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はじめに
新人教育のひとつの方法として,プリセプター教育制度が多くの施設に導入され定着してから久しい。当初は戸惑いとともに始まったこのシステムも,「幼い」「不安」というキーワードに代表される現代の新人気質に対して,「お姉さん」的存在の先輩が相談役割をとるという意味で,効果的な方法として定着していったように感じられる。
しかし時折,私たち教員が実習指導や研修のかたわら見聞きする現実は,時にはプリセプティを抱え込み疲弊しているプリセプターの姿であったり,プリセプターの顔色をうかがい影におびえるプリセプティの姿,あるいはプリセプターからの指示だけを待ち,まったく依存的になっているプリセプティの姿であった。もちろん,生き生きとした新人の姿に出会うことも多い。しかし,彼女たちの口から異口同音に語られる言葉は,プリセプターがよい人だから,優しい人だから楽しいということであった。かくもプリセプターとは偉大な存在なのか。
この状況をみるにつけ,教員としての私たちはいくつかの疑問を抱き,そしていくつかの自問をせざるを得ない。生き生きと語る新人の姿に関して,指導者と学習者の関係性が良好であり望ましい状況であることに異論はない。現任教育における先輩の教育力と影響力は,計り知れないほど大きい。しかし,それにも増して彼女たち新人を育ててくれるのは,患者であり,患者への看護活動のなかでの喜びや達成感であるはず。そして私たち教員が長い時間をかけて辛抱強く待ち,引き出してきた彼女たちの自ら考え,行動するという主体性はどこへいってしまったのか。もちろん,新人が飛び込んだ医療現場は高度医療と人手不足という厳しい状況のなかで,新人が自ら判断できることなどないに等しいのは十分承知のうえである。しかし,それにしても,である。
なにかにとらわれてしまっているかのようにみえるプリセプターとプリセプティ,このプリセプターシップは,うまく機能しているのだろうか。それとも,基礎教育になにか問題があるのだろうか。卒業生の混乱は看護教員としての私たち自身の混乱でもあった。この状況を分析するには,基礎教育としての看護学部の教育を卒業生の能力評価という視点と,現任教育のシステムの視点という二方向から分析することが可能であろう。基礎教育の評価は,大学の自己点検・自己評価として行なわれつつある。私たちは,もうひとつのアプローチとして,この状況を明確化し解きほぐすヒントをプリセプティとプリセプターを経験したばかりの当事者たちへのグループインタビューに求めた。
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