特集 子ども政策の総合化・包括化
扉
「公衆衛生」編集委員会
pp.735
発行日 2018年10月15日
Published Date 2018/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401208983
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わが国では,昭和に入るまでは特に人口や子どもに対する対策はなされていませんでしたが,昭和恐慌による不況に見舞われ,人口抑制がとられるようになりました.戦時下に入ると,一転して人口を増加させる政策がとられ,厚生省と保健所が設置されました.終戦後は出生数が大幅に増えたため,国家を挙げて,人口抑制策がとられました.人口が落ち着いた1965年に母子保健法が制定されました.以後,この法制度の下で母体保護と,乳幼児の栄養改善・死亡率の低減化に力が注がれてきました.
合計特殊出生率は1974年の2.05を最後に一貫して低下し続け,2.00以下となりました.1989年に1.60以下となった時には「1.57ショック」として衝撃的に受け止められ,その頃から少子化対策が取り組まれるようになりました.しかし,現在でも出生数の低下傾向を止めるまでには至っていません.少子高齢化は人口減少社会をもたらし,社会保障制度や経済活動にも影響を及ぼす社会問題です.子育て世代の労働環境の整備,保育所の整備,女性の社会的な位置付けの見直しなど,国,自治体,社会を挙げた積極的な取り組みがなされるようになってきています.
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