臨床皮膚科 62巻6号 (2008年5月)

連載 Clinical Exercise・9

Q考えられる疾患は何か? 堀部 尚弘
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症例

患 者:30歳,男性

主 訴:頭部・顔面皮膚の肥厚と深い皺襞

家族歴:特記すべきことなし.両親・同胞に同じ症状は認めない.

既往歴:特記すべきことなし.

現病歴:20歳頃より両側頭部の皮膚が肥厚しはじめ,25歳頃には顔面・頭部全体までに拡大し,皺襞が形成されるようになった.また,同時期より指趾末端の肥大に気づいた.

現 症:顔面皮膚は全体的に肥厚し,前額部,眉間,下眼瞼,オトガイ部には深い大きな皺襞が形成され,鼻唇溝も深くなっていた.

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要約 60歳,女性.初診の1か月前から背部に掻痒の強い持続性皮疹が生じた.その後,40℃台の発熱(spike fever),四肢の関節痛,咽頭痛も伴った.初診時,背部から腰部を中心に米粒大までの暗赤褐色丘疹が多数集簇して存在し,下背部から腰部では融合し苔癬化様局面を形成していた.また上背部では,Köbner現象と考えられる線状色素沈着を伴う紅斑も認めた.好中球優位(94%)の白血球増多,CRP上昇,フェリチン上昇,肝機能異常,リウマトイド因子陰性,抗核抗体陰性,胸腹部CTで肝脾腫,縦隔リンパ節腫大がみられた.皮疹の病理組織学的所見として,表皮および角層内の特徴的な角化細胞壊死,真皮上層の血管周囲性の好中球,リンパ球浸潤,核塵およびムチン沈着を認めた.以上から,自験例を持続性で掻痒が強く病理組織学的に表皮の角化細胞壊死を伴ういわゆる非定型疹を生じた成人Still病と診断した.プレドニゾロン40mg/日の内服により,皮疹,発熱,関節痛は消失した.

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要約 6歳,男児.1歳頃より日光曝露後,顔面,手背などの露出部に軽度の紅斑,色素沈着および陥凹性瘢痕を生じていた.遮光にて紅斑の出現は減少した.赤血球中プロトポルフィリン,および便中プロトポルフィリンが高値で,骨髄性プロトポルフィリン症と診断した.自験例は赤血球中プロトポルフィリン濃度が高値の割に皮膚症状が軽微であり,また,今のところ肝障害を伴っていなかった.今回,自験例の報告とともに若干の文献的考察を行った.

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要約 68歳,男性.58歳頃から上肢に皮疹が出現し,その後全身に拡大した.62歳頃より多関節痛を認めた.当院初診時,皮疹は紅皮症状態を呈しており,手指の爪には点状陥凹が認められた.リウマチ因子はラテックス凝集反応618IU/dl,RAPA640倍と陽性であり,抗CCP抗体も92.9U/mlと高値を示した.リウマチ因子陽性,MCP関節や手根骨の骨びらんなどのX線所見,治療経過中に出現した右手指のスワンネック変形,尺側偏位などから,関節リウマチと乾癬性紅皮症の合併と診断した.しかし,皮膚症状,爪病変,DIP関節の変形などから関節症性乾癬も考えられ,鑑別に苦慮した.

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要約 20歳,男性.18歳時より,掻痒の強い紅褐色の丘疹が背部に出現し,約3か月間で全身に拡大した.近医で急性痘瘡状苔癬状粃糠疹と診断され,1年間ジアミノジフェニルスルホン(DDS)とステロイド内服で加療されたが皮疹は軽快しなかった.20歳時よりナローバンドUVB照射療法を併用したところ,皮疹は速やかに改善した.その後も2~3週に1回の維持照射で,DDS,ステロイド内服中止後も皮疹の再発はない.本疾患においてナローバンドUVB照射療法は有効である可能性が示唆された.なお,皮疹消退後の斑状皮膚萎縮症様の瘢痕は現在も残存したままである.

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要約 56歳,女性.糖尿病,血液透析中.2006年8月頃より右耳介に圧痛を伴う7mm大の角化性結節が出現した.同年10月,局所麻酔下に軟骨膜上で切除したが3週間後に再発し,2007年1月には左耳介に同様の皮疹が出現した.右耳介結節の病理組織所見では過角化,表皮肥厚,真皮上層の血管増生,真皮膠原線維のフィブリノイド壊死,リンパ球浸潤を認めた.以上の所見から,chondrodermatitis nodularis chronica helicisと診断した.冷凍凝固療法にて疼痛は軽減し,皮疹は徐々に平坦化した.自験例では,誘因は睡眠時の姿勢による物理的刺激などが考えられた.

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要約 18歳,女性.2歳時,若年性関節リウマチを発症した.プレドニゾロン,メソトレキサート,ミゾリビンの内服に加えて,2005年11月よりインフリキシマブ(レミケード®)を月1回投与され,若年性関節リウマチはコントロールされていた.2007年5月頃より下肢に自覚症状のない粟粒大の小膿疱が出現した.その後,体幹や手,足底にも小膿疱が拡大したため,同年6月当科を受診した.膿疱の細菌培養は陰性で,病理所見上,角層下に好中球を入れた膿疱を形成していた.その後も足底の小膿疱は増加し,耳介周囲に鱗屑を伴う紅斑局面が出現した.副腎皮質ホルモン薬の外用とインフリキシマブの一時中止で消退した.

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要約 52歳,女性.18歳時より多発性硬化症にて加療していた.2007年5月より当院神経内科で,遺伝子組換え型インターフェロンβ-1bの隔日皮下注射を,通常の投与量の1/4の200万単位から開始した.7月初めより,下腹部の注射部に一致して,発赤および潰瘍を伴う皮下硬結が生じた.病理組織学的には,真皮の血管と汗腺周囲,および皮下脂肪織に炎症細胞浸潤を認めた.また,真皮,皮下脂肪織の血管に血栓を形成していた.皮膚潰瘍形成の発現機序につき,検討した.

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要約 28歳,男性.10年前に右肘部の皮下腫瘤を主訴に近院を受診し,木村氏病と診断された.ステロイド薬と抗アレルギー薬の内服および放射線治療にて皮下腫瘤は縮小した.その後,右頬部と左肘部に同様の皮下腫瘤が出現し,2004年8月に当院を初診した.左肘部に12×13cm,右頬部に11×8cm大の皮下腫瘤を認め,末梢血好酸球増多とIgE高値を示した.肘部を生検し,木村氏病と診断した.プレドニゾロン20mg/日内服治療単独では無効で,左肘部の皮下腫瘤摘出術と,術後の放射線治療を追加した.右頬部の皮下腫瘤は,摘出術を施行した.肘部の術後2年,顔面の術後8か月の時点で肘部および頬部腫瘤の再発はない.本例においては,ステロイド薬内服に加え,手術療法および放射線照射を併用したことが有用であったものと考えられた.

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要約 3歳,男児.1歳1か月時に全身に緊満性水疱が多発し,病理組織像で表皮真皮間に好中球,リンパ球とわずかな好酸球の浸潤を認め,蛍光抗体直接法で表皮基底膜部に線状にIgAの沈着を認め,1M食塩水剝離皮膚を用いた蛍光抗体間接法で,表皮側にIgAとIgGの線状の沈着をみた.免疫ブロット法では患者血清のIgAとIgGがともに97kDに反応した.以上より,線状IgA/IgG水疱症と診断した.治療はプレドニゾロンとジアミノジフェニルスルホンの内服で経過良好である.線状IgA水疱症は,Duhring疱疹状皮膚炎様の環状配列した小水疱を呈する例は0~1歳児では33.3%で,5~12歳児の64.3%と比較すると少なく,自験例も緊満性水疱を認めたが,Duhring疱疹状皮膚炎様小水疱はみられなかった.

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要約 79歳,男性.2003年5月に前立腺癌を指摘され,2006年6月よりホルモン療法を,2006年3月には上咽頭癌を指摘され,6月より放射線療法と化学療法を施行された.同年8月中旬より臀部,両下肢に掻痒性紅斑と水疱が出現し,徐々に拡大した.初診時,臀部から両下肢にかけて母指頭大までの痂皮を伴う紅斑と水疱が散在し,一部の紅斑の辺縁には小水疱が環状に配列していた.病理組織学的には,好中球や好酸球主体の炎症細胞の浸潤を伴う表皮下水疱を認め,蛍光抗体直接法では表皮・真皮境界部にIgAが線状に沈着していた.線状IgA水疱性皮膚症は悪性腫瘍や自己免疫疾患にしばしば合併し,自験例でも悪性腫瘍が線状IgA水疱性皮膚症の発症に関与したと推察した.

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要約 74歳,女性.約1か月前から仙骨部に腫瘤があり,圧痛が出現した.初診時,仙骨部に7×5cm大の波動を触れる腫瘤を認めた.MRIでは仙骨から尾骨部の皮下に病変があり,両側大臀筋内に拡大していた.脊柱管との交通はなかった.穿刺吸引で黄色漿液を多量に排液した.病理組織学的には,真皮深層に明らかな上皮性の壁構造をもたない腔隙で,仮性囊腫と診断した.穿刺吸引で症状が消失しており,経過観察している.

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要約 64歳,男性.初診の3年前より左臀部の腫脹に気づいた.腫脹は徐々に増大し,小児頭大の隆起性病変となった.CTを施行したところ,左腸骨稜から坐骨結節の範囲で左臀部の皮下に被膜をもつ多房性の囊胞様構造物を認めた.全身麻酔下にて全摘出術を行った.腫瘤は手拳大の囊胞様構造物が3個連なっており,一塊にして可及的に剝離,摘出した.病理組織学的検査ではorganizing hematomaの像であり,臨床経過と併せてchronic expanding hematomaと診断した.経過が長く徐々に増大する腫瘤では,鑑別診断として念頭に置くべき疾患と思われた.

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要約 73歳,女性.初診の約2年前より,四肢の結節が増大してきた.掌蹠には半米粒大の角化性小結節が多発し,四肢に径3cm大までの紅色から褐色の角化性扁平結節が多発していた.病理組織学的には,掌蹠の結節は砒素角化症に,四肢の結節はBowen病に合致した.画像検査では内臓悪性腫瘍は認めない.砒素剤による治療歴や砒素を扱う職業歴はなかったが,生活歴として20歳頃まで井戸水の飲水歴があり,井戸水が砒素により汚染されていた可能性が疑われ,慢性砒素中毒による多発性Bowen病と考えられた.

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要約 55歳,男性.2006年7月頃から頻繁に咳嗽を生じ,当院の呼吸器内科を受診した.諸精査により肺腺癌と診断され,化学療法を開始した.同時期に右第4指に徐々に増大し,圧痛を伴う径約7mmの皮下腫瘤が出現した.一部は自壊し,透明粘液の漏出があり,粘液囊腫などが疑われたが,病理組織学的所見より肺癌の皮膚転移と診断された.さらに3か月後には,左側頭部に潰瘍を伴う径約10mmの紅色隆起性腫瘤が出現し,やはり肺癌の皮膚転移と診断された.さらに化学療法を施行したが,急性呼吸不全で5.5か月後に永眠した.指尖部への皮膚転移は比較的稀である.当科で過去15年間に経験した肺癌の皮膚転移17症例についてまとめた.

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要約 77歳,女性.右第2~3指間を刺咬され,2時間後に受診した.腫脹は急速に拡大し全身浮腫をきたし,ミオグロビン尿症,DIC,腎不全,腸管壊死を順次合併し,23病日に死亡した.重症化の指標として血清クレアチニンキナーゼ値と白血球数値が有用と思われた.

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要約 56歳,女性.22年前に両腋窩に皮疹が出現し,Hailey-Hailey病と診断された.2003年4月頃より皮疹の増悪を認め,近医でステロイド外用を行ったが単純塗擦で軽快せず,さらに大量にリント布を用いて貼布したところ皮疹は拡大し,大腿から下腿にまで浮腫性紅斑,びらん,膿疱が出現したため当科を受診した.病理組織学的に表皮細胞の棘融解像に加えて,表皮内に膿疱を認めた.培養ではMRSA陽性であった.ステロイド貼布を中止し,抗菌薬の点滴により皮疹は軽快した.大量のステロイド外用により局所免疫能が低下し,細菌感染を合併して皮疹が拡大したものと考えた.

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要約 症例1:64歳,女性.無職.初診3か月前より,外傷などの誘因なく左前腕に糜爛を伴う紅色局面が,横断方向に3個出現した.症例2:76歳,女性.農業.転倒し右前腕に擦過傷を受傷.その後,同部位に痂皮を伴った結節が多発し,さらに左前腕にも痂皮を付着する浸潤性局面と,その上方に連続性に皮下腫瘤を認めた.病理組織所見,真菌培養所見より,スポロトリコーシスと診断した.症例1,2ともヨードカリ内服にて治癒した.いずれの症例も特異な臨床像を呈し,分類に窮したが,病巣の拡大は自家接種によるものと考え,固定型と診断した.

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要約 59歳,男性.右肘部の紅色局面を生検し,固定型スポロトリコーシスの診断のもと,イトラコナゾール(ITCZ)6週間の内服にて,10週後には略治した.皮膚スポロトリコーシスの治療にはヨウ化カリウム(KI)ないしITCZが用いられる.過去の報告では,KIは固定型・リンパ管型いずれにも効果が高かった.一方,ITCZは,固定型にはKIと比較して治癒率・治癒までの投薬期間ともに有意な差は認められなかったが,リンパ管型に対する効果はKIに比べ劣っていた.リンパ管型には過去の報告の通りKIを選択すべきであるが,固定型に対しては,患者のコンプライアンスなどを考慮して,ITCZあるいはKIのいずれかを選択することが可能であると考えた.

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要約 83歳,男性.陰囊,陰茎部のPaget病にて,両鼠径リンパ節郭清術を施行した.術後,リンパ漏が生じ,ステロイド局注およびOK-432局注による硬化療法を施行した.右側のリンパ漏による囊腫の再発は認めなかった.しかし,左側は硬化療法施行3日後には,手拳大の囊腫となった.そこでパテントブルーを用いてリンパ漏部を同定,結紮したところ,リンパ漏は改善した.

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はじめに

 歴史的にみても,人の目につきやすい慢性の皮膚病患者が,差別や迫害の対象にされやすかったことは洋の東西を問わない.その代表がハンセン病である.その昔,感染性が危惧され,患者の隔離療養が言われたこともあったが,現実には人々の日常生活のレベルが向上するにつれ消滅してきた疾患である.

 ところが,本邦では1930年代に入って医師が先頭に立ち,法的な患者の強制収容という人権侵害を加えていった.列強大国の仲間を入りするために,という時代風潮を反映し,民族浄化というナチにもみられたような旗印のもとに「癩予防法」が制定され,患者の終身隔離政策がとられた.そこでは医療従事者が不必要なまでに過度な防御服をつけ,厳重な消毒を行い,断種手術,人工中絶,さらには療養所長でも患者への懲戒検束権を行使できる監禁室が設けられていった.このような社会的な状況のゆえにこそ,北条民雄の「いのちの初夜」や小川正子の「小島の春」のような文学作品も生まれている.

 戦後でも発症率の激減や,国際らい学会からの強制隔離の全面破棄が求められてはいたが,現実に癩学会から患者への謝罪声明が出され,隔離政策のもととなった「らい予防法」の廃止が決まったのは,たかだか今から十年あまり前のことである.

 しかし,戦前でも少数ではあるが,大学での外来治療や治療施設での経験から本症の治癒の可能性を発言していた桜根孝之進,谷村忠保,太田正雄などのいわゆる「大学派」と呼ばれる医師たちはいた.なかでも,膨大な患者家族や親戚関係を江戸時代までさかのぼって追跡調査した記録を基に,この弱毒の病原菌によっては少数ながら感受性をもつ特別な人にのみ感染が起こりうるが,社会的に患者を終身強制隔離する必要なぞないと主張し続け,常に患者の側からの視点に立って彼らを護りつつ診療を行っていた京都大学皮膚科特別研究室(通称,特研)の医師,小笠原登助教授の存在については,今では皮膚科医の間でもほとんど知られていない.

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あとがき 天谷 雅行
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 投稿規定の中で,掲載された論文の著作権を出版社に譲渡する書類を投稿の際に提出することが義務づけられている.現在の書式では,著者全員の署名を義務づけている.ところが,明らかに共著者によるものでない署名や,同一人物が全員分を署名したように見受けられるものや,なんと署名の代わりにゴム印を押してきたものまである.海外では,署名は本人のアイデンティティを確認するものとして重要である.日本では,印鑑がその役割を果たすことが多いが,本人による署名を求める書類も少しずつ増えてきている.一方で,共著者が複数の施設にまたがっていたり,すでに他の施設に異動していたり,全員の署名を集めること自体がかなりの労力を伴い,投稿の際に苦労している著者が少なくないのも事実である.一部の海外雑誌では,全員の署名を集める代わりに,共著者の意向を代表することを明記して,著者の代表者のみの署名で認めている.そこで,編集委員会でこれらの現状と問題点を話し合い,以後,共著者全員の署名を求めることをやめて,著者の代表者による署名でよいことにした.ここで,著者の代表者となるのは,誰が最も適切か.筆頭著者 (first author)か,責任著者(corresponding author)か,最終著者(senior author)か.責任著者とは,論文の投稿内容に責任を持ち,掲載後に内容に対する問い合わせがあった場合に責任を持って回答する著者である.実質的に論文作成を指導した著者となるであろう.「臨床皮膚科」では,筆頭著者あるいは責任著者による署名(必ず本人による署名であること)を求めることとした.

 利益相反に関する記述を求めて約1年になるが,混乱もなく定着してきているようである.今後もできるだけ現状に即したよりよい雑誌作りをめざしていきたい.何かご意見があれば,ぜひ編集部までご連絡ください.

基本情報

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臨床皮膚科
62巻6号 (2008年5月)
電子版ISSN:1882-1324 印刷版ISSN:0021-4973 医学書院

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