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はじめに
1989年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に生むと見込まれる子どもの数)が1.57を記録したことは,日本の人口・子ども政策をめぐる転機になった(図1)1).1.57は丙午の1966年の1.58を下回る過去最低の数値であったことから「1.57ショック」と表現され(1990年),この時から少子化が行政課題となった.
人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率)は約2.1であり,それと1.4前後で推移している最近の日本の合計特殊出生率には開きがある.この状況と関連付けて女性や子どもを対象とする社会政策が論じられる傾向が1.57ショック以降の特徴であり,学問的には家族政策論が台頭した.その多くは,フランスやスウェーデンのような女性の社会進出が進んでいて高出生率を維持している国と,日本との社会政策における差異を指摘した.ジェンダー平等における日本の遅れを明らかにする議論は,社会政策の対象としての働く女性と子育て家庭をクローズアップするという点で,重要な役割を果たしてきた.
近年では「女性活躍」や「子どもの貧困」が政策のキーワードとなり,後者については「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(2013年)によって「地方公共団体は,基本理念にのっとり,子どもの貧困対策に関し,国と協力しつつ,当該地域の状況に応じた施策を策定し,及び実施する責務を有する」と定められたのを機に,子どもたちの未来が生まれ育った環境によって左右されることなく,自分の可能性を追求できるようにすべきであるという視点が導入された.経済格差が体験格差を生み,体験格差が学力格差を生むことへの政策的対応まで進んでいる地域もある.例えば,大阪市は子どもたちの学力や学習意欲,個性や才能を伸ばす機会を提供するため,学習塾や家庭教師,文化・スポーツ教室にかかる費用を,月額1万円を上限に助成する大阪市塾代助成事業を展開している(所得制限あり)2).
本稿では,子ども政策について近代までさかのぼる.そして,人口・子ども政策の歴史的な経緯をたどることで,戦前における子ども政策は人口の「質」をめぐる議論との強い結びつきの中で形成されたことと,女性や子どもを対象とする社会政策が人口認識の影響を大きく受けながら展開してきたことを述べる3).
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