看護研究 42巻2号 (2009年4月)

焦点 研究の質を高めるコツと工夫─申請書の書き方・投稿論文のまとめ方

『看護研究』編集室
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 本号焦点は,昨年8月に行なわれた日本看護研究学会第34回学術集会(於:神戸)のプレカンファレンスセミナーにおいて,研究の質を高めるための工夫をテーマに行なわれた講演をベースにし,再編集したものである。

 研究助成を獲得すること,投稿論文がアクセプトされること─この2つはいずれも,多くの研究者が越えたいと思うハードルであり,同時に,自らの研究の質を向上させ,研究者としてのスキルアップを図っていくためにも極めて重要なステップになるといえるだろう。ハードルの種類こそ異なるものの,それを超えるプロセスにおいては「なぜ研究を行なうのか」という共通の,いわば研究の原点となる問いがあると思われる。本号焦点では,このハードルを越えるために必要な考え方とスキルを紹介する。

 質の高い研究の蓄積に向けて,確かな力をもつ研究者を数多く育成することが一層急務の課題となっているいま,あらためてこの2つのテーマを考えたい。初学者にとっても,熟練者にとっても,「意義ある研究」を行なっていくための一助となれば幸いである。

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 意義ある研究を行なっていくためには,研究助成金の獲得は必要です。そこで今回は,研究助成の獲得に結びつくような申請書の書き方のポイントについてお話したいと思います。もちろん,私の申請書がいつでも研究助成を獲得できるわけではありませんが,20年以上にわたって書き続けてきた経験から,何か皆さんのヒントになることがあればと思います。研究助成を得るには,当然のことながら,よい研究計画書を書かなければなりません。ですから第1部は,研究計画を練ることをテーマにお話します。そして第2部では,申請書作成の具体的なポイントについて,お話したいと思います。

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研究助成を申請することとは

 第1部では,研究計画の練り方についてお話しました。では第2部として,研究助成獲得に向けた申請書の書き方のヒントについて述べたいと思います。

 私が研究助成のための申請書を書きはじめたのは,博士課程のころでした。当時,私がお世話になった講座は比較的大きな研究費を獲得していましたが,いくつもの研究が走っていて,私の研究だけに費用をいただくわけにはいきませんでした。私費もずいぶん投入しましたが,私費には限界があり,あっという間に底をつきました。哺乳行動を解明するために精度の高い圧力センサーが欲しかったし,乳児の微弱な筋活動を測定できる筋電計を開発する必要もありました。学会に行って情報収集をするにも,統計ソフトを買うにも,お金が必要でした。やりたいことをやるためには研究費は不可欠で,必要に駆られて助成金を探しました。最初はトヨタ財団から,次に日本学術振興会特別研究員として研究助成をいただきました。申請書は私にとって研究へのラブレターでした。そのラブレターを書く段階で,自分がどのような世界を望んでいるのか,それをどう実現していきたいのか,どう伝えるのかを考えることを学びました。

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はじめに

 私が今日お話したいことは,日本看護研究学会の学会誌編集委員長という立場から,皆さんの投稿論文がどのようにすれば通りやすくなるかということです。

 私は日本看護研究学会誌の編集委員長になって5年になります。1年間に読む論文数はおよそ90本ぐらいです。毎年90本なので,学会の論文だけでもこれまでで400本くらい読んでいます。正直,これは大変です。査読しようとすると午前中すべて費やして査読論文を読むような生活です。最近はもはや,チラっとみた瞬間に諾否がわかるようになりました。経験がなせるわざというか,直感です。ただ,90本すべてを自分で判断できるわけではありません。可能なのは20本ぐらいです。投稿論文のすべては基本的には,査読は,学会の査読委員の先生がたにお願いし,担当編集委員と相談したりしながら,行なっています。査読のシステムについては,また後ほどお話します。

 率直に申し上げて,投稿論文が通るか通らないかには運・不運があります。査読者次第というところもなきにしもあらずです。ある分野の「研究」には,ある種の思想がそこに入っています。科学的研究,特に自然科学的研究においては,自分の哲学的思想を反映させることはなかなかないので,非常にタイトに評価されます。しかし哲学的な課題に触れるような研究テーマの場合,どうしても査読者の好みなどが出てきてしまいます。

 査読者には,さらっと採用にする方もいる一方,「こういう考えはよくない!」と厳しい方もいて,とりわけ質的研究においては,そのあたりのことがトラブルの原因になりやすいように思います。ですから,投稿論文をどのように書けば通りやすくなるのかということに王道があるわけではありません。なかなか難しいものがあります。

 アクセプトされるためには,どのような工夫が必要なのでしょう。もちろん,内容は絶対条件です。しかし,それ以前にその内容の伝え方がまずかったら,その時点で門前払いになりかねません。

 私自身,これまで多くの研究論文を書いてきましたが,そのうち査読つきの論文がどのくらいあったかというと,65本くらいです。つまり65回,査読で苦労しているということです。このほか不採用になった論文が100本くらい(若いころ)あります。いかがですか。正直申し上げて,不採用になってもあまり落ち込むことなどはないのです。いくら頑張ってもなかなか理解してくれない査読者もいますので。このことは,これまで長い間査読を行なう立場にいる経験からわかります。査読を依頼されると,つい厳しい視点をもってしまいがちになります。普段とてもおとなしいのに,車を運転すると人が変わって「こんなにも暴走する人だったのか」と驚くことがありませんか。そのような感じです。いいところももちろんみるのですが,どちらかというと細かいところばかりをみようとしてしまう。そうなると,投稿者とのギャップが大きくなりますよね。特に質的研究の場合には考え方の違いも出てきてしまうので,さらに問題はややこしくなりがちです。

 皆さんが論文を投稿して,意に沿わない結果が返ってきた。そのときは査読結果にどう返答すればよいのでしょうか。まず基本的なポイントとして,攻撃的な文章を書いては,やはりよくありません。とても悔しい思いをしながらも,返答にはジェントルマンシップが大切です。査読結果は,その査読者の考えが反映されたものです。査読者が細かいところばかりみたとしても,やはり査読者の役割を十分に認識した上で,冷静な眼で,時間をかけて論文を読んでいることは間違いないのです。ですからそれに対して異論を唱えたいときにも,即,真正面から異論を唱える方法ではだめです。背後に回ったり牽制したりというように,やわらかく自身の主張をすることが必要です。

 もちろん,査読者にもジェントルマンシップが求められます。ときには投稿者が頭にくるようなことも書かなくてはなりません。しかし,「この論文は話にならない」とただ頭ごなしにするのではなく,査読結果をできるだけスマートに受け止めてもらうようにコメントを書く。これが大事なことかなと思います。査読のやり取りのなかでもめてしまったら,もう解決点は見いだせなくなります。

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はじめに

 髙木 本日は「1事例の質的研究でも科学的か?」という,少し挑戦的なテーマでお話します。つまり少数例の質的研究に科学的エビデンスはあるのか,というお話です。

 ポイントは2つあります。科学的なエビデンスとして研究結果を一般化する場合,やはり「科学とは何か?」という問題提起がなければ,科学的といえません。ですから,まず科学とはどういうものかを,構造主義科学論という考え方に基づいてお話したいと思います。これが第1点です。

 第2点は,質的研究のテクスト解釈という大きな問題です。どんな研究でも,最終的には言語で何かを書かなければいけません。論文でも報告でも,また記述に用いる言語が日本語であれ英語であれ,まずテクストをつくり,それを解釈して自分が興味のある現象について説明を行なうことになりますね。そのときのテクスト解釈について「これは客観的に解釈できるのか?」ということが常に問題になってきます。

連載 質的研究を科学する・2

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はじめに

 私は,自分ではずっと科学者のつもりでいたのだが,「科学とは何か」というような問いには,全く無関心であった。もともと,自分のしていることは科学なのであるという,全く根拠のない自信だけはあったのだが,よく考えてみると,この質問に答えるのはかなり難しい。結構ありがちな回答として,「科学とは真理の探究である」とか「科学とは現象の背後にある法則や因果関係を客観的に明らかにすることである」とか,なんとなくいってしまいそうである。本当に,科学とは真理や法則を明らかにするものなのだろうか。

 かなり前から,若者の理科離れが進んでおり,科学技術立国である日本の将来が危ぶまれている。しかし,そもそも「科学とは何か」という,教育や学問の最も基盤となるような話が,日本の学校教育では教えられていないのではないだろうか。少なくとも私の経験では,「科学とは何か」を教えられた記憶はないのだが,これは一般的にそうなのだろうか。

 岩田(2008)は,「日本では小中高の理科教育にせよ,大学・大学院教育にせよ,『科学とは何か』『科学的に考えるとはどういうことか』という議論がきちんとされ,教育されていることは希有である」と指摘している。仮に教育している学校があったとしても,それほど多くはなさそうである。

 そこで今回は,わかっているようでわかっていないわりには,ちゃんと考えたことのない「科学とは何か」を考えてみたい。当然のことだが,科学哲学なる学問分野があることからもわかるように,これまでに多くの科学論が存在する。ここでそれらを網羅的に紹介しても,本連載の目的には沿わないと考えられる。大事な点は,「質的研究は科学なのか」という問いに,明確に答えが出せるような考え方を説明することである。したがって,ここでは池田清彦氏による構造主義科学論(池田,1988,1998,2007)に主に基づいて,必要に応じてほかの文献を参考にしながら,「科学」とは何かを考えてみたい。

 構造主義科学論による「科学」の説明には,多様な表現が用いられているが,以下の言説は,科学の本質を述べたものと考えられるので,それらについて説明を加えていきたい。すなわち,

 1) 科学はオカルトが大衆化した所から生じた(池田,2007,p.12)

 2) 科学は真理をではなく同一性の追求をめざす(池田,1998,p.13)

 3) 科学とは,現象を構造によってコードし尽くそうとする営為である(池田,1998,p.106)

 4) 科学は見えるものを見えないものによって言いあてようとするゲームだ(池田,1998,p.106)

 5) すべての科学理論は,何らかの不変の同一性によって,変なるものをコードする構図になっている(池田,1998,p.114)

などである。

 はじめはわかりにくい表現かもしれないが,これを読んだ後では,このような構造主義科学論の考え方が,現実の科学者の研究活動や内容をよく言い当てていると思えるように解説できればと考えている。

基本情報

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看護研究
42巻2号 (2009年4月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

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