精神医学 59巻11号 (2017年11月)

特集 「統合失調症」再考(Ⅰ)

特集にあたって 飯森 眞喜雄
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 KraepelinやBleulerはもとより,Arietiの力動的解釈(“Interpretation of schizophrenia”)の時代からも離れ,1980年代から始まったDSMの急速な流布と生物学的研究の進展によって,統合失調症の概念や治療は大きく変化してきた。この間に,Schneiderの一級症状がDSM-5から消えたことにも象徴されるように,観察と記述に基づく統合失調症の重要な症状や用語は脇に押しやられようとしている。

 生物学的研究が盛んになる前は,統合失調症は精神病理学のみならず精神医学の高峰であり,精神科医はこぞって言葉によって深い森に分け入り,理解し,解釈しようとしてきた。日本におけるその成果は『分裂病の精神病理 全16巻』(東大出版会1972〜1987年)とそれを発展的に引き継いだ『分裂病の精神病理と治療 全8巻』(星和書店1988〜1997年)とにまとめられている。

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はじめに

 精神分裂病,あるいは分裂病や分裂症と呼び慣らされてきたものを,突然,統合失調症に変えますと言われて,大いに戸惑い,何だか腹立たしさを覚え,釈然としないままであったが,それから15年を越えた今,統合失調症という名称にすっかり抵抗感がなくなっていることに気が付く。我々が学生のころ,「痴愚」だとか「白痴」といった術語について,もう使用されないという注釈とともに耳にしたように,今の医学生は「精神分裂病」という言葉を聞いているのであろうか。

 では,今どきは統合失調症とは何だということになっているだろうか。

 原因不明ながら脳機能に由来する認知の障害を基底として,幻覚妄想,行動の異常などの陽性症状や意欲の減退などの陰性症状を呈する精神疾患,とでも言ったところか。

 統合失調症という名称も精神分裂病という名称も同じスキゾフレニアという欧米語の翻訳に過ぎないのに,統合失調症に呼称が変わって軽症化したなどと奇妙なことを言う論者もいた。だが名前が変わるということはその本質も変わるということだという観点は,言語中心主義を持ち出さずとも,スキゾフレニアのように決して実体があるわけではなく,名称によって区分けされた臨床単位に対しては妥当なものだったと言える。内海20)も述べるように,この名称変更に伴って何かが失われたのである。何かオーラのようなものが。

 1964年,宮本は次のように述べている。「分裂病という問題は,早期の『発見』や十分な『管理』を目標とする医療的次元だけに限られるようなものではなく,そのほか,社会・文化・芸術・宗教などおよそ人文的方面のすみずみにまでひろく関連するほどの巨大なスケールを持ち合わせている。これは分裂病が人間生活の全体とかかわりをもつ『人間の病い』であることを考えれば自明であるが,しかし,この方面は普通の教科書や解説書のたぐいではあまりあつかわれない」10)

 たとえばかつて中井15)は統合失調症が存在することの人類学的意味を推測しているのだが,今やそのような観点は解説で扱われないばかりか,統合失調症が人間生活の全体とかかわりを持つなどとも考えられなくなっている。だからと言って,早期の発見や十分な管理がこの半世紀の間十分になされたとも思えない。その代わりにと言ってはなんだが,病者に対する敬意は,自己価値感だとか,リカバリーといった形で洗練されてきている面はある。しかし失われたのはこの「巨大なスケールを持ち合わせている」疾患を病む人に対する畏怖である20)

 もちろん「畏怖」などという言葉を持ち出すのは統合失調症を神秘化しており,科学としての医学に従事する以上,善し悪しかもしれない。本稿では「畏怖」とともに失われつつあるように思われる統合失調症の分類学的布置のいくつかの様相を再考してみたい。

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はじめに

 「操作的診断基準は統合失調症の見方をどのように変えたのか?」が本特集において筆者に与えられたタイトルである。これとほぼ同じ趣旨の論文執筆の依頼を12年前の2005年に「Schizophrenia Frontier」誌でも受けたが,そこでは「統合失調症の概念の変遷」を特集テーマとして「操作的診断と疾患概念の変化」を書くように求められたのである。その依頼に応えて筆者が執筆したのが論文「DSM統合失調症は『鵺(ぬえ)のごとき存在』である—操作的診断と疾患概念の変化」4)であったが,12年を経てもその折の考えにはいささかの変化もなく,変化するどころか2013年のDSM-51)の出版を機にますます強まり,よってタイトルを表題のごとくにして再度同様の主旨の論文を執筆することにした。なお,依頼は上記のごとく操作的診断基準全般に関してであるが,臨床的なそれはDSM(DSM-Ⅲ〜DSM-5)のみであるので,ここではDSMを取り上げて論じることにする。

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はじめに

 統合失調症の精神病理は確実に衰滅しつつある。2003年,わが国が世界に先駆けて行った呼称変更の翌年,私はそのことを明言した4)。有病率や新規事例の発生率について,現時点では決定的な疫学的所見は提出されていないようであり,この点についてはまだ留保が必要かもしれない。だが,病理の軽症化は火をみるより明らかである。かつて電光石火のごとく到来し,我々を慄然とさせた,そうした病理の発動に立ち会う機会はきわめて乏しくなった。これは何も筆者が齢を重ね,感性が磨滅したせいではないだろう。

 一つの印象的な事例がある。今から十年ほど前のことだが,当時勤務していた病院に,発症まもない統合失調症の青年が入院してきた。青年は病室に落ち着く暇もなく,家が盗聴されているのが心配だと訴え,受け持ちの研修医に外泊を申し出た。盗聴バスターズという調査会社に依頼するのだという。研修医はあっさりとその申し出を受け入れ,患者が出かけた後にそれを知った指導医は狼狽した。ところが,周囲の心配をよそに,翌日,患者は予定通りに帰院し,業者に調べてもらったところ盗聴はされていないと分かったと納得した様子だった。

 こうしたエピソードをみても分かるように,世に人を統合失調症に追いやる力というものがあるとするなら,それは相当に衰弱している。かつてなら,青年は調査報告に納得することなく,さらに妄想的疑念をつのらせただろう。業者もまたグルであると言い出すのがおちである。その前に,盗聴バスターズなるものも,彼の中の妄想的な表象であったであろうし,そのようなものとしてみなされたことだろう。

 本稿では,こうした軽症化という背景が映し出す,統合失調症本来の精神病理を描くことを試みる。その際,素朴な記述の水準を超えた病態に対しては,アレゴリー(寓意)という形でエッセンスを示すことになるだろう。というのも,この疾病の精神病理は,言語危機,さらには言語解体へと至るポテンシャルをはらみ,病者は言語の主体となり得るか否かの汀に立たされているからである。そうした彼らに添いつつ語りを紡ぐ言語もまた,試練に立たされる。通常の記述的態度では到底太刀打ちできるものではない。アレゴリーは,彼らとかかわる際に我々に要請される想像力を補填するものとして機能するだろう。

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はじめに

 統合失調症が日本で減少してきたことや軽症化もみられることは,多くの精神科医が指摘していることである。これは日本に限ったことではなく,海外でも統合失調症は消えて行くのではないか5)とまで言われて久しい。多くの精神科医がその傾向を感じる中で,日本では根拠のないことは何も言えないといった風潮がある。日本では最近の疫学調査が十分なされておらずエビデンスがないため当然かもしれない。しかし,この見方はエビデンス医学の視点であり,科学者にとっては手法として今後も続けるべきであるが,臨床現場で精神科に従事する医師の誰もがあるべき見方でもないだろう。

 逆に,臨床家がエビデンス手法の束縛によって患者と接する日頃の臨床の場で何も言えなくなっていく30)ことのほうが怖くもある。村上陽一郎の言葉を借りれば,精神科医には科学者もいれば,臨床家もあり得るということである。一人の臨床家としてこの場を借りて,誰もが感じている統合失調症の減少と軽症化について言及し,今後の疫学調査など研究にも波及することを望むところである。

 最近の臨床現場で,統合失調症の初発患者との出会いが四半世紀前に比して少なくなり,また軽症化していると,多くの精神科医が感じているのは事実である。これは,気分障害や,不安障害,発達障害,認知症の患者に接することが増え,統合失調症とのかかわりの頻度が相対的に減ったこともある。また,入院の必要とされるような精神病症状の目立つケースについては,行政区域内で規定された病院に受診となるようなルートの確立によって一極化が生じ,一般精神科医のもとに来なくなったこともあろう。こうした最近の流れが,減少と軽症化のイメージをより強めているとも言える。ここでは,一元的な見方でなく,さまざまな視点から統合失調症の減少と軽症化について考察してみたい。

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はじめに

 近年,統合失調症と診断されていながら,実は自閉スペクトラム症(autism spectrum disorder;ASD)が疑われる症例に少なからず遭遇する。そればかりか,精神科病棟の長期入院患者の中には,長年にわたり「統合失調症といわれ」,統合失調症患者として年を重ねてきたASD者もいる。この背景には,20世紀末までの本邦の精神医学において,ASDを含む成人の発達障害という診断視点が育まれてこなかった事情が存在する。21世紀の今日,成人における発達障害概念の普及により,我々はこのような患者に対して適切な診断行為が行えるようになったことは事実である。

 しかし統合失調症とASDとの関係は,それほどまでに単純明快とはいかない。事実,発達障害概念の流布が,統合失調症の診たて方に変化をもたらした可能性すらある。統合失調症とASDとが,同じ成人の精神医学を舞台として論じられるようになった現在,それぞれの成因や臨床像を把握するためにも,双方の精神病理を再考する必要が生じてきた。

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はじめに

 近代科学は,16世紀にRené Descartesが世界を物質と物質でないものに二分し,物質世界の物理的法則のみを探求する領域として,科学という学問分野を打ち立てたことに始まった13,18)。この物質世界の探究は近代医学にも波及した。たとえば,かつて精神科病床の半分を占めた進行麻痺や不治の病だった結核など,人類にとって圧倒的脅威だった感染症を,細菌というミクロな生命体をペニシリンやストレプトマイシンなど抗生物質によって死滅させる医学技術によって克服した。

 科学が感染症を攻略すると,次は糖尿病やがんといった慢性疾患を守備範囲におさめ,20世紀に入ると最後の秘境である脳への挑戦が始まった。精神医学には脳という物質がかかわることは間違いないのだが,一方で心という物質でないものともまた密接な関係にある。物質のみを探究してきた科学が初めて挑んだ,物質でない心の探究がどのように展開してきたのだろうか。本稿では,生物学が統合失調症に与えた影響について,1)ゲノム研究と技術革新,2)生物学の臨床医学への影響,3)精神医学の疾病概念,4)実体論(モノ)と状態論(コト)に沿って論考を進める。

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 国内でrTMS(反復経頭蓋磁気刺激)がうつ病の治療機器として間もなく認可されるとのことである。うつ病の治療は薬物療法と広義の精神療法が両輪となり,特別な条件の下ではmECT(修正型電気けいれん療法)も選択されるというのが現在の一般的な考え方であろう。この認可によって,うつ病の治療にいわゆる身体療法のオプションがひとつ加わることになる。うつ病に対するrTMS治療は多施設による大規模なRCTの結果を受けて,米国では2008年にFDAによって認可された。国内でも早期の認可が期待されたものの,これまで認可されず大規模なRCTも行われてこなかったが,関係者の努力と活動が実ってようやく認可に手の届くところまで来たわけである。

 一臨床家の立場からは,rTMSの導入によってこれまでの治療では軽快,寛解に至ることができなかった患者さんが一人でも多く寛解に至り,従前の社会機能を取り戻していただきたいと願うところである。rTMSが適切に普及し最大の効果を発揮するためにも,rTMSの認可に合わせて,これまでに得られた有効性と安全性のエビデンスに基づいてrTMSの適応となる患者さんの要件やrTMSの刺激条件,有害事象,費用対効果など,うつ病の治療全体の中でのrTMSの立ち位置が認可に伴うガイドラインの中でできるだけ明確に示されることを期待したい。

論文公募のお知らせ

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「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。

ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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はじめに

 うつ病は“抑うつ気分”と“興味・喜びの喪失”を主症状とする気分障害の1つで,欧米における生涯有病率は10%に迫る深刻な疾患である。うつ病の発症・病態機序はいまだ解明されていないが,抗うつ薬にセロトニンやノルアドレナリン経路を調節する作用があることから,うつ病脳における“モノアミン枯渇仮説”21,28)が提唱された。その後,神経画像学的技術の進歩により,うつ病患者脳やストレス負荷動物における脳海馬萎縮,脳梁膝下の前頭前野の萎縮,前頭前野の神経細胞およびグリア細胞の縮小・減少などが報告され,うつ病の生物学的構造として,遺伝的要因・環境要因による神経伝達や神経回路再構築の障害,すなわちうつ病の“神経可塑性異常仮説”21,28)が提唱された。うつ病発症における遺伝的要因の関与は,他の精神疾患(統合失調症など)に比べて小さいと考えられていることから,ストレスなどの環境要因がより重要であることが推測されている。そのため現在では,「うつ病患者はストレスに対する脆弱性を素因として有し,ストレスなどの外的環境要因によって神経線維・樹状突起の縮退などが引き起こされることで神経可塑性異常を生じてうつ状態に陥る」という“ストレス脆弱性仮説”が支持されている(図1)。

 神経可塑性には脳内における遺伝子発現制御機構が重要な役割を果たしている。事実,うつ病患者死後脳解析において,神経可塑性に関わる遺伝子ならびにそれら遺伝子の発現量を制御する転写因子の発現異常が多数報告されている10,13,19,29)。最近,DNAの塩基配列に依存しないエピジェネティックな遺伝子発現調節機構と気分障害との関連が注目されている(図1)。エピジェネティクスとは,DNAを構成する塩基配列上のsingle nucleotide polymorphism(SNP)などの違いによる遺伝子発現の変化ではなく,DNAメチル化やヒストン修飾(アセチル化,メチル化,リン酸化など)のようなDNA塩基配列の変化とは無関係な後成的な化学修飾によるクロマチン構造の変化を介した遺伝子の転写調節機構と理解されている。一般的に,DNAメチル化は遺伝子発現を抑制し,ヒストンアセチル化は遺伝子発現を促進すると考えられている(図2)。

 エピジェネティクスの気分障害への関与を支持する背景として,1)抗うつ薬投与によって脳由来神経栄養因子(BDNF)遺伝子のプロモーター領域におけるヒストンアセチル化レベルが増加すること34),2)ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の過剰発現マウスでは,抗うつ薬投与による抗うつ様行動が消失していること34),3)HDAC阻害剤に抗うつ作用が認められること8,16,34,36),4)双極性障害の治療薬として使用されているバルプロ酸にはHDAC阻害作用があること,などが挙げられる。また,うつ病発症の構成要素としてのストレス脆弱性の形成機序において,幼少期の劣悪な養育体験(育児放棄など)がグルココルチコイド受容体(GR)遺伝子のDNAメチル化量を増大することでその転写産物量を制御することが動物モデル実験により報告されている37,38)。事実,虐待の既往のある自殺者は対照群と虐待の既往のない自殺者に比して海馬におけるGR遺伝子のDNAメチル化量は増加し,その発現量は有意に低下していることも報告されている26)。つまり,養育期の環境がその後成体になってもGR遺伝子のDNAメチル化という形で,脳に記憶されていることを示している。これらGR遺伝子のメチル化解析の論文はエピジェネティクス研究のランドマーク的存在であるが,論文発表当時“生後にDNAメチル化は変化しない”と考えられていたこと,そして環境要因によるGR遺伝子のDNAメチル化変化に対する分子機構の解明まで至っていないことなどから,論文の結果と解釈には注意が必要であるとされた4)

 その後,生後発達段階や成体の細胞内でも環境に応じてさまざまな遺伝子のDNAのメチル化や脱メチル化がダイナミックに変化することが確認されている。

 2016年までに発表されたGR遺伝子のDNAメチル化に関する論文22報のうち,animal studyでは7報(全10報中),human studyでは10報(全12報中)の論文で劣悪な養育環境がGR遺伝子のDNAメチル化レベルを増大させることが報告されている35)。これらの知見から,DNAメチル化やヒストンアセチル化といったエピジェネティックな遺伝子発現制御とうつ病態・ストレス反応との関連が推測される。

 本稿では,うつ病患者ならびにうつ病モデル動物において発現・機能異常が認められるヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)に焦点をあて,神経可塑性やうつ病態との関連,さらにHDACを標的とした阻害剤の新たな抗うつ薬創出への可能性ついて概説したい。

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抄録

 本研究の目的はデイケアにおけるアウトリーチ支援などの効果について予備的検討を行うことであった。導入基準を満たすデイケア利用者15名をリクルートし,通常の支援に加えケアマネジメントとこれに基づくアウトリーチ支援を1年間実施した。支援前後の変化を検討した結果,QOLと心理的Well-beingの下位領域に有意もしくは有意傾向の改善がみられた。また社会的機能の下位領域の一部も改善しており有意傾向であった。利用者ニーズと1年後の転帰では就職希望だった7名のうち3名が就労するなどデイケアから地域への移行が促進された。以上の結果と事例報告からアウトリーチ支援は従来デイケアで難渋していたケースを展開させる糸口になることが示唆された。

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抄録

 大学生を対象としてASD的傾向といじめ被害体験をアンケート調査した。その結果,ASD的傾向の高い群はASD的傾向の低い群に比べ,いじめ被害体験が有意に多かった。次に,いじめ被害というトラウマ体験とASDのある学生への大学保健センターでの治療・支援経過を振り返った。精神科医がEMDRや認知行動療法の要素を取り入れた精神療法を,保健師が大学保健センター併設のキャンパス・デイケア室で集団活動を提供することなどにより,トラウマ体験に関連する精神症状や心理的影響が軽減し,学生の社会適応力が向上した。学校メンタルヘルス活動の重要性とともに,その活動を担い,多面的ケアを提供し得る大学保健センターの有用性が再認識された。

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はじめに

 高次脳機能障害とは,頭部外傷や脳血管障害などに起因する脳の器質的損傷により,失語・失行などの巣症状,注意障害や記憶障害などの欠落症状,理解・判断・遂行機能の障害,社会的行動障害などを呈する状態像を指す6)。2001〜2005年度に施行された高次脳機能障害支援モデル事業の調査8)によると,全国で約7万人と推計される18〜65歳の高次脳機能障害患者の原因疾患は,外傷性脳損傷が76.2%と最も多く,次いで脳血管障害17.0%,低酸素脳症2.8%と続く。この外傷性脳損傷による高次脳機能障害患者に関して,発症当初からかかわり,長期経過を追った報告は乏しい11)

 今回,筆者らは外傷性脳損傷後に高次脳機能障害を呈した症例の経過を約2年間フォローし,まず入院リハビリテーション(以下,リハビリ),次いで外泊の繰り返しによる在宅リハビリも行ったところ,著しい改善がみられたので報告する。なお患者および配偶者からは本報告に関して書面による同意を得ており,匿名性保持のため個人背景には変更が加えられている。

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はじめに

 思春期に抑うつ状態を呈しそれに伴って高校を中退して実家に引きこもった症例である。本症例が昼夜逆転した15年間の引きこもりを経て,定期的に外来通院し,毎日規則正しく早寝早起きし家事を手伝いフィットネスで体を鍛えて,ハローワークに通えるようになった経過を報告する。患者の同意を得て匿名性に配慮し論旨に影響しない範囲で細部に改変を加えている。

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 「よの中に交わらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)。いのちにとって「閉ざす」ことが必然です。そのなかで成長と熟成が進みます。「開く」は,成長と熟成とに寄与する次の策です。「閉ざす」自体が損なわれるといのちが自立性を失います。文化も同じです。開化期の先人たちは,「攘夷」という被害妄想のかわりに「和魂洋才」との心構えをもつことで,「鎖国」のなかで熟成してきた日本文化を守りました。当時の被植民地諸国の見聞からの知恵だったのでしょう。からだ⇒こころ⇒魂と並べたとき,その順に「閉ざす」が大切になります。「魂だけは売り渡さない」はさまざまな極限状況で現れる決意です。「身は売っても思いは主さまだけのもの」との遊女の覚悟もそのひとつです。魂を守る決意には切ない気分があります。グローバル化の流れやAIの発展がこころの領域にまで支配を広げてきたので,切なさは日常に瀰漫してきました。最近の奇妙な社会現象の多くを,切なさへの対処行動,せめて魂だけは守ろうとする工夫,として眺めると腑に落ちる気分が湧きます。

 精神科臨床を選択した人々の多くは,からだ⇒こころ⇒魂の総合体を援助する志向を持っています。いのちの鎖国文化を援助したいとの意図を持つ資質です。いずれが先かは微妙ですが,我が内なる鎖国文化を維持し熟成したいとの志向と互いに響き合います。「わたしの精神医学」です。内なる鎖国文化が形を現し,幾つかの援助手技を手に入れた人は,クリニックを立ち上げます。鎖国環境の設定です。精神科臨床のロマンですから,当然の流れです。

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編集後記
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 DSMの功罪が言われてから久しく,その影響を受けて精神科医になった世代は確実に増えている。彼らの診察を見ていると,症状の抽出に熱心だが病歴(ストーリー)には症状ほどの力点を置かないという特徴がある。もちろん観察範囲は乏しいので一般化はできないが,診断基準をストレートに診察に当てはめると起こりそうな事柄である。結果,精神科診察が内科診察に近いものになっている。もちろん面接時間は内科よりもはるかに長いが構造は類似している。そこにはOSCEなど卒前教育の影響もあるかもしれない。

 ではそれが悪いかと言うと,一概にそうとも言えないと感じることがある。患者や家族がそのような面接に違和感を覚えていないようにみえるのである。考えてみればそれは当然で,初めて精神科を受診する人にとって精神科診察が内科のそれに近ければ不安は少ないのかもしれない。

基本情報

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精神医学
59巻11号 (2017年11月)
電子版ISSN:1882-126X 印刷版ISSN:0488-1281 医学書院

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