Ⅰ.はじめに
1958年発表されたHirschowitz1)2)3)によるGastroduodenal fiberscopeは,従来の胃内視鏡学に革命的な変革をもたらした.即ち,レンズ系を通して物を見るという概念に対して,coatingをほどこした細いglassfiberの中を,光が反射しつつ視野に入るという考え方は,ユニークなものがあった.このfiberscopeが日本に導入されて以来,町田製作所,オリンパス光学KK等に於いて,世界をリードする優秀な装置が作製されていることは,周知の通りである.
このような我国に於けるfiberscopeの発達は,各種の胃内操作を伴う技術を広く発展せしめた.
直視下生検及び細胞診の発達は,世界最高峰を占めるに至っている.
さて,胃直視下細胞診及び生検に関する装置としては,1940年にKenamore4)が,軟性胃鏡の外側にBiopsy forcepsを備えた装置を報告し,更に1948年,Benedict5)が軟性胃鏡の内部より,レンズ系の外側を通してBiopsy forcepsをスコープ先端のレンズ面近くより出すOperating Gastroscopeを発表した.
昭和29年に常岡6)がこのBenedictの装置を改良した生検用軟性胃鏡を作成した.又昭和31年には綾部7)が同様の装置の生検鉗子の代りに,綿花を装着した消息子を用いて直視下細胞診を行なった.
我々8)も昭和33年に,当時の生検用軟性胃鏡が長径14~15mmあったため,その太さを少しでも細くしようとして.生検装置を長さ2.5mmの鋭匙とし,これを軟性胃鏡本体に固定せしめて,長径を10.5mmとした,直視下生検及び細胞診用軟性胃鏡を作成した.
この装置は当時の観察用軟性胃鏡に対して,口径がやや太いのみという長所もあったが,生検用鋭匙が胃鏡本体に固定されており,又長さが一定であるため,その当時の軟性胃鏡の有する種々の欠点,即ち,可撓性のとぼしいこと,胃内盲点の多いこと,患者への負担の大きいことのほか,細胞及び組織採取範囲が胃角部より口側の小彎側前壁及び一部後壁のみに限定され,従って前庭部大彎側などは,病変を正視し得ても,鋭匙がとどかぬために,生検の適応外となるなどの欠点を有しroutineに行なうべき検査とはなり得なかった.
然し当時でもAbrasive balloon法やα-chymotrypsin洗滌法で陰性であった早期胃癌症例を,この装置による直視下細胞診で陽性の成績を得た時のよろこびを,現在でも忘れ得ない.
なお昭和38年に,山形,上野9)による川島10)11)式硬性胃鏡を用いた直視下生検の発表があった.
昭和37年に,近藤らが中心になって,HirschowitzのGastroduodenal fiberscopeが我国に導入されて以来,これを用いた胃内視鏡検査が次第に普及し始めて来た.
昭和38年に,春日井等12)はHirschowitzのfiberscopeの外側に細い胃ゾンデを装着して直視下洗滌細胞診を行ない,又高木12)は同じくHirschowitzのfiberscopeの外側に細いビニール管を装置し,その中をbiopsy用鉗子を通して直視下生検を行なった.
昭和39年に生検用Fibergastroscope B型,昭和40年に直視下洗滌細胞診用Fiberscope K型が町田製作所により作製されて,胃細胞診も一大転機をむかえるに至った.
その後昭和41年6月頃より,現在の改良型新B型及び新C型等の,スコープ先端の前後屈,左右回転の可能なgastrofiberscopeが作製され,又lightguide方式の光源の完成により,これらの胃内観察下で行なう各種の操作が,容易に行えるようになった.同様な装置がオリンパス光学KKでも作製され,それぞれの特色を生かして活用されているのが,胃直視下診断法の現況である.
これらのFiberscopeの進歩は,嘗て軟性胃鏡を中心に内視鏡検査を行なっていた我々にとっては,まさに驚くべき進歩であることが実感される.
ここで直視下細胞診の範囲について述べておきたい.胃直視下細胞診とは,fiberscopeにより病巣部を直視下に観察しながら洗滌する直視下洗滌細胞診と,直視下生検法により得られた小組織片の塗沫標本を検鏡する直視下生検塗沫細胞診14)15)16)17)18)19)20),及び,東大分院城所等の提唱するビニール管を病巣部におしあて,その部より注射器等で吸引により細胞を採取する直視下吸引細胞診などを含むものである.
これらの方法にはそれぞれの特色がある.
我々はここでは直視下洗滌細胞診の立場を中心として論ずるが,他の方法については他の著者の意見を参考にしていただきたい.
以下,本論文に於ては,直視下洗滌細胞診の問題点について述べる.