連載 〈教育〉を哲学してみよう・5
主体が立ちあがるとき:アクティブ・ラーニング再考(2)
杉田 浩崇
1
1広島大学 教育学部
pp.1038-1042
発行日 2019年12月25日
Published Date 2019/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663201387
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人はどのようなときに学ぶのだろうか。連載の前回、「アクティブ・ラーニング」(主体的・対話的で深い学び)を問い直し、人が主体的に「考える」のは、これまでのやり方ではうまくいかない状況に遭遇したり、謎や不思議さに出会ったりしたときが多いということがわかった。人は外側から自分の思考枠組みが揺さぶられるときに、「なぜ」「どうして」と能動的・主体的に考えるよう促されるのである。
しかし、それでも人は本来、興味や関心が湧いてきて学びたくなるものなのではないか。何かしらの褒美や報酬のために学ぶこともあるだろうが、「内発的動機づけ」という言葉があるように、純粋に学ぶ内容に対する興味や関心から学びたいと思えることこそが、学びの出発点にあるべきではないか。たとえば、指導する学生や実習生に「どんなことに興味があるのか」を聞き、できる限りそれに沿って指導することが大切だと考える読者もいるだろう。学習者中心の授業を心がけることで、学習者が学びがいを感じやすくなり、授業に取り組む態度を変えてくれるかもしれない。一方的に教師が語り、それをありがたく学習者がメモをとるという旧態依然とした授業に批判的な目が向けられるなか、学習者の興味や関心を出発点にすることが一層求められている。
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