精神医学 9巻2号 (1967年2月)

特集 精神分裂病の診断基準—とくに“Praecoxgefühl”について

第63回日本精神神経学会総会シンポジウム

はじめに 井村 恒郎
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 分裂病の診断のむずかしさということはご承知のとおりであり,分裂病の症状は教科書に列挙してあるけれども,実際に診断するときにはそれらの症状をいくつか合わせて,つまり算術的に加算して,それでpathognomischなSyndromとみなすわけにはいかない。症状にしろ症状群にしろ,他の病気に共通なものがたくさんある。その反面,個々の症状をみると,そこに分裂病に固有なニュアンスがあつて,分裂病らしい幻覚,分裂病くさい妄想というふうに,tautologischな形容詞を付けざるをえないことが多い。全体集会では,分裂病に関するNosologieの話が十分行なわれたが,Nosologieよりもさきだつ問題として診断の問題がある。分裂病の診断の基準をどこにおいたらいいかということは,実はご承知の方もおられると思うが,精神病理懇話会——いまの精神病理・精神療法学会の前身であるが——そこで十数年前ちようど同じテーマで行なわれた。そのときに,むろんはつきりした結論は出なかつたけれども,精研グループの実験的な報告を私がした記憶がある。分裂病の診断にさいして個々の症状のあるかないかという点に関しては,診断者によつて非常に差異があつて,不一致率が非常に高いにもかかわらず,しかもなお分裂病という診断はよく一致しているという発表である。分裂病の診断には個々の症状に加味してなにか一つの共通のfactor——X factorとそのとき名づけたのだが——そういうものがあるのではないかということを話した覚えがある。

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 分裂病を診断する場合,分裂性体験がごくわずかでも完全な的確さをもつて,「分裂病」と診断できる場合がある。ここにはたらいているのは,verwortenしたり,verbalisiererlしたりできない"Praecoxgefühl"である。このPraecoxgefühlについては、Rümke, H C. 6)が提唱して以来,Müller-Suur, H. 3),Irle, G. 1).Spoerri, T. H. 8),Priori, R5)らによつて論じられているが,このような診断方法はすでに以前からとりあげられていたことである。Binswanger, L. は,明確な症状がほとんど発見されない場合,疾病の存在を直観的に確信する診断を"Gefühlsdiagnose"といい,Schneider, K. は,病者の徴細な表出まで読みとる瞬間診断を"Anhiebsdiagnose"といい,Minkowski, E. は,理性による診断に対して,感情による診断diagnostic par sentiment(洞察による診断diagnostic par penétration)を重視し,この診断方法も他のすべての方法と同じように,長期の経験によつて習得されねばならないとしている。越賀は,認識能力は概念的な学問にもちいられるような理性のみでなく,感情というすぐれた直観力によつて発揮されるのであつて,日ごろの臨床において,われわれが精神病者という具体的な一人の人間を理解しようとするときのもつともすぐれた一つの方法である,と主張している。

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I.はじめに

 分裂病の精神像において,とくに硬さと冷たさは,その早期発見のためにたいせつであるが,さらにまた長い経過をたどつて容易に快方に向かわない患者ではもちろんのこと,良好な寛解状態に達した患者においても,程度の差はあつても,しばしば出現する所見である。それは病者につきまとつている。

 たとえば大学生について,入学時の短時間面接を行なつていて,学生の表情や話しかたのなかに,警戒や緊張とはべつな,刃のひらめきのようなものが瞬間的に感じとられ,あるいはその立居,ふるまいや挨拶のしかたのなかに,棒のような印象を受けとりながら,その他にとりたてて云々するほどの所見がないままに,暫定診断をためらつてしまつたのが,1,2年の後に立派な分裂病に発展してしまうことは,そうまれではない。そしてこれらの症例は,あらためて既往歴を精査してみると,しばしば入学の時点以前から,日常の行動や生活態度にすでにかなりはつきりした異常性を示していたことが判明する。あるいは妄想型の分裂病者などで,入院させると意外に早く諸症状が取れて,言動もまとまり,院内生活への適応性も増加してくるが,いざ退院となると,社会復帰についていろいろと配慮するにもかかわらず,まもなく悪化してしまい,入・退院をくりかえしたり,自宅に閉居しがちな患者で,病勢の激しい時期と寛解時を貫いて,この硬さと冷たさだけが変わりなくつづいている場合もある。

Praecoxgefuhlの成立状況 荻野 恒一
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Ⅰ.Praecoxgefuhlと分裂病症状

 たしかにわれわれは,精神医学的臨床経験をかさねるにしたがつて,分裂病者に相対した瞬間に,かれが分裂病であることを直観するようになつてくる。そしてこの直観の背後に,一定の分裂病概念が存することは疑いない。たとえば定型的な破瓜病の場合,これが,なにか深い人格障害,Bleuler, E. が内閉と分裂と規定し,Minkowski, E. が「現実との生命的接触の消失」と規定し,Jaspers, K. がProzessとよんだような人格崩壊の過程にもとづくものらしいことを,われわれが暗々裏に認めていて,初めて「これは分裂病くさい」という感じ,すなわちPraecoxgefühlを感ずるようになつてきたのであろう。さらにみずからの臨床経験をかえりみるとき,急性分裂病者に面接したときにでも,われわれはしばしば,ほとんど直観的に,病者が言語性幻聴,被害妄想など豊富な分裂病的主観的症状を有していること,一言にしてZuttのStandverlustの状況にあることを感じとりこの直観にもとついて問診(現象学的記述的態度)を行なうとき,患者は,初心者が聞き出しえなかつたような豊富な分裂病的体験内容を述べてくれることもまれではない。それゆえわれわれは,井上の述べたように1),破瓜型分裂病とはべつの幻覚妄想型分裂病のPraecoxgefühlの存することをも認めていいと思う。

指定討論 加藤 清
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 討論というよりむしろ追加というかたちで簡単に話させていただきます。

 いわゆるPraecoxgefühlなるものがあり,分裂病の早期診断あるいは憂うつ病との鑑別診断などに,その程度はいろいろあるにせよ,役だつていることはわれら臨床家にとつて疑いもない事実と思います。本日,私はつぎの三つの点について述べたいと思います。

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I.はじめに

 分裂病診断における症候学的な診断者間の差については,すでに十数年前に精神病理懇話会においてシンポジウムとしてとりあげられ,そのさい井村教授から分裂病診断にあたつて,症候学的な診断の差以外の“X factar”の重要性が指摘されたが,それがまさにPraecoxgefühlの問題であつた。その後,分裂病境界例や器質的脳疾患における分裂病像などをめぐつて,症候論的な差異,とくにcontactの問題などが議論された。さらに,診断者側の面接時におけるempathic understandingの程度を客観的に測定し,個人差や状況差を比較検討しようとする研究が注目され,本日も日大の木戸氏から,ポリグラフによる研究が発表されている。

 われわれは今回,患者の面接時の状態をビデオ・テレビジョン(以下V. D. とする)にとり,このV. D. 観察と直接面接とのさいの患者理解の程度を比較するため,100項目の質問から構成されるQソートをもちい,患者自身の自己像と診断者による患者の自己像の判断とを比較検討しようとこころみた1)

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I.はじめに

 分裂病診断にあたつて,治療者は患者の陳述に耳を傾け,体験症状を症候学的にとらえることを念頭におきながら,同時に,患者との直接的接触によつて得られる患者の人としての印象をも重視して診断のよりどころとする。いわゆる"分裂病らしさ"は,このような診断的態度をとりつつ行なう面接のあいだに,治療者が患者について実感する特異な印象である。

 日常の臨床経験から,この実感は,少なくとも,言語によつて伝達しあう意識的水準でのcommunicationを通じてではなく,むしろ,言語的伝達をこえた,いわば半ば無意識的水準でのcommunicationに由来するもののように思われる。しかし,そのcommunication経路については,われわれはなお確かな知識を得ていない。したがつて,ここでは,治療者が患者についていだく対人感情ないし評価を患者と相対したさいの治療者自身の行動変化のなかに読みとるという視点から治療者の側に現われる生理学的変化および言語応対の分析を行ない,"分裂病らしさ"の実感される背景について考察をこころみたい。

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I.はじめに

 精神医学においてわれわれが診断をくだす場合,われわれ精神病医自身がそれぞれの患者に対していだく感情,患者から受ける印象,あるいは直観,洞察がきわめて重要な役割をはたしていることは,われわれが日常臨床において体験しているところであり,またすでに多くの学者によつて指摘され,強調されているところである。たとえば感情診断(Gefühlsdiagnose)とか,洞察診断(diagnostique par pénétration)などとよばれるのは精神医学の診断において単に知性のみでなく,感情もまた有力な武器であることを物語つている。K. SchneiderのいうAnhiebsdiagnoseというのもこの種の診断であることはいうまでもない。

 周知のごとくRümkeは精神分裂病を分かち,一方を真性精神分裂病(genuine Schizophrenie),またはechte Schizophrenieとよび,それ以外のものはすべて偽似精神分裂病(Pseudoschizophrenie)として両者を区別している。そしてこのgenuine Schizophrenieの患者についてある程度臨床経験をつんだ精神病医ならば,Rümkeのいうようにヘルシンキであれ,パリ,ロンドン,トロントであれ,したがつて大阪であろうと東京であろうと世界のどこにおいても,患者を一見したとき一様にかれらについていだく特種な感情をRümkeはPraecoxgefühl,またその体験をPraecox-Erlebnisというのである。種々の精神障害の患者のなかでこのPraecoxgefühlをわれわれにいだかせる精神分裂病患者がいる事実は認めざるをえないと思う。

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I.はじめに

 本日のテーマは「分裂病の診断基準としてのPraecoxgefuhl」ということであり,他の筆者の発表もだいたいその線に沿つているようであるが,同じPraecoxgefühlという言葉を用いながらその意味内容は筆者によつて多少のずれを示しているように思う。この種の議論にあたつては,まず議論の対象をはつきり概念的に固定しておくことがなによりも必要なことなのであつて,不可規的な対象を論じる精神病理学の分野においてはこの要請はことに重要な前提となつてくると思われる。そこで私は,与えられたテーマからはややはずれることになるかもしれないが,臨床的な諸問題はひとまず括弧に入れたうえで,臨床精神医学に対する基礎医学ともいうべき立場からPraecoxgefühlの本質構造といつたごときものについて論じてみたい。

Praecoxgefühlと無 西丸 四方
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Ⅰ.Praecoxgefuhl

 Rümkeは精神分裂病を真正のものと偽性のものに分かち,偽性のものは種々の既知,未知の原因で起こり,いわゆる分裂病独特の症状を呈するものもあり,防衛機制で説明されるのもあり,なんの治療によるにしても治癒するものはだいたい偽性のものであり,また現象学や人間学が分裂病を記述し,分裂病の患者の世界企投を解釈するが,それからすべり逃がれて,そのようなものでつかまらない真正の分裂病に独特なものがあるとする。分裂病の独特なものとして以前からいろいろの人により思考障害,現実との関係の変化,統一の喪失,生きた接触の障害などといわれるが,このどの言葉にも「ある独特の分裂性の」という形容詞をつけなければならない。この「ある独特の分裂性の」というものはverbalisierenできない,言葉としていい表わすことができないものであつて,これをRümkeはPraecoxgefühl,Praecox-Erlebnisという。かれによるとこのPraecoxgefühlは身ぶり(Pantomimik),精神運動でもあり,接触でもあり,それに和対した検者に起こるPraecoxgefühlでもあるとしているが,分裂病には分裂性というある独特なものがあるというのでは,同語反復Tautologieであつて,結局は,なにもいい表わしているのではないことになる。「なにかある独特のein ganz bestimmtes」というのとPraecoxgefühlというのとなにも違つたところはない。

指定討論 霜山 徳爾
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 簡単に申しあげます。3人の演者の方々から,いずれも意義深いご意見を承わりましたが,なかんずく,木村先生は非常にたいせつなことを指摘されたと思います。たしかにPraecox感情ないし体験というものは,分裂病者と出会う時点における直接の所与ではありますが,その背後には,いかにして他者の内面の了解が可能であるかという,自と他の関係である人間の根本問題がひかえているのでありまして,この仙者の理解ということを掘り下げなければ,このPraecox体験の問題も解決しないのではないかと存じます。そして木村先生が自覚的現象学というこころみで,この問題に迫ろうとされたことに敬意を表したいと思います。このような理論的考察は,単純なビオロギストにはしばしば「言葉の遊戯」としかうつらないのでありますが,実は臨床精神病理学というものは,単に臨床に流れず,つねにその理論的基盤に深い考察を加えてこそ実り豊かになるものだからであります。

 ところでPraecox体験というものの本質は,人間の現存在の根源的なありかた,すなわち,つねに他に向かつてひらかれ,他に向かいあつているDuheitにおいて初めて「我」があるような存在理解の内に生きているというありかた……このような人間的な規定における「我」のほうの特殊な体験なのだと存じます。

指定討論 千谷 七郎
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 ただいま,越賀,木村,西丸の三先生から,それぞれの哲学的見地を紹介されつつお話がありまして,ご意見の趣旨はよくわかるような気がいたします。しかし,それなら実際に何がPraecoxgefühlなのかという点になりますと,それは趣味判断や意識指向性以前のある体験的水準に属する出来事かと思います。いいかえますと患者のAusdruck(表現)とわれわれの側のEindruck(印象)との聯関に関する出来事においてとらえなければならないことかと思います。このAusdruckとEindruckとの極性聯関(polarer Zusammenhang)は申すまでもなく,生き物相互が相手を生きものと認知することのできる,いわば生き物としては原初的条件であります。生き物という言葉は,誤解の生じるきらいがありますから,性情(Wesen)という語に置き換えるのがいいかもしれません。表現と印象との聯関成立過程についてはL. Klagesの内部運動,Palàgyiの仮性あるいは想度運動(virtuelle Bewegung)の理論に関する準備を必要とするかもしれませんが,ここでは精神分裂病,その他これとまぎれやすい重症躁病,その他の写真をお目にかけて,われわれの印象をためしてみることによつて,私の追加的討論の責をはたさせていただきたいと思います。

 症例1 H. U.(第1図)22歳発病,現在30歳の法学士。この表情の特色は眼つき,口もと,小鼻によく出ていると思いますが,一見して感じられることは,この顔つきが模倣できるかどうか,とうていできないであろうと思います。ここにまずPraecoxgefühlの特色の一つがあろうかと思います。つまり表現と印象との極性聯関が成立しない感じといえるでしよう。

指定討論 村上 仁
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 もう時間がないそうでございますし,とくに申しあげることもありませんが,西丸先生が醜い仏像とPraecoxgefühlとの関係ということをいわれましたので,ふと思い出しました。私の教室のいちばん最初の先生の今村先生が,もうご承知の方もあると思いますけれども,Bergsonが『笑』という本のなかで,mechanicになつた運動は笑いを起こすといつておりますこと,それからモリエールのお芝居の話だとか,そういうものをいろいろ引用なさりながら,結局分裂病の本質は生物学的な社会本能の欠陥にあるとして,schizokornoniaというような名前をつけられました。そしてそのときに,社会本能を失つていないので「醜」ではないが,分裂病のように「奇」ではないといっておられます。

 結局Praecoxgefühlとは,いろいろな先生がいわれたように,非常に生物学的な相とでもいいますかそういう面における社会本能あるいは社会性といつたものの障害の表現であろうと思います。それを非常に具体的に,醜というかたちで西丸先生が表現されたのはたいへんおもしろいと思います。しかし,分裂病の醜いという感じは今村先生のいわれた意味での「醜」ではなく,何かそれに加わるものがなければならないと思います。

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 多治見地方の陶器工,学生,教員,事務員,商業,単純労働者の6群計162名について面接により飲酒状況を調査し,職業生活の飲酒状態に与える影響について検討した。

 その結果,職業集団としてみると,個人がすでに先天的にもつている酒へのaffinityに対して,一次因子としてその職種特性の影響が認められ,さらにその職場独自の条件が二次因子として作用して,その職業に特徴的な飲酒状況をつくりあげていることが観察された。

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I.はじめに

 新phenothiazine誘導体の一つであるNeuleptil(propericiazine)の臨床研究報告は,最初G. Deshaies1),P. Chanoit2)などにより発表され,わが国でも,桜井ら3)は精神分裂病の多数例の検討成績について,冨永ら4)は本剤の妄想およびその周辺に対する作用について,荻野ら5)はフランスの報告にいうtroubles caracterielsに対する本剤の作用について,島崎ら6)は分裂性の精神症状に対する効果ならびに長期維持投薬による再燃予防効果について,それぞれ興味ある結果を報告している。フランスにつづいてわが国でも1964年に本剤が市販されて以来,多くの症例記録が得られた。これら資料について,以前に報告したWintermin(chlorpromazine)7)の場合に準じて統計的分析を行なつた。そのうちphenothiazine系向精神薬の精神分裂病薬物療法について共通的と思われる若干の問題点,すなわちつぎの4項目,

 (1)改善群と改善不良群における投与前後の症状評価点の比較

 (2)使用薬剤の投与中における効果推測の時期

 (3)催病期間と薬剤効果との関係

 (4)薬剤の反応と体重変動

 に関し,ある程度の客観性をもつた結果を得たので報告する。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・8

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 2年半に近い外国生活を終えて帰国した私は,その年(1927年)9月,家族を伴つて札幌へ赴任した。東京を遠く離れた土地に生活の根拠をすえるのは,生まれて初めての経験であつたが,私自身は,むしろ勇躍して新しい任地へ向かつた。それというのも,ヨーロッパでの生活で,世界の学界の先端を行く学者に多く接して,私ながらに「いける」という自信が芽生えたからであろう。「頭を押さえられないポストの方がかえつていいよ」と,訣別の際にSpielmeyerが言つてくれた言葉も,そのままに受け取ることができた。自分はたとえ1人であつても,世界中の学者と,いつでも交見することができるのだという考え方が,私から孤独の心を取り去つてくれたのである。

 のみならず,今から思い返すと,当時の私は実に張り切つており,また単純,無垢であつた。——何としても学界に寄与しなければならない,それは私に与えられた唯一の使命である,私はそれを必ずやり遂げてみせる——これが当時の私の気もちであつた。これと同様の気もちは,海外留学から帰つた多くの若人のいだく気もちで,実に尊いものであると私は思う。だが,やがていろいろの義務や雑務に追いまくられて,いつしか,この気もちを失う者が少なくない。しかし私の場合は,北海道という,静かな恵まれた環境が,この純真な気もちの損なわれるのを防いでくれた。それはやはり私の幸運だつたと思う。

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第17回 日本医学会総会 会員募集(第2次公告)

期間 昭和42年4月1・2・3日(うち3月30・31日、4月4・5日は分科会)

開催地 名古屋市

基本情報

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精神医学
9巻2号 (1967年2月)
電子版ISSN:1882-126X 印刷版ISSN:0488-1281 医学書院

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