神経研究の進歩 39巻4号 (1995年8月)

特集 視覚認知のメカニズムとその障害

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I.色知覚の空間

 これまで色覚のメカニズムの生理学的な研究の多くは,さまざまな波長の単色光に対するニューロンの反応を比較することによって行われてきた。これに対して,最近色知覚の空間(色空間)に基づいて視覚刺激を作り,これに対するニューロンの反応を調べたり,あるいは,破壊による行動への影響を調べる研究がサルの視覚系において見られるようになってきた1,4,9,12,13,16)。このような方法を用いた研究はこれからますます盛んに行われるようになると思われる。それは以下のような理由による。まずニューロンの反応と色知覚の関係を直接調べようと思った場合,色空間に基づいた刺激を使うのが自然な方法であることがある。色空間とは色知覚を定量的に表現する空間であり,この空間の各点は違う色を表わしている。たとえば図1に示したCIE(国際照明委員会) xy色度図は色空間の例であり,この図の各点は知覚的に区別される別の色を表わしている。したがって色空間の各点においてその色を刺激として用いてニューロンの応答を調べてマッピングを行えば,自然にニューロンの反応と色知覚の関係がもとめられる。一方,単色光は図1にみられるように色空間の外縁をしめているが,すべての単色光に対する反応を求めたとしても,外縁部分における反応の分布から色空間全体で反応がどのように分布しているかということを知ることは一般には不可能である。

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はじめに

 われわれは三次元の世界に住んでいる。しかし眼の網膜は二次元の平面である。したがって二次元の網膜像からいかにして三次元の奥行を読み取るかというのが視覚系の最大の課題である。もちろん二次元画像の中にも奥行の手がかりは沢山ある。陰影やテクスチャーの勾配,重なりによる遮蔽や遠近法など伝統的な絵画で使われる技法がそれである。J.J.Gibson9)は「視覚的世界の知覚」の中で,そのような遠近の手がかりを挙げて詳しく論じている。その中にはオプティカルフローや運動バラックスのような動的な手がかりも含まれている。David Marr16)はコンピュータビジョンの立場から“shape from shading”(陰影から形)や“shape from movement”(動きから形)などいくつかの手がかりから三次元の形を計算できることを示している。しかし本当に正確な「奥行」を読み取るには両眼視が不可欠である。

 獲物を捕える肉食類や猛禽類は両眼立体視を備えている。そして霊長類の二大特徴の一つも両眼立体視で,霊長類はそれをもう一つの特徴である把握する手と組合せて,器用に物を操作する機能を獲得した18)。人間の特徴である道具を使って物を作る能力も両眼立体視に依存している。頭頂葉は視覚による手の操作運動に重要な役割を果たしている領域なので立体視にも関係している可能性が高い。

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はじめに

 何らかの刺激パターンが与えられた場合,それが表す外界対象が何であるか,あるいはそれが表す意味は何であるかを知ることが,パターン認識または認知(Pattern recognition)である。あるいは,刺激パターンを記憶に蓄えられている様々な概念(カテゴリー)のうちのどれかに対応づけることであるともいえる。

 視覚的パターン認識の成立過程は二つの段階に分けて考えることができる。初期段階では刺激情報の受容と分析がなされる。外界対象についての情報は光の強度と波長の2次元的分布パターン(刺激)という形で眼の網膜に到達する。そこで受容された刺激情報は,心的な表象に変換された後,さらに何段階もの処理(表象の変換)を経るわけであるが,その間に刺激に含まれる諸々の特徴の抽出とそれに基づく知覚表象の形成がなされる。後期段階では,初期段階で形成された知覚表象が記憶表象と照合され,対象の認知が成立する。パターン認識には当該の刺激情報だけでなく,空間的時間的な文脈情報が利用される。文脈情報は記憶から物事に関する概念や知識を引出し,それに基づいて初期段階での処理の仕方が変更されたり,不十分な刺激情報が補われたりする。

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I.背景

 側頭葉の中央を前後に走る長い溝(上側頭溝,superior temporal sulcus,STS)をはさんで下方には,視覚性の機能をもつ連合野が広がっている(図17)。サルで下部側頭連合野(下側頭回)と呼ばれるこの領域を両側性に破壊すると,視覚の弁別障害を引き起こす10,24)。このときの障害は,視覚性のみで他の感覚モダリティーは正常に保たれている。また,明滅刺激の融合周波数,細かい縞模様の知覚の閾値,パターン弁別のできる明るさの閾値,視野などの視覚の基本的機能も正常に保たれている。1950年代から1960年代にかけて行われた破壊実験の結果は,下部側頭連合野は視覚弁別を行う際の,視覚情報の統合,弁別刺激に対する選択的な注意,弁別刺激の短期記憶,弁別刺激と報酬との連合形成,報酬と連合した特定の弁別刺激の長期記憶,弁別刺激の範疇化などにかかわっている可能性を示した。しかし,その詳細の解明には,ニューロン活動の解析を待たなければならなかった。

 サルの側頭連合野からのニューロン活動記録にはじめてチャレンジしたのは,当時ハーバード大学の心理学教室にいたC.G.Grossであった9)。彼らは,ハロセン麻酔下のサルの下部側頭連合野へ電極を刺入し,サルやヒトの手の形にもっとも強く反応するニューロンを見つけた。

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はじめに

 近年,アクティブに行動中のサルの脳から,無麻酔でニューロン活動を安定して記録できるようになり,脳の研究が急速に進歩している。その際,サルに実験課題を実行させることで,実験者の知りたいデータを収集することができる。ヒトでなければできないこと,たとえば言語以外であれば,サルに行わせる実験パラダイムをうまく設定すれば大概の高次脳機能を調べられる。

 サルから得られるニューロン活動データと実験で使った刺激との関係は直接比較検討できるので,刺激をどう処理しているかは,適切に処理すれば確実に求まってくる。またニューロン活動と行動との関係1),刺激と行動との関係も直接比較できる。

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はじめに

 視覚的な経験は,視覚的イメージ(visual imagery)の機能によって心の中で再現することができる。心理学では,視覚的イメージのことを,「刺激の対象が存在しないにもかかわらず生じる擬似視覚的な経験」として定義する。「擬似視覚的な経験」とは,実際にものを見ているときに近い経験のことであるが,広い意味では残像や幻覚なども含まれる。認知科学では,記憶や想像に基づいた視覚的イメージを対象とすることが多く,これを心的イメージ(mental imagery)と呼んでいる。客観的な推論や測定法に基礎を置く自然科学において,心的イメージや意識といった必然的に主観を伴う現象の研究は,確かに方法論上の困難を伴っている。

 心的イメージに関する実験的研究は,1960年代の後半から認知心理学の中心テーマの一つとなり,反応時間(reaction time:刺激の提示から被験者が反応するまでの時間)が内的な情報処理過程を反映するという切り口で進展した。その際に焦点となったのは,「心の目で見る」という経験を生じさせる内的な表現(表象)とはどのような性質のものであるか,という根本的な問題であった。

前頭葉における視覚認知 渡邊 正孝
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はじめに

 前頭葉は図1に示すように,脳の前部に位置し,運動野,運動前野,補足運動野(内側面にあり,図には現れていない),前頭連合野からなる。動物実験では運動野,運動前野,補足運動野などの運動性領野のニューロンにも視覚応答性のあることが報告されている12)。しかしこれは主に運動の教示や,運動開始の合図に対するものである。本稿ではこれらの運動性領野の前に位置する脳部位であり,高次機能の中枢とも考えられている前頭連合野における視覚認知に焦点を絞って述べることにする。

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はじめに

 われわれはふだん気にもとめないが,身のまわりの世界が今あるように見えているのは,かならずしも自明ではない。種が違えば,物理的な環境は同じでも,それぞれが違った認識の世界がある。たとえば同じ部屋にいるイヌとわれわれを比較してみよう。イヌにはこのカラフルな色の世界がない。霊長類を除いて哺乳類はほとんど色盲だ。しかしイヌには,われわれの感知しえない匂いの世界があるに違いない。

 では,ヒトにもっとも近いと言われるチンパンジーが認識している世界は,私達が認識している世界とどこまで同じで,どこが違うのだろう。そうした疑問に導かれて,京都大学霊長類研究所の心理研究部門(改組されて行動神経研究部門の一部となった)では,ヒトとチンパンジーさらにその他の霊長類の知覚・認知機能を比較する一連の研究を,実験室と野外で行ってきた(松沢,1991a,b,1995;Matsuzawa,1985a;1994)。

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はじめに

 一般に,刺激の知覚・認知は,いくつかの直列的ならびに並列的過程での情報処理によりなされる。事象関連電位(event-related potential,以下ERP)は,感覚刺激に対する脳内での情報処理過程に関連して惹起され,刺激の認知,期待,判断などに関連した成分であり,内因性電位とも呼ばれる。ERP成分は,これらの種々の情報処理過程に対応する脳の連続的な電位変化として捉えられる。したがって,ERPには,情報処理の時間的推移や各処理過程間の時系列に関する情報をリアルタイムで検討し得る利点がある1)

 P300は,1965年Suttonら2)により発見されたERPで,その頂点潜時(以下潜時)は,認知機能を表すとされ,認知障害を中核症状とする痴呆疾患のみで延長するとのGoodinら3)の報告以来,その補助診断の一つになりうると期待されている。P300の誘発には従来,聴覚刺激として純音が用いられてきたが4,5),近年,視覚刺激の有用性も報告されている6)

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はじめに

 ヒトの脳と認知機能の関連を研究する方法としては,従来は大脳損傷患者の観察や脳の電気刺激が主であった。しかし,最近は陽電子放射断層撮影法(positron emission tomography:PET,ポジトロンCT),機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging:機能的MRI)などが登場した。ここにあげる磁気刺激法(経頭蓋磁気刺激法)も最近登場した方法の一つである。ここでは脳の磁気刺激を解説するとともにこの方法による視覚認知の研究について述べたい。

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はじめに

 視覚失認は,視力や対象に関する知識には問題ないのに,対象を視覚情報によって同定(認識)できない状態であるが,視覚以外の感覚(触覚,聴覚など)を介すれば認識は可能となる。

 視覚失認の歴史はMunk(1877)の両側後頭葉切除のイヌに見られた精神盲にはじまり,精神盲の症状をAsymbolieと名づけたFinkelnburg(1870),視覚失認を分離したFreund(1889),今日の統覚型と連合型の2分法の基盤を作ったLissauer(1890),および失認Agnosieの概念を導入したFreud(1891)がみられる。視覚失認のメカニズムの仮説は時代によって変遷し,Lissauerの2分法は,その後全体論の台頭(Goldstein & Gelb 1918,Goldstein 1943,Brain 1941など)により,ほとんど顧慮されない時期もあったが,Zeki(1973,1983,1988)らの大脳皮質視覚領に関する神経解剖学の発展や1960~1970年代のGeschwind(1965)らの高次脳機能に関する連合主義的概念の復活により,Lissauerの見解は視覚失認の研究のための有効なガイドと見なされるに至った。現在もLissauerの視覚性物体失認の発現機序における2分法は,臨床的,認知心理学的,病態生理学的分析のための有効な手がかりである。

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はじめに

 様々な視覚像の中で,顔(相貌)は特別の意味を持ち,その脳内認知機構が特殊なものであるという根拠がいくつかの立場から示されている。

 心理学からは,新生児が顔に対して特別な反応を示すというJohnsonら(1991)の研究がある。Yin(1969)は,正常成人を対象に顔を倒立して(上下さかさまにして)見せると,家や飛行機など他の視覚像を倒立させた場合に比較して著しく認識率が低下することを示した。彼は,顔の認知は,眉毛,目,鼻,口,耳など顔の構成部分の情報が寄せ集められて行われるばかりではなく,互いの関係から全体としてのまとまりが知覚されるので,他の視覚像とは違って,倒立させた顔がとくに認知しにくいのであろうと考察している。

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はじめに

 さまざまなタイプの認知機能障害において,特定のカテゴリーに属する対象の認知が選択的に障害されたり保たれたりすることがある。この現象は,失語症患者の語の表出,理解障害では比較的古くから指摘されていた(Goodglass et al,1966:Yamadori and Albert,1973;McKenna and Warrington,1978)。しかし近年,意味記憶(Semantic memory)という概念が確立するとともに,その認知神経心理学における意味があらためて注目されるようになった(Damasio, 1990;Gainotti, 1990;Newcombe et al,1994など)。本特集の他稿で取りあげられている相貌や街並みの認知障害も,カテゴリー特異的な障害の一種と考えることができる。相貌や街並みの認知が主として視覚系によって支えられていることは自明なので,これらの障害は当然,特定の視覚認知機能の障害という文脈で考察されることになる。

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はじめに

 よく知っているはずの場所で道に迷うという症状は地理的障害(または地誌的障害,地誌的失見当,地誌的失認)と呼ばれ,意識障害,全般的な知能・記憶障害などの患者でしばしば観察される。一方,この症状が稀に脳内の限局性病変によっても生じうることが知られており,古くは前世紀のJackson(1876),Badal(1888),Forster(1890)などの報告にその記載がみられる。

 近年,画像診断法の進歩に伴い,こうした限局性病変による地理的障害の報告例が増加しているが,他の視覚失認,視空間失認に比して,総合的な研究に乏しいのが現状である。その理由の一つとして,地理的障害という用語が多義的な内容をもち,その定義が明確でない点があげられる。そこで,本論文では地理的障害の定義を「熟知した場所で道に迷う症状で,他の神経心理症状によって説明できないもの」に限定して用いることにする。

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 今回,日本神経科学会の会員の皆様の前で講演できることを光栄に存じます。私は科学史家ではありませんから,ここで過去の偉大な神経科学者の伝記を事細かにお話ししようとは思いません。ここでは大脳皮質に関する研究を促進した様々な学説を論じ,過去および最近の学説がどのように組み合わされて現在の大脳皮質の概念を形作るようになったかを明らかにしたいと思います。その際,現存する人物には言及しないつもりです。

基本情報

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神経研究の進歩
39巻4号 (1995年8月)
電子版ISSN:1882-1243 印刷版ISSN:0001-8724 医学書院

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