とびら
立ちあがる看護婦
金子 光
1
1東大
pp.4
発行日 1961年3月15日
Published Date 1961/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911273
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「よい看護がしたいから」,「患者の生命を重要視すればこそ」と,看護婦さんたちが立ちあがつた今回の争議について,私は自分個人の意見をここに再びのべたいと思う。本誌1月号の「とびら」にのせたことは,争議の手段としてとつたストライキ,すなわち業務拒否に関して,看護の一般論としての,オーソドックスな論理について述べたのですが,社会的な問題として,看護婦の現在おかれている立場から考えるならば,論理はあくまでも論理であつて,それとは別の意見が成りたつのであります。私自身も看護婦のひとりであり,看護婦に対しておこつた社会の冷淡で,無理解な批判に対して書くつもりであつたのですが,言葉の不足のために誤解されるかと思いましたので,改めて私の真意を記したいと思います。私は,もちろん今回起つた病院争議を支持しますし,看護婦さんたちの言い分は正しいと思います。
日本の医療の実態は,その昔,聴心器1本で病人を治していた時代から,総合診断,総合医療の20世紀の今日にいたるまで,医師全体の思想は少しも進歩していません。医師のために,他のすべての医療従事者は存在する,といつた考え方が,大手を振つているということは,今日の社会においては考えられないくらい不思議な事実です。ことに看護婦に対しては,女性であるという意識が,他の従業者より更に条件を悪くしています。そして,病院の便宜のためには,真先きに看護婦を利用するのです。
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