特別講義
からだとわたし―看護学生の看護哲学
塩田 睦
1
1帝京高等看護学院
pp.872-876
発行日 2000年11月25日
Published Date 2000/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902375
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わたしにとって,いちばん「身近か」なものは,自分のからだです.からだはいつもわたしについてまわって,一時もはなれることはない.だから,昔の中国では,「身」1)の字は,自分のからだ=「身体」のことでもあり,またわたし=「自分自身」のことでもあった.今の日本でも「わが身」と言えば,自分の体も含めた,わたし自身をさす.つまり,「わたし」と「からだ」とを区別するわけにはいかない.こういう「からだ」とは,「一体何ダロウ?」ドイツのひとりの女性哲学者から学んでみよう.
エーディット・シュタイン(Edith Stein,1891-1942)2)という名前は,聞いたことがない人が多いかもしれない.20世紀の重要な哲学のひとつ,現象学の創始者フッサール3)の直弟子で,ユダヤ人であったため,ナチスによって迫害され,アウシュヴィッツ収容所のガス室で殺された.収容所で亡くなるまで,周囲の仲間たちへの暖かい心づかいを忘れない人であったという.ナチスから隠れて書きつづけられた主著『有限な存在と永遠の存在』4)は,死後1950年に出版された.さまざまな深い考察を含むが,その中の「からだ」について述べた箇所を取り上げてみる.シュタイン自身からだが丈夫でなかったこともあると思われるが,女性的な感受性に裏打ちされたこまやかな洞察が行われていて,興味深い.以下『』部分は,シュタインの文章.その他は解説である.
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