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自然災害や感染症の大流行時の公衆衛生活動が確立されてきています.しかし,原子力災害に対してはまだ明確なものができているとは言えません.原発事故が起こってから,東京都や京都府から保健師が南相馬市に入る予定であったのが延期される等,現地の実情について当初から全国の公衆衛生関係者で問題共有ができているとは言えない状況が続いています.他方で,現地の公衆衛生関係者は地震・津波の災害に見舞われ,避難生活となった方,子どもや家族とともに避難した方,原発事故発生のため自宅に帰れなくなった方,避難市民とともに市外の避難所に派遣された方などがいらっしゃったため,現地から発信する余力が少ない状況にありました.
福島県浜通りは地震・津波の被災地でもあり,避難所が開設された中で,原発事故に見舞われました.避難準備区域の中では南相馬市のように住民が多数生活し続けていたところもありました.外部からの支援がない状況下で医療,介護などにさまざまな問題が発生していました.そんな状況にあることを現地の保健師と交流のあった方から知らされました.現地に応援に入るため,福島県健康増進課長名の保健師派遣依頼文を出していただき,北海道,三重県,大阪府,徳島県,高知県の市町の保健師5名とともに5月の5日間にまず現地の保健師活動支援に入りました.その後,南相馬市小高区の原発事故避難者のための仮設住宅が鹿島区に建設されたことから大阪府摂津市の保健師等のチームがサロン活動を継続的に始めました.そのお付き合いで現地に入り,実情を見守ってきました.小高区の自治会長も小高区に帰還されましたが,現地に入る度に大阪では感じることのできないさまざまな問題に直面していることに気づかされています.内外の認識のずれが大きくなっていることが気掛かりです.
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