看護研究 36巻5号 (2003年9月)

焦点 質的アプローチが変える臨床研究

  • 文献概要を表示

はじめに

 先日,大学院生のゼミで博士課程の院生から質問を受けた。「看護研究というのは,普通の研究とどのように違うんですか?」―私はこの質問に対してこのように答えた。「その言葉には,看護者が行なう研究という意味と,看護の現象を扱う研究という2つの意味が含まれると思います。しかし,看護研究という,他の領域の研究とまったく異質なものがあるという意味ではないと考えます。看護研究に求められる手法や要件も普遍的で,他の研究に比べて特殊なわけではありません。ただ,看護の現象にフィットする方法論を模索し,さらにその結果が現象の問題を改革するために当事者性をもって行なわれることを特色としていると思います。例えば,看護の現象を知らない研究者の研究を,現場の第一線の改革を行なう看護師たちが受け入れやすいかといえばそうではないと思います。だから,研究をしようとする領域の現象はよく知っていなければいけないし,当事者としての責任性を理解していなければならない。また,現場の文化も共感性をもって理解できなければいけないと思います」。

 このような質問が出される背景には,私が教官をしている大学院が保健学の博士号を出しており,教室には保健,福祉,心理,看護の領域で精神保健学と精神看護学を専攻する大学院生がともに学んでいるという状況がある。質問をした院生は精神保健学分野の大学院生で,臨床ではPSWの機能を果たしながら,研究領域は児童精神医学である。彼は柔軟な視点と統計的方法論の強さをあわせもち,そして対象である子どもたちから強い信頼を受けている院生である。私の担当分野は精神看護学分野なので彼の指導教官ではないが,例えば保健師の児童虐待防止に関する研究のデザインを組む時には,一緒にディスカッションをすることもある。研究に関する議論をしていて領域の差はまったく感じない。あるのは研究方法論,テーマ,そして現実の状況との絶え間ないすり合わせである。国立の研究所で訓練を積み重ねている彼は,そんな時の本当に強い味方である。

  • 文献概要を表示

緒言

 筋萎縮性側索硬化症(以下,ALSとする)は,主に中年以降に発症し,運動ニューロンが選択的かつ進行的に変性消失していく,原因不明の疾患である。症状は筋萎縮と筋力低下が主体で,病期が進行すると上肢の機能障害,歩行障害,構音障害,嚥下障害,呼吸障害などが生ずる。病勢の進展は比較的速く,人工呼吸器を用いなければ通常は2~4年で死亡する(神経変性疾患に関する研究班,2001)といわれている。

 人工呼吸器は,進行したALSの患者にとって,QOLを高めたり延命するのに有効な手段と認識されてきた。人工呼吸器には,気管切開を伴う侵襲的呼吸器と,マスクを用いて気管切開を伴わない非侵襲的呼吸器があるが,その使用には国や施設や医師の姿勢によってさまざまである(Borasio,1998)。

  • 文献概要を表示

 “難病看護に携わっている”とはいうものの,私なんぞは,難病看護の第一人者として尊敬する川村佐和子先生(東京都立保健科学大学教授)の足もとには到底及ばない若輩者である。川村先生は,社会資源も制度も何もない時代から,人工呼吸器を装着した神経難病療養者の在宅療養は可能であるということを1例1例実証し,その支援を積み重ねてこられた豊富な経験の持ち主である。それゆえ,目からうろこが落ちるような教えを数々いただいた。その教えのなかには,グラウンデッドセオリー・アプローチと銘打たないまでも,先生の頭のなかではその手法を用い,理論構築をされてきたものが多々あったのではないかと思っている。

 グラウンデッドセオリー・アプローチ(以下,GTとする)を用いた看護研究が多くみられるようになって久しいが,難病看護の分野も決して例外ではない。しかし,国内では難病看護の研究文献そのものの絶対数が少ないこともあり,またその多くは,会議録や厚生省あるいは厚生労働省の特定疾患研究班による報告書レベルというのがこれまでの実状であるため,今回クリティークを依頼された文献は貴重な1つである。

 GTを用いた研究の評価にあたっては,その評価視点が確立されているとはいいがたく(木下,2003),またデータ収集や分析に参加していない第三者が正しく評価できるとは限らないとの指摘(Mellion&Tovin, 2002;樋口ほか,1992)があるが,文献(木下,2003;Mellion&Tovin,2002;樋口ら,1992;瀬畠ら,2003;Backman&Kyngäs,1999)で提示されているクリティークの視点を参考にしながら,難病看護研究に取り組む仲間の1人として,大西論文についての誌上クリティークと難病看護研究に対する私見を述べさせていただく。

  • 文献概要を表示

 遷延性植物状態患者(以下,植物状態患者とする)と看護師とのはっきりとは見てとれない関係。私はこの関係を探究するために,現象学を手がかりとし,植物状態患者の看護の現場に「身を置くこと」(西村,2002a)を通して看護経験を分けもちつつ,それをインタビューによって開示することを試みてきた。この試みにおいてはもちろん,看護師たちと経験を分けもつことがとても大きな力を与えてくれたが,ここではインタビューにおける「対話」に照準を合わせて,研究方法について考えていきたい。

 というのも,一般的にインタビューは,論文内においてはデータを得るための手続きとして述べられており,方法論に関する書物や論文においては,方法論の理論的前提やその特徴とともに,方法論による手続きの相違点や種類などが論じられることがほとんどであった(Boyd,1993;Sorrell&Redmond,1995;Wimpenny&Gass,2000)。

 しかしながらこのインタビューは,一連の研究過程の中で研究参加者と最も濃密に関わる機会でもあり,メルロ=ポンティ(1967)の言葉を借りると,現象学的世界が現われてくる「私の諸経験の交叉点」ないし「私の経験と他者の経験の交叉点」といえよう。そして,この関わりがそこに生み出される言葉を大きく左右する(Boyd,1993)。それゆえ,インタビューを手続きとして述べるにとどめるのではなくて,そのただ中で起こっていること自体にも目を向ける必要があると考える。

 そこで本稿では,研究参加者とインタビュアーである私との対話とその文脈に注目し,インタビューの中で植物状態患者とのはっきりとは見てとれない関係がいかに語り出されていたのかをひもとくことを試みる。同時に,私はこれまでの研究において,インタビューに「対話式」という言葉を修飾してきた。その根拠についてもみていきたい。

  • 文献概要を表示

【患者との対話(インタビュー)-山口論文への誘い】

西村ユミ(静岡県立大学看護学部助教授)

 当事者の視線から,経験を探究する場合,インタビューを受ける研究参加者が誰であるのかによって,インタビューの場で起こっていることの特徴に違いが生じてくると思う。

 私はこれまで,看護師でもある研究者として看護師の経験を探究してきた。つまり,同じ看護師同士の対話が,インタビューの場で取り交わされ,そこでは互いに分けもつ看護経験の意味を確かめ合っていたのだが,一方で,看護師である研究者が援助の受け手である患者の経験を探究するというかたちももちろんある。この患者の経験していることを,当事者の視点から探究しようとした研究が,山口さんの論文である。

 山口さんがインタビューを行なったのは,終末期がん患者のE氏。山口さんがE氏と出会った時,E氏の病状はすでに「現代医療では根治しないといわれている」状態にあった。にもかかわらず,とても穏やかな笑顔をみせてくれた。山口さんにはそれがとても「不思議だった」。この疑問から始まったE氏との関係は,概ね6か月,E氏が亡くなる2週間ほど前まで続くことになる。

 E氏の語りは,山口さんの「不思議」を「見透かしたように」始められた。時に,山口さんの問いかけに精一杯の言葉が届けられ,また時に,「沈黙」を繰り返しながら,山口さんの言葉でいえば「自分で自分に言い聞かせているような感じ」で語りが進められていく。それを聞き取りながら山口さんは,E氏が「ほんのささやかなこと」を生きる支えとしていることに気づき,自分に「不思議な気持ち」を感じさせたE氏の「生を精一杯味わっている笑顔」に,自分もまた支えられているような気持ちになっている。

 Mayeroff(1987)のいうように,ケアすることが同時にケアされること,であるならば,このインタビューのなかでは確かに,ケアが生成されつつあるようなそんな様子が感じとられる。

 ケアのなかから紡ぎ出されたE氏の体験を,読み味わっていただきたい。

ミルトン・メイヤロフ著,田村真訳(1987).ケアの本質.ゆみる出版

  • 文献概要を表示

ナラティヴ・アプローチとは何か

 臨床のさまざまな領域で,「ナラティヴ」への注目が高まっている。家族療法の領域から「ナラティヴ・セラピー」が生まれ(McNamee&Gergen,1992),プライマリ・ケアの領域からは「ナラティヴ・ベイスト・メディスン(NBM)」が生まれ(Greenhalgh&Hurwitz,1998/2001),看護の領域でも,家族看護や地域看護,ターミナル・ケアの領域でナラティヴへの関心が高まっている。慢性疾患のケアにおいて,患者の語る病いの物語に耳を傾けることの重要性が改めて認識されるようになってきたのである(野口,2002)。

 以上の動きは,新しい援助実践としてナラティヴ・アプローチが注目されていることを示しているが,ナラティヴ・アプローチは単に新しい援助実践としてのみ意味をもつのではない。それは研究実践においても重要な意味をもつ。現象をナラティヴな視点から捉える方法はすべてナラティヴ・アプローチと呼ぶことができる。ナラティヴ・アプローチは「援助」だけでなく,「研究」という実践においても新たな世界を切り開く。

  • 文献概要を表示

 【要旨】痴呆性高齢者の精神療法である回想法をナラティヴ・セラピーとして捉え,そこから痴呆性高齢者ケアの可能性を探った。高齢者専門病院に入院中の痴呆性高齢者を対象に回想法個人面接を行ない,その後,高齢者と共同で回想ボードを作成した。それを生活の場に置くことで,回想法場面で生まれた高齢者の新しいself narrativeが生活の場でも根づき,病棟スタッフとの関係のなかでさらに発展した。それは患者にとって大きな喜びとなった。一方,病棟スタッフは患者のナラティヴに出会い,さまざまに感じ,学びながら,痴呆性高齢者ケアについて再考することになった。回想ボードによって病棟がナラティヴ・コミュニティに近づき,患者とスタッフの間に新しいケア的な関係性が生まれた。

  • 文献概要を表示

 世の中には,おびただしい数の研究誌が氾濫しているが,独自の魅力を放って光輝いているものは極端に少ない。そういうなか,彗星のごとく登場した『質的心理学研究』は,すべての研究者に開かれ,論文の種別を設けず新たなタイプの論文を歓迎している点,400字詰めで8~80枚,さらに審査を経ればそれ以上の枚数の投稿も可能というユニークさで一頭地を抜いている。こういうフレキシブルさの結果としてできあがった『質的心理学研究 第2号』は,まさに興味深い論文が百花繚乱。震災被害や失語症の当事者にとっての意味,中年のライフストーリー,断乳をめぐる母親の経験,幼稚園での子どもの体験,生死,と内容も多岐にわたるにぎやかさである。

 もともと,この研究誌は2001年に出版された『カタログ 現場(フィールド)心理学―表現の冒険』(やまだようこ,サトウタツヤ,南博文,金子書房)に端を発し,「新たな心理学の方法論と表現法を提案するカタログ=見本帳」としてデビューした。そして,2002年の『質的心理学研究 第1号』,今年2003年の第2号というふうに,順風に帆を上げた歩みをみせている。

 まるでアミューズメント・パークのような誌内を探検する楽しみはそれぞれの読者に残しておいたほうがよいに違いないが,ここでは,はずせないと思われる見所を紹介しつつ,『質的心理学研究』から学ぶべきものと,私たちに厳存する課題について書かせていただくことにする。

基本情報

00228370.36.5.jpg
看護研究
36巻5号 (2003年9月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

文献閲覧数ランキング(
8月12日~8月18日
)