保健婦雑誌 33巻9号 (1977年9月)

特集 乳児死亡ゼロをめざして—福島県田村地方の母子保健活動30年

座談会

  • 文献概要を表示

 八代(司会) 今日はご苦労さまです。前々から皆さまにお話しておりましたけれども,医学書院で田村地方の母子衛生の実態を取材したいということで,今日はまず座談会で,船引町と三春町と三春保健所の保健婦が集まって話合いを進めていきたいと思います。

 管内の過去の資料をさがしてみたら,25年頃からのがありました。一応国の施策として結核とか寄生虫などをやっていたけれども,県内の乳児死亡の実態を,その当時保健所にいた方が把握されて特別な資料にまとめたということは,やはり当管内でも高位の乳児死亡率を示していたことに着眼したからじゃなかろうかと考えます。その資料だと,全国平均で60.1ぐらいの乳児死亡に対して,142.2というような高率な地区もあったんですね。その要因を除くために,行政的にも保健婦活動の中にも,いろいろな形で重点事業として取り入れてきて,戦後30年してようやく県の平均は13.0で,当管内は11.8に下がり,全国平均にもう一歩というところに近づいたということなんです。そのためには皆さんの努力もたいへんだったでしょうし,またいろいろな組織活動などを育成するためにはご苦労があったと思うんです。当時のことを思い出していただいて話合いを進めていきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

  • 文献概要を表示

 佐藤(司会) 田村郡に一番先に母子愛育会ができたのは,三春町ですね。小山さんが保健婦をなさっていらっしゃるかたがた,町の乳幼児死亡率がたいへん高かったことと,またいろんな条件もあって,どうしても母子愛育会を組織しなくてはならないという盛り上がった考えからだったと思いますが,小山さんからその最初の時のことをお話いただけますか。

開拓保健婦の歌

保健婦になって 会田 ハツ子
  • 文献概要を表示

 昭和35年5月開拓地保健婦として勤めることになり,6町1村に散在している開拓農家748戸を受持った。それまで主婦として家庭内に閉じこもっていて,開拓地などというもののあることすら知らなかった私は,山間僻地に荒野を拓きつつ生きている人々の厳しい生活を見て,胸のつぶれる思いであった。その心の激動が歌を詠ませたのである。歌は拙いものだが,私にとってはかけがえのない生活記録だ。

 登りゆく山道葛の咲き乱れ開拓部落はまだ遠きらし人知れずりんどうの花咲きている開拓部落の近道けわしつやつやと光るブドウを軒端より摘みてくれたり開拓の人。

乳児訪問 会田 ハツ子
  • 文献概要を表示

 赤ん坊が生まれたので見に来てほしいと連絡があり,地域の保健婦と開拓地へ登って行った。住宅を見上げて登れるかなと思うほど急斜面の所にあり,私は2mほど這い登った。姑のおばあさんが,「今日で生まれて20日にもなるのに,だんだん小さくなっていくようだから,来ておくれって連絡しやした」「そうですか,では赤ちゃんをさっそく見せてください」と言って,隣りの室に案内してもらった。暗くて何も見えない。すぐ電灯をつけてくれたが,豆電球なのでやっと乳児のいるのがわかる程度である。一緒に行ってくれた役場の保健婦は,着物をぬがせ始めたので,懐中電灯を出して手許を少しでも明るくと思い,光りを当てた。

 かかること許るさるべきかミイラの如く痩せいる乳児しばらく見つむ

無介助分娩 会田 ハツ子
  • 文献概要を表示

 今日も暑くなるなと思って窓から青い空を見上げたら,電話である。赤ん坊が生れたから,今日来てほしいとのこと,すぐ準備してバイクに乗って出かけた。いずれも開拓地は僻地である。11時頃目的の家に着いた。「ごめんください」と声をかける。いかにも待っていたらしく父親がすぐ出て来た。「赤ちゃんが生れたってね,おめでとうございます」「昨日生まれました。安産でした」「産婆さんは間に合わなかったんですか」「煙草の葉を取っていて急に腰が痛くなって,家にはいるとすぐに生れちゃって……」

薄暗き部屋に汗の匂いして産後の母と稚児動く見ゆ

当時をふりかえって

赤ん坊のお守りは五燭玉 橋本 キミ
  • 文献概要を表示

 昭和33年4月,9年間勤務した郡山保健所から,三春保健所に転勤を命ぜられた。日あたりのよい2階にある保健婦室は静かで時折隣りのお寺さんの方から思い出したようにやぶうぐいすの声が聞こえてきたりして,騒々しい都会の保健所では想像もつかないのどかさである。だが,そんなのどかさとはうって変わり,管内の状況は心寒い現状であった。

わが町の母子保健活動

  • 文献概要を表示

 母子衛生については年々改善されつつあるが,家庭に入ってみるとまだまだ改善されるべき余地があるのは,残念である。家庭の中にだれ1人病める者もなく,毎日を健やかに明るく生活できるよう保健婦活動に奮闘しているが,貴い幼い命が失われていくことが多いことに心を痛めている。

 田村郡は県内随一の乳児死亡率を示し,これは阿武隈山系の特徴として種々の原因が追究されている一方,わが愛する小野町は乳児死亡率(出生1000対比)は,昭和35年59.5%,36年40.2%,37年57.2%,39年81.6%と,郡全体の傾向と逆現象を呈している。39年の乳児死亡率は,管内の最高であった。

都路村母子愛育会自主研修会より

よりよい活動をするために
  • 文献概要を表示

 八代(三春保健所) 皆さん,ご苦労さまです。4月にも一度お邪魔したと思うんですけども,なんと言いましても皆さんの母子愛育会活動というのは,自分の足と口とでお母さんと子供を中心とした地域の人の健康を守るための活動なんだということは,皆さんご存じだと思うんです。それをよりよくするためには,何回か保健婦の橋本さんのご協力により,会長さんを中心として,自主研修をこのように開いていられますが,ぜひ皆さんの自主研修の場面を"保健婦雑誌"に載せさせてほしいということになったわけです。

 実は,三春保健所を中心とすれば,三春とか船引とか大越とか,最初からやってる町村があったわけですけども,特に僻地に入って,皆さんの心から活動している状況をとらえたいということだったものですから,都路村を選ばしていただいて,橋本さんにお願いし,この場を作っていただいたのです。

発言席

保健婦さんへの要望 市川 房枝
  • 文献概要を表示

 昭和5, 6年頃かと記憶しているが,築地の聖ルカ病院で公衆衛生?を担当していた小栗(浅賀)将江さんが,私共の婦人参政権運動に参加された。それで,私は何度か病院へも行き,斎藤(平野)みどりさん,平井雅恵さん,まだ学生だった杉野(渡辺)さん等とも知り合い,女医の定方貞代さんにも紹介された。聖ルカ病院が単なる医療だけでなく,患者の慰安,自宅訪問,相談等の公衆衛生の面で活動していたこと,続いて京橋に保健館が設立されたこと等も知っている。これが保健婦の誕生した最初ではなかったかと思う。

 最近の保健婦の方々の活動についてはよく知らないが,農村地帯,特に医者のいない僻地の町村役場の吏員として,地域住民の保健衛生,生活指導に奮闘されている方々がいられることを聞き,その努力に深く敬意を表している次第である。

連載 PHNレーダー

  • 文献概要を表示

 昭和52年度の国民健康保険保健婦研修が7月27日から6日間,東京・世田谷の社会保険大学校で開かれ,活動の選択と効果の表現を中心に,専門的な講義と熱心な研究討議が行われた。

 27日朝,開講式を行った保険者保健婦研修1日目は,"効果からみた活動の選択"について岐阜大学の宮田昭吾教授(衛生学)が,"住民参加の保健婦活動の理論"について成蹊大学の佐藤竺教授(政治学)が,それぞれ講義,数題の研究討議を行った。

資料

国民健康保険保健婦の活動等について
  • 文献概要を表示

 国民健康保険保健婦の活動等については,昭和35年5月13日厚生省発保第93号「国民健康保険の保健施設と公衆衛生行政との関係について」及び昭和35年5月20日保険発第62号「国民健康保険の保健施設について」により行われているところであり,今後とも引き続きこれによることとするが,近時における国民健康保険保健婦の活動の状況を勘案のうえ今般,別添のとおり「国民健康保健婦の活動に関する指針」をとりまとめたので今後の業務の参考とするよう貴管下保険者に対し周知方について御配意願いたい。なお,本年度から,従来の保健施設活動の域をこえる先駆的,実験的な保健施設活動であって,当該活動が,他の市町村の範となるものと認められ,かつ,国民健康保険の財政の健全化にも資するものに要する経費に対し,申請に基づき,調整交付金による助成を考慮することとしているのでこの旨をあわせて貴管下保険者に対し周知されたい。

 おって,この助成の対象経費申請については,当該活動の計画の概要を添えて,国民健康保険課施設係あてに,都道府県を経由のうえ,随時提出されたい。

基本情報

00471844.33.9.jpg
保健婦雑誌
33巻9号 (1977年9月)
電子版ISSN:2185-4041 印刷版ISSN:0047-1844 医学書院

文献閲覧数ランキング(
8月3日~8月9日
)