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本連載は,ベナーの看護論を,そのベースとなっている「現象学」という哲学の視点から理解することを目的として,ベナー/ルーベル『現象学的人間論と看護』*1で提示されている現象学的人間観の5つの視点を明らかにすることから,歩みを始めました。そしてこれまで,「身体化した知性」と「背景的意味」という2つの視点について,解説を行ってきました。
「身体化した知性」とは,赤ん坊が生まれたときから具えている,反応したり学習したりする「生得的複合体」としての身体的能力や,誕生後に文化的・社会的に習得され身につけられる姿勢や身振り,日常的な道具使用,専門的な熟練技能などの「習慣的身体」の能力のことでした。ベナーらによれば,人間は,デカルト的二元論のように,知性の担い手としての心と,それによって動かされる身体とに分断された存在ではなく,まさにこのような「身体化した知性」を具えた心身統合的な存在であり,また,その人が属している文化や下位文化,そして家族からさまざまな「背景的意味」を与えられ,それを「当たり前」のものとして身につけている,そうした存在なのでした。「身体化した知性」も「背景的意味」も,ふだんはそれとして自覚されていませんが,私たちの日常生活は実はこれらのおかげで円滑に営まれています。疾患によって「身体化した知性」が損なわれると,この円滑な生活の営みが破綻し,それがさまざまな意味を帯びた「病い」として経験されるわけですが,そこには,その人が身につけているさまざまな「背景的意味」がかかわってきます。それゆえ,その人を理解し,その人の「病い」経験を理解するためには,「身体化した知性」と「背景的意味」という視点が重要になるのでした。
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