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今年はグレン・グールド(Glenn Gould, 1932-1982)というピアニストの生誕90年・没後40年である。さまざまな特別企画の中でも圧巻なのは,グールドが1981年に再録音したJ.S.バッハ作曲《ゴルトベルク変奏曲》(「ゴールドベルク」ではなく,ドイツ語の発音に近い表記とする)について,レコーディングセッションの全テイクが初めて公開されたことだろう(ソニー・ミュージックレーベルズより発売)。実は5年前にも同様の企画があり,そちらはグールドのデビュー盤となった同曲の録音セッション(1955年)が対象だった。映画やテレビドラマの撮影では複数のテイクを編集するのが常識だが,音楽録音に本格的な編集作業を導入したのはグールドが最初である。変奏曲のテーマとして冒頭と末尾を飾る「アリア」だけでも,テイクの数は1955年盤で18回,1981年盤は20回(インサートを含む)に及ぶ。「アリアのリメイク,テイク297」と冗談を飛ばす録音技師とグールドのやり取りも克明に収録されている。それぞれのテイクが万華鏡のように美しく変容していく様は,グールドの飽くなき探究心と創作過程を浮き彫りにする。
演奏の「いいとこ取り」を批判する人々に対して,「まず第一に,演奏家のいわゆる『一貫した構想』から生じる美点と想定されるものの多くは,本質的に音楽と何の関わりもないということだ。〔中略〕第二に,だれがやっても演奏の様式まで編集することはけっしてできないという現実がある」とグールドは反論した[ティム・ペイジ(編),野水瑞穂(訳) グレン・グールド著作集2—パフォーマンスとメディア.みすず書房,pp.148-149]。この「演奏」を「演技」と見なせば,映画にも同じ議論が成り立つだろう。
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