神経研究の進歩 48巻5号 (2004年10月)

特集 ポストゲノム時代の神経疾患の分子遺伝学

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 はじめに

 2003年春には,ヒトゲノム配列決定完了が宣言され,ゲノム研究は,新しい次元に突入している。すなわち,ゲノムを単位として研究することにより,ヒトも含めた諸生物において,生命現象の素過程を統合して,システムとしての生命を形作り,働かせる仕組み(生命システム)を解明すること,さらには,生物が個体間や環境との相互作用により,進化・多様化を生み出す仕組み(生物システム)を解明することが可能になろうとしている。すなわち,ヒトゲノムについては,ゲノム全体を包括的に眺め,解析することが可能になり,疾患を全ゲノムを視野に理解することが可能になりつつある。

 ヒトゲノム研究の今後の方向性としては,ヒトゲノムの多様性の研究,ヒトゲノム全体を対象とした遺伝子発現調節機構の研究,mRNAの多様性の研究,翻訳後修飾の研究など,新たな段階に突入している。いずれの場合も,ヒトゲノムを包括的に解析するという点で,これまでとはまったく次元の異なる研究が発展しつつある。このようにヒトゲノムを包括的に解析できるということは,取り扱う情報量が膨大なものになることを意味しており,情報処理という点でも新たな研究分野が展開している。今後は,ゲノムインフォーマティクスと呼ぶべき研究分野が主流になるものと予測される。

 このように,ヒトゲノム研究の飛躍的な発展は,神経疾患の診療や研究にパラダイムシフトをもたらしつつある。疾患の病因の解明,治療法,予防法の開発,診療への応用と,いずれを取り上げてみても,これまでとはまったく異なる次元で,研究が飛躍的に進むものと期待される。本特集では,ヒトゲノム研究の飛躍的発展を背景として,神経疾患の病因の解明,治療への応用,診療への応用という面で,どのようなパラダイムシフトが起こりつつあるかに焦点を当てて企画をさせて頂いた。このような研究分野は現在発展途上にあり,必ずしもアプローチの方法が確立されたというわけではなく,手探り状態の分野も含まれるが,必ず突破口を開けるはずであり,それが実現することを期待したい。

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 多くの病気は,遺伝的な背景と環境要因が複合的に作用して生じる。疾患の発症や経過を左右する原因遺伝子,または感受性遺伝子の発見は非常に重要となる。そのための遺伝子解析を行うには,個人情報保護の観点からセキュリティー対策はもとより,ハイスループット解析システムを確立する必要がある。具体的な課題として,多施設からの検体収集とその管理,多型マーカーの設定,微量化等反応系の確立,解析精度と速度,遺伝子型多型解析データベースの構築,診療情報データベースの構築,統計解析等がある。これらの全行程が効率よく回転することによって,候補遺伝子アプローチ,ゲノムワイドスキャン,家系を基にした連鎖解析,疾患群-対照群の相関解析等を大規模に行うことができる。

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 近年,遺伝性神経疾患の原因遺伝子が次々と同定されており,またポストゲノム時代の到来に伴うゲノム医学の発展とも相まって,臨床の現場でも簡便にかつ迅速に,遺伝子解析を行う必要性が高まってきている。そのため筆者らはDNAチップを用いて,神経変性疾患関連遺伝子の塩基配列を,網羅的にかつハイスループットに解析するシステムの構築を行っている。DNAチップは1度に3万塩基の配列が解析可能であり,複数の遺伝子を搭載して同時に解析することができる。チップの変異検出の正確性を,家族性ALSにおける既知のSOD1変異を用いて検証した。既知の変異はいずれも正確に検出可能であり,遺伝子変異/多型検出におけるチップの正確性が示された。DNAチップは,臨床において極めて有用なハイスループットな遺伝子変異解析システムを可能にするのみならず,疾患関連遺伝子の,体系的ゲノム解析といった研究面へも応用可能であると考えられる。

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 ヒトゲノムの全塩基配列の解読終了が宣言され,遺伝子の総数は約32,000と推定されている。個々の遺伝子の機能や発現についての詳細な解析の重要性は言うまでもないが,ゲノム全体すなわち遺伝子全体がどのように発現し,関連しているかを明らかにすることは,個体全体の成り立ちを理解する上で必須である。近年,数万の遺伝子の発現レベル(転写産物)を一度に観察可能なマイクロアレイによる発現プロファイリングが開発され,2つの異なる状態を説明する鍵となる遺伝子のスクリーニングや,分子レベルでの網羅的な記述法として注目されている。遺伝子発現プロファイリングの概要とともに,その問題点,特にデータ解析はまだ発展途上であることも指摘し,紹介した。また神経疾患の基礎的および臨床的研究への応用として,DRPLAトランスジェニック・マウスの解析やその他の疾患研究への応用について簡単に触れた。

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 ヒトゲノム情報,特にSNPs(single nucleotide polymorphisms)のデータベース化が進み,多因子神経疾患の解析への応用がますます期待されるようになっている。神経疾患の中にはアルツハイマー病,パーキンソン病,筋萎縮性側索硬化症,多発性硬化症,片頭痛,脳血管障害など,遺伝因子の関与を指摘されている多因子疾患が多数ある。これらの疾患感受性遺伝子同定は,疾患発症機序の解明のみならず,患者一人一人に最適な個別化医療を探るための糸口を提供してくれる可能性もある。疾患感受性遺伝子の同定には関連解析が有用だが,typeⅠerror(疑陽性)を防ぐためには,対象とする表現型と正常対照の選定基準を吟味し,十分なサンプル数を用いること,minor allele frequencyが低すぎないマーカーを選択することなどが重要である。

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 タンパク質全体(proteome)を網羅的に解析するプロテオミクス(proteomics)には,遺伝子の翻訳産物としてのタンパク質レベルでの発現解析を意味する“発現プロテオミクス”と,タンパク質の機能の網羅的解析を目指す“機能プロテオミクス”が含まれる。従来のプロテオーム研究は,主に二次元電気泳動(2D-PAGE)によるタンパク質の分離と質量分析計(MS)の組み合わせにより行われてきたが,現在その主流は液体クロマトグラフィー(LC)と質量分析計(MS)の組み合わせに移っている。また,ゲノムにコードされる全タンパク質を発現させた後にそれらを網羅的に解析する手法は,従来の“クラシカルプロテオミクス”に対し,“リバースプロテオミクス”と呼称されている。本稿では,まず2D-PAGEとMSによる解析とLCとタンデム型MS(LC-MS/MS)について解説した後,タンパク質相互作用全体(interactome)の網羅的解析並びに組織解析への応用,そして最後にリバースプロテオミクスのツールとしてのプロテオームチップについて紹介する。今後の進展具合は,こうした膨大な情報をいかに効率よく解析するかという点にも左右されるため,in silicoでのデータ解析(bioinformatics)が極めて重要な役割を担うことになる。

片頭痛の分子遺伝学 高橋 哲哉
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 片頭痛は繰り返す頭痛発作を主徴とした疾患であり,環境要因に加え遺伝的要因の関与が示唆されている。近年,家族性片麻痺性片頭痛(FHM)の原因としてP/Qタイプカルシウムチャネルα1サブユニット遺伝子(CACNA1A),およびナトリウム/カリウムチャネルα2サブユニット遺伝子(ATP1A2)の点変異が明らかになった。CACNA1A遺伝子は脊髄小脳変性症6型の原因遺伝子でもあり,同遺伝子に変異を持つFHM家系では脊髄小脳変性症類似の表現型を示すことが多い。チャネルの機能異常が片頭痛発作,あるいは小脳変性の原因である可能性があり,病態解明や新たな治療法の開発が期待される。

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 脳血管障害の多くは,遺伝的要因と環境要因の両者が関与する多因子病である。双子研究等の結果から,若年発症の脳梗塞は遺伝的要因が強く,年齢を経るにしたがい環境要因の影響が大きいことが示唆される。頻度は多くないが,CADASIL,CARASIL,網膜症および腎障害,脳血管障害を伴う遺伝性血管内皮障害(HERNS),Marfan症候群,MELASなど単一遺伝子を原因とする脳梗塞では,原因遺伝子と病態の解明が進められている。多因子病としての脳梗塞原因遺伝子の検討は,大きく2つの方法で進められている。すなわち,候補遺伝子アプローチとマイクロサテライトマーカーを用いた網羅的解析である。候補遺伝子としては,大きく分けると,①レニン・アンギオテンシン系,②一酸化窒素(NO)合成系,③脂質代謝系,④凝固線容系,⑤ホモシステイン代謝の各領域での検討が多い。未知の原因遺伝子の検索を可能にすることから期待されているのが,マイクロサテライトマーカーを用いた網羅的解析である。deCODE Genetics研究の検討結果,染色体5q12のphosphodiesterase 4D(PDE4D)遺伝子が脳梗塞の感受性に関連することが報告された。今後,多くの脳梗塞危険遺伝子の解明により,積極的な発症危険因子のコントロールが,テーラー・メード治療として可能になるものと期待される。

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 脳動脈瘤破裂により,くも膜下出血をきたす。脳動脈瘤は遺伝背景の強い疾患であることが知られている。筆者らは脳動脈瘤の遺伝要因を同定することにより,脳動脈瘤発生メカニズムの解明を目指した。116対の罹患同胞対を用いたゲノム全域連鎖解析により5,7,14番染色体に遺伝子座を特定でき,最も強い連鎖を認めた7番染色体において,詳細な連鎖不平衡マッピングを行い,エラスチン,コラーゲン1A2遺伝子の関与を明らかにした。

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 Rett症候群は自閉症やてんかんを主徴とするX連鎖優性遺伝病で,近年,本症の責任遺伝子がX染色体上の遺伝子MeCP2であることが明らかにされた。MeCP2蛋白は当初予想された神経伝達物質ではなく,DNAのメチル化を介する遺伝子発現抑制機構であるエピジェネティクス機構の中核をなす蛋白であることから,本症の病態は,MeCP2蛋白により本来発現抑制される遺伝子の脳内過剰発現と想定されている。この発見によりエピジェネティクス機構の破綻は,本症のみならず他の自閉症疾患や精神疾患の発症にも関わっている可能性が示唆され,新たな治療法の開発の面からも,現在精力的な研究が展開されている。

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 Parkinson病(PD)は,一部はMendelの遺伝形式に則って発症するが,症例の90%以上は孤発性として認知される。発症機序としては,遺伝要因と環境要因を基盤として,ミトコンドリア機能障害,炎症反応,酸化ストレス障害により,アポトーシスによるドパミン細胞死が惹起され発症に至ると考えられている。近年,Mendel遺伝性PDの原因遺伝子として6つの遺伝子が同定され,新たにユビキチン・プロテアソーム系の病態への関与が明らかになった。孤発性PDは多因子疾患であり,機能的候補遺伝子について関連解析がなされているものの,確実な疾患感受性遺伝子は発見されていない。2001年に罹患同胞対によるノンパラメトリック連鎖解析が発表され,連鎖領域が示された。現在では,ヒトゲノム解析の進展を受けて,ゲノムワイドな関連解析が試みられている。

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 劣性遺伝性脊髄小脳変性症は,後根神経節の感覚神経細胞,もしくは小脳のPurkinje細胞に変性の主体がある疾患群である。判明した原因遺伝子は多岐に及ぶが,代表的なものの分類を試みると,1)膜における酸化ストレス調節の障害に関するもの,2)酸化ストレスに対するミトコンドリアの機能異常に関するもの,3)核DNAの修復障害に関するものに分類される。感覚神経細胞の障害は数年にわたり進行性であり,蓄積された障害により神経変性が引き起こされると推察される。一方,Purkinje細胞の変性の程度は強弱があり,核DNAの修復障害に問題がある例に強い。核DNAの修復障害では一本鎖DNA修復,とくに塩基除去修復との関連が注目されている。塩基除去修復は神経細胞内でのDNA修復の主体であり,またミトコンドリアのDNA修復も司っている。塩基除去修復は主として酸化ストレスや脱プリン,脱アミノによる内因性のDNA障害を修復する。酸化ストレスとDNA修復は,これらの疾患に共通する変性機構の解明の手がかりとなる可能性がある。

多系統萎縮症の分子遺伝学 原 賢寿
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 多系統萎縮症(multiple system atrophy:MSA)は従来から孤発性の脊髄小脳変性症(spinocerebellar degeneration:SCD)の代表とされ,本邦におけるSCDの中では最も高頻度の疾患である。これまで,遺伝性のSCDについては数多くの原因遺伝子の同定が行われ,ポリグルタミン病を中心として活発に研究が伸展しているが,MSAにおける分子レベルの研究はまだ途についたばかりである。MSAに特異的に認められる嗜銀性封入体(glial cytoplasmic inclusion:GCI)の主要な構成蛋白であるα-synucleinは,MSAの関連分子として最も注目に値するが,α-synucleinのみならず他のMSA関連分子のこれまでの多型解析では,MSAとの関連は支持されていない。こうした中,最近MSAの家族例といえる症例の存在が浮き彫りにされ始め,MSAの発症に関わる遺伝因子の存在が示唆されている。本稿では家族性MSAの臨床的特徴と,多発家系を基盤とした将来の全国規模のゲノム解析の展望について概説する。

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 紀伊半島の筋萎縮性側索硬化症・パーキンソン痴呆複合(ALS/PDC)は,臨床表現型がALSかPDCかに関係なく神経病理学的所見は共通しており,70%以上の発症者に家族歴が見られることから,単一の遺伝性疾患とみなして矛盾しない。グアムのALS/PDCは発生率が激減したことから,その原因は環境要因にあり,ライフスタイルの西洋化による栄養摂取の変化により病気の原因が消滅したためと推定されている。しかし,紀伊半島集積地では多発が持続し,環境因の変化では説明できない。家系図から常染色体優性遺伝を疑い,ゲノムワイドにマイクロサテライト法によって,候補遺伝子座を検索している。しかし,個々の家系についてみると,必ずしもメンデル型遺伝様式を取っておらず,高い近親婚率から常染色体劣性遺伝や非メンデル型遺伝の可能性もあり,遺伝子解析困難の原因になっている。

統合失調症の分子遺伝学 有波 忠雄
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 統合失調症の分子遺伝学的研究は1980年代より活発に行われており,試行錯誤を重ねた末,2000年に入り連鎖解析,染色体異常に基づいた位置的候補遺伝子法,遺伝子発現解析に基づいた候補遺伝子法により関連遺伝子の検出が続出し,成果が現れ始めている。これにより,統合失調症の分子病態に対しても新しい展開がみられている。しかし,これまでの発見では,統合失調症の脆弱性の遺伝的要因の一部しか説明できず,さらに関連遺伝子の同定や遺伝子・環境相互作用などの評価法の開発が必要で,大きな課題が残っている。

双極性障害の分子遺伝学 加藤 忠史
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 双極性障害の分子遺伝学的研究では,多くの連鎖部位が指摘され,多くの候補遺伝子との関連が指摘されている。しかし,結果には再現性が乏しく,未だに確立した所見といえるものは存在しない。比較的有力な最近の候補遺伝子としては,BDNF,G72,AKT1,GRIN2A,XBP1,GRK3,HTR4,IMPA2,GABRA1,NDUFV2などがある。さらに,ゲノムインプリンティングの関与や他の疾患を伴う症候群として現れる双極性障害を手がかりにした解析なども行われている。また,これまでのモノアミン系,細胞内情報伝達系に加え,ミトコンドリア,グルタミン酸,オリゴデンドロサイトなど,種々のカスケードの所見が報告されている。

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 脳由来神経栄養因子BDNF(Brain-derived neurotrophic factor)は,脳に多く存在する成長因子として神経細胞に多様な生理作用を与える。その中でも,BDNFによる成熟脳機能の調節,つまり,シナプス伝達およびシナプス可塑性の調節は,(1)神経活動依存的なBDNFの合成,(2)神経活動依存的なBDNFの分泌,(3)BDNFによるシナプス機能の促進と可塑性からなる,ポジティブフィードバックループによると考えられて,様々な実験モデルによってその作用モデルは検証されてきた。この総説では,ヒトBDNF遺伝子の一塩基多型SNPに着目することで,BDNFがヒト脳機能を調節する可能性を示した研究を紹介する。SNPのデータベースは,新しい神経研究の方向を示しているのかもしれない。

基本情報

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神経研究の進歩
48巻5号 (2004年10月)
電子版ISSN:1882-1243 印刷版ISSN:0001-8724 医学書院

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