連載 景色の手帳・10
パンの配達
武田 花
pp.808-809
発行日 2000年11月25日
Published Date 2000/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902365
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あの、ずっしりと重くて長い食パンは何斤あったのだろう。それを二、三本にロールパンを二十個ぐらい、毎夕配達したのだった。ウェイトレスのアルバイトをしていた喫茶店兼パン屋から十分程歩いて行った先の「高級クラブ」へ。店の同僚たちが、そう呼んでいた。ビーナス風彫刻が施された金色の扉といい、シャンデリアやソファのキンキラキンのごてごて趣味といい、まあ高級といえるのかも。
パンを届ける度、まだ開店前の準備に忙しそうな黒蝶ネクタイ姿の店長とボーイが私を隅のテーブルに座らせ、アイスクリームだの、生ハムの載ったメロン(これだけは美味しくなかった。今でも好きではない)だの、時にはステーキまで御馳走してくれた。仕事中なので、さすがにお酒は遠慮した。店長は頬にうっすらと斜めの傷がある恰幅のいい中年男。ボーイは青白い顔に髭の濃い、ひどく痩せた青年。二人共あまり私に話しかけないで親切にしてくれるのが居心地良かった。私もほとんど口をきかず、黙々と御馳走を食べ終えると、ふかふかの椅子にボーッと座り、時々眠っていた。つまり、仕事を怠けていたのだ。
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