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遷延性植物状態患者(以下,植物状態患者とする)と看護師とのはっきりとは見てとれない関係。私はこの関係を探究するために,現象学を手がかりとし,植物状態患者の看護の現場に「身を置くこと」(西村,2002a)を通して看護経験を分けもちつつ,それをインタビューによって開示することを試みてきた。この試みにおいてはもちろん,看護師たちと経験を分けもつことがとても大きな力を与えてくれたが,ここではインタビューにおける「対話」に照準を合わせて,研究方法について考えていきたい。
というのも,一般的にインタビューは,論文内においてはデータを得るための手続きとして述べられており,方法論に関する書物や論文においては,方法論の理論的前提やその特徴とともに,方法論による手続きの相違点や種類などが論じられることがほとんどであった(Boyd,1993;Sorrell & Redmond,1995;Wimpenny & Gass,2000)。
しかしながらこのインタビューは,一連の研究過程の中で研究参加者と最も濃密に関わる機会でもあり,メルロ=ポンティ(1967)の言葉を借りると,現象学的世界が現われてくる「私の諸経験の交叉点」ないし「私の経験と他者の経験の交叉点」といえよう。そして,この関わりがそこに生み出される言葉を大きく左右する(Boyd,1993)。それゆえ,インタビューを手続きとして述べるにとどめるのではなくて,そのただ中で起こっていること自体にも目を向ける必要があると考える。
そこで本稿では,研究参加者とインタビュアーである私との対話とその文脈に注目し,インタビューの中で植物状態患者とのはっきりとは見てとれない関係がいかに語り出されていたのかをひもとくことを試みる。同時に,私はこれまでの研究において,インタビューに「対話式」という言葉を修飾してきた。その根拠についてもみていきたい。
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