき“社会脳”“ToM”に対して今後の考察と展望を加えたい。

社会脳と脳神経基盤 西谷 信之
  • 文献概要を表示

はじめに

 複雑な現代社会の中で社会生活を円滑に送るためには,周囲の状況・空気をうまく把握し,他者と首尾よく関係する必要がある。霊長類,特に我々ヒトは,他者との相互理解のうえに関係を確立し,共同作業を行うことで社会を形成している。日常生活の中で,その状況にかかわらず,不断なく我々は「ヒト」という強烈な刺激を受けながら生きている。そのためには,我々は一個のヒトとして,周囲の人々の中で共同生活を営むことができるように適合・訓練された「ソーシャル・ブレイン」を保有し,最良のソーシャル・コミュニケーションを確立する必要があり,協調と競争のバランスの維持が重要である。ところが近年の社会構造の変化によって,我々の情報収集と理解能力に,さらにその結果として適切な行動表現に結びつける能力にまで変化が生じ始めているようである。

 種々の場面で異なる社会的役割を上手に使い分ける能力を,どのように獲得し発展させていったのだろうか。近年この領域の研究が急速に進み,社会的能力「社会的認知social cognition」を発揮するために重要な脳の領域,すなわちヒトの社会的能力の中心的役割を担っている脳領域が明らかになりつつある。それらの領域が相互に連動し,複雑な情報処理を行っていると考えられるが,本稿では,ソーシャル・ブレインにかかわるヒト脳内の神経機構・基盤を点描する。

  • 文献概要を表示

はじめに

 近年,発達障害や統合失調症の社会生活を困難にする病態基盤として,社会脳とよばれる脳神経ネットワークが注目されている。「社会脳仮説」では,人を含む霊長類の脳内に,他者の意図や感情を読んだり,人間関係を適切に把握したり,社会の中で適応していくための社会認知を支える神経基盤やネットワークが進化の過程ででき上がったと考える。社会認知の構成要素としては,他者の意図や感情を読む能力(“心の理論”),およびその基をなす,顔の認識,表情認知,視線処理,原因帰属様式(attributional style)などが挙げられ,記憶,注意,遂行機能などの基本的な神経認知とは関連しながらも独立した機能であることが明らかにされている21)

 統合失調症の社会機能的転帰が基本的な神経認知機能と関連が強いことは,よく知られている事実であるが,神経認知機能は社会機能的転帰の20~40%を説明し得るに過ぎないことが指摘されている5)。社会認知の定義からも推測できるように,残りのかなりの部分が社会認知によって規定されている可能性がある。実際,社会認知の重要性は,それが社会機能的転帰とかかわっており5)(図1),神経認知機能と異なる脳領域に社会認知を支える神経基盤があること18)や統合失調症の社会認知機能障害をターゲットとする心理社会的治療が注目されているため,それらについて紹介する。

  • 文献概要を表示

はじめに

 ヒトの「こころ」に生起する諸現象,喜怒哀楽,欲望や思念などのすべてはしかるべき「因縁」から,つまり,脳内ニューロン群を含む身体内外(他の個体などを含む)の諸因子が相互に作用し合うことから生じている。その「因縁」を時間的に遡り,数万年,数百万年,数千万年という単位で眺めたのが生命の進化過程に他ならない。この進化過程のうち,ヒトを含む生物の行動,ことにその個体同士がかかわり合う行動の仕組みの進化過程を明らかにするのが進化心理学である。筆者らはその専門家ではなく,それが与えてくれる叡智を精神科医療に携わる者として享受する立場にある。では,それはどのような叡智を我々に与えてくれるだろうか。進化心理学やその精神医学的意義についての所説をごく一部,ここで例示し,私見を述べてみたい。

  • 文献概要を表示

抄録

 認知症の治療研究の進展に伴い,認知症は発症前介入により進行を抑制できる可能性が出てきた。そこで,Petersenらによって提唱された認知症の前段階とされる軽度認知障害(MCI)のスクリーニングが重要となってくる。今回,彼らの作成したthe Short Test of Mental Statusの日本語版(STMS-J)を作成後,健常者53名および外来受診者160名に施行し,信頼性と妥当性,有用性について検討した。STMS-JのCronbachのα係数は0.87と高い内的整合性を示し,平行検査法や再検査法でも高い妥当性を示した。健常群とMCI群とのカットオフ値を28/29点とすると,感度・特異度ともに90%以上であった。したがって,STMS-JはMCIをスクリーニングするうえで有用であることが示唆された。

  • 文献概要を表示

はじめに

 強迫性障害(Obsessive-Compulsive Disorder,以下OCD)は,反復する強迫観念または強迫行為に特徴づけられ,日常の生活習慣や職業上の機能,社会的活動,他者との関係などを障害し,苦痛を伴う病態である8)。治療は選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitor,以下SSRI)をはじめとする薬物治療と認知行動療法が主であり,長期的予後は寛解または部分寛解が約半数とされる4)。またaripiprazole(以下APZ)は,ドパミンD2受容体の部分作動薬(partial agonist)であることを特徴とする非定型抗精神病薬であり,本邦では統合失調症に対して適応がある。

 今回我々は各種抗うつ薬,非定型抗精神病薬を使用したにもかかわらず症状の改善を認めない難治性のOCDに対して,APZが奏効した症例を経験したので報告する。なお報告にあたって口頭にて本人の同意を得た。さらに科学的考察のために支障のない範囲でプライバシー保護の観点から症例の内容を変更した。

  • 文献概要を表示

はじめに

 広汎性発達障害は,社会性の障害,コミュニケーションの障害,想像力の障害とそれに基づく固執傾向を主症状とする発達障害の総称で,その中で知的障害を持たない者は高機能広汎性発達障害(high-functioning pervasive developmental disorders;以下,HFPDDと略)と呼称されている5)。近年,不登校を伴ったHFPDDの増加が指摘されるようになったが,その実態を検討した報告はきわめて少ない2,4,8)

 今回我々は,不登校を主訴に精神科思春期外来を受診したHFPDDについて臨床的検討を行ったので報告する。

  • 文献概要を表示

 第18回日本臨床精神神経薬理学会と第38回日本神経精神薬理学会の初めての合同年会が,2008年10月1~3日の3日間,品川プリンスホテルにおいて,「グローバル時代における基礎と臨床のクロストーク」をテーマとして開催された。前者の会長は東京女子医科大学医学部精神医学教室の石郷岡純主任教授,後者の会長は広島大学大学院医歯薬学総合研究科精神神経医科学の山脇成人教授が担当された。

 この2つの学会は,それぞれ精神科薬物療法の臨床領域と基礎領域を主たる研究対象とするもので,両者の関係は密接不可分である。両学会長のあいさつ文を引用すれば,「薬物療法の発展は,優れた治療薬となりうる物質の基礎的な薬理作用の検討と,その薬物の利点を最大限に引き出す使用法を検証していく臨床薬理学が,車の両輪となって相互に刺激しあいながら進んでいくもの」なのである。関係者の長年の念願の合同年会がとうとう実現したのは,まさに画期的であり,記念すべき大会となった。しかも参加者は1,600名に迫る大盛会である。両会長の英断と尽力に敬意を表するとともに,合同年会の実現を支援された日本臨床精神神経薬理学会の兼子直理事長と日本精神神経薬理学会の樋口輝彦理事長にもお礼を申し上げたい。

  • 文献概要を表示

 日本神経精神医学会は,1996(平成8)年に第1回が開催された比較的若い学会である。2000(平成12)年に京都で国際学会を開催するため,それに対応する国内学会を整備する必要から組織されたという経緯があり,第1回大会は横浜市立大学教授(当時)の小阪憲司先生を会長に横浜で開催された。上述した第3回国際神経精神医学会は兵庫県立高齢者脳機能研究センター所長(当時)の三好巧峰先生を会長にわが国で初めて京都で開催されている。

 学会の対象領域としては,会則に「脳・神経疾患における精神症状ないし神経行動障害に関しての研究を推進し,わが国における神経精神医学の発展を図ることを目的とする」とあるように,器質性精神障害・症候性精神障害の臨床研究の場として位置づけられているのであるが,近年の機能画像研究の進歩,統合失調症や認知症疾患に対する神経心理学的研究の進歩に伴い,より広い領域を対象とした学会になってきている。会員数は500名程度の小規模な学会である。第13回の今回は,金沢医科大学精神神経科学教室の地引逸亀先生を会長に石川県金沢市の金沢アートホールにて開催された。参加者は100名ほどであった。

  • 文献概要を表示

 わが国で初めて腎臓の移植が試みられてから半世紀が経過した。今や臓器移植は決して特殊な先端医療ではなく,誰に対しても開かれた一般医療になりつつある。ただし,1997年に脳死を人の死と認める臓器移植法が策定されてからも,やはり生体間移植が圧倒的に優勢である日本の移植事情の中で,移植患者とその家族が少なからぬ心理的葛藤を抱えているという事態は本質的には変わらない。やはり,健康な身体にメスを入れるということの不自然さは,関係する人たちの心を波立たせずにはおれない。

 著者は,腎移植の歴史とともに移植患者に寄り添い続けた,わが国の「臓器移植精神医学organtransplant psychiatry」のパイオニアである。あとを追って,若干の意欲ある医学者がこの領域で活躍しているが,およそ40年間にもわたってひたすら移植医療に携わってきた精神科医は著者をおいてほかにない。本書は,移植医療者向け雑誌『今日の移植』への連載記事を中心に,近年発表された論文を1冊の本にまとめたものである。平易なエッセイ風の筆致の背後に,経験に裏打ちされた著者の強い信念が見え隠れし,内容はきわめて重く深い。

  • 文献概要を表示

 本書は,著者が2000年から2008年の間に現代音楽の作曲家について積み上げてきた病跡学的研究を中心に組まれた論文集である。著者は第一章に「20世紀作曲家病跡学」と題して現代音楽の作曲家群像について解説し,幅広く現代の作曲家の置かれた音楽情勢を描き出したうえで,本書で取り扱われる特異な作曲家たちの位置づけを与えているが,よほどこの現代の音楽の質に肌が合い,日頃から親しんでおられるものと思われ,一般にはあまり著名でない作曲家にまで言及して解説しており,その緩衝領域の広さにまずは驚嘆させられる。本論の個々の議論に立ち入ることはできないが,各病跡学的議論の中に織り込まれた楽曲分析,症状論,気質論,さらには哲学的議論も,それぞれがさまざまな問題意識を喚起し,静かな学問的興奮を覚えて読了した。

 とはいえ,本書はごく平均的な精神科医にとっては,少なからず難解な書物でもあろうかと思う。第一に,本書で採り上げられた作曲家がそれほど著名な人たちではない。バルトーク,ヤナーチェクは別にしても,ハンス・ロット,ルーズ・ランゴー,アラン・ペッテション,コンロン・ナンカロウ,ベルト・アロイス・ツィンマーマン,アルフレード・シュニトケ等々の楽想を,その名を聞いただけで思い浮かべられる人は,そう多くはいないであろう。評者自身もこのうちの何人かは聞いたこともない人で,本書を読むに当たってはじめてCDを買い求めた。第二に,かなり専門的な楽曲分析が盛り込まれており,読み進む際に多少「勉強」が必要である。音楽の天才は形式改革を目指すもので,その精神病理は音楽語法を築き上げる局面に現れることが多い。特に現代音楽では和声の有機性organizationを構成する音組織自体への直接的な変革が問題となっているので,作曲家の思考も勢い,音による表現をめぐる原理的な問いへと踏み込んでいく。これらを鑑賞,批評するとなると,ベートーベンやモーツアルトを論じる場合とは異なった音楽理論の参照枠が必要となる。さながら,科学哲学的議論が中性の天文学や近世の化学を論じた後に現代物理学へと論点を移す時のような,多少とも常識的視点とは異質な,あらたな思考枠の偏向,建て直しを要求されるのである。この難関に耐えて読み進むには一定の忍耐力が必要であろう。第三に,著者は自身の仮説を,内海,加藤,新宮,花村,宮本など(アイウエオ順)のわが国の,必ずしも平易とは言えない精神病理学的研究とつきあわせて検討を加えており,精神病理学を専門としてはいない方が議論の行方を追い,内容を消化するのには多少の苦労を要するだろう。

  • 文献概要を表示

 2枚のDVDと解説書からなる本書は,認知療法を学ぶ最高の教材といえましょう。何しろDVDの内容がすごい。認知療法の創始者アーロン・ベックと,彼の娘で次世代の旗手であるジュディス・ベックの初回面接が合わせて3セッション収録されており,認知療法の進行をじかに見ることができるのです。またジュディス・ベックの面接の前後には,彼女と2名の精神療法家との対談が入っていて,DVDに収録されている面接に関するジュディス・ベック自身の解説も聞けるよう工夫されています。

 3セッションに登場するクライエントとその相談内容には,共通点があります。3名はいずれも子どものいる20~30代の主婦で,家庭内に強い葛藤(夫,母親,子ども)を抱えており,周囲とのコミュニケーションがうまくいかず悩んでいます。そうした中,「自分」「他者」「コミュニケーション」などに関する認知が偏ってしまい,強い不安・抑うつ状態に陥り絶望感にさいなまれている。こうしたクライエントに対して,ベック親子がどのように面接を構造化し各種技法を用いて介入するか,そしてクライエントがどのように変化していくかをつぶさに観ることができます。認知療法の実施に必要な面接の構造化や介入技法の実際の用い方を元祖・認知療法家のお二人が目の前で見せてくれるのですから,こんな贅沢な学びの機会はないでしょう。

  • 文献概要を表示

読みやすくかつ臨床の叡智を凝縮させた書

 本書の扉の推薦のことばに,ティアニー先生と16年間の親交がある青木眞先生の短い名文がある。その青木先生のおかげで,著者の松村先生と同様,私も数年来ティアニー先生に触れる機会を得ることができているが,本書によって改めてティアニー先生というエベレストがいかに出来上がったかを知ることができた。このように読みやすくかつ臨床の叡智を凝縮させた本書の出版に尽力された松村正巳先生に深謝したいと思う。

 臨床において大切なことの1つは,正しい診断とよりよい治療を求めて,権威的にも感情的にもならずに医療者が検討しあうという医療の透明性である。もう1つの推薦のことばを書かれた黒川清先生の名文にも感じる,そういう自由闊達な雰囲気の中でのレベルの高い日々の症例検討の産物が,ティアニー先生という怪物であると私は思ってきた。実際,ティアニー先生の教育は,自由で明るい雰囲気の中で行われる。

--------------------

編集後記
  • 文献概要を表示

 本誌は2年に1度,編集同人の先生方を対象に,幅広くアンケート調査を行っている。このたび集計結果を見せていただいた。もちろんお忙しい方々ばかりなので,回収率は高いわけではないが,選択式の回答以外にたくさんのコメントが寄せられ,嬉しいかぎりであった。お蔭で,全体的評価では3人中2人の方々から「大体現状でよい,よい・適切な編集である」との評価をいただいた。原著論文を中心とする方針に対しても強いご支持をいただいた。昨今,どの医学雑誌も研究報告の投稿が激減しており,本誌も減少傾向にある点で例外ではないが,それでも何とかこのような評価をいただいているのは,大変ありがたいことである。投稿される方々にも深く感謝する次第である。

基本情報

04881281.51.3.jpg
精神医学
51巻3号 (2009年3月)
電子版ISSN:1882-126X 印刷版ISSN:0488-1281 医学書院

文献閲覧数ランキング(
6月22日~6月28日
)