連載 私達を育ててくれた事例・4
看護の対象と援助の考え方が生まれた経過(3)—精神衛生活動への取り組み
久常 節子
1
1福井県立短期大学看護科
pp.407-412
発行日 1976年7月10日
Published Date 1976/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205730
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
大阪府では,精神衛生活動の担当は,主に社会福祉を専攻したソーシャル-ワーカーが研修を受け,精神衛生相談員(PSW)として各保健所に1名配属され,精神衛生に関する事務手続から面接,訪問,デイ-ケア,障害児の援助にいたるまで担当していた(昭和49年4月時点)。
門真保健所でも,大学を卒業したばかりのPSWが活動していたが,一人職種のため,出張や訪問の時訪れるケースには,わかろうがわかるまいが保健婦が会わざるをえず,その上,アルコール中毒でTBとか,妊婦で分裂病などの問題をもったケースの訪問から,精神障害者への理解がなければやっていけないことに気づきはじめていた。そんな昭和49年4月,乳児の勉強会(障害児の早期発見の手引き)のあと,何を続けていくかが話し合われ,"精神衛生活動に対する取り組み"が取り上げられた。しかし,この時点では,"精神衛生活動は専門職に!""保健婦はTB,乳児を中心にして,これらとからんだケースのみなら取り組んでもいいが……""昭和49年2月生まれの調査後の検討や,障害児で手いっぱないのに,これ以上新しい業務を増すことは無理""精神衛生活動に取り組むことは,正直言って,何をされるかもわからないという不安と恐ろしさが先に立つ"などの意見が多く,勉強会の必要性は認めるが,精神衛生活動そのものに真正面から取り組むにはほど遠かった。
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.