連載 私達を育ててくれた事例・5
看護の対象と援助の考え方が生まれた経過(4)—場の設定による援助の変化
久常 節子
1
1福井県立短期大学看護科
pp.621-625
発行日 1976年9月10日
Published Date 1976/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205756
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仲間による相互批判も,住民による監視もなく(監視されるほど住民の生活の中に入っていない),受持人口が多い上に転出入が激しく,少しなじんだかと思えば転勤……,そんな中での保健婦活動は,自然"浅く広く平等に"とTBや乳児などを中心とする1回きりの面接や訪問が多く,意欲も生きがいもみいだせない沈滞ムードの都市保健所をつくり出している。
そんな中で,人の生命と生活にかかわる看護の遂行について,自己に厳しく,鉄の意志を持つ身ならぬ私たちは,拒否されれば自然と足が向かなくなり,複雑でやっかいな問題は手に負えないと投げ出し,いいかげんな働きかけで自殺しても知らぬが仏!私は保健婦だ,専門職だ,私のすることにまちがいはない,と過ごしたことなど一度もないと言えるだろうか?
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