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本特集号の巻頭言を書くにあたり,約30年前に出版された塚原仲晃先生の名著「脳の可塑性と記憶(岩波書店:オリジナル版は紀伊国屋書店から刊行)」を読み直した。改めて述べるべくもないが,塚原先生は「ネコ赤核ニューロンのシナプス可塑性研究」で世界的に著名であり,世界の神経可塑性研究をリードした研究者の一人である。その著書の内容を改めて精読すると,神経回路機能の本質はその動的性質つまりダイナミクスにあることを看破しており,まさに慧眼である。翻って考えると,この30年間で神経可塑性研究はどのように進化してきたのであろうか? 明らかな進歩は,遺伝子・分子情報の爆発的な増加である。脳神経科学は,分子生物学と遺伝学の手法をうまく取り入れ,更にゲノム情報を活用することにより,神経回路の構築原理や作動原理の理解が分子レベルで格段に深まった。もう1つは,生体脳を扱う技術の圧倒的な進化であろう。生体内の脳神経回路への長時間アクセスが困難であったために,スナップショットレベルの観察データをもとに議論せざるを得ない状況が長らく続いていた。しかし,この10年間において脳の長時間生体イメージングや光遺伝学などの画期的な技術開発が興り,今まさに神経回路の制御と機能をダイナミクスという観点から理解するための機が熟したといっても過言ではない。
神経回路ダイナミクスという視点からヒトの一生をみると,脳神経回路は異なる年齢層において,異なる制御による再編を受けており,しかもその異常は様々な脳疾患と密接にかかわることが見えてくる。出生後数か月から数年間は,生後の様々な経験に基づいて“不要なシナプス(神経回路)”が選択的に除去されることにより,脳の機能成熟が促進される。多くの自閉症患者の脳ではシナプス除去に異常が認められることから,発達期のシナプス除去異常は自閉症の一因である可能性が考えられている。青年期になると,シナプス数は一見すると一定数に保たれているように見えるが,局所に着目すると,記憶や学習など脳機能の発現に伴い,常にシナプスの除去と形成がダイナミックに起こっている。このとき,除去と形成が時空間的なバランスを保つよう制御されて起こっているために,シナプス数は一定に保たれていることがわかってきた。この“除去と形成の定数制御”が崩れてシナプス数が減少すると統合失調症につながることも見えてきている。更に老齢期になると,“除去と形成のバランス”が徐々に崩れてシナプス数は減少し,この減少は脳機能低下の一因と考えられる。更にアルツハイマー病などの認知症では,このシナプス数の減少が加速することがわかっており,この老齢期における“除去と形成のバランス”の過剰な崩れを是正することが,認知症の進行を抑制するためのターゲットの一つとも考えられる。
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