看護学雑誌 56巻2号 (1992年2月)

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 群馬大学病院では,1987年から医療の効率化と患者サービスの向上を図る目的で,コンピュータを導入した機構改革を行なった.私たちは看護業務へのコンピュータ導入が,「看護」の質にも影響するのではという危惧を抱いた.例えば,看護婦のコンピュータ適応不全や落ちこぼれによる離職,逆にコンピュータに馴化しすぎて,感性や感情が失われるのではないか,などである.

 こうした中で,質の低下を招くことなく望ましい看護活動を行なうためには,看護婦のモラール(morale:士気,やる気などの意味)の向上がまず大切であるという希求があり,当院看護婦を対象に『看護婦のモラール調査』を1989年に実施した.

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友人との再会で考えさせられたケア

 20年ぶりに高校時代の友人に会った.友人は,3人の子の母親である.3人目の子は生まれた時から発作を繰り返し,病名が分からないままにいくつかの病院を転々とした経験を持つ.その彼女が言うには,「病棟の婦長の姿勢と,病棟全体の姿勢は同じ.婦長を見れば,その病棟にわが子を安心して預けられる所かどうかが分かる」のだそうだ.

 ギクッとしながら,自分の過去を振り返ってみると,実によく当てはまっている.

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 「婦長をどう思う?」

 知り合いのナースに片っ端から聞いてみた.

 「えっ,婦長さん,神様みたいです」 「何でも知っているし,相談できます」 と,答えたのは新人ナース.

 中堅ナースになると婦長評は変わってくる.あなたの婦長はどのタイプだろうか.ここにいくつかあげてみよう.

この素晴らしき婦長さんたち 林 茂
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 早いものである.医学部を卒業して,40年にもう少しで手が届くような歳月がたってしまった.この5年間は,主として病院管理の仕事をしているが,それ以前の期間はすべて臨床の場で過ごしてきた.そして,数多くの婦長さんたちにお会いし,お世話になり,また,一緒に仕事をしてきた.

 その中に,沢山の尊敬すべき方々がおられ,どんなに教えられることが多かったことか.長い臨床生活の中で,いかに看護婦さんたちがわれわれ医師にとって大事な存在であるかを,真の意味で欠くことのできないパートナーであるかを,身にしみて感じとってきた.これは,私が巡り会うことのできた婦長さんたちからもらった大きな財産である.だから,いまだに“婦長”という言葉を聞くと,“偉い人”と同義語に思えるくらいである.

 現在は,管理職として多くの婦長とともに働いている.いろいろと感ずることも,こうしてもらいたいと思うこともあるが,ここでは,多少古い話で恐縮だが,私が医師として付き合ってきた婦長さんたちの中で,思い出に残っている方たちの一部を紹介して,臨床の場で医師がどのような婦長さんを頼りにし,どんな婦長さんと一緒に仕事をしたいと考えているかを知ってもらいたい.

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はじめに

 感染予防は患者の安全を守るための技術の1つである.ここ数年来,医療従事者による院内感染が問題視されているが,当院においては,MRSA感染一症例の経験を契機に院内感染予防対策を打ち立て,それに基づいて看護を行なっている.

 今回私たちが経験した症例においては,患者は全身状態の改善に伴い,隔離生活に対し強い苦痛を訴えはじめた.最初は患者隔離などの感染予防だけにとらわれていたため,患者の隔離に対する苦痛が軽減できなかったものと思われる.しかし感染予防対策を検討し改善策として行なった部屋移動が,患者の隔離生活に対する苦痛の緩和に非常に効果的であったので,ここに症例をあげて報告する.

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 千葉社会保険病院は,千葉市郊外の大網街道沿いにあり,人工透析室・人間ドックを併設する200床の総合病院ではる.同じ街道沿いのすぐ近くには,「千葉県がんセンター」「国立療養所千葉東病院」がある.

 ここに勤務する外科病棟婦長,加納佳代子さんの1日を追ってみました.彼女の考え方,主張は本誌特集記事を参照ください.

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 福島駅からJR東北本線で仙台方向に約17分,藤田駅で下車,徒歩12分.福島県北部の国見,桑折,梁川町3町の組合立病院である公立藤田総合病院(本宿尚病院長,429床)を訪れた.

 本宿病院長は1969年4月より,また総婦長の関場泰さんは同年5月よりそれぞれの現職に就かれ,20年以上にわたって,二人三脚で病院運営をしてきた.

TOPICS

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 昨年11月2,3日の両日,聖路加看護大学の学園祭“白楊祭”が開催された,テーマは“Looking for my direction”.絶えず変化する世界の中で,看護婦として,また人間として,自分の方向性を見つけようとつけられたテーマ.

 今年のテーマを積極的に追求しようと,白楊祭のパンフレットには「脳死によせて」と題する特集が組まれ,医師や同大学教授をはじめ,弁護士,僧侶,天文学者など幅広い分野からの意見が掲載された.また,「自分自身の生き方について」というテーマで,都留春夫(聖路加看護大学教授),山川玉蘭(聖路加国際病院小児科レジデント)両氏の講演もあって,学生たちの意気込みが感じられた.

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 最近,看護婦不足やその労働条件など,看護婦問題がテレビや新聞などのマスコミによって紹介され,一般の人人からも大きな関心を持たれている.そして,看護婦を主人公とするテレビドラマや小説が目につくようになった.その中の1つミュージカル『ナースステーション』(脚本・演出 早坂暁)が,昨年11月8-24日にわたり東京・銀座博品館劇場にて公演された.

 早坂氏自身の入院体験をヒントに創られたこのミュージカルは,患者や看護婦たちの姿を巧みに描きなから,看護婦が置かれている現状への問題提起されていた.

連載 生体のメカニズム・2[感覚の生理]・2

痛みは生体の警報 大橋 俊夫
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 患者さんが病院を訪れる動機の70-80%は,自分の体のどこかに痛みがあったり,あるいは痛みのために生ずる不安があったりすることだ,と言われています.病棟でもいろいろな形で痛みを訴えてくる患者さんがいますし,また,最近は癌性疼痛の緩和ケアに対しても関心が高まっています.

 こういった背景を考えると,痛みの生理学を理解し,痛みの原因はどこにあるのか知っていなければ,医療や看護を行なうことはできない,と言っても過言ではありません.

連載 白い恋人たちへの応援歌[私の病院探訪記]・2

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 前回は,ICUに入っていた時の私自身の記憶から書いた.

 死の淵に立つ——.そんな大袈裟な表現がふさわしい体験だった.外見からは「意識がない」と思われたらしい物体のような私の内側に,苦痛への苛立ちや,悪あがきにも似た必死の状況判断や,家族への思い,折々の治療への感謝や憤りなど,表現を拒まれたままの意思や感情が入り乱れていたことを綴った.

連載 でも、やっぱり歩きたい[直子の車椅子奮戦記]・2

滝野澤 直子
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見えない

 「明るい,寝たきり」なんてのは,ない.

 私には,2か月半の暗い寝たきり歴がある.

連載 より良い終焉を求めて[国立療養所松戸病院PCU病棟の取り組み]・5

ケースカンファレンス・4

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[事例の紹介]

 Sさん,73歳,女性.夫と長男夫婦,孫2人との6人暮らし.夫は脳軟化症のため自宅療養中.Sさんの子供は,息子3人,娘3人で家族関係は良好.

 元気でいた頃は,農業をしており,子供たちに野菜を配ることを楽しみにしていた.家族でハイキングにも,よく出掛けていたそうで,スナップ写真を病室に飾っていた.話し好きで,周りの人の気持ちを大切にし,気を遣う方だった.

連載 看護研究のすすめ[看護情報学からのアプローチ]・11

アンケート調査の実際 辻 和男
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 先月号に続いてアンケート調査の実際がどうなっているか,第21回日本看護学会集録(老人看護)から引用して,検討してみることにしましょう.

連載 スウェーデンからこんにちは・11

アフリカの思い出[2] 本間 マサ子
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 みなさんこんにちは,ご機嫌いかがですか.

 先月号の原稿を送った時には,辺り一面銀世界だったのに,今は雪が少なくただ寒いだけ.私はこういう冬は嫌いです.北欧の冬は大好きだったのに,最近の冬は勝手に様子を変えてしまって,雪が少なくなってきているのです.冬はやっぱり冬らしさがないとだめですよね.

連載 あした天気にしてあげたい[わたしの救急奮闘記]・11

経験と知識の凝縮 中村 恵子
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 看護実践と臨床看護研究が密接不可分な関係であることは,看護婦の資格を持つものなら誰でも分かっていると思う.看護研究が必要だとは分かっているが,いざ実行となるとなかなかうまくいかないのが現実である.

連載 のんちゃんのでこぼこMYロード・11

連載 プッツン看護婦物語・18

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北斗の拳。

がん末期の患者の家族が、いろんな民間療法を試したがる気持ちって、よく分かる。最近の流行は“気功法”なんだって。

でも私たちは“秘功法”という新手の宗教と思い込んでいたの。だから、治療をしている人は怪しげな祈祷師だとばかり——―。

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 鹿児島県小宝島.北緯29度線の少し北に位置し,鹿児島市からの交通機関は月に8往復する定期船だけ.所要時間は片道約13時間.

 周囲3.2km,島民44人(全19世帯)自然のままの珊瑚礁が広がる,日本で“最後の海”に囲まれたこの島に,中田美津江さんは1991年5月,ボランティア看護婦として赴任した.

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規子さん「小学校2年くらいの時でしょうか,祖父が交通事故で重傷を負って入院して,もうだめっていう時に,看護婦さんがおじいさんの上に乗って,一生懸命心マッサージをしていたんです.その姿がものすごく印象に残っています.人が一番困っている時に助けてあげられる看護という仕事は素晴らしいですよ.どんなに疲れていても忙しくても,今まで嫌だと思ったことは一度もありませんし,疲れていても,白衣を着ると体がぴしっとしますね.自分では天職だと思っています」

容子さん「姉が看護学校に通っている時に,実習の話なんかを目を輝かせてしてくれるんです.それを聞いていて私も看護婦になろうと決めました」

基本情報

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看護学雑誌
56巻2号 (1992年2月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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