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はじめに
統合失調症の精神病理は確実に衰滅しつつある。2003年,わが国が世界に先駆けて行った呼称変更の翌年,私はそのことを明言した4)。有病率や新規事例の発生率について,現時点では決定的な疫学的所見は提出されていないようであり,この点についてはまだ留保が必要かもしれない。だが,病理の軽症化は火をみるより明らかである。かつて電光石火のごとく到来し,我々を慄然とさせた,そうした病理の発動に立ち会う機会はきわめて乏しくなった。これは何も筆者が齢を重ね,感性が磨滅したせいではないだろう。
一つの印象的な事例がある。今から十年ほど前のことだが,当時勤務していた病院に,発症まもない統合失調症の青年が入院してきた。青年は病室に落ち着く暇もなく,家が盗聴されているのが心配だと訴え,受け持ちの研修医に外泊を申し出た。盗聴バスターズという調査会社に依頼するのだという。研修医はあっさりとその申し出を受け入れ,患者が出かけた後にそれを知った指導医は狼狽した。ところが,周囲の心配をよそに,翌日,患者は予定通りに帰院し,業者に調べてもらったところ盗聴はされていないと分かったと納得した様子だった。
こうしたエピソードをみても分かるように,世に人を統合失調症に追いやる力というものがあるとするなら,それは相当に衰弱している。かつてなら,青年は調査報告に納得することなく,さらに妄想的疑念をつのらせただろう。業者もまたグルであると言い出すのがおちである。その前に,盗聴バスターズなるものも,彼の中の妄想的な表象であったであろうし,そのようなものとしてみなされたことだろう。
本稿では,こうした軽症化という背景が映し出す,統合失調症本来の精神病理を描くことを試みる。その際,素朴な記述の水準を超えた病態に対しては,アレゴリー(寓意)という形でエッセンスを示すことになるだろう。というのも,この疾病の精神病理は,言語危機,さらには言語解体へと至るポテンシャルをはらみ,病者は言語の主体となり得るか否かの汀に立たされているからである。そうした彼らに添いつつ語りを紡ぐ言語もまた,試練に立たされる。通常の記述的態度では到底太刀打ちできるものではない。アレゴリーは,彼らとかかわる際に我々に要請される想像力を補填するものとして機能するだろう。
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