公衆衛生 82巻10号 (2018年10月)

特集 子ども政策の総合化・包括化

「公衆衛生」編集委員会
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 わが国では,昭和に入るまでは特に人口や子どもに対する対策はなされていませんでしたが,昭和恐慌による不況に見舞われ,人口抑制がとられるようになりました.戦時下に入ると,一転して人口を増加させる政策がとられ,厚生省と保健所が設置されました.終戦後は出生数が大幅に増えたため,国家を挙げて,人口抑制策がとられました.人口が落ち着いた1965年に母子保健法が制定されました.以後,この法制度の下で母体保護と,乳幼児の栄養改善・死亡率の低減化に力が注がれてきました.

 合計特殊出生率は1974年の2.05を最後に一貫して低下し続け,2.00以下となりました.1989年に1.60以下となった時には「1.57ショック」として衝撃的に受け止められ,その頃から少子化対策が取り組まれるようになりました.しかし,現在でも出生数の低下傾向を止めるまでには至っていません.少子高齢化は人口減少社会をもたらし,社会保障制度や経済活動にも影響を及ぼす社会問題です.子育て世代の労働環境の整備,保育所の整備,女性の社会的な位置付けの見直しなど,国,自治体,社会を挙げた積極的な取り組みがなされるようになってきています.

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なぜ女性政策と少子化対策はうまくいかないのか

 本稿の目的は,2012年12月の第2次安倍内閣発足以降,現在に至るまで進められてきた女性政策と少子化対策の内実,相互の関係および課題について論じることである.第2次以降の安倍政権は,その当初から「女性の活躍」を重要な政策課題として掲げており,また,平行して少子化対策にも精力的に取り組んできたように見える.しかし,それらが成果を挙げてきたかといえば,とてもそうはいえないことを,多くのデータは示している.本稿では,その原因はどこにあるのか,求められる方向性は何かについて,検討を試みる.

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はじめに

 1989年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に生むと見込まれる子どもの数)が1.57を記録したことは,日本の人口・子ども政策をめぐる転機になった(図1)1).1.57は丙午の1966年の1.58を下回る過去最低の数値であったことから「1.57ショック」と表現され(1990年),この時から少子化が行政課題となった.

 人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率)は約2.1であり,それと1.4前後で推移している最近の日本の合計特殊出生率には開きがある.この状況と関連付けて女性や子どもを対象とする社会政策が論じられる傾向が1.57ショック以降の特徴であり,学問的には家族政策論が台頭した.その多くは,フランスやスウェーデンのような女性の社会進出が進んでいて高出生率を維持している国と,日本との社会政策における差異を指摘した.ジェンダー平等における日本の遅れを明らかにする議論は,社会政策の対象としての働く女性と子育て家庭をクローズアップするという点で,重要な役割を果たしてきた.

 近年では「女性活躍」や「子どもの貧困」が政策のキーワードとなり,後者については「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(2013年)によって「地方公共団体は,基本理念にのっとり,子どもの貧困対策に関し,国と協力しつつ,当該地域の状況に応じた施策を策定し,及び実施する責務を有する」と定められたのを機に,子どもたちの未来が生まれ育った環境によって左右されることなく,自分の可能性を追求できるようにすべきであるという視点が導入された.経済格差が体験格差を生み,体験格差が学力格差を生むことへの政策的対応まで進んでいる地域もある.例えば,大阪市は子どもたちの学力や学習意欲,個性や才能を伸ばす機会を提供するため,学習塾や家庭教師,文化・スポーツ教室にかかる費用を,月額1万円を上限に助成する大阪市塾代助成事業を展開している(所得制限あり)2)

 本稿では,子ども政策について近代までさかのぼる.そして,人口・子ども政策の歴史的な経緯をたどることで,戦前における子ども政策は人口の「質」をめぐる議論との強い結びつきの中で形成されたことと,女性や子どもを対象とする社会政策が人口認識の影響を大きく受けながら展開してきたことを述べる3)

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止まらない少子化

 一人の女性が生涯にわたって何人出産しているかを示す合計特殊出生率は,わが国では第二次世界大戦後は一貫して低下している(図1)1).1970年代半ばには,人口が増加も減少もしない均衡状態である人口置換水準よりも低い水準となった.1989年には,丙午であった1966年の1.58を下回る1.57まで低下して1990年に「1.57ショック」と呼ばれた.その後も合計特殊出生率は低下を続けており,2005年にはついに1.26まで落ち,その後はやや持ち直して2017年は1.43となっている.この結果,出生数も第二次ベビーブーム(1971〜1974年)以降は一貫して減少しており,2016年には出生数が100万人を切った.2017年の出生数は戦後最低の約94億6千人となった.

 一方で,高齢化は急速に進行している.人口全体に占める65歳以上人口の割合を高齢化率と呼ぶ.1950年のそれは5%に満たなかったが,1970年に高齢化社会と定義される7%を超え,1994年には高齢社会と定義される14%を超えた.高齢化率が21%を超えると一般に超高齢化社会と呼ばれるが,現在の高齢化率は25.1%に達している.

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はじめに

 筆者は,関東を中心にした自治体・施設・機関において,1990年代より子どもの権利の視点から,子ども・子育て支援計画の策定・実施・評価に関わってきた.本稿では,上記の取り組みに基づき,地方自治体における子ども政策と国の政策との関連,およびその課題について総合化の観点から論じる.

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はじめに

 横浜市の人口は2018(平成30)年6月1日現在,3,740,497人である1).人口数で横浜市に続く大阪市は2,722,098人であり2),ほぼ100万の違いがあるほど,日本で最も人口の多い都市である.

 その横浜市では保育所等待機児童数が2004(平成16)年4月に1,190人と全国一になり,マスコミをはじめ多方面から注目された.保育所数,定員数の増加に向けて積極的な取り組みが行われ〔2004(平成16)年:保育所数289,保育所定員26,689人→2009(平成21)年:保育所数420,保育所定員36,871人〕,2006(平成18)年4月には待機児童は353人まで減少した.しかし,2009(平成21)年4月の待機児童は1,290人と増加し,5年ぶりに全国一となった.さらに,翌2010(平成22)年4月には1,552人という状況になったが,林文子市長の自治体のトップとしての強い意志と果敢な取り組み(以下,待機児童ゼロ作戦)によって,3年後には待機児童をゼロとした.

 上記の待機児童ゼロ作戦に先行して,1990(平成2)年の「1.57ショック」以後,国は本格的な少子化対策を進めてきた.児童福祉から児童家庭福祉へ,ウェルフェアからウェルビーイングへ,と方向性を明示し,「エンゼルプラン」〔文部・厚生・労働・建設の4大臣合意:1995(平成7)年〜1999(平成11)年度〕,「新エンゼルプラン」(大蔵・文部・厚生・労働・建設・自治の6大臣合意:平成12〜16年度)を策定した.

 エンゼルプランは,子育てを親や家庭だけの問題とせず,社会全体で子育てを支援していくことを狙いとした.保育所の量的拡大や低年齢児(産休明け保育を含めて)保育,延長保育,一時保育,放課後児童クラブなどの多様な保育サービスを充実し,地域子育て支援センターの整備を図った.また,保育所定員数の増加を推進した.

 保育ニーズが高まる中で,待機児解消への取り組みは国によって緊急課題として取り上げられた.2001(平成13)年の「仕事と子育ての両立支援の方針」に基づいて,2002(平成14)年の「待機児ゼロ作戦」,2008(平成20)年の「新待機児ゼロ作戦」,2013(平成25)年の「待機児童解消加速化プラン」と進み,保育所等施設数と定員数は増加し続けている.

 2002(平成14)年〜2017(平成29)年の全国の待機児数(表1)3)は,増減はあるものの,施設数,定員数が毎年増加しても,それを上回るニーズがあることを示している.多数の待機児童を抱える行政は,その解消に向けて取り組むものの,困難な課題が山積し,苦慮していた.横浜市の待機児童ゼロ作戦と,その実現は驚きをもって迎えられた.

 本稿では,マスコミからも大きく取り上げられ,注目を集めた保育所等待機児解消への対策も含めた,横浜市の全ての子どもを対象とする子育て支援政策の総合化・包括化について,その現状と課題を論じる.

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子どもの権利を基本に置いた子ども政策

 最初に,なぜ子どもの権利かについて,いくつかの視点から述べておきたい.

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はじめに

 2016年に抜本的に改正された児童福祉法(以下,改正法)を受けて,2017年8月に新しい社会的養育ビジョン(以下,新ビジョン)が発表された.何らかの理由で親との生活を続けられなくなり,社会的養護の対象となる子どもに対して,社会がどう対応すべきか具体的に示された.本稿では,わが国における乳幼児の社会的養護の現状と,今後求められる変化について,なぜそれが必要とされ,どのようにこの変化を現場にもたらすことができるのかを探る.世界の動向,英国の経験も参考にしながら,長野県の「うえだみなみ乳児院」(社会福祉法人敬老園)における取り組みを示す.また,今後の課題についても述べる.

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はじめに

 医学部でも他の保健医療専門職養成学部でも,大部分の学生は公衆衛生領域を専攻する専門職とはならない.本稿では,この実態を踏まえ,大学における公衆衛生の人材育成の方策を予防医学におけるポピュレーション方策に対応するものとハイ・リスク方策に対応するものとに分類し,それぞれの内容,課題そして課題への対処法について,地方国立大学医学部の教員の観点から私見を述べる.

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 「Value-based Medicine(VBM)とは何か?」この本を手に取った方はまずこの疑問を持たれることだろう.そもそも著者は,EBM(科学的根拠に基づく医学)の大家であり,「いかにしてエビデンスを作り,利用するか」を著した書籍や,その基本となる臨床統計学の教科書など,多数のEBM関連著書を出版している.

 一見,エビデンス(科学的根拠)とバリュー(価値観)では正反対の概念のように思われる.とうとうEBMに愛想を尽かしてVBMに寝返ったのかなと言うと然にあらず.この本を読むとVBMはしっかりしたEBMの基盤の上に成立することがよくわかる.“治療”の際にはEBMが大きな力を発揮する.“予防”の際もエビデンスはしっかりと蓄積されてきている.ただ,「馬を水辺に連れていくことはできても,水を飲ませることはできない」.エビデンスを振りかざしてもなかなか実行してもらえないのが予防の世界である.そこで出てくるのがVBMである.

連載 ヘルスコミュニケーションと健康な社会づくりを考える Dr.エビーナの激レア欧州体験より・2

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英国におけるヘルスリテラシーの背景

 ヘルスリテラシーの向上を健康格差の是正や高齢者対策などの政策に導入する動きが広がっているヨーロッパ.第1回ではヨーロッパのヘルスリテラシーへの取り組みを紹介しました.ヨーロッパの中でも,「ヘルスリテラシーの生みの国」ともいえるのが英国です.何と言っても,「WHOヘルスプロモーション用語集」1)の中でヘルスリテラシーを定義付け,その後,ブレア政権時代の2000年からの3年間,英国保健省公衆衛生局長として,ヘルスリテラシーの視点から健康格差の是正に向けた取り組みをされた第一人者であるドン・ナットビーム博士(以下,ドン先生)がいらした国なのですから!

 かの国の現状が知りたくて,2017年にワタクシ,ついに英国に行ってまいりました.幸運にもヘルスリテラシーの学術団体である「英国ヘルスリテラシーグループ」(Health Literacy Group UK. 以下,グループ)の議長からお話を聞くことができましたので,今回はそのインタビューをご報告します.

連載 Coda de Musica 心に響く音楽療法・10

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人生の転換期

 「この病気にかかったことを今では感謝しています.その経験がなければ今の私はありません」こんなコメントを本やテレビ番組などで見た,聞いたことはないだろうか.病気にかかったことが,結果として自分自身に大きな経験を与え,それまでとは全く違った人生を歩むようになったというメッセージである.

 病気にかかることを望む人は誰もいない.できることであれば,死ぬまで医療の世話になりたくない.しかし,突如として私たちは病気にかかり,何気ない日々の時間を過ごせなくなる.そうして,医療を受けるために入院をしたり,自宅での療養生活を迫られる.健康な自分から,病の自分になる時,私たちの心はどう変化するのだろうか.

連載 リレー連載・列島ランナー・115

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大学研究者と宮城県庁との兼務

 秋の空も高くなってきた2012年10月,東北大学大学院歯学研究科で教員を務めていた私は宮城県庁に行くことになった.県庁との兼務を拝命することになったのだ.それは,歯科公衆衛生研究に従事する私の研究者人生に大きな示唆と,それといくばくかの負担をもたらす人生のある種の転機であった.

 当時,宮城県庁には歯科医師や歯科衛生士が存在しなかった.2011年の東日本大震災の際に宮城県歯科医師会が救護活動への参加を県庁に申し出たが,健康推進課と医療整備課(現 医療政策課)の間でたらい回しになったというのは,その筋では有名なエピソードである.これが「大学からタダでもいいから人を出そう」という,わが小坂健教授の宮城県の歯科公衆衛生の現状を危惧するが故の建設的な提案につながった.そして,その白羽の矢はいとも簡単に私を射抜いたのである.こう書くと,歯科公衆衛生研究に従事する人材が東北大学に少ないように聞こえるかと思うので,フォローしておくと,そもそも日本全体に公衆衛生研究を行う歯科医師が少ないのである.歯科では特にマイナーな研究分野と認識されているのかもしれないが,私はその現状に怒りとともに立ち向かっていると自認している.また,小坂教授は医師なので,そもそも矢の当たる的にはなっていないのだ.

予防と臨床のはざまで

初めてのWebセミナー 福田 洋
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 ここ数年来,取り組んでいる産業医と主治医の連携のテーマですが,5月下旬に初めてWebセミナーで講演をする機会をいただきました.リアルな講演会では地理的にも時間的にも人を集める労力やコストがかかるのが一般的です.それに比べてWebセミナー(Webinarとも言うらしい)にはストリーミングなどの形式もあるため,好きな時間や好きな場所で講演や講義を聴くことができます.ライブストリーミングを行うタイプのセミナーでは,チャット形式で質問をしたり答えたりもできるようです.医師向けサイトの「m3.com」などでもWebセミナーが多くみられるようになってきました.

 とは言え,Webで配信するということは,講演の最中に目の前にいるのは「聴衆ではなくカメラのみ」になります.経験がないため,Webセミナーがどんな雰囲気になるか全く分かりませんでした.勝手にいろいろと想像して,「Youtuberのように振る舞わないといけないのか」などと考え,動画をチェックしたりしましたが,結局,依頼元からは「放送大学のようにしてください」と言われ,妙に納得しました.通常の講義とはかなり勝手が違うので,事前の準備も念入りに行いました.まずは時間厳守で,スライドを大幅に減らしました.通常は文字の大きなスライドを素早く切り替え,聴衆と掛け合いで進めるような講義スタイルですが,Webでは配信のタイムラグから早い切り替えは適さないため,じっくり1枚の図を時間をかけて説明するようなスライドを増やしました.

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 今月ご紹介する本作の主人公ロビンは28歳でポリオに罹患します.ポリオウイルスに感染しても,多くの場合は不顕性感染か,ごく軽い症状がでるだけで治癒しますが,100〜200人に1人ほどの確率でウイルスが神経系に侵入し,支配領域にマヒを起こします.侵される部位によっては,特に成人期の感染では呼吸筋にまひを起こし,自発的な呼吸が不可能になることがあります.現在では有効な予防接種があるので,多くの国々で根絶状態にありますが,わが国でも1960年代に北海道を中心にポリオが流行しました.呼吸筋がまひした患者は当時,「鉄の肺」と呼ばれた人工呼吸装置によって救命処置が施されました.わが国では「鉄の肺」は不足しており,また,実用化されたワクチンの供給も十分ではありませんでした.この間の状況は「われ一粒の麦なれど」(松山善三監督/1964年/東宝)に描かれています.

 1950年代後半,主人公ロビン(アンドリュー・ガーフィールド)は美しい女性ダイアナ(クレア・フォイ)のハートを射止め,2人は幸せの絶頂にいますが,仕事で滞在していたケニアでポリオを発症します.頸髄への感染でしょうか,首から下は完全にまひし,自力で呼吸することもできません.気管切開し,呼吸器を付けることで何とか救命されたものの,医師からは余命数カ月と宣告されます.

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目次

次号予告

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 1984年から4年余り,大阪府の2カ所の保健所で保健予防課長をしていました.母子医療は周産期医療体制の確立などの総合化・包括化が図られてきていましたが,地域の母子保健体制については保健所と市町村の役割分担の方式が進められていました.大阪府では保健所を中心とした総合的な母子保健体系をようやく確立したばかりの時期でしたが,全国的な母子保健政策の転換に伴って,母子保健事業を保健所から市町村に移管させる政策に転じました.

 保健師はこの政策の流れに強い危機感を抱いていました.それは核家族化の進行,育児ノイローゼや子育てに悩む母親の支援など,母児を取り巻く社会環境の厳しさが増してきていると感じとっていたからだと思われます.また,市町村も,総合的・包括的に母子保健事業を進め得る経験の蓄積がまだ十分になされていないことを懸念していたこともありました.保健師の方から「事務的に市町村に全て事業を移管させることは公衆衛生の責任の放棄ではないのか」と毎日,詰め寄られたことを思い出します.

基本情報

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公衆衛生
82巻10号 (2018年10月)
電子版ISSN:1882-1170 印刷版ISSN:0368-5187 医学書院

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