看護研究 53巻4号 (2020年7月)

増刊号特集 看護実践に関する事例研究の査読基準を考える—「ケアの意味をみつめる事例研究」を中心に

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 「ケアの意味をみつめる事例研究」は,看護実践に資する知のあり方を探求し,新たな形の事例研究の構築をめざしていまも開発が続けられている研究方法論です。本誌では,「ケアの意味をみつめる事例研究」の開発者である山本則子先生(東京大学大学院医学系研究科教授)ご企画のもと2018年に特集を組みましたが,今回は事例研究の学術性と査読基準のあり方をテーマに,「ケアの意味をみつめる事例研究」を通して考えていきます。事例研究の重要性が高まる昨今においては極めて重要なテーマであり,これを考えることは,すなわち看護学のあり方や看護の知とは何かを考える重要な契機になると思われます。

 本特集は,昨年の日本看護科学学会第39回学術集会における交流集会「看護における事例研究の査読基準を考える」をベースに構成されています。交流集会で行なわれた議論の熱を保ちつつ,多面的な角度から検討が深掘りされています。特集が,看護学の学術性や査読をめぐる議論に新たな視座を提供し,看護学の知を切り拓くための一助となれば幸いです。

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「ケアの意味をみつめる事例研究」開発の取り組み

 私たち註1は,臨床実践に即した看護の実践知を明示化し広く共有できる知とすることを目的として,研究方法を検討してきた。看護師・患者の文脈が深く関与し一回性を特徴とする看護実践について,一人の看護師の経験から別の看護師がどうやって学び得るのかを考え,個別事例からの学びに着眼して事例研究の方法を考えている。患者・家族によき変化をもたらす看護実践のありようを他者にわかるように伝えるためには,実践者自身が実践の意味を深く内省し,実践の意味に気づき,実践とその意味を言葉にすることが大切と思われた。そこで,そのような内省を進め,ケアの意味を発見し言語化する研究方法を,「ケアの意味をみつめる事例研究」として,看護学における研究方法の1つに位置づけたいと企図している。将来的には,事例研究の蓄積により現場発の看護学として何らかの体系化を試みることを願い,事例研究論文は,気づかれた意味と実践の記述を,それらを端的に示す概念ごとに紹介する形を提案しており,「概念統制型事例研究」と呼ぶこともある。

 「ケアの意味をみつめる事例研究」の研究方法としての開発は,はじめから意図されていたものではなかった。現場の実践者と共に事例研究に取り組む経験が大変興味深く,その面白さに惹かれて事例研究を継続してきた結果,その方法を人に伝える必要性が生じて取り組み始めた。なによりも,実践者自身が,事例研究の過程と明示化された分析結果を楽しみ,ある訪問看護管理者から,「(山本との)事例研究は,看護師にとっての心情的援助になる」と言われたことが,私にとって大きな動機づけになった。

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 本稿ではまず,前提となる看護・看護学をどのように捉えているかを確認し,ついで看護において事例研究がどのように位置づけられるかを述べたい。その上で国内の看護系学会誌における事例研究の現状と,事例研究における客観性,再現可能性,一般化可能性,新規性について,看護系学会誌の査読基準でどのように捉えられているかを確認していきたい。

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はじめに

 筆者は,看護師ではなく,また看護学の専門家でもなく,哲学の研究・教育を専門とする一介の大学教員にすぎない。しかし長年,哲学系諸学会の論文査読に携わり,また専門の「現象学」の立場から看護研究に関心をもって,「ケアの現象学」(榊原,2018など),「臨床実践の現象学」などと近年呼ばれるようになった研究活動にも積極的に関わってきた。そこで本稿では,これらの経験をもとに,筆者が携わってきた哲学系諸学会および臨床実践の現象学会の論文査読の基準を振り返り,看護における「事例研究」の査読基準を考えるための手がかりを提供してみたい。

 論述の方針および順序は以下の通りである。

 本特集では,事例研究にとっての「客観性」「再現可能性」「一般化可能性」「新規性」を明らかにすることが最終的にめざされているが,本稿ではまず,筆者がこれまで長年携わってきた哲学系諸学会のうち,3学会の査読基準を紹介し,そのポイントを上記4つの観点と比較しつつ整理する。その際,3学会とも査読基準は査読委員の間だけで共有され,ホームページ等で公開されていないため,本稿ではA,B,C学会と表記する。その上で,現象学という哲学の精神を汲みつつ,看護を中心にさまざまな臨床実践の営みの成り立ちを明らかにすることをめざして2015年に設立された「臨床実践の現象学会」〔西村ユミ氏(東京都立大学大学院教授)主宰:http://clinical-phenomenology.com〕の論文査読基準(上記ホームページにて公開)を参照し,臨床実践の現象学研究において論文に求められているものを整理する。これらの作業ののち,最後に,看護における「事例研究」の査読基準について,筆者の立場から課題と思われることを述べてみたい。なお,本稿には末尾に「付記」として,本特集の企画者である山本則子氏からの問いとそれに対する筆者の応答が加えられている。

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はじめに

 本特集は「看護における事例研究の査読基準を考える」ものだが,それを看護学のみに限定せず多領域の査読基準を参照しながら議論を行なおうとする野心的な試みである。筆者も看護学の領域に属しつつ,学問の基礎を哲学に置きながら倫理学・法学・文化社会学などとの閾で研究を行なってきた。そこでその立場を活かしてここでは,人文・社会科学の領域の中でも人々の個別事例を扱う学問であり,かつ「学問の科学性」について常に真摯に探求し続けてきた「社会学」と「人類学」における査読基準について取り上げたいと思う。

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はじめに

 本稿では,事例研究の位置づけの現状と査読基準について,社会福祉学およびソーシャルワークの立場からの検討が求められている。しかし,筆者は質的研究には長年取り組んできたものの,事例研究として論文投稿した経験がない。そこで,本稿はあくまでも文献等を踏まえてまとめたものであり,あくまでも私見であることをお断わりしておきたい。

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 本特集では,看護実践の事例研究のために,その査読基準はどうあるべきか考えるために,多様な領域において,(事例)研究の査読基準と内容について執筆いただいた。総括の意味を込めて,看護実践に関する事例研究の査読をどのように考えるべきか検討したい。

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はじめに—問題の所在

 実践に関する事例研究の重要性は,さまざまな領域で指摘されている。看護学(Chesnay, 2017;黒江,2017),社会学(Flyvbjerg, 2001;水野節夫,2017),政治学(George & Bennett, 2005/泉川訳,2013),マーケティング研究(石井,2009)等の各々の領域だけでなく,さまざまな領域を横断する「フロネーシス的な社会科学(phronetic social science)」も提起されている(Flyvbjerg, Landman, & Schram, 2012)。

 ところで,わが国で事例研究の意義を1970年代以降ずっと主張してきたのは,臨床心理学の河合隼雄である。河合は,大学定年の年に記した『心理療法序説』の中で,事例研究の特徴を以下のように述べている。

 ある先生が不登校の生徒に対して,「何をしているか」と怒鳴りつけると,その子は学校に行くようになった,という報告をする。それは役に立つだろうか。不登校の生徒のなかには,怒鳴りつければ登校する子がいるということがわかった,という意味で少しは役に立つだろう。しかし,すべての不登校生に対して,その方法が有効ということはないので,ひとつの事例を聴いてもあまり役立たないのではないだろうか。

 誰しもこのように考えるだろう。そこで,「普遍的」で「有用」な報告をすることが望ましいことは誰もわかっているのだが,それがないのである。つまり,人間は個々に異なる個性をもっていて,誰にも当てはまる方法など見つからない。もちろん,精神分析の考えによってとか,夢分析の方法を用いて,というような言い方をすると,大体において多くの人に当てはまるかもしれないが,大切なことは,個々の具体的なことなのである。「愛をもって」とか「一人一人の個性を大切に」などと言っても,ほとんど役に立たない。

 そこで,個々の事例をできるだけ詳しく発表する事例研究ということが行われるようになった。それをはじめてみると,それが相当に「有用」であることがわかってきた。しかも,それは,たとえば対人恐怖の事例を聴くと対人恐怖の治療にのみ役に立つのではなく,他の症例にも役立つのである。それは,男女とか年齢とか,治療者の学派の相違とかをこえて,それを聴いた人がすべて何らかの意味で「参考になる」と感じるのである。そういう意味で,それは「普遍的」と言えるのだ。ここにいう「普遍的」は,はじめに述べた「普遍的」とは異なることに気づかれるであろう。

(河合,1994[1992], pp. 213-214)

 1つの実践事例の結果は,いうまでもなく,別のさまざまな状況にそのままあてはめることはできない。他方,多くの人にあてはまるような方法は,一般的すぎて各々の状況においては「ほとんど役に立たない」のである。

 そこで河合らは,「個々の事例をできるだけ詳しく発表する事例研究」を始めた。そうするとそれが相当に「有用である」ことがわかった。しかも興味深いことは,「対人恐怖の事例を聴くと対人恐怖の治療にのみ役に立つのではなく,他の症例にも役立つ」ということである。「男女とか年齢とか,治療者の学派の相違とかをこえて,それを聴いた人がすべて何らかの意味で『参考になる』と感じる」と河合は言う。

 ここに事例研究の1つの意義が示されているだろう。ある事例をできるだけ詳細に述べるならば,その事例とは異なるような事例に対しても何らかの知見を与えるのである註1

 このことを河合は「普遍的」と呼ぶ。それは,誰にでもあてはまるような「普遍」ではなくて,事例研究を受け取る人たちの中でそれぞれ捉え直され適用されるような「普遍」なのである註2。このように「普遍」の意味を再考するところに,河合の論じ方の特徴がある。このような「普遍」に関して,河合(2013[1976], p.211)では「内的普遍性」あるいは「個人内普遍性」,また,河合(2001, pp.8-9)では「間主観的普遍性」と記されているが,臨床心理学の実践(心理療法)の科学性が河合の重要な課題であったためであろう註3

 ところで,河合の「間主観的普遍性」を,臨床心理学の山本(2018)は,R. E. Stakeの「自然な一般化(naturalistic generalization)」に引き寄せて論じている(山本,2018, pp.74-77)註4

 Stakeの「自然な一般化」は,「読者による一般化」であり(Wilson, 1979),山本の指摘通り,河合の「間主観的普遍性」とほぼ同じである。また「自然な一般化」は,Lincoln, & Guba(1985)における質的研究のTrustworthinessを保証する4基準註5の1つである「転用可能性(transferability)」の典拠となっている。

 Stakeの「自然な一般化」ならびにLincoln, & Gubaの「転用可能性」は,質的研究の正当性に関する重要な論点として(教育学を中心に)しばしば論じられてきた註6

 この議論を検討することによって,(河合の「間主観的普遍性」等の)「実践の一事例研究で学ばれる事柄」に対する視座が明らかになり,この視座は,実践の事例研究に関する評価基準を再考することになるだろう。このことが本稿の目的である。

 本稿(前編)の構成は,以下の通りである。まずStakeの「自然な一般化」とLincoln, & Gubaの「転用可能性」の基本的な発想をまとめる(第1節)。それから,「自然な一般化」等の過程に関する認知心理学の知見からの解明とその問題点を指摘する(第2節)。

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 どうしたら,臨床現場で患者に寄り添った最良のエビデンスに基づいたケア(Evidence-based Practice:EBP),つまりベストプラクティスを提供できるのか—これは臨床家のみならず,研究者,教育者もずっと考え続けている命題だろう。その命題の解決に少しでも迫ろうと,私たちは,The Japan Centre for Evidence Based Practice, an affiliate group of Joanna Briggs Institute(JCEBP)という組織を2010年から運営している。昨年,日本看護科学学会第39回学術集会(2019年12月1日,金沢市)では,交流集会「EBPを臨床に浸透させる戦略—臨床と学術機関のコラボレーション」を開催し,エビデンスを臨床実践に活用できるようにするにはどうしたらよいかについて,参加者と意見交換を行なった。その中で,臨床現場と学術機関のコラボレーションが不可欠であることがわかっていながらも,そのコラボレーションを妨げる要因が多々あることがわかった。その上で,その障壁を超えるためのヒントが得られたので,本稿を通して読者と共有したい。

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 対話や承認がケアになる。そういう言葉の不思議な力がある。ケア者が,被ケア者の人生に意味を与えているナラティヴに耳を傾けるとき,ただ聞いてくれる人がいるというだけで,医療的な治療・処置とは別の仕方で,ケアが起こっている。

 ここまでは何度も語られてきたことだ。本誌の読者で「ナラティヴ・アプローチ」なんて聞いたことがないという人は稀だろう。しかし,こういうよくある語り方では対話的ケアが,当然のごとく,医療従事者の〈本業〉の外部に位置づけられている。現に,検査,診断,治療などの定式化された医療実践とは対照的に,言葉による対話的実践にはほとんど名前もなく,診療報酬の対象にもならない。ナラティヴによるケア力の背後には相当な経験やスキルがあるはずなのに,それらが特別なものと見なされていない。結果,よき聞き手たれといったスローガンでナラティヴ・アプローチは終わらせられがちだ。

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看護研究
53巻4号 (2020年7月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

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