臨床眼科 56巻10号 (2002年9月)

連載 今月の話題

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 ベーチェット病は患者数が多く,重症例も多いことから,わが国の代表的ぶどう膜炎原因疾患とされ研究が重ねられてきた。最近になり患者数の減少,臨床経過の改善が指摘され,治療もシクロスポリン療法が定着した。原因に関する研究もHLAを中心に進み,かなり内因は明らかになってきている。本稿では本病に関する問題がどこまで解決したかを原因探索の面と治療の面を中心に検討したい。

連載 眼の遺伝病・37

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 Human retinal fascin gene (FSCN2)遺伝子は,視細胞に特異的に発現する遺伝子で,516個のアミノ酸からなる。17番染色体には,多くの網膜変性の家系がマッピングされているが,このFSCN2遺伝子も17番染色体長腕(17q25)に位置している。われわれは,2001年にFSCN2遺伝子が日本人常染色体優性網膜色素変性を起こすことを世界で始めて報告した。今回からのシリーズは,このFSCN2遺伝子異常が引き起こす臨床像を報告する。

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緒言

 バルサルバ出血性網膜症は,咳嗽,嘔吐,排便などといった胸腔内圧を上昇させるバルサルバ手技により網膜出血をきたすものとして,1972年Duane1)により初めて報告された比較的稀な疾患である。今回,バルサルバ出血性網膜症により内境界膜下血腫をきたした症例に対し,ヤグレーザー内境界膜切開術を施行し,良好な結果を得たので報告する。

連載 眼科手術のテクニック・150

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はじめに

 水晶体仮性落屑症候群(PE症候群)は通常眼に比べ手術の難易度が高いが,頻繁に遭遇する症例である。手術に際していくつかの事項を押さえておけば安全,確実に遂行することができる。ここではその注意点と対処法を紹介する。

連載 あのころ あのとき・21

スペクトルERGで明け暮れたころ 横山 実
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 昭和40年代に入り,私達のERG研究室の整備が目標のレベルに近づいたころ,わが国の視覚生理学の分野では慶應大学の富田教授による視細胞,あるいは名古屋大学環研の御手洗教授による水平細胞のスペクトル反応に関する研究が格段の発展を遂げつつあった。それに関連する論文の勉強をさせてもらいながら,人眼の網膜からも類似の手法を用いてスペクトルERGがとれないものだろうかと考えるようになった。それには基礎医学関係の実験を一度見学したほうがよいだろうということになり,御手洗教授に連絡をとってみたところ快くお引き受け下さり,早速グループの数名が参上してコイ網膜の水平細胞からの反応の記録を見学させていただいた。刺激光は十数枚の干渉フィルターを保持する回転板によって与えられる単色光シリーズのスキャンニングで,それに対する一連のスペクトル反応が見事に連続記録されていくのを見て,臨床応用も可能に違いないというある程度の確信をもって戻ってきた。ただ私達の目標はヒトERGのスペクトル反応であるから反応速度の遅い冷血動物に対する装置をそのまま使うわけにはいかず,フィルターディスクの回転速度,シャッターの機構,明・暗順応法などいくつかの新たな工夫を加える必要があり,装置の完成にはかなりの時間を要した。そしてともかくも臨床検査としての応用が効くところまでなんとか漕ぎ着けたのは,昭和46年の初頭であった1)。その後7年間に得られた本検査ならではの成績をまとめて,昭和53年に京都国際会議場で開催された第23回国際眼科学会にてパネルで展示発表した(図1)2)。

 まず基本となるのは,正常網膜のスペクトル感度曲線に一致するようなERG反応の自動記録である。そのディスプレイの写真がパネルの左側上段に掲示されており,繰り返し照射される16単色光に対するERGのうち,b波の部分だけが選択的に加算されていく時限走査法が説明されている。そして最終的なディスプレイではb、波またはbp波の波長特性を示すパターンが自動的に表示されるわけである。この手法は単に網膜の分光特性を他覚的に捉えるというだけでなく,秤体系あるいは錐体系の反応の特色をワンカットで提示するパターンディスプレイである点が臨床的な面からもきわめて魅力的であった。

連載 他科との連携

他科との連携により救われた命 石川 均
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 大学病院とは全科そろって最高の医療を提供する場であると来院される方は思われるであろう。当然その通りである。ところが問題も多い。日常の診察では各科は独立しており横のつながりはあまりなく,依頼は1分遅れると翌日になるといった小回りの利かぬ点が多いのも事実である。さらに学内の会議では手術枠の取り合い,研究室の場所をめぐって議論することもしばしばあり,私自身はあまりよい思いはないと言っても過言ではなかった。その嫌な思い出は入局時にさかのぼる。

 入局した当時,受持ちの患者さんの手術が延期になることがしばしばあった。入院して手術前日の夜,麻酔科の診察が終了すると血糖値が高い,不整脈が頻発しており手術前に心エコーをと言われる。ところが外来通院時に内科に相談し,血糖コントロールは限界です,心臓の具合も眼科手術に耐えられないほど悪くはありませんと許可をもらっている。板ばさみになり,患者には叱られ,大学とはなんて融通がきかない,やりにくい病院なんだとしばしば感じていた。もちろん,そのような嫌な思い出ばかりではない。他科の協力で助かったことも多々ある。さらに近年では医療もサービス業といった風潮が強くなり,さらにこちらも徐々に年をとり受持ちの数は減り,同時に同級生や後輩が各科のチーフや医局長となり無理なお願いも比較的スムーズに聞いてもらえるようになった。

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 症例は,49歳女性。左眼の角膜混濁の増大のために近医を受診し,精査のため東北大学眼科に紹介された。左眼視力は0.01(矯正不能)で,角膜下鼻側を中心に乳白色で半透明の膠様の隆起物を多数認め,その周囲の実質は混濁していた。瞳孔領の実質浅層には,種類の異なる角膜混濁がみられた。8時方向から血管の侵入を認めた。右眼の角膜に病的所見は認めなかった。既往歴として,左眼は5年前に観葉植物による外傷がある。また,4年ほど前から睫毛乱生があり,前医で睫毛の抜去を受けていた。

 左眼は下眼瞼の睫毛乱生があり,1,2本の睫毛が角膜に接触していた。その接触部位に膠様滴状角膜変性症に類似した病変が認められた。右眼には睫毛乱生はみられなかった。以上から睫毛乱生症に続発した角膜アミロイドーシスと診断した。左眼は,高度近視であり視力予後不良であることと患者が積極的治療を望まなかったため,定期的な睫毛の抜去で経過をみているが,現在まで病変の拡大傾向はない。

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 網膜静脈分枝閉塞症に伴う黄斑浮腫15眼に対して格子状光凝固を行い,術後6か月までの経過を光干渉断層計(OCT)を併用して経過を追跡した。術後早期から黄斑部網膜厚が減少した。術後3か月のlogMAR視力と黄斑部網膜厚とには,有意な正の相関があった(p=0.62)。術前に滲出性網膜剥離があった4眼では,これがない10眼に比べて術後の黄斑浮腫が持続し,視力の転帰が概して不良であった。

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 31歳女性が左眼の網膜色素変性の疑いで受診した。矯正視力は右1.2,左0.5であり,両眼の網膜色素上皮が粗で,網膜血管の狭窄化があった。左眼に著明な嚢胞様黄斑浮腫があった。両眼の網膜色素変性と診断した。17か月後に左眼視力が0.3に低下した。光干渉断層計(OCT)の所見から,硝子体による網膜への牽引が黄斑浮腫の悪化要因であると考えた。硝子体手術を行い,人工的に後部硝子体を剥離し,SF6で硝子体を置換した。内境界膜剥離は行わなかった。術後黄斑浮腫は軽快し,視力0.5に改善したが,手術の4か月後に再び0.3に低下し,現在に至っている。網膜色素変性に併発した嚢胞様黄斑浮腫が,硝子体手術によって硝子体牽引が解除されても,必ずしも永続的に軽快しないことを本症例は示している。

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 結膜下出血を早期に吸収させるために,出血部位をステンレス棒で圧迫する方法を試みた。出血下の血管ができるだけ透見できる程度まで,主に角膜輪部から円蓋部方向に柔らかくこするように圧迫した。この結果,血液塊が拡散され,また吸収が早まった。血腫状になっていた例には注射針による穿刺も併用した。19例の原因不日月の結膜下出血に対して本方法を行い,最短で翌日,最長で9日,平均4.6日で血液塊が消失した。重大な合併症もなく,有用な方法と思われた。

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 先天性上斜筋麻痺64例を対象に,健眼に外方回旋が自覚される背理性外方回旋を健眼および患眼固視の2群に分類し検討した。自覚的な判定は残像法を用い,他覚的な判定は走査型レーザー検眼鏡を用い,得られた画像から乳頭中心窩傾斜角が正常者76名の平均(2SD)の12.4度より大きい場合を外方回旋偏位とした。背理性外方回旋は,自覚的には健眼固視群で多く(7例[20%]対1例[6%]),他覚的には患眼固視群で多かった(6例[15%]対8例[47%])。この結果は,Heringの神経等量支配の法則が視軸まわりの眼球運動についても成立することを示唆する。

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 当院(名戸ヶ谷病院)の人間ドックでの緑内障の偽陽性を減らすために視野検査の導入を検討した。短時間の検査が可能であるfrequency doubling technology (FDT)を候補として,当院職員194名にFDTスクリーニングプログラムによる検査を行った。年齢は18歳から65歳,平均40.9±12.4歳であった。異常検査点が1個以上ある場合にはFDTの再検査を行い,7名が緑内障の疑いと判定された。詳細な2次検査の結果,6名(3.09%)が正常眼圧緑内障と診断され,FDTは7名中1名(14%)で偽陽性であった。この6名の異常検査点の数と,2次検査で行ったハンフリー視野検査でのmean deviationまたはcorrected pattern standard deviationとの間に有意な相関はなかった。以上の結果から,FDT検査を当院人間ドックに導入することにした。

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 3歳児健診で弱視が疑われて眼鏡を処方された3歳8か月の男児が精査を希望して受診した。近視があり,両眼とも水晶体が外上方に偏位していた。高身長,大動脈弁輪の拡大,関節の過進展があったが,くも状の指はなく,尿の生化学的所見は正常であった。家族内には特記すべき病変はなかった。以上からマルファン症候群の不全型として経過を観察した。6歳のときDNA診断でフィブリリン1遺伝子に異常が発見され,マルファン症候群の診断が確定した。当時の眼軸長は右24.0mm,左23.4mmであり,体型からは本症候群に特有な外表徴候を欠如している。両眼の水晶体偏位がある場合には,外表徴候が乏しくてもマルファン症候群を想定して全身的な検査を進める必要があり,DNA解析がその決め手になりうることを示す症例である。

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 両眼とも活動性の高い肥厚した増殖膜を有する未治療の増殖糖尿病網膜症に対して硝子体手術を施行した。症例は61歳女性。両眼とも眼底後極部を中心に広範囲に肥厚した線維血管性増殖膜を認め,膜分割は困難な状況だった。4ポート法にて助手に眼内照明を保持させ,膜分層にて増殖膜を一塊として切開,除去した。増殖膜処理後に液体パーフルオロカーボンに網膜を平坦化させ,眼内汎網膜光凝固術を施行した。術後,網膜は復位し,術後13か月の時点で両眼とも矯正視力は眼前手動弁から0.1に改善した。高度に肥厚した増殖膜を有する症例では,双手法により膜を一塊として分層する方法が有用と考えられた。

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 68歳男性が3か月前からの左眼霧視で紹介され受診した。進行した胃癌に対して胃全摘術と脾摘出術を2年前に受け,その後化学療法が行われている。ペット飼育歴などはない。矯正視力は右1.2,左0.3で,右眼には異常所見がなく,左眼に乳頭の軽度腫脹と黄斑浮腫,後極部の出血,硝子体混濁があった。左眼鼻側周辺部に小円形の色素性萎縮巣と,これに接して3乳頭径大の隆起性滲出性の黄色病巣があった。蛍光眼底造影で網膜血管炎の所見があった。抗トキソプラズマIgM抗体値のカットオフインデックスが1.8と陽性であり,アセチルスピラマイシン投与中に抗トキソプラズマ抗体値が1,024倍から4,096倍に上昇した。プレドニゾロンの全身投与で病巣部の活動性が沈静化し,矯正視力は0.8に改善した。免疫抑制状態の時期にトキソプラズマに初感染し,色素性萎縮巣を形成中に視神経乳頭炎によって視力が低下して発見された後天例と推測した。

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 Shaken baby syndromeの2症例を経験した。第1例は生後2か月の男児で,過呼吸と痙攣発作で受診し,くも膜下出血と診断された。溢血斑が両側の頬と腋下にあり,両眼に刷毛状の網膜出血があった。第2例は生後4か月の男児で,全身の筋弛緩で受診し,くも膜下出血と診断された。眼底に黄斑前出血があった。頭蓋内減圧手術を3回行ったが,発症105日後に死亡した。Shaken baby syn—dromeは重篤な中枢神経障害から死亡することがあり,一般に予後不良である。本症例群は,虐待がなく,あやすつもりでも起こることがあり,眼科的所見が診断の鍵になり得る。

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 52歳男性が2か月前に右眼窩下縁に小指頭大の固い腫瘤を触知し,上下複視が生じたので受診した。右眼圧が24mmHgである以外には異常所見はなかった。CTとMRIで右眼球の下方に腫瘤があり,石灰化や骨破壊像はなかった。腫瘤はT1強調画像でintermediate intensity,T2強調画像で脂肪よりも低いlow intensltyであり,Gdで弱く造影された。手術で20×12×10mm大の固い腫瘤を亜全摘した。病理組織学的に腫瘍細胞は好酸性の顆粒が特徴的で,免疫組織学的にS−100蛋白陽性であり,眼科領域では稀な顆粒細胞腫と確定診断された。

やさしい目で きびしい目で・33

眼科医ができること 西田 朋美
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 今号から3回連続でこのコーナーにおじゃまさせていただくことになった。医者になって早いもので10年が過ぎた。といってもその間,同期と比べるとかなり毛色の変わった道のりをたどってきたので,いまだに私自身は若葉マークをつけているような心境で毎日過ごしている。

 そもそも私は,眼科がやりたくて医者になったようなものなので,専門科を決めるのにあまり迷いもなく医学部卒業と同時に眼科の大学院に入った。なかでも,ベーチェット病に関わる仕事がやりたかった。ここまでターゲットを早くから絞ることができたのは,父の病気がきっかけだった。私の父は,30歳でベーチェット病のために完全失明してしまった。その後に私が生まれているので,私は父の失明に至るまでの真の苦悩の期間を知らないが,「失明」や「視覚障害」という言葉には敏感になってしまう。まして,いまだに原因不明とされるベーチェット病は,私にとっては一番身近に存在する敵のようなものかもしれない。

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 明治の初年,解剖書の翻訳が行われ,幾種類も出版された。そして,これまでのオランダやドイツ系医書に加えて英米の解剖書の翻訳が漸次多くみられるようになった。その主なものに,「解剖訓蒙」(図1,2),「虞列伊(Gray)氏解剖訓蒙図」(図3,4),「布列私解剖図譜」「斯密士氏解剖新図」「解剖摘要」「海都滿氏解剖図」などがあるが,これらに所載の眼の解剖図,「虞列伊(Gray)氏解剖訓蒙図」について紹介する。

 「解剖訓蒙」は文久元年(1861),米国医師約瑟列第(ジョセフ・レデー)の著した「エレメンタリー トリーチス ヲブ ヒューメン アナトミー」(Elementary Treatise of Human Anatomy)を,松村短明,安藤正胤,副嶋之純,村治重厚,横井信之,中泉正等の社友が相謀って分担翻訳し,明治5年(1872)啓蒙義舎蔵版にて発行された.掲出本は明治9年(1876)出版のものである。

基本情報

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臨床眼科
56巻10号 (2002年9月)
電子版ISSN:1882-1308 印刷版ISSN:0370-5579 医学書院

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