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はじめに
2011年3月11日,東日本大震災時の福島第一原子力発電所の爆発事故は,本邦で初めての国際原子力事象評価尺度レベル7規模の重大事故として,国内外の人々に衝撃を与えた.東北沿岸部地域は地震や津波被害によってすでに深刻なダメージを受けていたが,原発災害はこの地域にさらなる異質の空間性と時間性を有したダメージを与えた.空間性,それは本災害の空前の広がりを示している.沿岸部はもとより,福島県に広く放射性降下物による影響が認められ,その影響の広がりをめぐっては,除染の進展とは別に,今でも活発に議論されている.これは畢竟(ひっきょう)次のような問いを生む.“福島ではどこまでが被災地なのか”,国外を考えると,日本全土を被災地と見なしている人もいるかもしれない.すなわち災害被災地という言葉が有するある種の限局性(通常は破壊されているところが被災地である)が原発災害では当てはまらない.自然災害とは様相が異なり,非被災地との境界があいまいな空間性を有する.
もう一つ,原発事故ではその時間性に大きな特徴がある.たとえば自然災害であれば,通常は瞬時,単回の発生がその特徴である.すなわち,ほとんどの自然災害は長期的影響を持ったとしても,発生当初にもっとも被害が集中するのである.そして大規模であればあるほどその後に長く影響が残る.医学モデルで言えば骨折モデルであるし,通常の単回性トラウマ反応モデルでもある.ところが原発災害はそうではない.原発建屋の爆発自体が津波到達から遅れて発生し,事態の深刻さは震災発生からしばらく経過してから顕在化した.2011年12月16日,当時の政府は事故収束を念頭に冷温停止を宣言したが,福島県知事もそのような見解には反発するなど,住民の感覚からは事故が収束したとの実感を持つ者は少ないだろう.そして,多くの住民にとって真の収束を意味する廃炉まではまだ何十年かかるかわからない.このように復興へ向かう時間に対する感覚は,自然災害からの復興とは質的にまったく異なっている.また,原発災害特有の時間性を考えると,開沼1)が述べたように福島では復興が遅いのでなく,むしろ“早過ぎ”るのかもしれない.
さてそれでは,このような特異な空間性と時間性を有した福島原発災害は,どのような心理社会的影響を住民にもたらしているのだろうか.本稿では,各種調査研究から見た住民や就労者に表れた心理社会的影響について論じる.また周知のように,若年住民の甲状腺がんをめぐっては多くの議論があって,メディアもまた重大な関心を寄せている.しかしながら,そうした関心のほとんどは甲状腺がんの発生率に関するものであり,甲状腺腫瘍が見つかった,あるいはそのスクリーニング検査に望む住民の苦悩にはほとんど関心が向けられることはない.そこで本稿では,そのような甲状腺がん,あるいは甲状腺検査にまつわる住民の心理的苦痛についても,稿が許す範囲で述べてみたい.
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