生体の科学 69巻1号 (2018年2月)

特集 社会性と脳

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 “みどり子が奥深き秋の鏡舐め”

 これは私が2歳の頃に旅の途中で自宅を訪れた俳人の西東三鬼が,三面鏡に自分の顔が幾重にも映るのを不思議がって,左右の二枚の鏡を動かしながらその間に頭を突っ込ませて,いつまでも眺めている幼児(みどりご)の私を面白く思って詠んだ俳句です。この頃に私は,世界の中で自分という存在があり,それを鏡に映る姿で確認することができると知ったようです。私に限らずヒトは,成長するに従って,他者と異なる存在として自分があることを自覚し,自分と他者によって作られる社会の文脈にふさわしい行動をとれるようになります。

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 ヒトを含めた多くの動物種において,個体の一生を通してみられる様々な社会行動は,同種他個体との関係の樹立や維持に重要な役割を果たしている。社会行動の表出の基盤には,個体の発達段階の各々に特徴的なホルモンレベルの変動と,それに呼応するホルモン受容体の発現がある。化学構造からステロイドホルモン,ペプチド(タンパク質)ホルモン,アミンホルモンに分けられるホルモンのなかで,生殖腺から分泌される性ステロイドホルモンは脳内に局在する受容体に,性特異的,時期特異的,脳領域特異的に作用することによって様々な社会行動の適応的な表出を支えている。本稿では攻撃性に焦点を当て,雌雄のマウスでみられる性に特徴的な攻撃行動の表出が,アンドロゲン,エストロゲンといった性ステロイドホルモンの中枢作用によりどのように制御・調節されているのかについて概説する。

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 動物は,優劣を決めるために同種間で闘う。筆者らは,ゼブラフィッシュを使った研究から,手綱核と脚間核をつなぐ並行して走る2本の神経回路の片方が降参をし難くし,もう片方が降参をしやすくするように働くことを明らかにした。この神経経路は進化的に保存されており,マウスやヒトを含めた哺乳類でも闘争の制御に深くかかわっていると考えられる。更に,この回路での神経伝達にアセチルコリンが関与することから,ニコチン(喫煙)による闘争心制御作用への関与が示唆される。

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 社会性昆虫であるアリやハチはわれわれにとって最も身近な昆虫の一つである。特にアリは地球上で熱帯や冷帯を除くほとんどの地域に生息し,東京のような大都会においても,道端の花壇や公園を覗けば容易に見つけることができる。夏休みの自由研究として,アリ飼育キットを使って観察した経験のある方も多くいるであろう。社会性昆虫がわれわれの興味を惹いてやまない理由の一つには,その生態システムの大きな特徴である“社会性”の不思議にある。本稿では社会性昆虫のなかでも,特にアリ類に着目し,その生態システムと社会性行動に関する最先端の研究と,その制御メカニズムの解明に向けた研究アプローチに焦点を当て紹介したい。

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Ⅰ.“共感”の定義の一部とマーモセットのそれに関与する脳構造

 “共感”1)という言葉は,一般用語では自己と他者で類似の感情を共有することとして用いられている。しかし,これらの言葉とりわけ“感情”・“共有”は,近年大きく進んだ心理学,認知神経科学において,新しい現象,新しい謎の発見を生み出し,“感情”,“共有”ひいては“共感”全体の定義の広がりと対立,そのメカニズムに迫るような新しい手法の発見が進んでいる。もちろん,学問が進めば更に謎も同時に広がっていく。“共感”も速い速度で広がっている学問領域と言えよう。

 デカルトがいみじくも「困難を分割せよ」と言ったように,“共感”も多くの“分割”をする試みが行われている。それと同時に,認知神経科学の発達と共に,これらの分割された“共感”のメカニズムの神経科学の発見との関係が提唱されている。1つの分類は“共感”のスターティングポイントとして,①認知的共感:他者の感情,意図を理解する=相手の感情,意図に引き込まれず他者を行動から理論的に理解する(Theory of Mind;心の理論)。この認知的共感では主体性を保持し,強い感情を惹起されたりせずに適切な行動を選択できる。②情動的共感:相手の感情,意図を理解すると共に,自身の身体的・感情的反応を同時に引き起こす(シミュレーション,ミラーニューロンシステム)。これ以外に,①と②の間に位置する共感も提唱されている。

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 自己理解や他者理解を含む様々な社会的認知機能の発達過程は,これまで発達科学や比較認知科学によって明らかにされてきた。近年は,脳機能画像研究との連携が飛躍的に進み,社会的な心理過程と脳領域との非侵襲的な対応づけに成功している。しかし,ヒトの脳機能画像研究で同定された脳活動の実態を解読するためには,神経活動を高い時間・空間解像度で解析できる,霊長類動物を用いたシステム神経生理学研究も重要な役割を担えるはずである。霊長類動物は,単に社会的な動物であるだけでなく,進化的にヒトと近縁であるうえ,ゲノム構造,脳の機能構造,脳による認知行動制御においてヒトと共通なしくみが多いことが知られている。本稿では霊長類動物,特にマカクザルの自己認識や自他区別に関する最近の知見を紹介し,社会的認知機能の脳内メカニズムを明らかにするモデル動物として,マカクザルが優れていることを述べてみたい。

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Ⅰ.利他的行動をどう定義し測るのか?

 利他的行動とは自分の不利益を省みず,金銭や労力のコストをかけた他者の利益になる行動を指す。他者の利益になる行動の例は動物では養育や食糧の共有などがあり,ヒトでは養育や寄付,労力の提供,臓器提供などの様々な形の行動がある。狭義の利他的行動の定義では自分への食糧,お金,時間,労力,名声などの金銭的,非金銭的な利益が全く期待できない状況にもかかわらず,お金,労力,時間などのコストを使い他者の利益になるような行動を指す。より広い意味では,自分のコストを用いて他者に利益をもたらすような行動全般を指す。

 他者の利益や生存のために自らがコストを払うのは,一見すると個体の生存には非常に不利に働くため,利他的な個体は進化的に淘汰されるのではという素朴な疑問が起こる。しかしながら,種もしくは集団という観点でみてみると,親が子どもの養育に深くかかわることは次世代の生存率の向上に大きく貢献する。つまり,進化的な環境への適応度の観点からみると,利他的行動は個体レベルでは環境への適応度は必ずしも良くないが,種・集団のレベルでは環境への適応度を上げるため,利他的行動を行う個体が淘汰を受けずに現在に至ったと考えられる1)

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 イヌ(Canis familiaris)とヒトの関係は,他のどの動物よりも深い。現在,わが国における飼育頭数は1,100万頭にも達し,実に15%の世帯でイヌが飼育され,数字上は6世帯に1世帯が飼育していることになる。しかし,われわれはこの“人間の最良の友”に関して,さほど多くのことを理解しているわけではない。イヌとヒトは遺伝的には距離があるものの,濃密なコミュニケーションが成立する,まさに“最も近い友人”どうしであると言えるかもしれない。ヒトとイヌの長い共生の過程において,お互いの情報を共有し,相手個体の意図を理解することは,共同生活を送るための大切な要素であったろう。更にイヌは,ヒトの情動の変化を読み取って行動を選択することも身につけたと想像できる。例えば飼い主が怒っているときには距離をとって安全を確保し,喜んでいるときにはそばに近づくことで,報酬を受け取るチャンスを増大させたとも考えられる。このことから,イヌのヒトに対する共感性を考える際には,イヌの進化と家畜化の過程,特に選択圧となった行動や認知機能を明らかにし,情動の伝達が機能し得るかを調べることが必要である。

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 ヒトの社会は自己と他者から成るが,自己と他者が脳内でどのように表現されているのかを,ブレインイメージングを通してみる。本稿では,自己と他者が脳の内外側の前頭前野とその近傍領域で表現されていることを帰属課題などを通してみる。

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 われわれは,数多くの友人たちと共に,日々の生活のなかで多くの思い出を作って生きていく。しかし,その現象を神経科学的な観点で紐解くと,非常に複雑な情報処理が行われていることに気付くであろう。友人一人ひとりの記憶を混同しないように区別しながら貯蔵し,そのそれぞれの記憶に対し,更に複雑な記憶情報を連結させているのである。本稿では,どのように友人のことを記憶しているのか,すなわち“社会性記憶”の神経メカニズムに着目し,近年の諸研究を俯瞰したい。

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 複雑なヒトの社会的認知とコミュニケーションの根底にある神経メカニズムや精神神経障害などの社会行動異常を伴う疾患の病態を解明するためには,社会的類似性とその基礎となる神経生物学的メカニズムを持った非ヒト霊長類であるサルを用いた研究が重要である。小型で繁殖効率の高いサルであるコモンマーモセット(Callithrix jacchus)は,遺伝子編集技術によるトランスジェニックのモデルの作製が可能になるなど,神経科学研究の将来のための強力なモデルとして注目を集めている1)。霊長類の社会的行動は,化学的および嗅覚的シグナルよりもむしろ視覚や音響的なコミュニケーションに強く依存する。このレビューでは,マーモセットの社会行動の特徴とその重要な側面である音声と視覚のコミュニケーションの神経基盤について解説し,マーモセットがヒト社会行動の有用なモデルであることを紹介する。

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 ディープラーニングを中心とするデータ駆動の技術は,画像処理や音声認識などのビッグデータの取得が容易な分野において大きな成果をあげ,日常生活にもかかわる技術として発展してきた。そのような人工知能技術の進展に伴って,ヒト型ロボットがヒトのように振る舞い,社会に貢献することが期待されるようになってきた。しかし,ヒト型ロボットの制御においては,データ取得に環境との物理的なインタラクションを必要とするため,大量のデータを集めるという前提が成り立たず,近年のビッグデータを背景にしたアプローチが必ずしも有効ではない。一方で,ヒトは他者から学んで動作生成や意思決定の方法を効率的に獲得することができる。そこで本稿では,ロボットが動作学習を行うとき,ヒトが他者から学ぶように,ロボットがヒトの熟練者からの動作教示を受ける,あるいは熟練者の動作を観測することで少ないデータから効率的に目的とする動作を学習する見まね学習の方法について概説する1,2)

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 深層学習に代表されるAI技術の進展はめざましく,日進月歩どころか,秒進時歩の勢いで,様々な局面で利用されている1)。深層学習のオリジンは,福島邦彦氏の多層ニューラルネットワーク「ネオコグニトロン」*1であり,当時,絶対的なデータ量と計算能力の不足からあまり注目されなかったが,BigDataや計算能力の飛躍的向上のおかげで,やっと使えるものになってきた。

 深層学習は,基本的にデータの相関関係のみに着目しており,推論過程が入っていないこと,また機械学習の基本的問題である過学習などが課題として挙げられている。人間の場合も,幼いときはこの過学習が見受けられる〔例えば,英語の規則動詞の変化(過去形)など〕。ただし,人間の場合は,社会的な環境のなかで矯正されたり,自らも多様な入力を得て,より正しい方向に導かれる。

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 人間を含む社会集団を営む動物は“共感”と呼ばれる,他個体と心理的につながるための能力を持つ。われわれは,共感によって他人の痛みを理解し,相手を思いやり,救済などの利他的行動をとることが可能となる。しかし,共感は内集団に働くものとして進化したため,誰に対しても共感するとは限らない。また,痛み共感には痛みの共有による苦痛が伴うため,利他的行動を妨げる可能性もある。痛みの共感が,どのように人と人を結びつけているのか,向社会行動とどのようなかかわりを持つのかについて,これまで得られている認知神経科学の知見から概観する。そして最後に,痛みの共感が,痛みの真の“共有”であるかについての論争に触れる。

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 発達障害の一種である自閉スペクトラム症(autism spectrum disorder;ASD)の診断者数は,近年,急激に増加しており,1975年には1/5,000人だったものが2009年には1/110人,最新の統計では1/68人に達すると言われている1)。そこには,診断技術の進歩や診断基準の修正など,実際のASD者数の増加とは別の要因も含まれるが,彼らに対して十分な支援が行き届いていないことや,支援方法が確立していないなどの問題も指摘されている。

 筆者らの研究グループは,計算論的アプローチから発達障害の理解と支援を目指す研究プロジェクトとして,JST戦略的創造研究推進事業(CREST)「認知ミラーリング:認知過程の自己理解と社会的共有による発達障害者支援」(代表:長井志江,期間:2016年12月-2022年3月)を始動した2)。本稿では,本研究課題の掲げる目標とこれまでの成果,そして今後の展開について述べる。

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 この特集の企画段階においては,おそらく特定の精神疾患の,共感の障害の神経基盤について概説することを期待されていたのであると認識している。しかし,そのような研究に対しては既に優れた総説も存在しているため1),今回は当初の趣旨と異なるが,おそらく本特集の読者にもあまり馴染みのない,精神医学の一部門である司法精神医学と共感について触れることにする。また,脳科学との接点という意味では未開拓な部分が多く,結論めいたことを述べるのは難しいが,若干の考察を加えることとする。

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 自閉スペクトラム症(autism-spectrum disorder;ASD)の中核症状で,表情や視線や声色,あるいは言語を介して他者と双方向性に交流することの障害である社会的コミュニケーションの障害に対する有効な治療方法は確立されておらず,本人や家族,更には社会全体への過度な負担が問題となっている。そうしたなかで近年,ハタネズミなどの実験動物において愛着や友好関係の形成に重要な役割を示すことが知られてきた神経ペプチドでもあるオキシトシンの投与で,ヒトでも表情や顔の認知の改善と,何らかの利益を共有するような仲間集団内での信頼関係が促進されることが,メタ解析レベルで示された1)。更に,ASD当事者においても,朗読の際の情感の理解困難などの症状や,目元から感情を推し量る能力の改善や協調的な行動が促進されるという報告が続いた2)。こうした知見から,ASD中核症状に対する初の治療薬としてのオキシトシン経鼻剤の可能性に関心が集まってきている3,4)

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 近年,様々な細胞がエクソソームと呼ばれるナノサイズの小胞を放出することで互いに情報を伝達する可能性が明らかとなりつつある。しかし,エクソソームの定量や精製が難しいことに加え,現時点では,体系的にエクソソームの機能を解析可能なマウスが存在しないことから,エクソソームの生理的機能の解明は困難である。本稿では,筆者らが開発を行っているエクソソームの高感度定量系や高純度エクソソーム精製法,更に,エクソソームの放出阻害マウスについて紹介する。

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はじめに─タンパク質の発現量を決める需要と拘束

 それぞれのタンパク質の発現量は,生体の機能が最も効率よく発揮できるように最適化されていると考えられる。それでは,ある環境での生体にとって最適な発現量を決める背景原理はなんであろうか? 本稿では,モデル真核細胞として最も理解が進んでいる出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)を題材とし,過剰発現により増殖阻害を引き起こすタンパク質の性質を通じて,特にタンパク質の発現量の拘束条件について考える。

 タンパク質の発現量を決める原理の一つは,“需要(demand)”であると考えられる。例えば,解糖系の酵素の発現量は,取り込まれたグルコースを最大の速度で代謝しエネルギーを取り出せる量になっていると考えられる。盛んに増殖している細胞では,タンパク質の新規合成が最大になる量のリボソームが発現しているはずである。しかし,これらのタンパク質が需要だけを求めて無限に作られるわけではない。細胞という空間的拘束があり,タンパク質合成に必要なエネルギーやアミノ酸などの材料にも拘束がある。タンパク質の発現量は需要を最大限に満たしつつも,様々な“拘束(constraint)”の下にある。あるタンパク質の発現量は,上記に加え,そのタンパク質の物理化学的性質や生理的機能などの様々な拘束条件が複合的に作用して決まっていると考えられる。

仮説と戦略

生命を作るということ 角南 武志
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 われわれはどこから来た何者なのか。いや,話を人間に限定する必要はない。生命とはどのような存在で,どのようにして生じたのか。これは多くの人間を惹き付け,悩ませる根源的な問いの一つである。何らかの大いなる存在が設計,管理することなく,様々な興味深い特性を有した生命が自然にできあがるものなのか。もしそうなら,どのような条件が生命誕生を可能にしたのか。

 わからないなら実際に作ってみよう。どのような条件が揃えば生命の特性を再現できるのか,その試行錯誤の過程から様々な知見を得る。これは生命誕生の謎に迫る手法の一つ(構成的手法)であり,現存する手がかりからはるか昔の出来事を推測する手法と両輪をなす。

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次号予告

財団だより

あとがき 岡本 仁
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 現代社会は,個人と個人が直接会って関係性を構築するだけでなく,SNSなどを通じて,個々人が以前であれば考えられなかった多くの人たちと社会的関係を結ぶようになってきた。一方でこれまでは個人は,村落や会社や学級などのように個人の意思とは関係なくあらかじめ与えられた集団の中で,集団が内包する多様性に適応した社会的行動をとることに適応してきたが,SNSはいわば同好の志の集まりで,その中では,集団が持つ凄まじい社会的同調化圧力に適応して振舞わなければならない。急速に変遷する社会構造の中で,私たちの脳は,はたしてその適応性を広げているのか狭めているのか。トランプ現象に代表される現在世界で起きている様々な問題は,私たちの脳の社会適応性の変化に起因しているように私には思えてならない。このような問題に迫るためにも,社会と脳がどのように相互作用して,互いに変化を生み出しているのかの研究を深めていく必要があるだろう。本特集号が,このような問題を考えるきっかけになれば幸いである。

 また,今回力のこもった原稿を執筆していただいた「仮説と戦略」の角南先生,「実験講座」の吉田・華山両先生,「解説」の守屋先生に深謝したい。(岡本 仁)

基本情報

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生体の科学
69巻1号 (2018年2月)
電子版ISSN:1883-5503 印刷版ISSN:0370-9531 金原一郎記念医学医療振興財団

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