はじめに
せん妄は総合病院でもっともよくみられる精神疾患(Lipowski, 1990)である。その一方,症状が見逃されやすく,研究の立ち遅れが指摘されている病態でもある(Inouye, 1994)。例えば,せん妄の発症率研究は数多く報告されているが,それらを概観するとICUを含めた外科で2~50%(佐藤ら,2000;小池ら,1996;岸ら,1999;児島ら,1999)と大きなばらつきがみられ,なかには85%というデータもある(Ely et al., 2001;岸ら,1999)。このばらつきの原因には,研究デザインの違いに加えて測定尺度や診断基準の違いが大きく関与していると考えられる(綿貫ら,2001a)。
例えばForemanは,対象を高齢者のみに限定した調査であっても,発生率に大きな差があり,かつそれらが高めに報告されていることについて,対象の選定基準に問題があること(Foreman, 1989)を指摘し,また尺度測定の技術差異(Foreman, 1986)についても指摘している。
加えて,岸ら(1999)はせん妄が発見されるのはわずか14~37%程度と指摘しており,Foremanの指摘とあわせ上述のばらつきの原因として考えることができる。
看護学領域においても,こうした現状はほぼ同様である。せん妄に対してさまざまな介入プログラムを講じている米国でも,多くの場合その質は低いとされる(Joseph et al, 2001)。日本では発症要因分析にとどまるものが多く,prospectiveな研究はほとんど行なわれていない(山田,1996;長谷川,1999)。
せん妄による心身の侵襲は多大である。身体面では,せん妄を発症した患者の1年後の死亡率は,50%にものぼるという報告もあり(カプラン,1998),せん妄発症は有意に予後不良とされている(森田達也,1998)。心理面においては,Feinberg(1995)の仮説で,薬剤使用に起因して引き起こされた悪夢・多夢が覚醒期に侵入するというものがあり(一瀬ら,1999),ICD-10(WHO, 1993)にも,悪夢がせん妄の診断基準に含まれている。恐怖心といった漠然とした記憶も含めると,実に8割以上の患者がせん妄の記憶を後々まで残しているという報告もあり(藤崎,1998),せん妄体験が心的外傷体験として残る可能性も否定できない。このほか,医療経済・社会的問題や,Yeawら(1993)によるせん妄患者に対するケアの質低下の指摘も含め,発症によるリスクは多岐にわたる。
せん妄は発症の予防が第一であるが,発症した場合には,早期から専門医による介入が求められる。武市(1990)によれば,せん妄状態はすべて精神科救急医療の対象となり,原因の可及的な追求がその後の治療を左右するという。しかし,実際の臨床場面では,看護スタッフがせん妄を思わせる精神的異常に気づいても,精神科にコンサルトする症例は2割前後であり(岸ら,1999),勘や経験則に頼った安易なアセスメントや,専門外の医師による対処療法を繰り返した結果,患者の苦痛を増幅させたり,回復遅延や症状悪化をきたすケースもままみられる。標準化された測定用具を使用した査定は,こうした現況を打破しうる1つのツールとして有用と思われ,測定用具を用いた評価方法の導入・浸透が求められている。
せん妄症状をアセスメントするための測定用具は,主に質問形式のものと観察法によるものとに分類され(綿貫,1998),代表的な質問形式のものに,認知機能を中心に査定する長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)や,MMSE(Mini Mental State Exam)がある。このほか,最近では,アルツハイマー患者の認知機能測定尺度ADAS(Alzheimer's Disease Assessment Scale;山下ら,1998)が使われることもある。簡易ポータブル知的状態質問表(SPMSQ)や,知的状態質問表(MSQ)は,適用不能の症例が最小限になる(中里ら,1986)という点から,重度の認知障害に対しても用いることができる。特にMSQはせん妄と認知症を区別できるといわれており,Kahn(1971)は前半の見当識を尋ねる5項目がせん妄に敏感であることを指摘している。ただし,MSQは全体でも10項目であり,精度の高い検査とはいいがたい。
これらのスケールは,認知機能の把握には優れているが,学歴・知能の影響を受けるものも多く,スケール単独でせん妄を鑑別したり,程度を把握することは難しい。さらに,本人に記載してもらったり,声に出して回答してもらうという方法は,身体的にも不安定であるせん妄状態下では負担が大きく,施行自体が困難であることも多い。また,倫理的問題もはらんでいる。
一方,観察法のものには,福井ら(1988)によるSOADスコアや,太田ら(1998)の開発したせん妄スケール(DRSナース版)などがある。これらはせん妄に対する感度は高いが,微細な変化徴候を把握しづらいこと,低活動性せん妄をとらえにくいこと,標準化されていないことなどが難点としてあげられる。
NEECHAM Confusion Scale(以下,NCS)は,1996年,Neelonらによって開発された観察法によるせん妄の測定・評価スケール(Neelon et al., 1996)である。スケールは,認知・情報処理,行動,生理学的コントロールの3つのサブスケールから構成される。合計点によって中程度~重度,軽度または発症初期,発症の危険性が高い,正常の4段階に分類され,30点満点で点数が低いほど重度となる。なお,合計点は20点未満の感度を鋭く,25点以上の感度を故意に鈍くしてある。これにより,DSMなどの厳密な基準では捉えることができない,中~軽度のせん妄を捉えることができる。これは,現在あるせん妄評価スケールのなかで唯一の機能である(Rapp et al., 2000)。このように,弱いせん妄の徴候をも把握できるため,初期・早期からの把握が可能である(Matsushita et al., 2004 ; Miller et al., 1997 ; Williams, 1999)。また,低活動性のせん妄症状も把握できるように作られているため,幅広いせん妄症状をキャッチできるという特徴をもつ。さらに,現在のせん妄研究ではせん妄発症原因の8割以上が身体機能の失調由来であるとされるが(森,1998;松田,2002),NCSは,発症要因の中核をなす生理学的因子に関わる部分をサブスケールの1つとして配分しており,この点もまた大きな特徴として加えることができる。また,同研究において,スケールの信頼性・妥当性は非常に高いことが示されている。
このNCSの日本語版(Japanese version of NEECHAM Confusion Scale,以下J-NCS)を,綿貫らが2000年に開発した(綿貫ら,2001a)。しかし,米国でのパイロットスタディ2例のみで,日本での信頼性・妥当性は十分には検討されてこなかった。最近,松下ら(2004)がJ-NCSの外科臨床への適応を行ない,その臨床的妥当性と有用性を検討している。松下らは,対象者64名を術前J-NCS得点から非混乱群,危険群,軽度混乱群,混乱群に分けて,術前,術後第2病日,同第3病日の3日間の変化を検討し,結果,群間に重症度分類に対応した有意差が認められた。しかしながら,この研究では信頼性は検討されていない。そこで,本研究では,このJ-NCSの信頼性と妥当性の検討を試みることとした。