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はじめに
私が今日お話したいことは,日本看護研究学会の学会誌編集委員長という立場から,皆さんの投稿論文がどのようにすれば通りやすくなるかということです。
私は日本看護研究学会誌の編集委員長になって5年になります。1年間に読む論文数はおよそ90本ぐらいです。毎年90本なので,学会の論文だけでもこれまでで400本くらい読んでいます。正直,これは大変です。査読しようとすると午前中すべて費やして査読論文を読むような生活です。最近はもはや,チラっとみた瞬間に諾否がわかるようになりました。経験がなせるわざというか,直感です。ただ,90本すべてを自分で判断できるわけではありません。可能なのは20本ぐらいです。投稿論文のすべては基本的には,査読は,学会の査読委員の先生がたにお願いし,担当編集委員と相談したりしながら,行なっています。査読のシステムについては,また後ほどお話します。
率直に申し上げて,投稿論文が通るか通らないかには運・不運があります。査読者次第というところもなきにしもあらずです。ある分野の「研究」には,ある種の思想がそこに入っています。科学的研究,特に自然科学的研究においては,自分の哲学的思想を反映させることはなかなかないので,非常にタイトに評価されます。しかし哲学的な課題に触れるような研究テーマの場合,どうしても査読者の好みなどが出てきてしまいます。
査読者には,さらっと採用にする方もいる一方,「こういう考えはよくない!」と厳しい方もいて,とりわけ質的研究においては,そのあたりのことがトラブルの原因になりやすいように思います。ですから,投稿論文をどのように書けば通りやすくなるのかということに王道があるわけではありません。なかなか難しいものがあります。
アクセプトされるためには,どのような工夫が必要なのでしょう。もちろん,内容は絶対条件です。しかし,それ以前にその内容の伝え方がまずかったら,その時点で門前払いになりかねません。
私自身,これまで多くの研究論文を書いてきましたが,そのうち査読つきの論文がどのくらいあったかというと,65本くらいです。つまり65回,査読で苦労しているということです。このほか不採用になった論文が100本くらい(若いころ)あります。いかがですか。正直申し上げて,不採用になってもあまり落ち込むことなどはないのです。いくら頑張ってもなかなか理解してくれない査読者もいますので。このことは,これまで長い間査読を行なう立場にいる経験からわかります。査読を依頼されると,つい厳しい視点をもってしまいがちになります。普段とてもおとなしいのに,車を運転すると人が変わって「こんなにも暴走する人だったのか」と驚くことがありませんか。そのような感じです。いいところももちろんみるのですが,どちらかというと細かいところばかりをみようとしてしまう。そうなると,投稿者とのギャップが大きくなりますよね。特に質的研究の場合には考え方の違いも出てきてしまうので,さらに問題はややこしくなりがちです。
皆さんが論文を投稿して,意に沿わない結果が返ってきた。そのときは査読結果にどう返答すればよいのでしょうか。まず基本的なポイントとして,攻撃的な文章を書いては,やはりよくありません。とても悔しい思いをしながらも,返答にはジェントルマンシップが大切です。査読結果は,その査読者の考えが反映されたものです。査読者が細かいところばかりみたとしても,やはり査読者の役割を十分に認識した上で,冷静な眼で,時間をかけて論文を読んでいることは間違いないのです。ですからそれに対して異論を唱えたいときにも,即,真正面から異論を唱える方法ではだめです。背後に回ったり牽制したりというように,やわらかく自身の主張をすることが必要です。
もちろん,査読者にもジェントルマンシップが求められます。ときには投稿者が頭にくるようなことも書かなくてはなりません。しかし,「この論文は話にならない」とただ頭ごなしにするのではなく,査読結果をできるだけスマートに受け止めてもらうようにコメントを書く。これが大事なことかなと思います。査読のやり取りのなかでもめてしまったら,もう解決点は見いだせなくなります。
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