看護研究 36巻3号 (2003年6月)

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はじめに

 患者教育は,看護師の重要な仕事の1つであるといわれてきたが,看護界では患者教育のための研究,例えば効果的な教育のための方法などはほとんど研究されてこなかった。そのなかで現在,唯一明らかになっている研究内容は,患者に疾患や治療の知識を与えるだけでは,食事療法や運動療法などの自己管理に関する行動変容は,あまり期待できないということである。

 しかし,この研究結果だけでは,どのように患者教育を行なえば効果的に患者教育ができるのかに対する答えにはならず,結局,看護師は患者に知識を与えることのみの教育方法を取らざるを得ない状況である。その結果,患者に医学的な知識を与えるだけの看護師と,それだけの援助では自己管理のための行動を取れない患者との間に信頼関係とはほど遠い状況が生まれ,患者が自己管理をしないことを看護師が責めるという図式が出来上がっている。看護師の側には,しばしば自己管理行動を起こさない患者に対する不満と不信が,患者の側には自己嫌悪と無力感が支配し,相互にストレスフルな状態になっている。

 一方,心理学や教育学など他領域の分野から,患者教育に活用できる理論やモデルが紹介され,それを使った患者教育の結果が実践報告として発表されるようになった。学習理論のセルフエフィカシー(自己効力)理論や行動療法,予防行動の予測モデルとしての保健信念モデル,カウンセリング技術やエンパワメントモデルなどがそれであるが,実際それらを使うことが効果的なのかどうかやどのように使えばよいのかなど,ほとんど研究されていない。

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はじめに

 慢性疾患をもちながら生活する人にとって,食事や運動などの日常的な生活習慣や生活スタイルのありようは,原疾患の病状やその後の経過に大きな影響を与える。健康に着目した生活への援助を専門的機能とする看護職者にとって,慢性疾患をもって生活する対象者への患者教育は重要な使命である。主体者である患者には,自身の療養上の生活制限と,それまで培われてきたその人と家族の日常生活とのバランスを図り,より健康的な療養方法を学習してもらう必要がある。しかし,従来の患者教育・指導は,効果的に行なわれてきたとはいい難く,河口(2001)は,これまでの患者教育には,患者の気持ちに反した看護職の言動,無理な説得,完璧に近い自己管理を患者に求めるなどの問題があると報告している。

 「患者教育研究会」では,患者の行動変容に結びつくこととなった「とっかかり言動」に注目した患者教育方法の検討を行ない,その有効性および患者教育における「看護実践モデル」の開発について報告してきた(河口ら,1997;鳥居ら,1999;Oka et al., 1999;下村ら,2000;河口,2001)が,現モデルは患者教育のための「看護実践モデルVersion 2」(Version 1を図1,Version 2を図2に示す)となっている。また,多くの看護師による患者教育場面の事例分析から,患者・看護師間の援助関係のきっかけや働きかけの手がかりになった部分を,「看護実践モデル」における「とっかかり/手がかり言動とその直感的解釈」と命名した(図2)。本稿においては,「とっかかり/手がかり言動とその直感的解釈」の概念と実践モデルを構成する他の要素との関係および教育の可能性について述べる。

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はじめに

 看護は,ナイチンゲールの時代から,生命力の消耗を最小にするように生活過程を整えることであるといわれ,それから今日に至るまで,看護職者は,対象者にとってのより健康的な状態をめざして生活の側面から支援する専門家であると考えられてきた。しかしそのなかで,「生活」および「生活者」という言葉は,看護の独自性を示す,1つの重要な「かぎ」となっているにもかかわらず,看護の立場から概念の検討や要素の蓄積をしてきていない(小板橋,1980;岩井,1985;近藤,1997;河口,2001a)。

 我々「患者教育研究会」では,1994年9月から患者教育のための「看護実践モデル」の開発の試みを続けている。この過程のなかで,初期モデル(鳥居ら,1999;下村ら,2000)を適用し,多くの実践事例を検討していくうちに,患者が行動変容に至ったケースは,いずれも看護職者が患者の生活習慣や患者の価値観(患者が大切にしていること)に配慮し,それに基づいて療養生活を支援した時,行動変容していたことが明らかになった。この現象は初期モデルそれぞれの概念のなかに埋没し,表面には出てきていなかったため,新しい概念「生活者に関する知識・技術」として明文化した(河口,2001b)。そしてこの生活者に関する要素は,患者教育の実践において最も重要と考えられることから,モデルVersion 2(図1)ではB-1として独立させ,モデル図のB-2とB-3の間に位置させた(松田ら,2001)。

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はじめに

 慢性疾患患者に必要とされる食事管理や服薬管理などのセルフケア行動は,習慣化されたものであるため,ヘルスプロモーションのために行動を変えることは容易ではない。

 河口ら(2001)が開発している患者教育のための「看護実践モデル」では,患者からの手がかりとなる言動を直感的に解釈する能力,患者を生活者として捉える視点,看護職者がもつProfessional Learning Climateと同時に,行動変容を促す技法も同様に重要であると唱えられている。対象者を尊重し,温かい心で接することは当然必要であるが,患者の問題を現実的に解決するために必要な具体的支援方法も有していなければ,精神主義のみで患者に臨むことになってしまう。長期にわたる問題を抱えている患者に対する援助には,動的な働きかけが必要である。

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なぜProfessional Learning Climate(PLC)か

 筆者らは,みずからの患者教育実践経験のなかで,あるいはプロセスレコードによる他者の実践報告を分析していくなかで,患者教育の専門家に必要な要素として看護職者の醸し出す雰囲気や姿勢に注目してきた。看護職者の雰囲気や姿勢は,知識や技術と異なり,明確に定義することが困難である。しかし,いくつもの事例検討の過程において,看護職者の雰囲気や姿勢が,対象者の行動変容が起きた要因として,理論知でははかり切れない重要な役割を果たしていると考えられた。また,関わりのまずさが示された事例には,どうして患者の話を聞かないのだろう,なぜ看護職者は理想の患者像を抱くのだろうか,看護職者の自己満足の患者教育ではないだろうか,疾患の特徴やこれまでの臨床経験からすでになんらかの固定観念あるいは偏見を抱いていないだろうか,あるいは,患者と対面する前から看護計画が立案され問題解決が看護職者側でなされていないだろうか,など多くの意見が出された。行動変容が起きた要因,あるいは関わりのまずさなどを含む事例検討を通じて,看護職者に備わっていてほしい雰囲気や姿勢の不足は,患者教育を実践する専門家にとって問題であることが取り上げられた。

 こうした看護職者の姿勢や雰囲気は,患者教育のための「看護実践モデル」(以下,本モデルとする)における重要な構成要素として研究者間で合意を得た。また,この看護職者の醸し出す雰囲気が生得的なものか訓練可能で後天的に習得可能なものかに関しても議論がなされた。事例検討を重ねながら,こうした専門家の雰囲気や姿勢は実践のうちに体現されている知であり,Reflective Thinkingができる環境で実践の蓄積をすることにより,身に付いていく専門家の実践知であることが確認された。その特徴として,看護職者の姿勢や雰囲気は,①専門的なものであり,後天的に訓練可能であること,②患者の学習への動機づけに間接的あるいは直接的に影響し,患者教育の成果(Outcome)が得られやすくなること,③専門的な知識や技術を使う前提として看護職者に身に付いており,これがないと知識や技術だけでは効果的な患者教育にはなりにくいこと,などである。以上の議論ののちに,こうした専門家に備わっている雰囲気をProfessional Learning Climate(以下,PLCと略す)と命名した。

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はじめに

 清拭は,その病状や運動制限などのために入浴やシャワー浴ができない対象者に対して実施する清潔保持の方法であり,同時に,入浴と同様の身体への生理的効果も期待されている援助技術である(松田,1995)。しかしながら,従来の清拭法では石けん分の除去を拭き取り法によって行なっているため,石けん分の拭き残しによる皮膚トラブルやそれによる不快感などが考えられる。また,ベッド上安静が必要な対象者に対して従来の清拭方法については,皮膚に残る水分量や清拭による局所的な皮膚温の変化または循環器系への影響を中心に検討がなされている(遠藤ら,1999;入來,1987;三尾ら,1997;中村ら,2000)。一方で,成人の対象者の多くは健康時,入浴やシャワー浴により清潔を保っている。また,入浴は全身を温湯に浸すことで生じる温熱,水圧,浮力の作用によって皮膚を清潔にし,血液の循環や新陳代謝を促進させ,同時に心身の疲労や緊張を除くなどの効果をもたらす。そして,これら各種の生理的影響が複合され爽快感を得るとされている(川島,1989;松田,1995;植田,1982)。このことから,入浴が制限され清拭によって清潔を保っている対象者に対しても,入浴の効果と同様な効果が可能な限り得られるような清拭技術を考えることが必要である。しかし,入浴の効果と同様な効果を得られるような新たなる清潔保持の工夫などに関する報告はこれまで認められない。そこで今回,入浴が各種の生理的効果をもたらすもととなる全身を温湯に浸すということに着目し,ベッド上でも直接皮膚に湯をかけることで,石けん分の洗浄効果が拭き取り法よりも上がるとともに入浴に近い効果が得られると考え実施した。効果については,皮膚温・血圧・心拍数などから身体的効果を,爽快感などの主観的データから精神的効果を評価し,ベッド上で安静が必要とされる患者へ安全に,そして安楽に実施が可能であるかを検討した。

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 『生命倫理をみつめて―医療社会学者の半世紀』は,1人の医療社会学者が半世紀の間,さまざまな医療の現場で「生命倫理とは何か」をみつめ続けた参与観察の軌跡をまとめた記録である。本の帯には,「つねに参与観察者として現場にあった女性が語る医療社会の真実」とあり,さらにそれより大きな活字で「参与観察者の視点」とある。これは,実に見事にこの本の本質,ひいては著者の存在の本質を表現したことばであると思う。著者は一貫して自身を「生命倫理学者ではない社会学者」として位置づけ,そして「生命倫理学を参与観察し続ける」役割をみずからに課し続けているからである。

現象との,対象者との距離

 医療のさまざまな現象には当事者がいる。医療を受ける立場,医療を提供する立場,そしてその両者にさまざまな距離で関わる関係者。これらの人々は現象のなかにあって,自身の信条や,利益や,幸福や,価値のためにあらゆる努力をしている。しかし,それらの人々を一歩退いたところから捉えれば,それぞれの社会や文化による役割規定が彼らの行動に影響しているといえる。これらの要因が現象にどのような影響を与えているかを注意深く分析するのが,「アウトサイダー」としての社会学者であるとFox博士は位置づけている。この「『アウトサイダー』として」の自己規定は,なかなか厳しいものである。現象から離れすぎていて,机上の空論を説くアウトサイダーの意見には誰も耳を貸さない。しかし逆に現象に取り込まれすぎて,分析的な視点をもち得ないアウトサイダーは,もはや中途半端な当事者でしかなくなり,現象を読み解く力はもっていない。このはざまにみずからを置くということは,現象への距離を絶えず自問自答し,博士の言葉でいうところの「感じすぎることと感じなさすぎることの間を揺れ動く過程」を経て身に付けることができる。しかし,このバランスを取るのは容易ではない。博士が生命倫理の問題を分析する社会学者であり続け,社会的にも大きな成功を収めてきたことの背景には,博士がこのバランスの取り方に成功したことがあったと思われる。そしてその原点を,この本のなかでは最も多くのページを割いて具体的な参与観察のプロセスを述べた,精神科F第2病棟における参与観察にみることができる。

基本情報

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看護研究
36巻3号 (2003年6月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

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