公衆衛生 81巻4号 (2017年4月)

特集 原子力災害と公衆衛生—避難指示解除後の地域復興に向けて

  • 文献概要を表示

 日本で発生した原子力災害として1999年9月30日に発生した茨城県東海村核燃料加工施設JCOの臨界事故があります.しかし,長期にわたり多数の住民が自治体ごと避難を強いられる事態となった原発事故は福島第一原発事故が初めてです.2017年2月現在も事故を起こした原発廃炉作業が進められており,いまだ予断を許さない状況にあります.発災後6年を経て,田村市,川内村,楢葉町,葛尾村,南相馬市と,避難指示解除区域が拡大してきています.全村避難している飯舘村の大部分も2017年3月末に避難指示が解除されます.

 地域の再生や復興の計画が作られ,進められていますが,自然災害とは異なり,避難指示解除後も元の生活に戻る住民数が予測できない厳しい現実に直面しています.自然災害に対する公衆衛生活動については阪神・淡路大震災以後,保健師の応援・派遣体制や公衆衛生支援チームの創設も進められています.しかし,福島の原発事故のような原子力災害に対してはどのような公衆衛生活動支援をしていく必要性があるのかについてはまだ先が見えていません.福島第一原発事故後の現実を見つめ,今後の原子力災害時の公衆衛生活動を考えていく必要があります.

  • 文献概要を表示

はじめに

 2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災,そして,それに引き続き起こった東京電力福島第一原子力発電所事故(以下,福島原発事故)から早6年が経過し,7年目になろうとしている.東日本大震災時に生まれた赤ちゃんが,小学校に入学する,という期間と考えれば,その時間は決して短くない.しかし,筆者にはこの6年,目まぐるしい状況の変化の中で,自らも悪戦苦闘してきており,あっという間に感じるというのが実感である.

 本誌では,東日本大震災発生の2011年11月には,特集「放射線と向き合う」が企画された.公衆衛生関連の雑誌で,放射線を特集したものとしては,かなり早い時期であり,阿彦忠之編集委員他に敬意を表したい.当時,福島原発事故は,“放射線”のみが注目され,その他の健康問題はほとんど着目されなかった.さらに翌年12月には,特集「原子力災害と公衆衛生」が組まれた.高鳥毛敏雄編集委員があとがきで「原発災害の見えない部分を全国に発信していただきたいと,この間考えてきました」と書いているが,福島での問題は“放射線”だけではなく,“見えない部分”が大変多く,そこに問題がある,ということを見抜いた企画であると,その慧眼に頭が下がる.

 毎年3月11日が近づくと,“震災後○年目”と銘打った企画・報道が雑誌,新聞,テレビ等で見られるが,その後は,潮が引くように企画・報道は激減するのが実態である.特に,昨年,2016(平成28)年4月に発生した熊本地震やその後東北・北海道を襲った台風等次々に災害が起こったため,東日本大震災,福島原発事故の報道される回数・量が著しく減少している.報道の回数・量の減少は,人々に,“何も起こっていない=問題はない”との認識を結果的に与えてしまっている可能性がある.今回,改めて本特集が組まれた意義は極めて大きいと考える.その理由は,東日本大震災,そして,福島原発事故の風化である.復旧・復興が劇的に進展しているのでもなく,遅々として進まぬ復旧・復興の中で,人々の健康課題は多岐にわたり存在し,公衆衛生関係者の役割はさらに大きくなっている.

 ここでは,避難指示解除時期までの公衆衛生の課題の変遷と展望について求められているが,解除時期が市町村,地区によって異なる状況で,課題や展望も異なり,一概に言うことはできない.また,もとより,全体を網羅することは浅学菲才の筆者には不可能であり,その点はご容赦いただきたい.

  • 文献概要を表示

はじめに

 2016(平成28)年3月で東日本大震災から5年が経過する.集中復興期間から被災地の自立につながるものとし,地方創生のモデルとなることを目指すため同年4月から復興・創生期間に入ったが,今なお(同年12月現在)福島県内外に82,547人が避難している.

 2011(平成23)年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は,マグニチュード9.0の激震であり,それに伴う大津波により,本県では沿岸部の浜通り地方が大被害を受け,また,中通り地方等でも建物の倒壊等の大被害を受けた.さらに,東京電力福島第一原子力発電所事故が発生し,放射性物質が大量に放出される原発災害となり,この3つの災害が広域同時多発であったことから,市町村はじめ行政機能そのものが大被害を受けることとなった.

 このため,避難指示等により最大数164,865人2)の県民が県内外に避難し,健康支援活動にも大きな影響を及ぼした.原発災害の影響が大きい市町村では,避難指示による住民の分散避難や役場機能の移転などにより,避難者の緊急被ばくスクリーニング検査を当初優先する必要があったことから,市町村や県内の関係団体等の協力で初動対応をしてきた.さらに,県外から保健師や支援調整職員の派遣など,被災住民への地域保健・健康支援活動に対して,多くの専門職等による支援を受けた.

 本稿では,それらの状況を踏まえ,福島県における原発災害後の公衆衛生体制の現状と課題について報告する.

  • 文献概要を表示

はじめに

 東日本大震災・福島第一原子力発電所の事故(原発事故)から6年が経過した.未曽有の複合災害の発生からこれまでの間,全国からさまざまな支援を受け,いわき市では市を挙げた復興への取り組みが進められてきた.本市は被災地でありながら,周辺の原発立地地域より多数の避難者の受け入れを行ってきた.さらに本市には現在,廃炉,除染そして市内の復興などのために市外から多数の労働者も来ており,さまざまな背景を持つ人が住んでいる.

 市内では災害公営住宅(地震・津波被災者等向け)1,513戸が既に完成し,入居が始まっている.また原発事故避難者向け(他自治体向け)の復興公営住宅1,768戸の建設が予定されており,494戸〔2016(平成28)年11月30日現在〕が完成しこちらも既に入居が始まっている.

 本稿では震災・原発事故からの6年間を振り返り,東日本大震災・原発事故が本市の地域保健(医療)体制へ及ぼした影響と現在の課題等についてまとめてみたい.

  • 文献概要を表示

はじめに

 福島県浜通りは,北は宮城県に接する新地町から南はいわき市まで福島県の東部太平洋沿岸に位置する一帯を指し,東日本大震災では福島県において最も大きな被害を受けた地域である(図1).加えて,福島第一原子力発電所事故後には,半径20km圏内は警戒区域として立ち入りが禁止され,20〜30km圏内は緊急時避難準備区域(緊急時に屋内退避または避難),そして20km圏外においても事故後の年間積算被ばく線量が20ミリシーベルトを超える地域は計画的避難区域として住民に避難が求められた(図2)1).当然ながら,避難指示区域内では医療機関や介護福祉施設は施設避難せざるを得ず,避難指示区域外に位置した医療機関や施設でも,地震による被害に加えて,スタッフや物資が不足するという困難な状況に遭遇した.

 その後,福島第一原子力発電所の復旧作業が進み,地域の環境除染が進む中で,2014(平成26)年には田村市と川内村の避難指示区域となっていた一部が,そして2015(平成27)年には楢葉町,2016(平成28)年には川内村全域において,さらには葛尾村と南相馬市小高区の避難指示が解除された.今後,当該地域では帰還する意向を持つ避難住民に加え,廃炉作業員や除染インフラ復旧作業員など合わせておよそ50,000人を超える対象人口が想定されている2)

  • 文献概要を表示

はじめに

 2011年3月11日,東日本大震災時の福島第一原子力発電所の爆発事故は,本邦で初めての国際原子力事象評価尺度レベル7規模の重大事故として,国内外の人々に衝撃を与えた.東北沿岸部地域は地震や津波被害によってすでに深刻なダメージを受けていたが,原発災害はこの地域にさらなる異質の空間性と時間性を有したダメージを与えた.空間性,それは本災害の空前の広がりを示している.沿岸部はもとより,福島県に広く放射性降下物による影響が認められ,その影響の広がりをめぐっては,除染の進展とは別に,今でも活発に議論されている.これは畢竟(ひっきょう)次のような問いを生む.“福島ではどこまでが被災地なのか”,国外を考えると,日本全土を被災地と見なしている人もいるかもしれない.すなわち災害被災地という言葉が有するある種の限局性(通常は破壊されているところが被災地である)が原発災害では当てはまらない.自然災害とは様相が異なり,非被災地との境界があいまいな空間性を有する.

 もう一つ,原発事故ではその時間性に大きな特徴がある.たとえば自然災害であれば,通常は瞬時,単回の発生がその特徴である.すなわち,ほとんどの自然災害は長期的影響を持ったとしても,発生当初にもっとも被害が集中するのである.そして大規模であればあるほどその後に長く影響が残る.医学モデルで言えば骨折モデルであるし,通常の単回性トラウマ反応モデルでもある.ところが原発災害はそうではない.原発建屋の爆発自体が津波到達から遅れて発生し,事態の深刻さは震災発生からしばらく経過してから顕在化した.2011年12月16日,当時の政府は事故収束を念頭に冷温停止を宣言したが,福島県知事もそのような見解には反発するなど,住民の感覚からは事故が収束したとの実感を持つ者は少ないだろう.そして,多くの住民にとって真の収束を意味する廃炉まではまだ何十年かかるかわからない.このように復興へ向かう時間に対する感覚は,自然災害からの復興とは質的にまったく異なっている.また,原発災害特有の時間性を考えると,開沼1)が述べたように福島では復興が遅いのでなく,むしろ“早過ぎ”るのかもしれない.

 さてそれでは,このような特異な空間性と時間性を有した福島原発災害は,どのような心理社会的影響を住民にもたらしているのだろうか.本稿では,各種調査研究から見た住民や就労者に表れた心理社会的影響について論じる.また周知のように,若年住民の甲状腺がんをめぐっては多くの議論があって,メディアもまた重大な関心を寄せている.しかしながら,そうした関心のほとんどは甲状腺がんの発生率に関するものであり,甲状腺腫瘍が見つかった,あるいはそのスクリーニング検査に望む住民の苦悩にはほとんど関心が向けられることはない.そこで本稿では,そのような甲状腺がん,あるいは甲状腺検査にまつわる住民の心理的苦痛についても,稿が許す範囲で述べてみたい.

  • 文献概要を表示

“福島の問題”の問題構成

 東日本大震災・福島第一原発事故(以下,3・11とする)は少子高齢化や人口流出,医療福祉システムの崩壊,既存産業の衰退,コミュニティ再構築の必要性などをあぶり出した.これは,3・11以前の日本だけでなく,他の先進国も普遍的に抱える傾向にある“慢性病”であった.その慢性病を一気に致命的な状況まで追い込んだのが3・11であった.そのため,いまも続くその最先端の課題は極めて解決が困難であり,そこに向き合うことで得られる教訓は次代につながり得るものでもある.

 その上で,とりわけ“福島の問題”は複雑でどこから手をつけていいものか,どう語っていいかも分からないようにも見える.“福島の問題”の一番の問題は語りづらさである.

  • 文献概要を表示

はじめに

 筆者は,東日本大震災発災の翌年に,科学技術振興機構(Japan Science and Technology Agency;JST)によって採択されたプロジェクトの一員として,主に避難をしている住民の心のケアに携わってきた.3年間のプロジェクト終了後も,飯舘村の健康づくりアドバイザーとして中長期的な支援に関わり,これまで,①心理士として個別相談の実施,②研究者として健診データの解析・健康増進計画の策定,③コミュニケーターとして放射線と健康に関する情報の発信を行ってきた.

 本稿を執筆する現在で震災から5年10カ月が経つが,飯舘村はいまだ全村避難が続いている.2017(平成29)年3月末に,村の一部の帰還困難区域を除く大部分の行政区での避難指示が解除される予定であるが,「農業ができるのはまだまだ先で,生活の見通しがつかない」「森林も含めると生活圏内の除染は終わっていない」「介護などの心配があり,年寄りだけでは生活ができない」など,先行き不安・不信の声が聞こえてくることも少なくない.なかには,避難先の新天地で新たな生活を始める人,村で長期宿泊を始めて生活再建を進める人,そして,いまだ判断がつかず仮設住宅で過ごす人など,村民の復興のプロセスは多様化している.あらためて「避難指示をどう解除するか」「行政と住民を含めたステークホルダー間で,どのようにコンセンサスを形成していくか」「村民一人一人の生活を再建するために研究者は何ができるか」という大きな課題に直面しているところである.

 本稿では,震災後の復興期における住民と村行政,そして研究者をつなぐ役割を担ってきた立場として,これまで行ってきた公衆衛生活動の成功点と改善点を検討していきたい.

  • 文献概要を表示

はじめに

 福島第一原子力発電所事故(原発事故)により福島県の市町村の住民に出されていた避難指示が,帰還困難区域を除いて2017年3月末に大部分が解除される.2011年5月,全国の応援保健師とともに南相馬市に入った時には先行きが見えない状況であったことからすると,避難指示が解除される状況となったことは信じられない思いがする.この間に除染作業が進められ,福島県の市町村に国や県や全国の自治体から多くの職員が派遣され,復興計画の策定や地域の再生作業が進められてきたことによるものである1).本稿では,原発事故後に警戒区域とされ,現在避難指示解除された楢葉町と南相馬市小高区の現状から地域復興の現状を示す.

  • 文献概要を表示

 私は2013年4月に熊本県庁に入り,2015年4月から,1市3町3村,人口約6.5万人を管轄する阿蘇保健所長となった.2年目に入った時,熊本地震が起きた.今回は,災害時の公衆衛生(保健所)のリーダーシップという視点で,私が経験した熊本地震における阿蘇地域の保健医療活動を振り返ってみる.

  • 文献概要を表示

はじめに

 東京電力福島第一原子力発電所事故より約6年が経過し,避難指示解除がなされた区域において帰還が進んでいる中,放射線に関する健康影響等への不安対策の必要性はより一層増している.

 環境省総合環境政策局環境保健部放射線健康管理担当参事官室は2012(平成24)年9月の設置以降,一般住民への放射線の健康影響評価の支援と健康不安対策事業等に取り組んでいる.具体的には,中長期にわたり,福島県の一般住民に対して放射線に係る健康管理の全面的な支援を行うとともに,放射線の健康影響に関する継続的な研究調査事業を行っている.さらに,地域のニーズに合わせたリスクコミュニケーション事業を実施している.

 この①健康管理事業,②研究調査事業,③リスクコミュニケーション事業が3つの柱であり,福島県が実施している県民健康調査等を支援しながら,研究調査事業で得た情報と知見も活用し,リスクコミュニケーション事業に取り組んでいる.

連載 リレー連載・列島ランナー・97

  • 文献概要を表示

 三重県立志摩病院地域連携センターの前田小百合さんよりバトンを受け取りました.三重県の隣,奈良県明日香村の国民健康保険診療所(以下,診療所)の管理者を任されていますが,志摩病院の運営母体と同じ地域医療振興協会による指定管理のため公設民営となっています.診療所に着任する前(指定管理前)は赤字が続き,存廃の危機に瀕していた診療所でしたが,村を巻き込んでの医療と介護の様々な仕掛けにより,ブランディングに成功し,徐々に村民の信頼を得てきたプロセスを紹介します.

 なおブランディングとは経営・販売上の戦略として,ブランドの構築や管理を行うこと,つまりブランド力を作り上げることです.

  • 文献概要を表示

 本稿では,モニク・スターニン氏から,本連載「ポジデビを探せ!」読者の皆さんへのメッセージをまず紹介する.同氏は,ポジデビ・アプローチを用いて過去25年以上にわたり公衆衛生をはじめとするさまざまな社会課題の解決に取り組んでこられた.「The Power of Positive Deviance」1)の共著者でもある.次に,同氏が2015年11月14日に東京大学で行った講演「常識の端にある異端を見つめて—ポジデビ・アプローチによる行動変容と社会変革」の一部を紹介する.

予防と臨床のはざまで

  • 文献概要を表示

 2017年2月5日に,日本健康教育学会主催セミナー「健康課題の解決に向けたアドボカシースキル向上セミナー(第3弾)」1)が開催され,約70名が参加しました.2年前から連続で行っているセミナーで,第1弾は,グローバルレベル,国レベル,自治体レベルなどさまざまなレベルのアドボカシーについて解説が行われました.私からは企業(組織)レベルの例として「産業保健活動から,ヘルシーカンパニー・健康経営へのアドボカシー」と題した話題提供を行いました.

 第2弾はその続編として,オーストラリアからトレバー・シルトン教授(オーストラリア国立心臓財団)を招聘し,主に非感染性疾患(non-communicable disease;NCD)のアドボカシーの基本的な手法の習得を目指すワークショップが行われました.

  • 文献概要を表示

 今年は第一次世界大戦の開戦から満103年を迎えます.開戦にはさまざまな要因が絡んでいますが,直接のきっかけとなったのは,1914年6月28日にサラエヴォでオーストリア皇太子夫妻がセルビア人の青年によって暗殺された,いわゆる“サラエヴォ事件”でした.今月ご紹介する「サラエヴォの銃声」はこの“サラエヴォ事件”に想を得たアンリ・レヴィの戯曲「ホテル・ヨーロッパ」を原案にしています.と言っても,サラエヴォの皇太子夫妻暗殺事件を直接描いているわけではありません.事件から100周年を迎えたサラエヴォのホテル・ヨーロッパで記念式典に関わる人たちを描いた群像劇です.ホテルを舞台にした群像劇というと映画「グランドホテル」が有名ですが,本作品はいわゆるグランドホテル形式というよりも,サラエヴォ事件を主題に,多くの登場人物がその主題に絡みながら,同時並行的に展開していく点で,G.W.グリフィス監督作品の映画「イントレランス」に似ています.

 映画は記念式典の会場であるホテル・ヨーロッパの屋上で,サラエヴォ事件100周年記念のTV番組のインタビュー場面から始まります.そのホテル・ヨーロッパには記念式典に出席するためにヨーロッパ各地からVIPが集まってきます.しかし,ホテルは経営難から給料遅配となっており,従業員はヨーロッパ中が注目するVIPの集まる記念式典にあわせてストライキを計画しています.

--------------------

次号予告

  • 文献概要を表示

 自然災害や感染症の大流行時の公衆衛生活動が確立されてきています.しかし,原子力災害に対してはまだ明確なものができているとは言えません.原発事故が起こってから,東京都や京都府から保健師が南相馬市に入る予定であったのが延期される等,現地の実情について当初から全国の公衆衛生関係者で問題共有ができているとは言えない状況が続いています.他方で,現地の公衆衛生関係者は地震・津波の災害に見舞われ,避難生活となった方,子どもや家族とともに避難した方,原発事故発生のため自宅に帰れなくなった方,避難市民とともに市外の避難所に派遣された方などがいらっしゃったため,現地から発信する余力が少ない状況にありました.

 福島県浜通りは地震・津波の被災地でもあり,避難所が開設された中で,原発事故に見舞われました.避難準備区域の中では南相馬市のように住民が多数生活し続けていたところもありました.外部からの支援がない状況下で医療,介護などにさまざまな問題が発生していました.そんな状況にあることを現地の保健師と交流のあった方から知らされました.現地に応援に入るため,福島県健康増進課長名の保健師派遣依頼文を出していただき,北海道,三重県,大阪府,徳島県,高知県の市町の保健師5名とともに5月の5日間にまず現地の保健師活動支援に入りました.その後,南相馬市小高区の原発事故避難者のための仮設住宅が鹿島区に建設されたことから大阪府摂津市の保健師等のチームがサロン活動を継続的に始めました.そのお付き合いで現地に入り,実情を見守ってきました.小高区の自治会長も小高区に帰還されましたが,現地に入る度に大阪では感じることのできないさまざまな問題に直面していることに気づかされています.内外の認識のずれが大きくなっていることが気掛かりです.

基本情報

03685187.81.4.jpg
公衆衛生
81巻4号 (2017年4月)
電子版ISSN:1882-1170 印刷版ISSN:0368-5187 医学書院

文献閲覧数ランキング(
3月18日~3月24日
)