生体の科学 70巻6号 (2019年12月)

特集 科学と芸術の接点

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 「芸術はなぜ人の心を動かすのか」という問いを掲げ,東京藝術大学では学長プロジェクトとして,澤和樹学長を中心に「Arts Meet Science(AMS)プロジェクト」が推進されている。Scienceの立場からは谷口維紹博士,西川伸一博士が構想段階から参画し,筆者も運営会議の末席を汚している。これまでに,「芸術と科学に共通するバックグランドとは何か?」,「音楽と医学の学問的融合の発展を目指して」といったテーマの公開討論会が開催され,若手育成の場の提供などを通して,芸術と科学の融合による新たな価値の創造を目指した活動が進んでいる。こうした芸術と多様な学問領域との連携・融合への取り組みは,上智大学における音楽医科学研究センター(時限付のため残念ながら現在閉鎖)をはじめとして,東京大学における芸術創造連携研究機構の発足など,近年になって新たな気運が芽生え始めている。

 その背景には,脳科学やAIなど新しい科学分野の発展により,芸術創造・鑑賞という人間の高次活動が,これまでよりも幅広い側面で科学研究の対象になってきたことが挙げられるが,根本はやはり,芸術が人間にとって本源的な表現活動であり,芸術をめぐる数々の問いが多くの人の関心を惹き付けて已まないことにあるのだろう。

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 ヒトは,芸術作品のみならず日常的な道具,自然の景色,人物の顔や姿,親と子どもとが遊んでいる場面や人が故人を悼み祈る姿など,様々な対象に対して美を感じる。ただし,何に対して美を感じるかは人それぞれであり,同じ個人においても時々によって変わり得る。例えば,草間彌生やFrank Stellaのような現代アートについて,ある人は彼らの作品を美しいと感じるだろうが,そう感じることがない人もいるであろう。では,なぜ,何に,そしてどのように美を感じ,美に駆り立てられるのであろうか。それらの問題については非常に古い哲学的起源があり,哲学や美学,芸術学による人文学的考察がプラトン(Plátōn)やアリストテレス(Aristotélēs)の時代に遡ると2000年以上にわたり行われ,また芸術家によって芸術表現という実践がなされてきた。一方で,美や芸術に関する実証的研究については150年ほどの歴史があり,ドイツで精神物理学を興したグスタフ・フェヒナー(Gustav Fechner)によって始められ,実験美学という心理学の一分野として発展した。更に脳研究における非侵襲による脳機能計測技術の台頭により,1990年代後半に神経美学という研究の枠組みが提示され,2000年代になって脳神経活動の働きとして美を感じる過程が捉えられるようになってきた。

音楽家の脳を視る 田中 昌司
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 音楽家の美しい音楽表現について考えるとき,また音楽を聴いているときに湧いてくる感情について考察するとき,心に抱くイメージの存在を強く意識する。心的イメージそのものは客観的に捉えにくい部分もあるが,感情を揺さぶる音楽の力は,豊かな心的イメージによるところが大きいと思われる。それでは,心的イメージと音楽表現をつかさどる脳内ネットワークはどのような特徴を持っているのであろうか。それを知るために,筆者はこれまで多数の音楽家・音大生の参加を得て,長期にわたる音楽トレーニングを受けてきた人の脳の研究をイメージング法を用いて行ってきた。本稿では,その成果をわかりやすく解説する。主な内容は,音楽家の脳の構造的特徴,機能的ネットワークの特徴,そしてイメージ演奏時の脳内ネットワークである。

不可能立体の数理と心理 杉原 厚吉
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 不可能図形の立体化から出発して,多様な種類の不可能立体が数理的に創作できることを示すと共に,それを見た人の視覚がなぜ錯視を生じるのかという心理学的な側面についても考える。

音楽と共感覚 伊藤 浩介
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 Aさんは音を聞くと,目の前の風景をクレヨンで上書きするように色が見えるという。何色が見えるかは音の高さによる。例えば,ドなら赤,レならば黄色,ミはオレンジ,ファは青,ソは黄緑に近い緑である。数字や文字などにも色がある。3は緑であり,333は“すごく緑”に感じられる。

 Bさんも音に色を感じるが,その色はAさんのように外界に存在するように見えるのではなく,あくまでも心の中のイメージとして感じられるそうである。おそらく,共感覚のない筆者が心の中で赤色を想像する感じに近いと思う。また,Cさんは完全五度(ドとソ)や完全四度(ドとファ)の音程を聞くと四角張った立方体のような図形が頭の中に浮かび,三度(ドとミ)や六度(ドとラ)では新体操のリボンのようなものがくるくる回る。

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 15世紀後半,Leonardo da Vinciは「芸術の科学を学び,科学の芸術を学びなさい。感覚を磨き,ものの見方を身につけなさい」と述べ,芸術と科学の融合を説き,“見方”の重要性を指摘した1)

 芸術が技術から分離し,技術が科学と結びつくのは18世紀後半のことであるが,その直前の18世紀半ばに,美学(aesthetics)と訳される学問領域が誕生する。この言葉も,語源は“知覚”を意味する古代ギリシャ語aisthesisである。ドイツの哲学者Baumgartenはこの言葉をもとに,従来の知性や理性に基づく論理学ではなく,感覚や感性に基づく認識論を打ち立てようとした。彼はその後,この感性による認識の完全なる形式が美であると考え,考察の対象を美や芸術に置くようになる2)

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 美術館や展覧会などで優れた絵画作品と出合うと,思わず足が止まり,その作品から目が離せなくなる。そういうとき,われわれは作品を隅々まで見て,その世界観に浸り,作者の思いに共感する。そのとき,われわれの行動もひそかに変わっている。本稿では,絵画鑑賞における心的変化を反映するものとして視線に着目し,視線が示す絵画鑑賞中の心理について議論する。

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 踊ること,歌うこと,演奏することは,人間社会に遍く存在する文化芸術(アート)活動である。これらアーティスティックな活動においては,その表現のみならず創作に,身体と,身体を取り巻く環境が関与する。サッカー選手がボールに触れながら自らの姿勢を崩し揺り動かして新たなフェイント動作を探るように,ダンサーは音やリズムや重力に身を委ねながら身体協調の可能性を探索し,音楽家は自らや他者や環境が奏でた音と戯れながら新たな表現を創造する。

 これらのアートを生み出す身体は,身体を取り巻く環境がそうであるように非線形・非平衡開放系であり,この系の時間発展は非線形力学系モデルによって記述される1,2),注)。そこで本稿では,非線形力学系モデルによるアーティスティックな身体運動の解析例を紹介し,表現,熟達化,および創作にかかわる含意について議論する。

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 音楽家は,幼少期からの日々の練習を積み重ね,高度な感覚・運動・認知機能や,巧みな技能を獲得し,多彩な演奏表現を可能にしている。しかし,その過程で運動器疾患や脳神経疾患を発症することも少なくなく,結果,演奏家としてのキャリアに支障を来すこともめずらしくない。類似した問題はスポーツアスリートにもみられるが,学術面ではスポーツ科学やスポーツ医学といった分野が既に確立されており,サイエンスがもたらすエビデンスに基づいた予防や治療,身体教育などを提供する機関やしくみも整備されている。音楽家のウェルネス向上を実現するためにも,学術・教育・医療の基盤を確立することが急務である。本稿では,音楽演奏の医科学研究の最新の知見を,分野ごとに紹介すると共に,それらを社会実装するトランスレーショナルリサーチのしくみと実施例について紹介する。

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 ヒトが特定の領域に習熟して専門家へと成長していく熟達化の過程については,これまで心理学・認知科学において広く検討がなされてきた。特に,教師・コーチによって“丁寧に構造化された練習(あるいは,系統的訓練)”の蓄積の重要性を主張するdeliberate practice theory1)が近年の著名な理論の一つとして挙げられる。では,芸術創作を代表とする創造活動領域における熟達化の過程も同様の理論で説明可能であろうか。本稿では,創造活動の有する特徴を概観し,その熟達過程において重要と考えられる要因の抽出を目指す。

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 サヴァン症候群とは脳に深刻な障害を負いながらも,ある一定の領域にのみ卓越した才能を示す状態の総称である。その才能の領域は絵画や彫刻などの芸術表現をはじめ,音楽や計算,記憶など多岐にわたることが知られている。例えばOliver Sacksが報告したJohnとMichealという双子の兄弟は,4万年前や4万年先の任意の日付の曜日を言い当てる“カレンダー計算”の能力や床に落ちたマッチの本数を瞬時に言い当てる計数の能力,更には少なくとも8桁の素数を言える能力を持っていた。しかしその一方で彼らのIQは60程度であり,簡単な四則演算も難しかったという1)。卓越した能力を有する一方で単純な計算ができないということから,これらの機能が脳内の異なる領域で行われているものであると推し量ることができる。サヴァン症候群は脳機能を理解するうえでも魅力的な題材であるといえよう。

 本稿ではサヴァン症候群を例に,ある機能が障害を受けて低下するとその分,他の機能が亢進・向上する場合があるとする,筆者らが提唱した「おしくらまんじゅう仮説」について述べることとする。特に言語機能と芸術表現において重要な視空間能力がそれぞれ両立困難な関係になっていることについて,①先天的にサヴァン的な能力を示す自閉性サヴァン,②事故や疾患により後天的にサヴァン的な能力を発揮する獲得性サヴァン,③磁気や電流を脳に与え,一時的に脳機能を抑制することでサヴァンに似た能力を示すようになった一過性サヴァン,そして④人以外の動物におけるサヴァン様能力の研究例を紹介し,「おしくらまんじゅう仮説」について論じてみたい。

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 われわれヒトは複雑な社会を形成し,その社会のなかで生活している。このような複雑な社会環境でうまく生きていくためには,他者とコミュニケーションを適切に行う必要がある。特に,同じ社会で暮らす他者に対して特定の対象に対する怒りや恐怖などの情動を素早く正確に伝え,相手の情動を読み取ることは,個体の生存だけでなく社会の維持にとっても非常に重要である。このような他者とのコミュニケーションの方法として,われわれは言語や表情,ジェスチャーなどを用いている。

 他者とのコミュニケーションに言語を使うのはヒトだけであるが,ヒト以外の霊長類でも音声,表情,ジェスチャーなどを使って他個体と情報をやり取りし,社会を形成している。なかでも,表情はよく研究され,表情と情動の関係性やヒトと非ヒト霊長類における表情の共通点について研究が進められてきた。本稿では霊長類において社会的コミュニケーションに重要な役割を持つ表情をテーマに,非ヒト霊長類における表情,そして表情と情動の心理学的理論について概観し,表情コミュニケーションに関与する神経メカニズムを検討する。

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 動物のダンスや歌などの行動,体の彩色や形態などの形質には,人間に芸術的感興を引き起こすものがしばしばみられる。これらをもってして,“自然の芸術”と表現される場合もある。だが,これらは動物にとっての生存や生殖の戦略であり,芸術ではない。これらを芸術と感じるのは人間の感性である。では人間は,なぜそのような感性を持つに至ったのか。本稿では,“自然の芸術”の考察から“人間の芸術”の起源に迫れるかを考える。その過程で,“自然の芸術”と“人間の芸術”に共通する原理が浮かび上がるであろう。

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 音楽療法は「精神および身体の健康の回復・維持・改善という治療目的を達成するうえで音楽を適用すること」(全米音楽療法協会)と定義される。音楽聴取を用いるか,患者自身による歌唱や演奏を用いるかによって受容的音楽療法と活動的音楽療法に大別され,実際の音楽療法のセッションでは両者が組み合わせて行われる。音楽療法を含む非薬物療法のエビデンスは未確立なものが多いが,近年,神経疾患の領域で音楽療法の有効性を示す報告が相次いでなされている。本稿では幾つかの疾患に絞って紹介する。詳細は拙著を参照されたい1)

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 医学的な研究対象として音楽を捉えたとき,3つのアプローチが考えられる。1つは,医学的な治療に音楽を活用する,いわゆる音楽療法の研究である。次は,音楽を奏でる演奏家に特有な疾病や傷害に対する研究である。最後は,演奏家の技能を高めるため,あるいはレッスンでの指導を合理的に行うために,医学的な手法を活用する研究である。本稿では,これら3つのアプローチについて,筆者の経験を交えながら解説する。

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はじめに:洞察の時代

 エリック・カンデル先生の「The Age of Insight」では,自然科学と人文科学の対話というのがメインテーマになっていまして,まさにこのAMS(Art Meets Medicine)の趣旨に合うものであるというふうに思います。それが,うまく紹介できたらと思います。脳科学と芸術といいましても,カンデル先生の場合は絵画から,精神,心の働きを洞察するというテーマです。洞察という言葉が私には非常に印象的です。原著は「The Age of Insight」(洞察の時代)というタイトルになっています。これ本当はそういう訳にしたかったんですけど,それじゃ何のことかわからないということで,『芸術・無意識・脳』というタイトルになっています。Insightっていうのは極めて大事です。いまや自然科学におきましては,できるだけその証拠・エビデンスをそろえて,そこから引き出せる結論は何か,敷衍できる法則は何かという考えで進んでいますが,それだけでいいのか,むしろ何かジャンプして新しいことを見つけていく努力も大事じゃないかというので,彼はinsightという言葉を使っています。序章に書いてありますが,目で集めた情報をどのようにしてヒトは像に結んで視覚情報を得ているのか? どのように記憶は形成されていくのか? 行動の生物学的基盤は何か? で,芸術はどのような経験に基づいて洞察を与えるのか? 最後に,芸術と科学の対話,そして芸術の役割を明らかにしていこうという志が最初の章に読めます。

 今日お話するのは5つの項目に分かれていて,学問の流れを最初に簡単にお話して,視覚,見るとはどういうことか,そしてフロイトが情動・記憶・共感をどういうふうに考えていたかを説明させていただきます。そしてここからはかなり芸術鑑賞になるんですが,クリムトとかココシュカとかシーレというような,ウィーンで活躍した人の絵を見ながら楽しみたいと思います。最後に,無意識,言葉以前の問題ということについて,私自身感じていることに言及できたらというふうに思います。

実験講座

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 近年の網羅的解析技術の飛躍的発展により,転写因子結合部位やヒストン修飾,クロマチンアクセシビリティーなどに関する俯瞰的知見が急速に蓄積しつつある。しかし従来のバルク解析では,必ずしも均一ではない細胞集団全体において平均化された振る舞いを検出していたため,個々の細胞における遺伝子発現動態を詳細に解析することは技術的に困難であった。従来の制約を克服する手法として近年,single-cell RNA-seq解析に代表される新たな解析技術が急速に普及し始めているが,一方で破砕した細胞からのRNA抽出を必要とするため,単一細胞における遺伝子発現の経時的変化を検出することは不可能であった。最近,こうした手法的限界を突破する実験方法として,ライブイメージングによる転写活性のリアルタイム計測が大きな注目を集めている。本稿では,モデル生物であるショウジョウバエを用いた最新のライブイメージング技術を例に挙げ,実験系の設計および最適化において注意すべき点について議論する。

コラム

月田承一郎が遺したもの 月田 早智子
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 2005年12月に月田承一郎が旅立った。それからおよそ15年の歳月が過ぎようとしている。月田承一郎の名は,クローディン発見という成果と共に記憶されているだろう。しかし,それは彼独特の夢多き,広い生物学への取り組みの一端であった。今回,執筆の機会を得たこのコラムでは,家族として,更に故人と共に研究に取り組んできた同志として,幾つかの記憶の断章を記しておきたい。

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目次

財団だより

次号予告

あとがき 栗原 裕基
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 本号では,「生体の科学」誌として初めて「芸術」をテーマに特集を企画しました。Artの語源はラテン語のarsであり,その起源はギリシア語のテクネー(技術)に通じるといいます。「芸術は長く,人生は短し。」と訳されている有名な格言 ‘Ars longa vita brevis.'も,もともとは医術の習得に時間がかかることを意味したヒポクラテスの箴言だったそうです。そう考えると,芸術も科学技術も人間の同じ欲求に根差した本源的な営為と言えるのでしょう。本号には,深谷雄志博士による転写動態のライブイメージングという新しい技術が紹介されていますが,科学も芸術も,確かな技術の裏打ちから初めて見えてくる真理や美の世界を追求するところに感動が生まれるように思います。さらに本号には,月田早智子博士によるご主人月田承一郎博士の足跡を回想するコラムも掲載されています。博士の生涯とその後世への影響を綴られた手記に心打たれるのも,お二人の卓越した業績だけでなく独自の技術を持ってひたむきに真理を追究し続けたそのお姿を髣髴させるからでしょう。芸術と科学の融合というテーマは,我々研究者が襟を正して科学と向き合う原点に立ち返る,一つの契機を与えるようにも思えます。

基本情報

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生体の科学
70巻6号 (2019年12月)
電子版ISSN:1883-5503 印刷版ISSN:0370-9531 金原一郎記念医学医療振興財団

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