はじめに
失語症の評価法は1960年~1970年代にかけてめざましい進展をみせてはいるものの,Bentonの表現をかりれば,知能検査における19世紀(Binet以前の時期)に相当するといわれる2).
言語レベルは知能と同じく,年齢,性,教育,環境などによって異なるものであり,その評価に際しては,これらを切り離して考えることはできない.
かりに障害(impairment)は同じであっても,個人的レベルでのdisabilityは同じではなく,また社会的見地からみたhandicapにも大きな差異がみられる.
このことは,同じ種類・重症度の失語症であっても,80歳の老人と40歳の壮年ではdisabilityの性格は異なるし,また職業的にみても,軽度の失語症が,教壇,演壇に立つ職業への復帰を絶望的にしていることを考えるとき,社会的handicapにもいろいろな差異を生じてくることが容易に理解できよう.
評価は一般的にいって,個人および社会,環境間における相互関係(interaction)の中で行われることがぜひ必要で,けっして遊離して行われるべきものではない.評価と診断が本質的に異なるのはこの点であるといえよう.診断は同じでも評価は個々の例で違うものであり,その逆もまた真であり得る.
さて,失語症のみでなく,すべての評価についていえることであるが,
1)なにを目的として評価しているか.
2)その評価方法は目的のものを適確に評価しているであろうか.
3)評価方式は単一であるべきか,目的や疾患別により異なるべきか.
4)評価項目は必要かつ十分な面にわたっているであろうか.(関連領域にもまたがっているか.)(余分な別の因子をみているようなことはないか.)
5)関連領域の中でも視力,聴力,知能などは含めるべきか,あるいは別に考えるか.
6)ある検査項日が「可能である」ということは,「やろうと思えば可能である」との意味であるのか,「実際に日常生活の中で行っている」ことを意味するのか,この中には耐久力の問題も含まれる.
7)正常値のレベルをどこにとるか.(健康正常人の平均か,同年代の平均か,性別,教育レベルなどの要素をどう考えるか.)
8)実施上,患者や検者に多大の負荷をかけないであろうか.
9)検者間におけるscoreの一致度はよいであろうか.また,テスト方法の習得に要する期間はどれくらいか.
以上のようないくつかの問題を考慮しなければならない.
たとえば,軽度の失語症で復職が可能かどうかの評価には,基本的なテストの他にもっと掘り下げた高度のテストが必要になるであろうし,また職種によってもその内容は異なるであろう.また,このような揚合,短時間なら可能というのでは実用性はなく,耐久力テスト,さらに非言語能力,意慾の有無なども重要な因子となる.
また,この際基準とすべき正常値は,その職にあるものとしての,社会通念上の正常能力をとるべきであり,この場合は同時に病前の能力とほぼ一致することになる.
発病後日の浅い,あるいは合併症を有する患者にとって,失語症のテストは大きな負担であり,想像以上に疲労するものであるから,なるべく短時間に終わる簡潔なものが望ましい.しかし,言語機能面における中枢機構はきわめて複雑なものがあり,すべてのmodalityにおける必要・最小限の情報を得るためにも,相当長時間の検査は止むを得ないものであるし,非言語,関連領域の検査も加えるとなるとさらに長時間を要することになる.
病状を十分詳細に把握するためには評価の段階を多くして,網の目を細かくすればよいが,その反面判定には困難をともなうことは必然であり,検者によってscoreがずれやすい結果となる.相反するこれら2つの条件の妥協点としては,評価段階数の選び方とその内容の選定如何にかかっているものと思われる.