BRAIN and NERVE 73巻3号 (2021年3月)

特集 マルチリンガルブレイン

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人間は当然ながら言語を操る生物である。自分の生まれ育った環境の中で,通常は1つの母国語を使う人が多いわけだが,昔から例えばシュリーマン(Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann; 1822-1890)のような多国語を流暢に話す「語学の天才」のような人が知られていたし,そのような民族も多い。近年はグローバルな移動や交流が進む中で,2つの言語を操るバイリンガル,3つ以上の言語を操るマルチリンガルの人も飛躍的に増えてきていると思われる。多言語の問題を考えるに当たっては,発達過程の中で,脳の予備的準備状態の段階,言語習得の臨界期,その後の第2言語・第3言語などの習得の段階など複合的,多層的な視点で考える必要がある。また,多言語を学習する,用いることが脳の予備力を高める,認知機能維持につながるという可能性もある。さらに,失語症をはじめ,脳疾患に基づく病的状態では,習得してきた多言語に関しても新たな知見が得られてきている。こうした知見をもとに,マルチリンガルをつくる脳について考えてみたい。

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多言語と言えども自然言語の一部のパラメータが異なるだけであり,方言を含め複数の言語を同時に習得することは十分に可能である。ただし,脳の発達と同時に生じる母語の獲得は段階的であるが,その後の第2言語習得は連続的である。本総説では,追加される言語の獲得が新たな言語の獲得のためになるという「累積増進モデル」を紹介し,脳の複数の言語野を含む統辞関連ネットワークが,言語習得でどのように機能するかを議論する。

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マルチリンガルの人の脳のウェルニッケ言語野にはそれぞれの言語を理解する部位が別々に存在する。文法と翻訳を中心とした外国語教育では,独立した言語野は形成されずその外国語を駆使できない。徹底した聴き取り訓練と会話を含め,日本語を逐語訳せずにその外国語で好まれる表現に意訳する教育を徹底してウェルニッケ言語野にその言語に特有の部位を形成させることが最も効果的な外国語教育である。

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認知症の重症度が同程度であるのに脳病理所見が異なる例があり,これは脳の予備力が認知症病理過程を修飾するためと説明される。マルチリンガル,すなわち複数言語を使用する経験が遂行機能を高めて脳に機能的,構造的な変化をもたらし,これが予備力となるという仮説が立てられた。2007年のBialystokらによる最初の報告以来,同様の研究が相次いだが,得られている知見は一定しない。本論においてはこれらの研究の流れを紹介し,今後の課題について述べる。

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われわれのブラジル・台湾の研究より,認知症有病率は多言語使用・環境・文化に左右されないが,認知症の言語劣化は言語使用頻度・環境と関係し,両言語とも劣化するが非対称であることが示された。また多言語使用による認知予備力と認知症保護効果が示された一方で,多言語使用者の言語機能衰退は認知症の精神症状,妄想や抑うつ状態と関係し,安心できる言語環境の提供が精神症状を軽減させたことが示された。言語機能評価を認知症ケアに生かす必要が示唆された。

マルチリンガルの失語症 福永 真哉
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マルチリンガルの失語症は,各言語における病前の早期の言語習熟度や言語の使用状況が関与し,回復には複数の要因の関与が示されている。言語機能の大脳半球側性化は,交叉性失語の報告例から右半球の関与が指摘されてきた。しかし,早期バイリンガルでは両言語とも両側半球の関与が示されているのに対し,後期バイリンガルでは,モノリンガルと同様に,両言語とも言語機能が左半球優位に側性化していることが示されている。

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失語症は脳疾患の後遺症として現れ,言語における話す,聞く,読む,書くの4技能にさまざまな不具合をもたらす。母語でさえ完治はないと言われる。日本語を職業言語として日本に暮らす外国人が失語症になった。目標は職場復帰として,外国人が日本語を取り戻すリハビリテーションがセッティングされた。これは,母語のドイツ語,英語,日本語の3つの言語の15年にわたる回復の記録である。

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脳腫瘍やてんかんの外科的治療では,覚醒下手術あるいは頭蓋内電極留置を行い,脳を直接電気刺激することで言語野のマッピングが行われる。複数言語話者の言語野の分布は,各言語に特異的な領域と,共通した領域が認められる。しかし,その分布は個人差が大きく,言語の獲得時期,習熟度,使用環境,病変の部位や罹患期間などさまざまな要因の関与が想定されている。複数言語話者の言語マッピングは各言語での評価が必要である。

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Foreign accent syndromeとは「外国語のようだ」という違和感を持つ発話障害を特徴とした症候群である。これまで100例以上の報告がなされ,構音の歪みや音韻性錯語などの分節素の障害,高低・強弱・リズム異常などの超分節素の障害が特徴とされている。脳卒中以外にもさまざまな原因疾患が知られ,その責任病巣も多様である。原因も病巣もさまざまであることから,症候群として扱うほどの一貫性・普遍性があるのかなど,問題が山積している。

総説

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前障は哺乳類の大脳皮質深部に存在する薄いシート状の脳領域であるが,その機能は未解明であった。私たちは,前障ニューロンを選択的に可視化あるいは活動操作できるトランスジェニックマウスを作製し,光遺伝学・電気生理学・神経解剖学・ウイルスベクター技術を駆使して,前障の機能解明へ向けての神経回路遺伝学研究を行った。その結果,睡眠中や安息時の大脳皮質で見られる徐波活動の制御に前障が関与することを明らかにした。

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パーキンソン病治療薬の多剤化の実態を解明するため,調剤レセプトデータベースを用いて19,887名の処方内容の経年的変化を調査した。薬剤数や1日服薬回数,錠数は処方開始時から経年的に増加していた。薬物治療の主軸となるL-ドパ製剤に加え,L-ドパ補助薬の併用薬剤数や1日服薬回数,錠数も疾患の進行とともに経年的に増加していた。多剤化の特徴を明らかにすることは治療アドヒアランスの確保,向上の観点から極めて重要である。

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症例は87歳,女性。既往歴に気管支喘息。構音障害と右口角下垂で来院し,左内包後脚ラクナ梗塞と診断し,シロスタゾールを開始した。14日目に右上下肢から全身に広がる焦点起始両側強直性間代性発作(FBTCS)を認めた。シロスタゾールを中止しレベチラセタムを開始したが,意識障害,感覚性失語,右片麻痺が残存する非痙攣性てんかん重積状態(NCSE)になり,ラコサミドを追加した。5日目にテオフィリンを中止し,FBTCSは消失した。意識障害と右片麻痺は1週間,感覚性失語は1カ月で消退した。脳梗塞によりテオフィリン中枢神経障害作用が増強したことがNCSEの原因と考えた。

連載 臨床神経学プロムナード—60余年を顧みて・1

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 「Babinski反射の原法は僅か28行である」と行数の少なさに関心をもって語られることが多い。しかし,この論文(1896)1)はBabinski徴候(反射)の序論で,本論はその2年後に発表された10倍ほどの論文(1898)2)とみるべきである。現象の記述も前報より詳細で,錐体路との関係を指摘したのはこの論文である。その後,更に足趾の開扇現象を追記して,ここに足底皮膚反射は完結した(1903)3)。初稿から7年の歳月を要している。

 彼は何故この研究を行なったのか。時代的背景を少し遡ってみる。彼の師J.M.Charcotが「筋萎縮性側索硬化症」の研究成果をまとめて論述したのが有名な「神経系疾患の連続講義」4)に収載されている。その中でCharcotは錐体路病変(側索硬化)に対応する臨床所見として専ら痙縮(いわゆるspasticity)を挙げ,これを重視した。当時,既にCharcotはハンマーを用いていた様子が窺えるが(Charcotの別の講義である火曜講義の挿図にハンマーが描かれている),腱反射について触れていない。また,言うまでもなく足底皮膚反射にも触れていない。

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 著者紹介に高校の卒業アルバムの写真が使われている。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で上京ができなかったために代用した,とある。本書の面白さはそこだけではない。表紙のデザインが電車の切符の鋏痕である。鋏をパチパチ鳴らす駅員に毎日切符を切ってもらっていた評者にとっては非常に懐かしいが,本書の楽しさはそこだけではない。

 職業柄,再び話をCOVID-19に戻すが,2020年はこの感染症にまつわるさまざまな数字が表やグラフになり,もっともらしい解説を伴って,毎日毎日,新聞,テレビ,SNSなどで飽きるほど流れた。大量の論文もかつてない速度で発表された。それらのデータの多くは,真偽のほどはともかく,COVID-19のリスクの大きさや変化を測定したものである。

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 本書の主役である「手」のことを深く理解する人はどれほどいるだろうか? 手はとても身近な器官であり,ほぼすべての所作に関わり,営みのあらゆる場面を支え,そして,「第2の目」と称されるように貴重な情報収集源ともなっている。人々は「手の価値」を問われれば異口同音に「大切」と即答するだろうが,その際羅列される根拠の大半が「手」からすれば実に過小で心外なものであろう。この状況は「空気」,「水」,「伴侶」,など,あまりにも身近であるがゆえにことさらに考えることを忘れがちなものに共通する。「脳」は異なるもの,稀なものへの分析が大好きだが,当たり前のものへの敬意は総じて足りない。「あって当然」であり,「居ることが当たり前」なものは失って始めて真の価値に気づかれ,深い洞察の対象となるのである。

 本書の原題は『The Hand and the Brain: From Lucy's Thumb to the Thought-Controlled Robotic Hand』とずいぶん潤いを欠くものである。これに対する邦文タイトル『手に映る脳,脳を宿す手』はとても神秘的で,読者の好奇心をくすぐるものとなっている。タイトルは本の顔であり究極の要約であるが,原書と訳書でこれほどにタイトルのテイストが異なる背景には砂川融先生をはじめとする本書の翻訳に関わったすべての人の読者へのある種の込められた思いがあるのだろう。

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目次

欧文目次

バックナンバーのご案内

次号予告

あとがき 神田 隆
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 COVID-19の蔓延からもう1年になります。診療の最前線で奮闘しておられる先生方も,一歩後方で診療にあたられている先生方も,非日常として捉えていた日々の活動の在り方が徐々に日常となっていくのを実感されているものと思います。10月号のCOVID-19特集はいかがだったでしょうか。他誌に先駆けて先生方に新型コロナウイルス感染症の神経学に関する情報をお届けできたのは編集主幹冥利に尽きますが,一方,重症者が日々増加するにつれ,回復後も神経学的後遺症に悩まされる患者さんがクローズアップされてきています。本誌の読者の先生方は最新の情報のキャッチにぬかりはないと存じます。COVID-19診療のベースとしてこの特集号をこれからも活用していただきたいと念願しています。

 私は飛行機で長時間座っているのが好きではないので,外国での仕事は極力少なめにしていましたが,それでも年2〜3回の国外出張はこの20年余り常態でした。この1年間で欧米での国際学会やビジネスミーティングはすべてネットを使った電子会議に様変わりし,自分で外国に赴く機会は0になっています。身体は楽でよいのですが,話し合いを持つ相手との言語外の部分を断たれた形でのコミュニケーションという新日常に,まだ十分に慣れることができないでいます。コンピューターの前に座って,限られた視覚情報の上に乗っかって溢れるように送られてくる英語は本当に疲れますね。読者の先生方もそういう感覚はお持ちにならないでしょうか。私は自分では決して英語が下手なほうだとは思っていませんが,母国語と英語を同じレベルで操れる方は本当に羨ましいと,ネットでの国際会議のたびに思います。

基本情報

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BRAIN and NERVE
73巻3号 (2021年3月)
電子版ISSN:1344-8129 印刷版ISSN:1881-6096 医学書院

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