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はじめに
歴史的にみても,人の目につきやすい慢性の皮膚病患者が,差別や迫害の対象にされやすかったことは洋の東西を問わない.その代表がハンセン病である.その昔,感染性が危惧され,患者の隔離療養が言われたこともあったが,現実には人々の日常生活のレベルが向上するにつれ消滅してきた疾患である.
ところが,本邦では1930年代に入って医師が先頭に立ち,法的な患者の強制収容という人権侵害を加えていった.列強大国の仲間を入りするために,という時代風潮を反映し,民族浄化というナチにもみられたような旗印のもとに「癩予防法」が制定され,患者の終身隔離政策がとられた.そこでは医療従事者が不必要なまでに過度な防御服をつけ,厳重な消毒を行い,断種手術,人工中絶,さらには療養所長でも患者への懲戒検束権を行使できる監禁室が設けられていった.このような社会的な状況のゆえにこそ,北条民雄の「いのちの初夜」や小川正子の「小島の春」のような文学作品も生まれている.
戦後でも発症率の激減や,国際らい学会からの強制隔離の全面破棄が求められてはいたが,現実に癩学会から患者への謝罪声明が出され,隔離政策のもととなった「らい予防法」の廃止が決まったのは,たかだか今から十年あまり前のことである.
しかし,戦前でも少数ではあるが,大学での外来治療や治療施設での経験から本症の治癒の可能性を発言していた桜根孝之進,谷村忠保,太田正雄などのいわゆる「大学派」と呼ばれる医師たちはいた.なかでも,膨大な患者家族や親戚関係を江戸時代までさかのぼって追跡調査した記録を基に,この弱毒の病原菌によっては少数ながら感受性をもつ特別な人にのみ感染が起こりうるが,社会的に患者を終身強制隔離する必要なぞないと主張し続け,常に患者の側からの視点に立って彼らを護りつつ診療を行っていた京都大学皮膚科特別研究室(通称,特研)の医師,小笠原登助教授の存在については,今では皮膚科医の間でもほとんど知られていない.
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