生体の科学 70巻1号 (2019年2月)

特集 脳神経回路のダイナミクスから探る脳の発達・疾患・老化

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 本特集号の巻頭言を書くにあたり,約30年前に出版された塚原仲晃先生の名著「脳の可塑性と記憶(岩波書店:オリジナル版は紀伊国屋書店から刊行)」を読み直した。改めて述べるべくもないが,塚原先生は「ネコ赤核ニューロンのシナプス可塑性研究」で世界的に著名であり,世界の神経可塑性研究をリードした研究者の一人である。その著書の内容を改めて精読すると,神経回路機能の本質はその動的性質つまりダイナミクスにあることを看破しており,まさに慧眼である。翻って考えると,この30年間で神経可塑性研究はどのように進化してきたのであろうか? 明らかな進歩は,遺伝子・分子情報の爆発的な増加である。脳神経科学は,分子生物学と遺伝学の手法をうまく取り入れ,更にゲノム情報を活用することにより,神経回路の構築原理や作動原理の理解が分子レベルで格段に深まった。もう1つは,生体脳を扱う技術の圧倒的な進化であろう。生体内の脳神経回路への長時間アクセスが困難であったために,スナップショットレベルの観察データをもとに議論せざるを得ない状況が長らく続いていた。しかし,この10年間において脳の長時間生体イメージングや光遺伝学などの画期的な技術開発が興り,今まさに神経回路の制御と機能をダイナミクスという観点から理解するための機が熟したといっても過言ではない。

 神経回路ダイナミクスという視点からヒトの一生をみると,脳神経回路は異なる年齢層において,異なる制御による再編を受けており,しかもその異常は様々な脳疾患と密接にかかわることが見えてくる。出生後数か月から数年間は,生後の様々な経験に基づいて“不要なシナプス(神経回路)”が選択的に除去されることにより,脳の機能成熟が促進される。多くの自閉症患者の脳ではシナプス除去に異常が認められることから,発達期のシナプス除去異常は自閉症の一因である可能性が考えられている。青年期になると,シナプス数は一見すると一定数に保たれているように見えるが,局所に着目すると,記憶や学習など脳機能の発現に伴い,常にシナプスの除去と形成がダイナミックに起こっている。このとき,除去と形成が時空間的なバランスを保つよう制御されて起こっているために,シナプス数は一定に保たれていることがわかってきた。この“除去と形成の定数制御”が崩れてシナプス数が減少すると統合失調症につながることも見えてきている。更に老齢期になると,“除去と形成のバランス”が徐々に崩れてシナプス数は減少し,この減少は脳機能低下の一因と考えられる。更にアルツハイマー病などの認知症では,このシナプス数の減少が加速することがわかっており,この老齢期における“除去と形成のバランス”の過剰な崩れを是正することが,認知症の進行を抑制するためのターゲットの一つとも考えられる。

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 脳神経回路は,成熟したのちもシナプス・レベルにおいて解体と再編を繰り返し,神経回路を機能的に改変することによってまわりの環境に適応し,高等動物らしい高度な行動レベルを維持していく。このような解体と再編の形質は可塑性と呼ばれ,学習や記憶の基礎的な基盤となっている。神経が外界からの入力変化によってその受容の仕方が変化するということは,シナプス長期増強などを含め,古くからよく研究されてきた。ただ,シナプスで実際に分子のレベルでどのような改変が起こっているのかは,顕微鏡技術の飛躍的な進歩が起こる最近までほとんど解明できない状態でいた。それと同様に,シナプスの経験依存的な変化には神経細胞間のタンパク質のやり取りが重要な役割を担っていることは近年までよくわかっていなかった。

 筆者らは成体の神経回路において,ショウジョウバエの視神経という単純なシステムに目を向けて,外界からの刺激に対する要・不要シナプスの解体と再編が存在することを見いだした1)(図1)。それによって,視神経系は寿命の短いショウジョウバエが成体になってからも神経回路を柔軟に可塑的な変化をする数少ない神経システムであることがわかった。筆者らはこの柔軟で単純なシステムを用いて,そのシグナルの一つとしてWNTが働くことを示し,後シナプスから一部のシナプス除去・付加を働きかけることを見いだした。そこで,要・不要を規定するシグナルは,ほかにどのようなものがあるか,それらはどのように時空間的に制御され,脳の機能の改変につながっているのか,その遺伝子機能の破綻による神経疾患との関連を解明することを目的に研究を行っている。ここでは,この研究に至った背景と,最近の成果を概説する。

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 脳神経回路のシナプス結合は胎児期に過剰に形成されるが,その大部分は発生期で必要な一部を残して切断・除去される。このとき,神経細胞の約半分がアポトーシスにより除去されるが,シナプスや樹状突起など生きた細胞の一部(コンパートメント)が貪食されることで神経回路が切断されることが知られている。本稿では生きた神経細胞の一部がいかにして貪食されるのか,そのメカニズムについて最近の知見を踏まえて議論したい。

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 脳の機能的可塑性の一部は,脳神経ネットワークの構造可塑性により担われている。生後発達期のヒト脳では,胎児期に形成された神経ネットワークのなかから,必要な神経回路が強化されると共に,不要な回路の除去が行われることにより,脳神経ネットワークの機能的成熟が進むと考えられている。一方,中枢神経系においては,いったん失われた神経回路は再生しないと信じられてきたが,近年の研究から,in vivo条件下においても神経突起再生を誘導できることがわかってきた。本稿では,不要神経回路の除去システムの一つである神経突起除去メカニズム,および神経突起再生メカニズムに関して,最近の研究成果について概説する。

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 神経細胞の軸索起始部(axon initial segment;AIS)は,細胞体の近くに位置する軸索コンパートメントであり,活動電位の生成部位として神経細胞の出力決定にかかわる。AISの長さや位置は神経細胞ごとに異なり,この違いは回路機能と密接に連関することが知られている。更に,このAIS分布は,神経活動に応じてダイナミックに変化する。本稿では,最近明らかになってきた,これらAIS分布とその回路機能との連関,更にこのAIS分布を制御する可塑性機構について,聴覚神経回路における筆者らの一連の研究を中心に概説する。

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 脳の機能発達に重要なのは遺伝か,環境かというのは古くから続く議論である。脳の機能のもととなる神経回路のレベルでは,初期の大まかな回路はゲノム情報に基づく遺伝プログラムによって形成され,その後,神経活動に依存したメカニズムによってより正確な,環境に適した,機能的な回路が形成・再編成されると考えられている1)。この一般則がよくあてはまるのが哺乳類の視覚系神経回路の形成過程であり,遺伝プログラムによって発現する軸索ガイダンス分子が大まかな回路の形成に働くこと,いったん形成された回路が環境入力の変化によって可塑的に,神経活動依存的に再編成され得ること,すなわち神経回路の形成には遺伝要因も環境要因も両方が重要であることが示されてきた2)

 回路形成に重要な神経活動には,環境入力によるものに加えて,自発的な神経活動もある。神経細胞は成熟に伴って種々のイオンチャネルを発現し,自発的に発火する。多数の神経細胞は発達過程でシナプスを介してつながり,自発的なネットワーク活動を示す。実際,発達期の哺乳類の網膜では,視覚入力によらない自発的なネットワーク神経活動が頻繁にみられ,この神経活動も視覚系回路形成に重要な役割を担うことが示されてきた3)

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 大脳皮質視覚野が関与する視覚機能の多くは,生後の視覚体験の影響を受けて発達する。生後発達期に視覚体験を欠くと,視覚能力が低下することがヒトを含む多くの哺乳類において報告されている。例えば,発達期にラットの両眼の瞼を縫合し視覚体験を経ないまま成熟すると,視力が著しく低下する1)。ヒトにおいては,先天性白内障により生後しばらくの期間,形態視が遮断されると,手術により白内障が改善しても視力は低下している。しかしながら,発達期の間であれば,その後に視覚体験をすると正常な視力レベルに回復する2)。これらのことは,視覚機能の発達には視覚体験が重要であることを示している。

 発達期の視覚体験が大脳皮質一次視覚野の視覚反応や神経回路構築にどのような影響を与えるかについて,これまでにネコやラット・マウスなどを対象に精力的に研究されている。本稿では,筆者らの研究を中心に,視覚反応の発達や神経回路の構築に生後の視覚体験が果たす役割について紹介する。また,一次視覚野の可塑性機構は眼優位可塑性をモデルに解析が進められている。眼優位可塑性やその感受性期については,誌面の都合上,本稿では取り上げない。他の優れた総説を参照していただきたい3)

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 脳発生の初期段階では胎生期に分化した神経細胞が位置情報を受け取り,最終目的地に移動を行い,シナプス結合する相手に向けて軸索末端や樹状突起の伸長を行う。これらの一連のイベントには遺伝情報が大きく関与することが知られている。しかし,生後の発達期になると外部からの入力に合わせて,更に軸索末端や樹状突起の形態を再編させて効率的な神経回路を形成する“可塑性”があることが知られている。発達期に脳が可塑性を持つことは,発達環境に合わせて効率良く対処できるように,脳の他の領域の神経細胞とのネットワークを変化させて,脳全体が連動して素早く反応できるようになるために重要なシステムである。このメカニズムをマウスの体性感覚野をモデルとして行われた研究を中心に紹介する。

痛みと神経可塑性 加藤 総夫
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 “痛み”は,個体の生存可能性を向上させるうえで最も中心的な有害状況警告機能である。ヒト先天性無痛無汗症患者は,外傷,熱傷・凍傷,骨折,脱臼,そして関節破壊などを繰り返し,生命もしばしば脅かされる1)。ショウジョウバエのpainless遺伝子に変異を持つ幼虫は,高温に対しても逃避行動を示さず熱傷を負い死亡する2)。カンブリア紀のアノマロカリスや三葉虫の化石の多くには,硬い殻を捕食者に噛みつかれた跡が残っている3)。身体の傷害を検出してそれに対応・適応する能力は,生物が脳や目を獲得した5億年前ごろにはもう備わっていたと推察される。

 このように,進化で獲得された有効な生存戦略であったはずの痛みであるが,人類の医療のコンテクストでは,その苦痛ゆえに,解決・解消・緩和されるべき問題となり,医療機関を受診する最も頻度の高い動機になっている。有害状況の警告である以上,“苦しい”負の情動価値を持つことは当然であり,しかもその優先度の高さは,食欲や性欲などの行動や思考,学習,そして社会活動や日常生活にも影響を及ぼす。更に,過去の痛みの記憶や今なお続く痛みの苦しみ,そして将来の痛みの回避など,時間を超えて動物の行動や意思決定に影響を及ぼし続ける。ここに神経可塑性が関与することは言うまでもない。この痛みの問題の複雑さを理解することは,臨床医学のみならず,ダーウィン的な意味でのサバイバル機構の生物原理の理解のためにも必須である。

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 脳は経験に基づき内部モデルを構築し,外界の現状と未来を予測する(予測符号化)。認知が脳内の階層的回路を可塑的に変化させて,トップダウンな予測をボトムアップな外部感覚入力と一致させる過程であるのに対して,目的達成行動は自身が行為を加えて外界を変化させることによって,ボトムアップな感覚入力を人為的に変化させ,トップダウンな予測情報に一致させる過程である(能動的推論)。内部モデルの構築とその役割を解明することは,多岐にわたる高次脳機能の作動原理を解明するうえで最も重要な課題である。

 この総説は,筆者が執筆に加わった「日本学術会議提言,脳科学における国際連携体制の構築—国際脳科学フロンティア計画と国際脳科学ステーションの創設—」1)のなかで筆者が執筆した内容と一部重複する。本総説が,読者の皆さんがこの提言の全体を広く読んでいただく契機ともなれば幸いである。

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 動物は内的状態に応じて様々な感覚情報への応答を変化させる。例えば覚醒時には睡眠時に比べ感覚刺激全般に鋭敏に反応する。飢餓状態では食物の匂いにより鋭敏に反応し,逆に有害物質に対する忌避的応答は抑制される。不安・恐怖状態では,忌避的な刺激への応答は促進される一方で,誘引的な刺激への応答は抑制される。このように多様な感覚応答の変化は,刻一刻と変化する必要に応じて最適な行動をとるための重要な機能と考えられる。本稿では,この問題に関する知見を俯瞰する。

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 動物は,環境中の物理的な状態を感覚情報として読み取り,それに応じて適切な運動パターンを選び取ることで,適応的な行動をとるしくみを持つ。感覚情報がどのようにして脳内で処理され,それが最終的に動物行動の選択につながるのかという問題は,神経科学における大きな課題のうちの一つである。近年,脊椎動物モデルであるゼブラフィッシュ稚魚を用いることによって,この課題に新たな切り口から迫る研究が展開されている。本稿では,ゼブラフィッシュの視覚系に注目し,行動を選び出すための神経回路メカニズムに迫る研究を紹介したい。

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 末梢神経は神経損傷後に神経自身の状態や環境により再生と変性の運命が分かれる。この再生と変性の違いはいかにして生じるのであろうか。筆者らは損傷神経の再生と変性の過程における分子発現やオルガネラ,細胞動態の全貌の解明を目指して永年このテーマに取り組んできた。最も単純な運動神経のみから成る舌下神経を損傷モデルに選び,神経損傷後の運動神経細胞で生じる様々な分子動態や細胞間イベントに着目し,その再生・変性にいたる分子基盤の解明を行ってきた。その結果,遺伝子発現のスイッチングやオルガネラのダイナミックな動態,細胞間のインターラクションの変化など多くの再編現象(スクラップ&ビルド)にかかわる知見が見つかっている。

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 ニューロンの大部分は胎生期に産生され,成熟した脳内ではニューロンの新生は特定の領域のみで限定的に行われる。よって,脳卒中や低酸素脳症などにより大規模にニューロンが脱落すると,ニューロンはほとんど再生されることなく,神経機能は長期にわたって障害される。現時点では有効な治療法がないこれらの病態に対して,再生医学的な治療法の開発が模索されている。

 側脳室周囲の脳室下帯は,成熟後もニューロンを持続的に産生している特殊な領域の一つで,ここで産生された幼若な新生ニューロンは脳内を長距離にわたって移動し,神経回路の可塑性や再生に寄与していることがわかってきた。しかし,この内在性のシステムによって再生されるニューロンはごく少数であり,失われたニューロンの機能を代償するのは不可能である。よって,脳室下帯におけるニューロン新生のメカニズムを解明し,この過程を促進する介入法を見いだすことは内在性のニューロン再生システムを活用した再生医療の開発に向けて必須な課題である。本稿では,特に新生ニューロンの移動過程に焦点を絞り,その制御メカニズムや傷害部への供給の促進法について最新の知見を含めて概説する。

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 身の回りの様々な危険を感じ適切に対処することは,われわれヒトを含む動物が生き残るために重要である。動物は五感すべての感覚を用いて危険を察知するが,齧歯類など多くの動物では,揮発性の化学物質(におい物質)に対する感覚,すなわち嗅覚が重要な役割を果たしている。代表的な例が,天敵のにおいに対するマウスの恐怖反応である。マウスは天敵から分泌されるにおいに対して恐怖の反応を示し,逃れようとする。この恐怖反応は,天敵に遭遇した経験のない実験室のマウスでも起こる,本能的な反応である。

 近年,遺伝子改変マウスや光遺伝学など,神経回路解析のための様々な技術の発達により,天敵のにおいを検出して恐怖反応を引き起こすメカニズムが明らかになりつつある。外界の刺激(におい)に対する本能的恐怖のしくみを理解することにより,われわれヒトが恐怖を感じるメカニズムに対しても理解が進むことが期待できる。本稿では,マウスにおいて天敵のにおいの情報が鼻から脳へ伝えられ,恐怖反応が起こるしくみについて,概説する。

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 深層ニューラルネットワークによるディープラーニングの技術は,2012年のILSVRC(ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge)において圧倒的な精度で優勝して以来極めて速い速度で進化しており,既に一般画像認識では人の認識精度を上回ることが示されている。医療画像に関しても急速に応用が進んでおり,放射線画像や皮膚の肉眼写真などでは疾患を限定すれば既に医師に匹敵する性能を発揮している1,2)。一方,病理組織像の認識については,がん細胞3)や細胞核4),細胞分裂像5),腺管6)などの特定の対象物の検出から,腫瘍の分類・グレード判定7,8),免疫染色の定量的評価9)など様々なアプリケーションがあるが,やはり深層学習技術の登場以来劇的に性能が向上している。例えば,2017年における乳がんのリンパ節転移の検出の報告など,ディープラーニングにより部分的には病理医のパフォーマンスを上回ることが報告されている3)。その一方で,病理画像は一般画像や他の医療画像とは異なる特徴があることが解析の障壁となっている。本稿では,人工知能技術を用いて病理画像を解析する際に生じる問題,およびそれらを解決するための技術的側面について述べる。

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目次

次号予告

財団だより

書評 飯原 弘二

あとがき 岡本 仁
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 与えられた環境に応じてその中の神経回路を自在に変化させられることが,脳の最も重要な機能だといえます。したがって神経回路の可塑性機構の解明は,脳科学の常に中心課題でした。本号での榎本先生の編集による特集では,このような神経回路の改変(スクラップアンドビルド)が,シナプスにおける受容体の修飾や構成変化による長期増強や抑圧などだけでなく,神経細胞以外のグリア細胞などによる貪食作用など,様々な要素を巻き込んで引き起こされることが明らかになりました。このような神経系の異常は,精神疾患の発症の原因と深く関わっていると考えられてきています。今後の研究のますますの発展が期待されます。

 特集の編集にあたられた榎本先生をはじめ,執筆を担当された諸先生方,さらに大変興味深い解説記事をご執筆いただいた川村先生と近藤先生に深く感謝いたします。

基本情報

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生体の科学
70巻1号 (2019年2月)
電子版ISSN:1883-5503 印刷版ISSN:0370-9531 金原一郎記念医学医療振興財団

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